第二篇 基本的三位世界
三位概念が定まった時、世界はまだ世界ではなかった。
創造は在った。破壊も在った。観測も在った。
だが、それらが見るものは、無秩序な可能性の海であった。
形はない。方向もない。
創造は問うた。「何を生めばよいのか」と。
観測は答えなかった。ただ、観ていた。
破壊は沈黙した。終わらせるべきものが、まだ存在しなかったからである。
やがて創造は理解する。生むべきは、完成された世界ではない。生まれ続ける余地こそが、世界に必要なのだと。
創造は、可能性の海に境界を引いた。
それは壁ではない。内と外を分ける線でもない。「ここから、ここまでを世界とする」という、最初の定義であった。
だが世界は未完成であった。
なぜなら――それを「世界」と認める者が、まだいなかったからである。
観測はその時、初めて"目"を定めた。
観測は、世界を支配しない。導かない。干渉しない。
ただ、在ると認めた。その瞬間、因果が生まれた。
因果とは、観測された秩序である。この世の定義であり、混沌でもあった。
観測によって、世界は初めて「起こったこと」を持つ。
その瞬間、三位は形を成した。後に人型と呼ばれるその形は、世界の幻想であった。そして、数多の概念が可能性の海で蠢き始めた。
こうして、世界は完成した。
だが、完成とは終わりではない。
完成とは、物語を始められる状態になったという意味である。
創造者は、世界の中に更なる創造を許した。
破壊者は、世界の中に終焉を内包させた。
観測者は、世界の内外から、それらを観続けることを選んだ。
この時、世界は一つであった。
『基本的三位世界』。後に『絶対超越的真現実』と呼ばれるこの世界は、全ての可能性を孕んだ至高の世界であった。
何物にも創造、関与されていない唯一の現実、真実、真理――真現実であった。
この時点では、まだ名はない。
名付ける者――すなわち、語る存在が、まだ生まれていなかったからである。
世界は整った。だが、世界を語る声は、まだ沈黙していた。
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