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第六幕



 大雨の中、恵は兄と一緒に家に戻った。そして兄と一緒に釣りの道具を片付けると、風呂に入った。


「恵、お前もう雨でビショビショだろ。ほら、先に入っていいぞ」

「当たり前でしょ! 私はお兄ちゃんを迎えに行って、こうなったんだから!」

「はいはい。ほら、早く入れ。後がつかえているんだよ」

「っもうーー。お兄ちゃんは」

 

 ダイニングでそういう兄弟の微笑ましいやり取りをしていると、その声はキッチンにいる母親まで聞こえた。母は、にこりと笑う。


 恵は、溜息をつくと風呂場へ直行した。そして風呂場に入ると、熱いシャワーを浴びた。


 雨に打たれて冷えた身体がある程度熱ってくると、ようやく身体を洗い始めた。今日、学校で放課後に佳穂、栄美、理香たちと怖い話をした事を思い出す。


 恵は、他の3人と違って怖い話がとても苦手だった。でも興味がない訳じゃない。怖いけど、聞いてしまう。気になってしまう。いつも理香が調子にのって、そこから怖い話が始まる事が多々あるけれど、そうなると「やめて!」「怖い話は、嫌いだから!」と言って大騒ぎするも、いざ話が始まると耳を澄ましてしまう。


 恵はそんな自分の性格を呪った。怖がりなくせに、怖い話が気になって仕方がない。最後のオチがどうなるのかまで耳にしないと、気が済まなかった。怖い、怖くない、嫌い、好き、そんな事よりも兎に角気になって仕方がないのだ。性格。


 …………


 …………そう言えば、と思い出す。


 学校から、理香の母親が車で私を家まで送ってくれた。あの時に、車ではねた真っ赤な傘を持っていた女の子。後部座席に乗っていても、あの子がバンパーにドンっとぶつかって伝わってきた生々しい衝撃を今でも覚えている。


 でもあの時、車を止めて理香の母親と理香が辺りを見て回ったけれど、あの女の子の姿もあの子が持っていた真っ赤な傘さえも出てこなかった。じゃあ、あれはいったいなんだったのか。幻……それしか説明がつかない。


 シャーーーーー……


 身体も洗い終えると、今度は頭からお湯をかけた。そして洗顔をして、シャンプーを手にのせる。そして泡立たせると、髪を洗い始めた。そこでもう一つの怖い話があった事を思い出す。


 真っ赤な傘の女の子とは、別の話。しかも車ではねた子の事の方が、とんでもない話なのに恵の意識はそっちから別の今思い出した方へと向かっていた。むしろ、女の子をはねたのは悪夢で、現実ではなかったのだと思い込み始めていた。はねた時の衝撃でついた車の凹み。それしか残っていないのだから。


 そして恵が唐突に思い出したこと。それは、学校で理香の母親が車で迎えに来てくれるまでに4人で話していた怖い話の事だった。


 そう……栄美が語った怖い話……


 一瞬、恵はゾクっとした。鳥肌が立っている。そして何か解らないけれど、気配……のようなものを背後に感じた。


「な、なに……もしかして、何かいるの?」


 ビシャビシャ!!


「ひ、ひいいっ!!」


 急に、浴槽の中で何かがはねた音がした。髪を洗っている最中だった上に、シャンプーをまだ洗い流していないので目を開けられない。また開けては、いけないような気に恵はなった。でもいつもそうだ。恵は、怖いがりで怖いものが苦手なのに、怖い何かがあればそれはなんなのか見極めたくなる。気になって仕方がなくなる。


「だ、誰かいるの? も、もしかして、お兄ちゃん? 私を怖がらせようとして、お風呂にさっき釣った魚を投げ入れたでしょ?」


 ……返事はない。そして恵が風呂場に入ってから、再びドアが開いた様子はなかった。つまりこの場には、恵しかいない。なのに背後には、何か気配を感じる。ゾクリとする何か、禍々しく歪な気配。


 ビシャッ!


「ひっ! また浴槽から、魚のはねる音がした!! い、いったい何!?」


 背後に誰かいる。そして浴槽で魚のはねる音。こんな状況で、悠長にシャンプーを洗い流している余裕はなかった。両手でごしごしと顔面を洗い、ゆっくりと目を開ける。すると頭からシャンプーが垂れてきているのか、目が凄くしみた。もう一度、顔をこすってゆっくりと目を開ける。そして慎重に、腰を少しずつあげて浴槽の中を覗いた。


 シャーーーーーー……


「な、なにもいない……さっきは、確かに魚のはねる音がしたのに……」


 シャワーから水が流れる音だけがする。そしてまたゾクリとする背後の気配。恵はゴクリと唾を呑み込んだ。


「あ、やっぱり誰かいる。私の背後に誰かいる……だれ? お兄ちゃん?」


 そうではないことを、恵自身がよく理解していた。でも怖くて怖くて、敢えて兄ではないかと声に出したのだ。


 ピチャン……


「きゃああっ!!!!」


 冷たい手で背中を触れられたと思った。でもそれは、単なる天井から垂れた水滴。恵はそうに違いないと思い直した。そして学校で栄美が話していた事を、必死に思い出してみる。


「ど、どうだった? 栄美はなんて言っていたっけ? お風呂場で背後に誰かいる時、気配に加えて鳥肌が立つって言っていたような……それでなんだっけ? 右から? 左からだったかな? どっちからか振り返ると、見てはいけないものを見てしまうって……」


 果たして右だったのか。それとも左だったのか。既に恐怖で混乱していた恵は、どっちだったか思い出せなくなってしまっていた。そして怖くても恐ろしくても、確認してしまうその性格。振り返らずにはいられない。


「…………フ」

「きゃああああっ!!」


 今度は水滴なんかじゃない。誰かに後ろから息を吹きかけられた。左の耳の裏辺りだった。思わず振り向きそうになったが、蹲って悲鳴をあげなんとか耐えた。


「な、なに!? いったいなんなのよ!!」


 放課後。学校で雨宿りをして、暇つぶしに怖い話をし始めた。あの時から、何かが狂い始めたような感覚。


 恵は、両目をぎゅっと閉じると慌てて髪についたシャンプーを洗い流した。そして直ぐに風呂場から出ると、脱衣所でやっと目を開けた。洗面台にある鏡に映った自分と、背後を確かめながらもバスタオルで身体を拭く。


「……い、いったい、なんだったの……」


 ごくりと唾を呑み込むと、思い切って風呂場のドアを開けて中を覗き込んだ。しかしそこに誰がいるはずもなく、浴槽の中にも何もいなかった。


 恵が風呂場から出ると、兄とすれ違った。


「なんだ、恵。お前、なんか風呂で叫んでなかったか?」

「べ、別に……叫んでないよ」

「ならいいけど。なんかストレスとか溜めってるなら、溜め込むなよ。人生相談なら、俺がしてやるから遠慮なく言ってこいよ」

「はいはい……あ、あのお兄ちゃん!」

「んーー、なんだ? 早く風呂に入りたいんだけど」

「……やっぱり別にいい」

「なんなんだ?」


 風呂場にナニかいるかもしれない。髪を洗っている時、感じた寒気と気配は、尋常じゃなかった。でもアレと同じ。真っ赤な傘をさした女の子。恐怖から生まれた現実にはありえないものなのかもしれない。恵がそう思う理由として、車ではねた女の子の姿は何処にもなく、さっき風呂場であった気配も改めてみれば何もなかったのだ。


 全ては、自分の中の恐怖心が作りだしたもの……恵は、そうに違いないと思い始めた。いや、それしか説明がつかない。


 兄が風呂からあがると、恵はマジマジと兄の顔を見つめた。


「え? なに? 俺の顔に何かついてる?」

「……ううん、別に」


 恵はやはりさっきの風呂場であった事や、車ではねたアレは自分自身の恐怖が作りだした幻想にすぎないと思った。兄は風呂に入ったけれど、あの気配の事や浴槽でのたうつアレの話をしない。気にもなっていない。私だけが勝手に思い込んでいたこと。恐怖が創り上げた幻覚――


 きっとそうだ!! 


 兄が風呂から上がると、父親が帰宅した。家族4人揃っての晩御飯となった。父親は、ビールを片手に妻が揚げた天ぷらをつつく。息子、拓海が釣りげた3匹の魚は、塩焼きとなって登場した。


「美味いな。天ぷらも最高だが、拓海が釣り上げたヤマメもかなり美味いぞ。酒のあてにも絶品だな。しかしヤマメの塩焼きは3つしかないな」

「私は、別にいいから」


 家族4人に対して、拓海が釣った魚は3匹。恵は、自分の分はいらないからと言った。ただ遠慮した訳ではなくて、恵の脳裏にはあの無理やり針を外そうとして傷をつけてしまった魚の姿が鮮明に焼き付いてしまっていた。結局、食べる為に殺してしまうのだ。でも、その為に余計な惨い事をしてしまった。魚の悲鳴と、恵の事を呪っているかのような目。


 テーブルには、天ぷらの他にも沢山の美味しそうな食事が並んでいたので、恵が遠慮したからと言っても両親も兄もそれほど気にもしなかった。そして兄の一言。


「それじゃ、あれだ! また釣りに行って、お前の分を釣ってきてやるよ。それでいいだろ」

「別に他にもこれだけおかずがあるんだから、私的にはもう別にいいんだけど」

「いや、ほら。一応、俺が釣った魚、お前にも食わせたいじゃん!」

「でも料理するのは、お母さんだよね」

「まあ、それはそうだけど……」


 ダイニングに家族の笑い声が響く。風呂に入り、食事を終えると恵は、リビングでテレビを見た。好きな芸能人が出ている番組。


 お気に入りのテレビ番組を見ていても、恵の中では何かモヤっとしたものが渦巻いている。今日の放課後、学校で雨宿りをしていると時にした怖い話。あの時から、何かがおかしくなった。ううん、怖い話というか……理香の話。理香が以前いた学校で見かけた真っ赤な傘をさした女の子の話をしてから、何かおかしなことになり始めたような気がする。


 車であの子をはねた時、最悪の気持ちになった。でもあれは、幻覚。


 大好きな芸能人の出ているテレビ番組が終盤になった所で、恵は唐突にめまいに襲われた。そして吐気。何かやばいんじゃないかと怖くなったが、少しすると落ち着く。冷静に頭が働き始めると、今日帰宅してから大雨の中、釣りに出掛けた兄を迎えに行った事を思い出す。きっとそれで風邪でも引いたのだ。


「明日も学校だし、今日はもう寝ようっと……」


 よろよろと立ち上がり、テレビの電源を消す。番組は、まだ終わっていなかった。


 自分の部屋に入ると、恵はそのままベッドに入って眠った。


(そう言えば、お兄ちゃん……明日も有給でお休みなんじゃ……だったら、ずるい……私も休みたいな……お兄ちゃん、私の分の魚を釣るって言っていたし、また釣りに出掛けるだろうな……)


 意識が遠くなっていく。気が付けばそのまま深く……深く…………



 




 

 !!

 

 気が付くと、溺れそうになっていた!! 


(ガボガボガボガボ……助けて……ここは、何処!? 誰か、溺れ……)


 水の中で息ができない!! 苦しい!! そう思って混乱していたはずなのに、直ぐにそれは気のせいだと気づいた。全く苦しくない。そして水の中なのに、苦しくないどころか自分自身が華麗に泳いでいる事に気づく。


 こんなにも自分は、泳ぎが上手だっただろうか。ううん、これは夢。自分は、夢の中にいる。恵はそう確信した。


 そしてそう言えば、学校から理香の母親が車で家に送ってくれる時にふざけてしてくれた半魚人の話を思い出す。この今の自分の身体は、どう見ても魚。私は魚になった。でも半魚人ではない。人魚……人魚になったのだ。


 恵は、未だかつてない程の解放された気分になった。何ものにも縛られない気持ち。素晴らしい開放感。水の中をひたすら泳ぐ。楽しい。


 唐突に、目の前に団子のようなものが現れた。恵は、なにこれ? っと団子を見て鼻で笑った。そしてなぜだか急に、激しい空腹感に襲われた。

 

 そう、団子を見てからだ。団子を見て、始めは鼻で笑ったのに、今の恵はそれをご馳走に見えている。もう自分を止める事はできなかった。制御不能。空腹には抗えない。思い切って食べてしまえ。


 恵は団子に噛みついた。次の瞬間、口に痛みを感じる。なにこれ!?


 恵は慌てて暴れた。引き寄せられる。何かに引っ張られて、何処かに身体を引き寄せられていく。恵は、目を見開いた。すると自分の眼の前にはキラキラと光る線状のもの。糸だった。


(ま、まさか、これって……)


 ギュギュギュギュギュ……ギギギーーーー!!


 自分の力ではとても抗えない、圧倒的な力で身体を引っ張られていく。


 バシャアアア!!


 そして水の中から上へ引っ張り上げられた。そこには、恵の知った顔があった。


「おお、こりゃ立派なヤマメだ!! これならわざわざ早起きして、雨の中ここまで釣りに来た甲斐があったぜ。昨日は、あいつの分だけなかったからな。本人はいらないって言っていたけど、なんだかんだあいつ焼き魚とか好きだしな。家族1人だけ食えないってのも可哀想だからな。でもこれで、あいつも俺の釣った魚にありつける訳だ」


 恵を釣り上げたのは、彼女の兄――拓海だった。





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