第三幕
落雷――
佳穂達がいる教室は、真っ暗になった。恵が悲鳴をあげる。
「ひ、ひいいい!! 怖い怖い!! 真っ暗になっちゃったよ!!」
「はいはい、怖いねー。でも大丈夫よ、恵。直にママが迎えに来るし、生徒達が皆帰っちゃったとしても、学校には先生がいるんだから。きっと何かあっても、守ってくれるよ」
「守るって、何から守るの?」
「え? それは……」
恵に訳の解らない根拠の無い事を言われて、理香はポカンと口を開けて固まってしまった。佳穂は、いつもと変わらない2人の様子に少し癒されると、椅子から立ち上がって窓の外を見た。もしかしたら、理香の母親がもう学校へやってきているかもしれないと思ったからだった。
佳穂の後ろでは、恵が雷に怯え、それを理香が面白がってからかっていて、栄美がやめなさいと間に入るという事をしている。つまり今、窓の外を見ているのは佳穂1人だった。
「あれ?」
佳穂の視線のその先。校門の脇に傘を差した女の子が立っていた。制服から見て、この学校の生徒ではない。上から見ているので顔も解らない。しかもとても真っ赤な傘だった。まるで血を浴びたように――
まさか……もしかしてという言葉が頭を巡る。
「どうしたの? 佳穂」
「ひっ!」
いきなり理香に声をかけられたので、思いもよらぬ声が出てしまった。
「理香! あれ、あそこ……校門の脇の所を見て」
「え? 何かあるの?」
ゴロゴロゴロ――……
稲光。
「ねえ、佳穂。校門のところに何があるの?」
「その、今さっきそこに真っ赤な傘を差した女の子が立っていたんだけど、見えない?」
「え? 真っ赤な傘の女の子!?」
理香は慌てて窓から乗り出すようにして、外を見た。佳穂は「危ない!! 落ちるから!!」と言って必死になってそんな理香の身体を捕まえた。
「何処にもいないよ、佳穂」
「そんな、確かにさっき真っ赤な傘を差した子を見たんだけど……」
校門を見ると、そこにはもう誰もいない。目の前を、一台の黒い高級車が通過していっただけだった。
「ねえ、理香。私、今確かに……」
「うん、もちろん嘘だと思ってない。でもまあ赤い傘をさしている女の子なんて、その辺を見ればいくらでもいるでしょうしね」
「それはそうなんだけど……」
傘を差しているのがどういう顔をした女の子なのか、ぜんぜん見えなかった。また女の子の持っていた傘は、他になんとも言えないような真っ赤な傘で、遠目に見ても持ち手や骨の部分、傘の先っぽまでもが赤く染められていて、佳穂には余計に特別なものに見えたのだ。
栄美が理香に視線を送る。
「そう言えば、理香ママ。まだ到着しないの?」
「え? うーーん、どうだろうね」
スマホを見る理香。
「ありゃ、メッセージ入っていたわ、ごめん。えっとね……後30分か40分で到着できそうだってさ。皆、ごめんね。遅くなっちゃって」
「ううん、いいって」
「そうそう。家に車で送ってもらえるだけでも、ありがたいもんね」
「うんうん、でも私、それならちょっと電話してきていいかな?」
「なに、恵? もしかして大好きなお兄ちゃんに帰るって電話?」
ケラケラと笑う理香に、拳を振り上げる恵。
「そういうのじゃないから。今日は、出張でパパは帰ってこないし、ママも親友に会いに出るとかなんとかで私とお兄ちゃんしかいないし……心配しているとアレだから、電話を入れておこうと思って」
「そうだね。心配するもんね」
「こらーーー!! 君達、こんな時間まで教室で何やってんのよ!!」
突然の声に驚く4人。振り返ると、そこには赤いジャージを着た、青島泳子が立っていた。この2年B組みの担任であり、水泳部の顧問でもある青島は、来るべき日の為に部活で居残る生徒にみっちりと指導をしており、部員の練習後のプールの後片付けなどをして、教室を見回りに来たのもこんな時間になってしまったのだった。
まだ教室に残っている生徒はいないか確認。自分の受け持つ教室の様子。
「早く帰りなさい!! 今日はもう、ずっと雨だし雷もゴロンゴロンで止む事はないわよ。雨宿りして、止むのを待ってても無駄なんだから、ほら帰れ! さっさと帰れ!」
ほとんどの生徒がもう帰宅している。だから青島は、佳穂達にさっさと帰るようにうるさく言った。その剣幕に佳穂達は少し押され気味になっていると、栄美が代表して言った。
「あの、実は私達――」
4人は、遠山理香の母親が、この学校に車で迎えに来てくれる事を担任に説明した。そして4人全員を、それぞれ家に送り届けてくれる事も。
「なるほど、それなら安心ね。でもーー……理香のお母さんだから、理香を迎えに来るっていうのは解るけど、他の3人もってなるとちょっと大変よね。もしアレなら、そっちの3人を先生が家まで送ってあげようか?」
「え? いいんですか?」
いきなりの事で、佳穂は飛びついてしまった。でも思い直す。
「もっちろん! これだけ激しい雷雨となると帰り路も心配だしね、特別に送ってあげるわよ」
「えっと……でもやっぱり、理香ママに送ってもらいます。一応、もうお願いしちゃったし……」
「え? ううーーーん。まあ、そうか。そうだよね。理香さんのお母さん、3人も家に送り届けるって大変かなって思ったんだけど……もう頼んじゃったなら、そのつもりでいらっしゃるだろうし。解ったわ。じゃあ、一応私、職員室にいるから、帰る時には忘れずに一声かけてから行ってね」
『はーーーい』
「っと、それとどーでもいい事なんだけど、気になったからーー……聞いちゃうんだけど、あんた達教室で待っている間、いったい何をやって待っていたの? お喋り?」
青島泳子の質問に、4人は笑った。そして使っているコスメや好きな芸能人の話をしていたけれど、次第に雨が激しくなり、雷がゴロゴロとなり始めたのでなんとなく怖い話をしていたと答えた。
「なるほど。怖い話、いいねー。盛り上がるよね」
「え? 先生も好きなの、怖い話?」
理香の質問に、にっこりする担任教師。
「まあ、好きな方かな」
「え? じゃ、じゃあさ!! 先生も何かちょっと怖い話をして!!」
「えええーーー……先生、一応勤務中なんだけど……」
「お願い、先生!!」
「先生!!」
恵は案の定、嫌がっていたかが、佳穂と理香と栄美は先生に怖い話をして欲しいとせがんだ。
「よっしゃ、仕方がない。こうして君達に付き合うのもまた、それはそれで先生のお仕事だよね」
「うん、そうそう」
「それじゃ、話してよ」
「そうね。じゃあ、折角外は凄い雷雨だし、雰囲気でるし……水に関わる怖い話の方がいいよね」
「水?」
「水ってさ、滴るとか伝うとかいうでしょ。滴るってなんだかおんどろおんどろしいし、伝うっていうのは霊の話をする場合、呪いとか恐怖が伝うっていうのを連想するよね」
「きょ、恐怖が伝う……」
「これはね、以前この学校で亡くなった女の子の話」
「え? この学校で誰かが亡くなったんですか?」
「あなた達は入学して3年で卒業するけども、私達先生はそうじゃない。あの子の事は勿論、今も記憶に強く深く残っている人もいるし……これ、誰にも言わないでね」
青島泳子の言葉に4人は、ごくりと唾を呑み込んだ。また彼女の表情から、先程の理香の話と同じく実際にあったのだろうと感じ取れた。
「5年前にね、この学校のプールで溺れて亡くなった子がいるの」
「プールで亡くなったって……そう言えば先生、水泳部の顧問ですよね」
「そうよ。でも以前は私、顧問をやっていなかった。別の先生がやっていてね、ある女の子にある相談をされていたみたい」
「ある相談? ある相談ってなんですか?」
「その相談をしてきた女の子は、日頃から部活に熱心な子で、いつも遅くまで居残ってプールで泳ぎの練習をしていたわ。でもある日を境に、プールで怖い事が起きると言い始めたの」
「怖いこと?」
「そう。その子は、先に言った通りとても練習に熱心な子でね。かなり遅くまで残って部活に励んでいた。他にも部員はいたけれど、その子が一番遅くまで居残っていて、その顧問の先生はその子が頑張り屋さんだったって知っていたから遅くまでプールの使用を許可していた。そしていつもその子が最後になっていたんだけど、ある日遅くまで残ってプールで練習していると、誰かに足を掴まれたって言うのよ」
「え? 誰かって他の部員の人じゃないんですか?」
青島泳子は、顔を横へ振った。
「そこには、いつものようにその子しかいなかった」
「どうしてそれが解ったんですか?」
「その時の顧問の先生が、その子から何度も聞いたから」
「な、何度もって、足を引っ張られたのは、一度じゃないんですか?」
青島泳子は、今度は顔を縦に振った。
「何度もあったそうよ。でも確実にそのプールにはその子しかいなかった。だから誰かが足を引っ張るなんて事は考えられなかったの。顧問の先生は、その子に心配ないって答えた。気のせいだって。きっと練習のし過ぎで、足に違和感を感じたのだろうって。実際、女の子はその後に近所の整形外科に行って足を見てもらっている。一応、筋肉の疲労が見られるって診断されたみたいで、それなら足に違和感も感じるのも無理はないっていう事で一旦落ち着いたの」
「い、一旦って事は、その後また何かあったんですよね」
「そうよ。その後、足の疲労がとれてまた部活に戻って、3日目……彼女は、いつも猛練習をしていた学校のプールで変わり果てた姿で見つかったわ」
「ど、どうしてそんな事に……」
「溺死だったそうよ。そして彼女の左足首には、誰かの手のような痣があったって……」
「…………」
ゴロゴロゴロ……ピカっ!!
『きゃあああああ!!』
青島泳子が話し終えた後に、雷が鳴り4人は悲鳴をあげた。
「どう? 怖かったでしょ。でもこれ、本当にあった話だから、あまり怖い話とかそういうノリで話すのもどうかと思ったんだけど……私もちょっとそういう怖い話が好きな生徒に話してみて、何か色々と意見とか有力な情報がもらえたりするかもしれないからさ」
「ゆ、有力な情報って……先生は警察の人でもなんでもないんじゃないですか?」
「それはそうなんだけど、最近またあってね」
「あるって何がですか?」
「女の子はプールで溺死。そうなる前に相談していた顧問の先生は、その時にちゃんとその子の相談にのってあげられなかったからって、教師をやめたわ。その後、その先生は自宅のお風呂で溺れて死んでいた。警察の調べによると、周囲からは女の子を溺死させたのは顧問の先生のスパルタが原因だとか色々と言われてね……その末で、罪の意識に耐えられなくなって自殺したとか」
「……そんな」
「今はほら、スマホでなんでも調べられるでしょ。気になるなら、調べてみればいいわ。それで何か解ったら、教えて欲しいし」
「どうして先生は、そんなにその事件というか……その事を知りたいんですか?」
「それは……これもここだけの話なんだけど、私はその自殺した顧問の先生の後を引き継いで水泳部の顧問になったのだけど……最近、水泳部の中にプールの中にいる時に突然誰かに足を掴まれたって言ってきた子が何人かいたの。だから……」
ザーーーーーー
普通なら、ここで「なーーんちゃって、もしかして信じちゃった?」って先生が言って終わる流れなのかもしれない。しかし水泳部の顧問、青山泳子は追い詰められたような重苦しい顔のまま俯いていた。
「っと、まあそういう話。あなた達も気をつけなきゃ駄目よ! って水泳部じゃないんだから、気をつけるも何もないか。それじゃ、遠山さん。お母さんが迎えに来たら、帰る前に職員室に来て一言声をかけてね」
青島泳子はそう言って、教室を出て行った。沈黙……
ブルルルル……
「ひい!!」
「きゃああっ!!」
「びっくりした!! 理香のスマホの音じゃない!」
佳穂と恵に続いて栄美も驚いた声をあげていた。栄美は、4人の中では一番落ち着いた印象がったので、理香はちょっと面白いと思った。そして母親からの電話に出る。
「うんうん、そう解った」
「理香ママ、もう到着するって?」
「うん、もうあと10分だって。よーし、それじゃもう時間もあれだし、簡単ショートな感じの奴でいいから、佳穂か恵! シメにお願いします! はい、どうぞ!」
「嫌よ! だから私、怖い話は苦手なのよ! 聞くのも話すのも怖いから嫌なんだってば!」
「えーー。しょうがないなあ。それじゃ恵は、仕方がないって事で勘弁して、佳穂お願い」
「わ、私!?」
「うん、私。ほら、もう後8分でママが来ちゃう。凄く簡単なのでいいから」
「えーー、そんな急に言われても」
困って栄美の顔を見る。
「理香がなんでも良いって言っているんだから、なんでもいいんじゃないの。最近何か変な事があったとか。必ずしも怖い話という訳でもなく、ほらちょっと不気味に感じる事とかあるじゃない。その程度でいいと思うんだけど」
「うーーん……そうね。でもいきなりそんな話をポンと振られても、ちょっと……あっ!」
佳穂の反応を見て、理香はニヒヒと笑った。
「おや、何か思い出したようだね。それじゃ、あと6分。短編的な物語でお願いします!」