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第十三幕 



 プールに入った瞬間、理香は寒気に襲われた。思ったよりも水が冷たかったというのもあったが、それ以外にも何か悪寒を感じたのだ。


「冷たい……早く、スマホを拾って外に出よう……」


 制服が濡れるのを嫌い、下着になってプールに入っている。もしも今、誰かがこの屋内プールに入ってきてこの状況を見たら、なんと思うだろうか。理香はそんな事を考えたが、内心はむしろその方がいいと願った。この薄暗い屋内プール、風もないのに水面は僅かに揺れているような気がするし、何より空気が澱んでいる気がしてならない。恥ずかしさよりも、誰かがここにいてくれた方が、気持ちがどれだけ楽になるか。


 そんな事を考えながらも、理香はゆっくりとプールの中をスマホがある方へと向かって歩いてきた。スマホが落水している場所は、丁度真ん中の辺り。半分まで来たというところで、それは起きた。


「きゃああっ!!」


 ザバアア!!


「あぶっ……がぶ……うう……げほっげほっげほっ!! なな、なに⁉」


 何かに足を掴まれた。理香は予想もしなかった恐怖に気が動転するも、ジャバジャバとプールの中で辺りを見回した。薄暗く、はっきりとは見えない。何か巨大な悪魔が水底から迫ってきているようにも見える。でもそれは、理香が慌てて動いた事によってできた波紋と波。そして、薄暗い中で僅かにある光が水面に反射して見える錯覚――


「はあ、はあ、はあ……確かにさっき、何かに足を掴まれたような気がしたけど……気のせいなの⁉ ううん、学校のプールに何かいる訳がない」


 自分にそう言い聞かせる。ゆっくりと掴まれたと思った方の足をあげると、感触のあった右足首に触れた。やっぱり気のせい……なのか……いや、何かが足首を掴むなんて、ありえる訳がない。そう思っても、消せない不安。理香は、すぐさま気を取り直して少し急いでスマホのあるプール中央まで移動をした。


 スマホのある位置まで行くと、水底にあるスマホに目を落とした。水面が揺れていて、はっきりと解らないけれど、スマホの画面が光っているのは解る。


 この時、なぜか昨日の放課後の教室で、皆で怖い話をしていた事を思い出してゾクっとする。途中で青島が入ってきて、話に参加したこと。確か、プールで足を掴まれた水泳部の部員がいたという話――また理香のうなじから背筋に向けてゾクゾクとした嫌な感覚が走る。


「た、立ったままじゃ、手は届かないよね。さっと拾って、早くここから出よう」


 思い切り息を吸って、水の中に潜った。目は瞑っている。手探りでスマホを探す。手に触れない。何処? スマホが沈んでいた場所で、潜ったはずなのにまったく手に触れない。底に手はついているのに――


 理香は水の中、ゆっくりと瞑っていた目を開いた。


 あった!! 直ぐ目の前にスマホが置いている。あれ? っと思う。水に潜り、間近まで来て見たスマホは、理香の見覚えのないスマホ。これは、いったい誰のスマホ……?


 手を飛ばしてスマホを掴む。そして何気なく顔をあげる。するとすぐ目の前には、まるで海藻のように髪の毛を漂わせている白い着物を着た女の子がいて理香を見ていた。その顔は、既に腐っていて原型が解らない。崩れている。腐敗している。


 理香は恐怖で叫んだ。しかし水中では声にならず、ガボガボと息が玉のようになって浮かび上がるだけ。まるでゾンビのような恐ろしい顔をした着物の女は、そのまま理香の両腕を掴んで互いの鼻が触れ合う位に顔を近づけてきた。


 しかし女の鼻は腐り落ちて、無い。理香は暴れた。水から浮上して逃げ出そうとしたが、着物の女の力はとんでもなく強く、とても振りほどけない程だった。


 恐怖と絶望に歪む、理香の顔。その意識の中で、理香は着物の女の怨念が滲み出ている様子と身に着けている白い着物から、女は遥か昔に生贄にされた女の子なのではと思った。


 でもなぜ、この怨霊は自分を暗い水の底へ引き込もうとするのか――


 ただ無念と恨み。そして今までこの黒水市で無残にも死んでいった者達の呪いが、生者を恨めしく思い冥府へ引き込もうとしているのかもしれない。


 消えゆく意識の中で理香は、以前いた学校であんな事があって転校した時、学校だけでなくこの呪われた街から出なければならなかったのだと気づいた。


 この黒水市は、呪われている。それは水のように伝い滴って、深く染み込んでいる。逃げるしか道はない……


 ガボガボガボ……う、うぐう……








 佳穂は、担任の青島に会う為に職員室に行った。


「おーー、木山か。どうした?」

「あっ、佐藤先生、すいません。青島先生はいますか?」

「青島先生? それなら3階の補修室にいるな」

「補修室ですか……」


 先日のテスト。赤点をとった生徒は、補修室で補修授業を受ける事になっていた。


「木山、お前は点数、良かったんだろ」

「わ、悪くはありませんでしたけど……ちょっと青島先生に用事があって」

「なんの用事だ? なんなら俺が聞くぞ。今、手が空いているからな」

「いえ、先生に直接相談したい事があるので」

「そうか。まあ、お前の担任だしな。でも青島先生は補習授業だからな。どうしてもっていうのなら、明日にしろ。これから雨も強くなるらしいし、今日は大人しく帰宅しろ」

「……解りました」


 青島は、3階の補修室にいる。


 佳穂はたまたま気づいて話しかけてきた佐藤にお礼を言って頭を下げると、職員室を出ようとした。ドアを開けた所で、振り向く。


「なんだ、木山? まだ何かあるのか?」

「さっき、屋内プールの方へ行く青島先生を見たんですけど」

「はあ? 青島先生は、お前の担任だろ? ホームルーム後、職員室に戻ってきてそれからすぐに補修室に行くっていって出ていかれたぞ」

「でも屋内プールで……」

「気のせいじゃないのか? それに水泳部は、今日は休みだろ。屋内プールは、鍵もかかっていて入れないはずだ」

「え⁉ でも……」

「ほれ、見ろよ。鍵だってある。俺は、青島先生がお前らのホームルームやっていたよりも少し前からここにいたからな。誰も持っていっていないぞ」


 佐藤はそう言って、職員室の鍵が吊っている壁掛けボードを指でさした。佐藤は面倒くさそうに椅子から立つと、その鍵を手にとり佳穂に見せた。


 鍵には屋内プールと書かれたタグがつけられていて、鍵は3本あった。


「1本は屋内プール、もう1本は水泳部の部室の鍵で、残り1本は部室内の倉庫のだ。さっきも言った通り、今日……部活は休み。全て施錠してある」

「それはおかしいですよ。私、理香と一緒に水泳部の部室に入っていく青島先生を見ましたし……」

「見間違えじゃないのか? 入れる訳がない。だって鍵がない」

「今日のお昼休みに私と理香は、青島先生と水泳部の部室で話をしました」

「……そう言えば、昼飯食いに職員室に戻ったら、鍵がなかった気もするしな。解った、それじゃ見てみるか」

「ありがとうございます、佐藤先生」


 佐藤は面倒くさそうに溜息をつくと、佳穂と共に職員室を出た。廊下。窓の外を見ると、かなり雨が降っている。思わず佳穂は、校舎の外――雨の中にあの真っ赤な傘の女の子が立っているのではないかと、目で探してしまった。


「木山」

「はい」

「一応言っておくが、もし遠山と一緒に俺を騙して大笑いしようっていうのなら、後で大変な事になるぞ。解っているよな」

「そ、そんな!! 全部、本当の事ですよ!! 本当に今日のお昼休みに、青島先生と水泳部の部室で話をしましたし、さっき理香と一緒に部室に入って行く青島先生を見かけて声をかけようと追って行ったんです」

「追って行った?」

「はい。それで部室に入ったんですけど、誰もいなくて……電気もついていなくて、屋内プールにいるのかと思って見たんですけど、そこにもいなくて」

「待てよ。その話が本当だとして、遠山はどうしたんだ?」

「屋内プールにも青島先生がいないので、見回りだけして職員室に戻ったんだと思って。それで向かおうとしたら、理香がスマホを落としたって言って屋内プールへ戻ったんです」

「スマホを……」

「理香が尻もちをついちゃって、その時に落としたって……」

「スマホを落として、取りに戻ったのか。ふーーん」


 佐藤と理香は、会話を続けつつも屋内プールへ向かった。


 外は雨が激しく降っていた。濡れるのを嫌った佐藤は、初め屋内プールの方から中へ入ろうとしたが屋根がある水泳部の部室の方へと走った。佳穂もピタリとついていく。


「ちくしょ、濡れちまった。傘を持ってくりゃ良かった。失敗したな」

「……」


 部室。ドアは閉まっている。


 佐藤はチラリと佳穂の顔を見ると、ドアノブを握って回した。


 ガチャガチャ。ガチャガチャ。


「あれ? 鍵が閉まって……」

「おいおい、どういう事だ? 木山、お前本当に俺を騙そうとしてないよな。もしそうだったら、本当にキレるぞ。先生の中には、からかわれて笑って許してくれる優しい先生いるけどな、俺は違うからな」

「本当です!! 本当だって言ってるじゃないですか!!」

「……」


 佳穂のその表情を見て、佐藤はひとまず信じる事にした。嘘をついているとか、人をからかってやろうという顔には見えない。そういう生徒の顔を佐藤は、何人も知っていたからそう思えたのだ。


 鍵を開けて、ドアを開ける。部室の中は、静まり返っていて電気もついていなかった。佐藤が佳穂の顔をまた見ると、佳穂は佐藤の前に出て叫んだ。


「理香――!! 戻ってきたよーー!! スマホ、見つかった?」


 …………


 …………


「おい、返事がないぞ。鍵も閉まっているみたいだけど、本当に遠山はいるのか?」

「解りません」

「はあ? どういう事だ?」

「理香と一緒にここへ来て、一緒に外へ出たから。それから職員室へ行く途中で、理香はスマホを忘れたから戻るって……その時はここに鍵なんてかかっていなかったし……でも、今はなぜか鍵がかかっていて……」

「はあ、面倒くさい。なんなんだよ、お前ら。帰宅部なら授業が終わったら大人しくさっさと家に帰れよ! 雨もまた強くなるって天気予報で言っていたし……」

「すいません……」

「屋内プールで尻もちついてたんだろ。じゃあ、そっちにいるんだろ。ほら、ちょっとどけ」


 佐藤は佳穂を軽く押して部室へ入ると、中を確認し始めた。


 部室内は、薄暗くてよく見えない。


「おいーー!! 遠山――――!! いるのかーーーー!! どうだ、返事がないと見ると、屋内プールの方にいるのか!! なああ、返事しろーーー!!」

「理香―――!!」


 奥へと進む。部室内には、理香の姿はない。屋内プールへのドア。佐藤はドアノブに手をかけた。鍵を差し込んでガチャリと開ける。ここもさっきは、鍵なんてかかってはいなかったはず。


「遠山―――!! いるのかーーー!!」

「理香―――!!」


 屋内プールの方も点灯しているのは非常照明だけで、とても薄暗い。その中で2人は信じられない光景を目にした。静かにゆっくりと小さく波打つ水面。プールの丁度真ん中で、誰かがプカプカと浮いていた。


「先生あれ!!」

「嘘だろ⁉ 遠山か!!」

「理香―――!!!!」


 バシャーーーーン!!


 水に飛び込む佐藤。そのまま泳いでいき、プールの真ん中まで行くと人形のように浮かんでいた誰かを抱き寄せて顔を確認した。遠山理香――


「遠山だ!! おい、しっかりしろ!!」

「いやあああ、理香――!!」

「まったく、どうしてこんなとこで!!」


 佐藤は、理香を抱いたまま急いでプールからあがると、そこで仰向けに寝かせる。そしてまた確認する。


「クソ、息をしていない。脈も……」

「せ、先生!!」

「木山、スマホ持っているだろ!! 急いで救急車を呼べ!! 早く!!」

「は、はい!!」


 佐藤は佳穂にどうするべきか指示を出すと、直ぐに理香に人工呼吸と心臓マッサージを繰り返した。何度も何度も何度も何度も――


 佳穂は救急車を手配すると、そのまま職員室にも電話をかけた。直ぐに職員室から、屋内プールの方へと他の教師たちもやってきた。


 佳穂は、親友の変わり果てた姿に動転しながらもなぜ理香は下着のみになっていたのかを考えていた。どうして理香は、制服を脱いでプールになんて入っていたのか。


「ちくしょう!! どうして遠山はこんなとこで、プールになんて入って浮かんでやがったんだ!! 訳が解らない!! 戻ってこい、遠山!! ほら、早く戻ってこいよ!!」

「佐藤先生、救急隊員が来ました!!」

「早く、こっちへ!! 助けてくれ!! うちの生徒を助けてくれええええ!!」


 呆然とする佳穂。まさか、こんな事になるなんて。ついさっきまで、一緒に授業を終えて一緒に行動をしていた理香。それがこんな事になってしまった。


 思えば昨日の放課後、大雨の降る中、学校で雨宿りをしながら怖い話を4人でしてからというもの、何か恐ろしい事が起き始めている。いや、それが引き金になった訳ではないのかもしれない。この黒水市は古くに血なまぐさい過去があり、呪われているのだから。


 雨は昨日と同じく、激しく振り始める中、救急車のサイレンを聞きながら佳穂と佐藤はまるで魂が抜け出たかのようにただただ呆然と立ち尽くしていた。



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