注文日までアンドゥ
アンドゥできるのが、デジタルで絵を描く最大の利点だろう。線が少しずれたら、一つ手順を巻き戻して、もう一度引き直せばいい。
「なんでこうなるかなぁ」
額に冷えピタを貼った小林は頭を抱えて、前後左右に猛烈に頭を振った。まるでヘビメタバンドのファンである。
手描きをしていた頃より、格段に楽になったはずだ。下書きは別のレイヤーに分けて非表示にすればいいし、ベタも消しゴムかけもうんと楽になった。墨汁をこぼしたり、ペン先を指に刺したりすることもないし、スクリーントーンに至っては、削りカスを靴下につけたまま外出していたことなど、もはや考えられない。
なのにどうして、相変わらず〆切に追われているのだろう──。
小林は、剥がれて額からぶら下がっている冷えピタを付け直すと、いまだに真っ白なPCの液晶画面をながめた。同人誌の入稿日が近い。
スマホを手に取って、SNSを開く。これが危ない。気付けば時間が過ぎている。
小林は普段親しくしている友人に、メッセージを送った。
助けて、原稿が終わらない──と。
すぐさま友人から返事があった。「ジャンルは?」「何ページ残ってるの?」「入稿はいつ?」……的確な質問はなんとも心強い。
穴埋め原稿書く? 小説でいいなら書くけど──友人のそんな言葉に、小林は思わず天を仰いだ。神か。ガッツポーズをとった拍子に、エナジードリンクの空き缶が何本か転がった。
一も二もなく、友人の提案に飛びつく。送られてきたプロットに、小林の目は釘付けになった。仕事が早い。
友人に頼んだ手前、小林も描かないわけにはいかない。ペンタブを手に、PCモニタの中のキャンバスに、あれこれと線を引いていく。
スマホの通知がピロンと鳴った。「まず一枚目ね」という言葉と共に送られてきたのは、小説の書き出しである。小林は友人の仕事の早さにのけぞりながらも、ペンタブから手を離さなかった。切羽詰まっている。
「萌えって、原動力だよなぁ」
小林は誰ともなくそうつぶやいてから、猛烈な勢いでペンタブを動かしはじめた。
協力してくれた友人のおかげで、なんとか入稿が間に合った。
同人誌は印刷所から即売会に直接送られてくるから、小林は見本誌を触っただけだ。
けれどもようやく本になった姿を見ていると、感慨もひとしおだ。入稿後はよれよれになって倒れ込む勢いだし、なんなら寝込む。
それでも、ようやく完成したという喜びが、小林の心を満たしていた。作品を手に取ってくれる人がいるのもありがたい。
次の即売会には、どんな本を作ろうか──。
小林は、懲りない。
即売会後、自分の作った同人誌の入った段ボールが何箱か家に届いても、小林は懲りない。