表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/24

第八幕



 理香から聞いた真っ赤な傘をさす少女の話も、その子としか思えないような子を理香の母親が車ではねたことも、さっきその車でこのマンションまで送ってもらいエレベーターに乗ってから感じていた恐怖も全て、栄美は忘れさる事にした。


 いや、こんな事があって果たして忘れる事ができるのだろうか? それでも忘れるしかないと栄美は思っていた。そうしないと、恐怖から逃れる術はない。


 正直栄美は、学校で雨宿りをしている時に聞いた理香の怖い話は、ぜんぜん怖くなかった。いつもの怖い話……位に思っていて、むしろ理香の母親が車で迎えに来てくれるまでのいい暇つぶし位に思っていた。その上、恵が面白い位に怖がるので、楽しんでいたのだ。


 だが今は、栄美も恐怖を抱いている。学校で雨宿りをしていた時の恵よりも遥かに怖いと思っていた。


 お願いだから、早く帰って来て!! 両親と弟に対して、何度もそう念じる栄美。しかし両親は、帰らない。何日か前に、栄美と彼女の弟の春佑季(はるゆき)が一緒になって両親に言ったのだ。


「たまには、夫婦水入らずで旅行でもすればいいじゃん。ねえ、春佑季」

「そうだな。父さんも母さんも、仲良く二人で温泉でも行ってくればいいよ。夫婦なんだからさ」

「何言ってんのよ、あんた達。うちは共働きで、そんな暇なんてないんだから。ねえ、あなた」

「……そう……そうだな。まあ、忙しいからな」


 そんな会話をしていたが、暫くして栄美の父親は急に有休をとった。しかも妻の休みの日に合わせて取っていて、知らないうちに熱海に温泉宿まで宿泊予約をしていたのだ。


「え? 本当に二人で行ってくるの?」

「いや、だって栄美と春佑季が行けっていうからさ」


 父親の言い訳を可愛いと思い、栄美も春佑季も行ってくればいいと思った。両親が仲睦まじいというのは、子供達にとってもとても幸せなこと。しかしその両親の熱海旅行の日が、今日だったのだ。


 栄美は、両親に旅行に行ってくればなんて言ってしまったものの、その事に後悔をしていた。早く帰ってきて欲しい。でもそれが叶わなければ、今日あった事を忘れるしかない。


 栄美は、リビングに行くとすぐさまリモコンを手に取り、テレビをつけた。バラエティー番組がやっていて、それだけでも部屋が明るくなる。


「あれ? 春佑季、まだ帰ってきてないけど……」


 時計を見ると、もう19時を回ってしまっている。放課後、あの時間まで学校にいた上に、その後、車で……あの少女をはねた。それでもうこんな時間になってしまっていたのだ。


 窓の方へ近づき、カーテンをめくって外を見た。雨はずっと降り続けている。雷。


「もう! 春佑季、何をしているのよ」


 スマホを手に取り、弟から何か来てないかをチェックした。するとメッセージが来ていた。


「姉ちゃん、俺だけどさ。今日は、ちょっと一輝のうちに泊まるわ。朝までゲーム大会の予定だから、そのまま学校にも向かうからさ。でも父さんも母さんも熱海だし、別にいいだろ。まあそういう事だから、1人家でのんびりとしてくれよ」

「春佑季……」


 弟は帰ってこない。


 栄美は、その事で弟に怒りを感じていた。もっと早く言ってくれれば、良かったのに。そうしてくれれば、自分も恵か佳穂か理香か、誰かの家に今日一晩泊めてもらえたのに。


 こうなってしまっては、今からではどうする事もできない。


 栄美は、脱衣所に行ってタオルを手に取ると、それで首筋や手首、足など雨に濡れた箇所を拭いた。そしてソファーに崩れると、テレビに目を向けた。最近よく見るお笑いコンビが出ている。このコンビを見て、栄美は一度も笑った事がなかった。でもテレビをつけると、よく出ている。っという事は、需要があるということ。面白いなんて思った事もないのに、どうしてこんなにテレビに出ているのだろうか。いや、別に嫌いな訳ではない。ただ、面白いと思った事もないし、口を開けば誰でも思う当たり前のことしか言っていないイメージしかないのに……


 栄美の人生には、何も関係のないこと。そんな極めてどうでもいい事が、頭を巡った。眠気。


 ピーーンポーーーン


 唐突にインターホンが鳴った。栄美は、誰か家に来たのかと思い身体を起こすした。ドアホンの方へ行くと、インターホンに取り付けられているモニターを確認した。


「……誰もいない……」


 宅配か何かと思ったけれど、悪戯かもしれい。もしそうだとすれば、このマンションはオートロックだし、わざわざこの程度の悪戯をするのだから近所の子供……


「……まあ、いいわ」


 栄美は、溜息をつくとキッチンに行き、何かないかと冷蔵庫を開けた。チキンとサラダ、それにサンドイッチとジュースを取り出す。後でスナック菓子を出せば、1人パーティーを開催する事ができる。この際、あとで映画でも見ようかと栄美は思った。


 楽しい映画を見れば、色々忘れる事ができる。


 食べ物をテーブルに置いた所で、栄美は思った。一応、服や身体を拭いたけれど、制服は早く脱いで乾かした方がいいし、何よりすっきりした。そうだ、先にお風呂に入ろう。


 栄美はテレビのリモコンを手に取った。しかし消そうとした所で、やめてそのままテーブルに置いた。


 ピーーーンポーーーン


「ひいっ!!」


 またインターホンが鳴った。


 栄美は、驚いて悲鳴をあげてしまったが、直ぐに我に返りドアホンモニターへ見に行く。何も映ってはいない。


「悪戯……だとしたら、二回も鳴らすなんて、ちょっと酷い……」


 じっとモニターを見つめていると、時間が経過してモニターがきれた。そういう装置だった。


 玄関の方へゆっくりと足音を立てないように歩いて行き、ドアに近付いた。鍵と共にチェーンもしっかりとかかっている。ドアに近付いて、覗き穴から外を見た。


 やはり誰もいない……


 ゴロゴロゴロ……


 直ぐ外で近所の子供が隠れて、様子をみているんじゃないか……暫く息を殺していたけれど、遠くの方で雷の音がしただけで他には何も聞こえない。いや、雨音は聞こえていた。


「……はあ」


 こんな事なら、本当に旅行に行けばいいといわばければ良かった。もしくは、格好なんかつけないで親子で行こうと言っておけばよかった。またそんな事を思って後悔をする。


 栄美は溜息をつくと、そのまま着替えを用意してバスルームへと入った。湯船には浸からずに、シャワーだけ浴びる。その間、インターホンがまた鳴ったような幻聴がした。でもバスルームは、玄関側にあってもしインターホンがまた鳴らされたら気づくはず。じゃあ、やはりこれは怖くて聞こえてしまった幻聴にすぎない。自分をそう説得して、急いで身体と髪を洗って外に出た。


 いつものリラックスできるスウェットに着替えると、そのままリビングへ。テレビはついたままで、バラエティー番組をやっている。


 ――――ちらりとドアホンモニターに目をやった。


「…………え? 点滅してる……」


 ドアホンモニターのランプが点滅していた。つまり栄美がシャワーを浴びている時に、聞こえた気がするインターホンは気のせいではなかったということになる。


 栄美はこんな悪戯をするなんてという近所の子供に対しての怒りと、もしそうではなかったらという恐怖で変な気持になってしまっていた。


 モニターに近付いて行き、確認する。


「ちょ、ちょっといったいなんなの……」


 やはり誰も映っていない。


 一度、外に出て確認すれば、ひょっとしたら解決するかもしれない。何軒か隣の部屋のドアが開いていて、そこから悪ガキが顔を出してこちらの様子をうかがっている。そんなものを見つけて、一気に安心できるかもしれない。でももし、そうではなかったら――


 マンションをあがってくる時に感じた、エレベーターでの恐ろしい気配――栄美は、それをまた思い出して、全身に鳥肌が立った。


「もう!! なんなの!! もういい。こんな事、忘れればいいんだわ!! 気にしすぎよ!!」


 またソファーの方へ行って、座る。栄美は余計な事を何も考えない事にした。テレビに意識を集中させる。


 ピカッ! ッシャアアアアアアアンンン!!


「きゃああああ!!」


 ゴロゴロゴロゴロ……


 激しい雷鳴。大きいのが何処かに落ちたような気がした。そして同時に、電気が落ちた。停電。部屋は真っ暗になってしまった。


「ちょ、ちょっと嘘でしょ!? 停電!! ちょっと待ってよ!!」


 部屋の中は真っ暗。ただただ雨の音が聞こえてくる。そして遠くでゴロゴロと鳴る雷の音。それは、油断すればまたこの近くに雷をおっことしてやるというような脅しにも聞こえる。


 真っ暗の中、栄美は手探りでスマホを探して手に取った。ライト機能をONにしようとすると、弟の春佑季からメッセージが入っている事に気づく。


「停電なんだけど、そっちは大丈夫? だって。大丈夫じゃないわよ。何処の子から知らないけれど、こんな大雨の日にインターホンを鳴らして悪戯する子供だっているし。早く、帰ってきなさいよ」


 心配するならさっさと帰ってくればいい。友達の家にいて、一緒に遊んでいるのなら帰ってくる訳はないけど、栄美は姉として多少の強がる感じを見せながらも望みをかけて縋ってみた。けれど春佑季の帰りは、明日になる。


 何か怖いと感じながらも、今日一日は観念をして1人で耐えるしかないと栄美は自分に言い聞かせていた。


「これ……いつになったら、復旧するの? もう真っ暗で何も見えないんだけど」


 スマホのライトをONにする。それを懐中電灯の代わりとして、辺りを照らした。闇に包まれているリビング。栄美は、どうしてこんなにもこの部屋が暗いのかを考えた。直ぐにその答えが解る。バルコニー側のカーテン、それが全て窓にかかっていたからだった。


 栄美は暗闇で足元に気をつけながらもバルコニーの方へ行くと、カーテンを開けた。この辺り一帯が停電だったからなのか、外の世界も真っ暗だった。空は大量の雨雲に覆われていて、月も星も見えない。ザーーーーーっという雨音と、闇だけが広がっている。


「なにこれ、真っ暗闇……」


 世界が雨と闇に包まれた感じがした。


 暫く窓の外を眺めていていると、栄美はある事に気づいた。真っ暗だけど、灯りのついている場所もある。栄美のいるマンションの直ぐ近くにあるコンビニは、煌々と電気がついていた。その店の直ぐ前、信号の真下にいる人に気づいて、栄美は言葉を失った。


 それは、理香の母親の車に乗っている時に見た、真っ赤な傘をさす少女だった。


「え? なんで……」


 なぜあの少女は、こんな場所にいるのだろうか。大雨の中、ぽつんと1人であんな場所に立っているのだろうか。そして傘で顔が隠れているけれど、なんとなくこっちを向いている様子。それがまた、奇妙で気持ち悪かった。


「あの女の子……え? じゃあ、理香ママが車ではねちゃったのに、ぜんぜん無事だったってこと? どういうことなの!?」


 何がなんだか解らない。栄美は凄まじい恐怖に襲われた。そうこうしていると、信号機の下にいる真っ赤な傘をさす少女は、その手に持つ傘を少し向こうへと傾け始めた。もう少しで顔が見える。遠目にでも、だいたいどんな顔が解る。そう思った刹那、栄美は慌ててカーテンを閉めた。


 なぜそんな事をしたのか。


 それは解らない。なぜだかよくは解らないけれど、兎に角あの少女の顔を見てはいけない。栄美はそう強く思ったのだった。


 ……でも、気になる……


 ピンポーーーーーン!


「きゃああ!!」


 停電しているのに、インターホンが鳴った。どういうことなのか⁉ ドアホンモニターに目をやると、誰かがインターホンを押したと点灯している。


 栄美は考えた。インターホンやドアホンモニターは、電源が非常用のものと同じになっていたのだろうか? でも非常用のものは、そういう時に優先される電力であって、普通はインターホンなんかに電力を流さないはず。


 テレビのリモコンを手に取ると、ONを何度も押す。しかしテレビの電源は入らない。部屋の電灯も点灯させようとするも、テレビと同様でONにならない。


 でも目を向けると、ドアホンモニターはどういう訳か点灯している。


「ど、どういうこと!? いったいこれ、どういうことなの?」


 考えても解らない。たまたまこういう構造になっているのか? 他には何も浮かばない。


 栄美はそろりとドアホンモニターに近付くと、映像を確認した。やっぱり何も映ってはいない。


 コンコン……


「え⁉」


 今度は、誰かがドアをノックした。もう一度、ドアホンモニターを確認するもやっぱり何も映っていなかった。もしかして風? でも風はほとんど吹いてはいない。雨が激しく降り、雷が鳴ってはいるけれど風はないのだ。


 コンコン……


「だ、誰なの? こんな悪戯をするなんて……」


 警察に電話? でももしも近所の子供の悪戯だったら――そんな事を思っても、ここまで来れば近所の子供の悪戯なんかではない事は、栄美には解ってしまっていた。でも認めることなんてできない。認めれば、いよいよ恐怖が形となって目の前に現れるかもしれないのだから。


 栄美はごくんと唾を呑み込むと、廊下の方へと移動した。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ