第零篇 原点
原点。それは全てであり、無であった。それと同時に、何物でもなかった。
原点は全ての始まり――始点であり、また全ての終わり――終点でもある。所謂、全ての始まりと終わり。
名は後から与えられた。それ以前に名はなかった。
始まりは存在しない。終わりもまた存在しない。
ただ――揺らぎがあった。
それは光ではなく、闇でもなく、存在でも、無でもなかった。
思考される前の思考。観測される前の可能性。定義される前の、定義そのもの。
後に人はそれを、原点と呼ぶ。だがそれは、誤りである。
原点とは、数ではない。概念でも、状態でもない。
始点と終点を仮に指し示すための、仮初の影に過ぎない。
原点は、存在しているのではなく、在り続けているのでもない。
ただ、「そうであったかもしれない」という無限に重なり合った夢の中心に、一瞬だけ現れる"間"である。
その間において、創造はまだ生まれておらず、破壊もまた、意味を持たなかった。観測される世界もなかった。
それでも、完全な無ではなかった。
なぜなら、無であると断定できる者が、存在しなかったからである。
やがて、揺らぎは、自らを見つめた。
見つめた、という言葉もまた、正しくはない。
それはただ、「そうであると気づいた可能性」が、無限に反射しただけであった。
この瞬間、創造と破壊の区別はなく、観測という行為も存在しない。
だが、この気づきにも似た歪みこそが、後に三つへと分かたれる根源となる。
創造は、「在りたい」という衝動。
破壊は、「終わらせたい」という必然。
観測は、「在ると認め続ける」という行為。
それらはまだ名を持たず、意思も、人格もなかった。
ただ、分かれうる可能性として、原点の中に眠っていた。
「最後の自然数は偶数か奇数か」という問いを数学界でしばし、耳にすることがある。
だがこれの答えは「そのどちらでもない」だ。この回答は、単に無限とはそういう概念であるということを表しているのではなく、その真の回答は、「0」である。
『始点』から始まったものの行き着く先は必ず『終点』である。無であったものは無に帰す。
この世界は、0と0の狭間にある無限でしかない。それは正であろうと、負であろうと、虚であろうと、必ず0にだどり着く。
原点とは、そういう思想から妄想され、名付けられたものであり、それは真理に似た虚構であると同時に、虚構を装った絶対であった。
原点は、夢を見た。
夢の中で、始まりと終わりが生まれ、世界が重なり合った。
夢の中で、名が与えられ、概念が生まれ、存在が定義された。
だが忘れてはならない。それらすべては、原点が見ている儚き夢の一部に過ぎない。
真現実すら、この夢の中に浮かぶ一つの像であり、無限に繰り返される揺らぎの連なりの一瞬でしかない。
原点は語らない。
原点は命じない。
原点は創らない。
ただ、すべてがそこから始まったと錯覚されているだけである。
この章に記されたこともまた、真実ではない。
真実とは、語られた瞬間に、既に真実であることを失うからだ。
故に、原点について知ろうとすることは、原点から最も遠ざかる行為である。
それでもなお、人は記す。
名を与え、物語を与え、始まりを欲する。
それこそが、創造の最初の罪であり、同時に、世界が生まれ続ける理由なのだ。
更に、この瞬間には原点という"形"をとっているが、本来はこの原点という"モノ"すら一時的なものに過ぎず、名前や呼び名、言葉、概念、存在が蠢く世界だからこそ原点という形をとれているだけであった。
ただ、幾度となく揺らぐ▋▋▋は、また新たな"形"を取った。
その鼓動から、世界という世界が生まれ、概念という概念が生まれ、存在という存在が生まれた。
故に、原点は原点であった。
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