変化の儀
──ひやり、と背中に、腰に、尻に、足に何かが染みて来る。
それがゆっくりと上がってきて、耳元に、とぷ、と小さな音がした。
こぽ、と何かが入ってきて思わず身じろぎしそうになる。
だが、全身を固くきつく布で巻かれ、横たえられているため指先ひとつ動かすことができない。
恐らく箱のようなものの中にいるのだと思う。
かたん、と蓋が締まる音がしたのは、どれほど前のことだったか。
ほんの少し前のようにも、ずいぶん前のことのようにも思える。
(寒い)
急激に、体中が冷えてきた。
きんと冷えた氷水に全身を浸されたかのようで、冷えを通り越して痛む。
寒さと痛みとで体が震えそうになるが、固く巻かれた布がそれを許さない。
(痛い、痛い)
逃れようもなく延々と押し寄せる痛みに、思わず歯を食いしばる。
じぃんと歯の根が熱くなり、舌に力が入り、そこだけに熱を感じると急に息苦しくなってきた。
頭の奥にずきんと激しい痛みが走る。
(痛い、苦しい)
動けない。身をよじることもできない。
ただただ痛みと苦しみを受け止め、全身が強張る。
閉じた口の中に、鼻に、恐ろしいほど冷えた何かが入ってきた。
苦しくてもっと息を吸いたいのに、かわりに侵入してくる「なにか」が、粘膜を容赦なく犯していく。
(苦しい、怖い、怖い)
全身から汗が噴き出すのがわかる。
けれど、それもすぐに冷えていく。
閉ざされたままの目の奥に赤い光が瞬くのに気付くが、苦しさと痛みに塗り替えられた。
──何かが、溶けていく。
身体の中が、どこかが、何かが、少しずつ輪郭を失っていく。
それと同時に、身体の内側から、外側から──同時に押し寄せていた圧迫感がふっと消えた。
何も、感じない。
苦しさも、痛みも、──何も。
『変化の儀は、失敗をすることもある』
『過去には、変化の儀で命を落とした皇貴もいる』
(嫌だ)
押し寄せる喪失感に、ざぁっと血の気が引くのがわかる。
頭のてっぺんから首、背骨を通り胸の真ん中へと穴が開き、そこから何かが出ていくようだ。
(怖い、寂しい)
どく、どく、と耳の奥に響く鼓動が、徐々にゆっくりに、細く小さなものへと変わっていく。
(わからない、けど、怖い、怖い)
不安が、恐怖が、寂しさが。
様々な感情が頭に開いた穴からじわじわと侵入してくる。
自分が、これまで積み重ねてきたものが、心が、思考が、感情が、少しずつ抜けていく。
なんとか穴をふさぎたい。こぼしたくない。なにひとつ、失いたくない。
そう思っても、動けない。
ただただこぼれていくのを感じるばかり。
それがどうしようもなく悲しくて、恐ろしくて、
(……いや、だ)
ふ、と急激に眠気が、意識が遠くなるような感覚がする。
それに身を任せてしまえば、楽になれるかもしれない。
浮かんだ考えに、またぞくり、と寒気がする。
しかし、そうしている間にも自分の内側に開いた穴は、容赦なく何かを奪っていくのだ。
***
変化の儀が終わるまでの間、三人には来客用の部屋が準備されていた。
だが、三人はコトネの部屋で待つことを選んだ。
時折少し話をし、また、黙る。
三日三晩続く儀の間、コトネが何を感じ、どんな想いをするのか。
それは想像するしかできないが、考えるたび胸が苦しくなる。
(失敗をすれば消えてしまう、と導師は言った。それはつまり、人の手のおよばぬ儀式だということか)
何物かと戦うのならば。
手を貸すことができるものならば。
そう思うが、何もできない。ただコトネを信じ待つことしかできない。
それが歯がゆく、サヴジはきつく唇を噛む。
(コトネ……コトネ……お願い、戻って来て、エリン信じてるから……コトネ……)
コトネは『第五十三代皇貴になる』と言った。
そう言って、笑った。
だから、と言った。
その続きは、きっと「待っていて」「戻って来る」だと思う。そう信じる。
ギュッと目を閉じ、次から次へと溢れる涙を、エリンはこらえる。
(たった一人で、今どんな想いでいるのかしら……)
コトネはずっとこの部屋で育った。
様々な重荷を抱え、重責を背負い、生きて来た。
さらに命を懸け、今たった一人で儀式に臨んでいる。
それを思うと、ただただ、苦しい。
フェリカは行き場のない思いを抱え、部屋の中を歩く。
部屋の外には、物音ひとつ立たない。
人の気配も、ない。
遠くで鳥が鳴く。顔を上げると日が少しずつ傾いて来ていた。




