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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

懲役十八年

作者: Mel

こことは似て非なる世界の少し未来にあるかもしれないお話。

細かいところははふわっとした感じでお願いします。

死ネタ。誰も救われないバッドエンドです。

 ――主文。被告人を懲役十八年に処する。

 被告人は、被害者を殺害し、その生命を奪った。

 被害者の年齢や、遺族の深い悲しみを考慮すれば、極刑を求める意見があることも理解できる。

 しかしながら、被告人の年齢や更生の可能性、および本件における量刑基準を総合的に勘案した結果、死刑を適用するには至らないと判断する。

 よって、主文のとおり判決する。


 

 裁判官の言葉が、まるで理解できなかった。

 確かに極刑は難しいとは聞いていた。だがまさか、無期懲役すら与えられないとは一体どういうことなんだ?


 あの男は、娘を殺したのだ。

 何も悪くない、誰に迷惑をかけたわけでもない。ただ予備校から家に帰る途中だった娘を、あの男は――無惨にも殺したのに!


「――っ、ふざけるな! そんな判決、許されるわけがないだろう! 娘の……茉奈の人生を奪っておいて! お前は! たったの十八年だと……?!」


 喉の奥から嗚咽があふれ出す。このまま騒ぎ立てれば、廷吏に制止されるだろう。それでも衝動は抑えきれず、男に怒声をぶつけ続ける。

 本当ならこの場で殺してやりたいくらいなのに――司法を踏みにじったのは、向こうの方じゃないか……!


 俄かに騒ぎたつ法廷内で、被告人席に座る男が、ゆっくりと顔を上げる。

 先ほどまで殊勝な態度で項垂れていた男は、私の顔を一瞥すると――口の端をわずかに歪めた。


「――――――――っ!」


 許さない、許さない、許さない――!

 お前だけは、絶対に許されてはいけない!

 法がこれ以上の裁きを与えられないのならば、私が裁かねばならない!


 瞼に、脳裏に、細胞の一つ一つに至るまで男の顔を焼き付ける。

 この憎しみを、この悲しみを、一生忘れぬようにと――。




 

 ――……ッ。――ピッ……。

 

 ――ピッ。――ピッ。


 規則的な電子音が耳の奥に響く中、重たい瞼を持ち上げる。

 全身を容赦なく照りつけるのは――太陽か。見上げると、眩しさと暑さにくらりと世界が揺れた。


「――だぁ、あぶー」


 愛らしい声と、足を軽く叩く感触に驚いて――俺は声のした方へ目を向ける。

 目線の先には、太ももにしがみつくように、小さな生き物が纏わりついていた。


「…………茉、奈?」

「あぅあー」


 まだ喋れない愛し子が、ぷっくりとした頬を持ち上げて「あー」とにっこりと笑う。


 静謐な世界にいるはずだったのに、突如として周囲に子どもたちの喧噪が響き渡る。

 気怠さを訴える頭を押さえ、ぐるりと辺りを見渡すと――そこは、近所の公園だった。


「……大志さん、大丈夫?」


 ――大志。それは、確か……そう、俺の名前だ。

 背後から誰かが駆け寄ってくる。振り返ると、どこか見覚えのある面影を残した女が、日傘を差しながら立っていた。


 ――ああ、美咲じゃないか。

 愛する妻のことが一瞬でも分からなくなるなんて。本当に今日はどうかしている。


 そうだ、俺たちは家族で公園に遊びに来ていたんじゃないか。ここは未就学児用の滑り台もあるから、安心して遊ばせられるね、なんて言って。

 なのに、滑り台は太陽の熱を吸収して火傷しそうなほど熱くなっていて、だから、木陰で砂山を作って――。


「ほら、お茶を飲んだ方がいいよ。もう九月なのに、まだまだ暑いね」

「あ、あぁ、そうだな」


 美咲に差し出された水筒を受け取り、一気に煽るように流し込む。

 香ばしい麦の香りが鼻腔をくすぐり、渇いていた全身に染み渡っていく。目が覚めるような、どこか生き返るような心地だ。


「だぅ、あうー」


 茉奈は砂遊びを再開したようだ。口に入れてしまわないように注意しながら、その様子を飽きもせず眺めてしまう。

 本当に、愛らしい姿だ。きっと大きくなったら美咲によく似た美人に育つに違いない。


「……そろそろ帰りましょう。夜ごはんはカレーでもいいかしら?」

「いいんじゃないかな。チキンカレー?」

「あら、カレーは牛じゃないとダメなんでしょ? 宗派替えでもしたの?」


 くすくすと笑う美咲に、「そうだったけ」と曖昧に返す。

 そんな高級なものをカレーに入れるだなんて、なんて贅沢なんだろう。

 そうか、きっと今日はお祝いなんだ。もうすぐ茉奈も一歳の誕生日だったはずだから。


 そう納得しながらも……何か、言葉にし難い違和感が残る。

 でも、それが何なのかは分からない。


 ただ、茉奈を抱き上げる美咲の慈しむような横顔を見るうちに、今この時間がかけがえのないものだということだけは、頭の悪い俺にも分かった。



 美咲と茉奈と暮らす家は、築三十年の木造賃貸アパート。

 郊外にあるため通勤には不便だが、「自分たちだけの家」というものは、何にも代えがたいものだった。


 なにせ、自分は施設育ちだ。十八まで児童養護施設で過ごし、退所と同時に働き口を探さねばならなかった。

 なんとか受け入れてくれた小さな会社で美咲と出会い、早くに結婚し、こうして茉奈という宝物まで手にすることができた。これほどの幸運を得たのだから、もう運を使い果たしたと思ってもいいだろう。

 

 ……正直に言えば、親に愛されなかった自分が家庭を持つことに、不安はあった。

 だが、生まれたばかりの茉奈を腕に抱いた瞬間、込み上げるものを抑えきれなかった。


 指も、爪も、人形のように小さく、力を込めれば折れてしまいそうな手足に、戸惑いを覚えた。

 ぺこぺことへこむ柔らかな頭だって、とてもじゃないが触れられなかった。

 

 あまりにも頼りなく、庇護なしには生きていけない存在。

 ――自分の一生をかけて、この子を守っていこう。

 そう、心に誓った。


 

 三人での生活は、これ以上ないほど幸せだった。

 あまりにも幸せすぎて、これは自分が思い描いた夢の中なのではないかと疑うほどに。


 けれど、朝目覚めると、隣で寝ていたはずの小さな娘の足が腹の上に乗っている。

 台所からは包丁の音が響く。

 そんな何気ない日常が、これは確かに現実なのだと教えてくれる。


 ひとりぼっちで過ごしてきた俺にとって、それはずっと憧れ続けた生活で、かけがえのない時間だった。

 


 ――ピッ。――ピッ。

 ――ピッ。――ピッ。


 

 「ねぇパパ。大きくなったら、まながパパのおよめさんになってあげるね」


 そんなの、父親なら一度は言われたい言葉じゃないか。

 録画しようとスマホを取り出して「もう一回!」と頼み込んだら、美咲は呆れたように笑っていたか。


 「ねぇパパ。ランドセルはね、黄色がいいの!」


 一年生は黄色いカバーをかけるんだから、それで我慢してほしい――そう言って、我慢をさせてしまった。

 だって黄色はほら、変に目立ってしまっていじめられるかもしれない。それに、六年生になるまでに嫌になるかもしれないだろう?


 何度も買い替えてあげられるほど生活に余裕があるわけじゃない。

 それでも三人で慎ましく生きていくには十分で、茉奈が五年生になるころには、小さいながらも念願のマイホームを手に入れた。


「茉奈にも部屋があるの? ほんと? 嬉しい!」


 やはり、高学年にもなればプライベートな空間がほしかったのだろう。

 とはいえ、ご飯の前後はリビングで家族三人そろってテレビを見て過ごし、クイズ番組では茉奈ばかりが答えて、「すごいな、茉奈は天才だな」と、みんなで笑い合った。


「もうすぐ三年生なのに、あの子ったら部活ばかりなのよ。高校はどうするつもりなのかしら?」

「副部長なんだろう? 楽しい時期なんじゃないか?」

「そうね、でも音楽じゃ食べていけないわよ。フルートだって高いのに……」

「俺が頑張るよ。茉奈には、好きな道に進んでほしいんだ」


 施設ではグローブひとつ買ってもらえなかったから、俺には諦めた道がある。

 美咲も両親を早くに亡くし、親戚のもとを転々としてきた過去を持つ。居候の身だからと、我慢を重ねてきたと言っていた。

 でも、茉奈は違う。俺が頑張れば、ある程度のことはさせてあげられるんだ。


「将来は音楽家にでもなりたいのかな?」

「どうかしら……そうだとしても、難しいと思うわ」

「それは金の心配か? 茉奈が望むのなら――」

「いいのよ。……大学のことは気にする必要ないんだもの」


 まだ先の話だからか、美咲はどこか遠い目をしてそんなことを言うけれど、学費は貯めておくに越したことはないはずだ。

 奨学金で苦労はさせたくない。何も気にすることなく、未来を選び取ってほしかった。


 

 ――ピッ。――ピッ。

 ――ピッ。――ピッ……。


 

 ――この頃からだろうか。

 ただ幸せなだけの日々に、得体の知れぬ焦燥が襲うようになったのは。


 深い眠りについた記憶がない。

 一日一日が過ぎていくことが、ひどく恐ろしいことに思えてくる。

 愛らしいだけだった顔立ちも大人びた雰囲気を纏うようになり、化粧も楽しむようになった娘を見ていると、言いようのない不安が押し寄せる。


『――偶然見かけて、可愛い子だなと、思いました』


 不意に、男の声が脳裏を掠める。

 誰の声かは分からない。

 ただ……俺の幸せを奪った存在だったことは確かだ。


 何か大事なことを忘れている。

 だが、それが何なのか分からないまま、茉奈は高校二年生になり、進路の話も出るようになった。


「ねぇパパ。駅前の予備校に通いたいんだよね」


 高校進学とともに塾は辞めていたが、大学受験に向けて予備校に通いたいのだという。


「駅前って……あそこは、あまり治安が良くないんじゃないか? 帰りは何時になる?」

「二十二時までみっちりやるんだって。だから家には……二十二時半過ぎちゃうかな」

「そんな遅くまでは心配だな……前に通ってた塾じゃ駄目なのか?」

「バスがあるし大丈夫だよ。それに、前に通ってたのは高校受験用だもん。もう通えないの」


 美咲に目を向けると、彼女は頬に手を当てて「他の予備校は費用がちょっとね……」と困り顔をしていた。

 送迎ができればいいのだが、俺は夜勤も多いし、美咲は車の運転ができない。

 それでも、茉奈は真剣な顔で「お願いします」と俺たちに頭を下げてくる。どうしても行きたい大学があるのだと。


 高卒の俺たちにとっては未知の世界だが、今は女の子でも大学に行くのが当たり前の時代だ。

 不安は残るものの――茉奈の気持ちを優先するべきだろう。


「予備校を出るときには、必ずママに連絡を入れるんだ。いいね?」

「――うん、ありがとう! パパ大好き!」

「まったく、現金な娘だな」


 予備校に通い出した茉奈は、言いつけを守り、授業が終わると必ず美咲に連絡を入れてからバスに乗っていた。

 音楽は趣味に留めるようで、士業に就きたいなんて難しいことを言っていたか。

 勉強が嫌いだった俺とは大違いで、出来の良い娘が誇らしかった。



 ――ピッ。――ピッ。

 ――ピッ。――ピッ――……。


 

 今日はすっかり帰りが遅くなってしまったが、まだ起きていた美咲が茶漬けを用意してくれた。

 啜りながら、ふと壁に掛けられたカレンダーに目を向ける。

 そこには、見覚えのある日付が、やけに鮮明に浮かび上がっているように見えた。


 記念日というわけではないはずだ。

 ……むしろ、忌避したくなるその日付には、いったい何の意味があった?


「美咲。二十日って、何の日だったっけ?」

「忘れたの? 大事な日じゃない」

「……結婚記念日はもう過ぎたよな?」


 あれは夏だ。今の時期ではない。

 答えを強請るように美咲を見上げると、彼女は悲しげに目を伏せた。


「大事な日よ。私にとっても、茉奈にとっても」

「なんなんだよ、教えてくれよ」

「……あなたには教えられないわ」


 部屋はまだ明るいはずなのに、美咲の顔に影が差す。

 ――焦燥が、募っていく。


 その日が何なのか、何度聞いても美咲は何も答えず、次第に恨みがましい目で俺のことを見るようになる。

 茉奈に聞いても「なんのこと?」と不思議そうに首を傾げるだけ。


 思い出せ――。

 美咲の目がそう訴え続ける。

 世界の輪郭が急速にぼやけ始め、自問自答を繰り返す。


『――あの日は、バイト先で客にキレられて、むしゃくしゃしていたんです』


 ――ピッ。――ピッ。

 ――ピッ。――ピッ……。

 ――ピッ。――ピッ……。

 ピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッ――。


 これまで規則的だった電子音が乱れ、心音を反映するように、歪な音を奏で始める。


『――だから、たまたま目についたその女子高生を、襲いました』


 ――あぁ、そうだ。

 今日は、茉奈が、殺される日だ。


 死亡推定時刻は、二十二時半から二十三時半の間。

 仕事を抜け出し駅前へと急ぐ。

 

 電車の人身事故の影響でバスのダイヤも大幅に乱れ、バス停には人がごった返していた。

 茉奈は――そう、茉奈は、美咲に一報を入れた後、次のバス停まで歩いてみると言ったらしい。

 酔っ払いが集まる大通りを避けるように、繁華街の裏道を抜けて、そこで――あの男に目をつけられた。


 記憶に残る道を進み、死体が発見されたビルの裏へと走る。

 場所は知っている。花も手向けられていた。

 多くの警察官に囲まれ、現場検証もした――。


 時計を見ると、二十二時半ちょうど。

 

 ――そう、この時間に、俺は制服の後ろ姿を追った。

 背後を気にする素振りが癇に障り、スマホを取り出そうとしたから、その腕を掴もうとして――……。


 今にも駆け出そうとする制服姿の少女の背後に、帽子を目深に被った男が迫る。

 ポケットにはナイフを忍ばせていたはずだ。

 施設を出てすぐに買った、小ぶりのナイフを――。


「茉奈!」


 愛娘は気付かない。

 ただ、恐怖に染まった顔で振り返ると同時に、男が茉奈を引き寄せた。

 そのままビルの裏に連れ込まれたところで、ようやく二人に追いつく。


 そこには――茉奈を追い詰める男の姿があった。


 茉奈は、恐怖に身体を震わせ、嫌がる素振りを見せている。

 最初は気安げな態度で油断を誘おうとした男の声に、だんだんと苛立ちが滲むようになり、茉奈が隙を見て男の脇をすり抜け逃げ出そうとしたその瞬間――。


 振り向きざまに、ナイフが突き立てられた。


「茉奈!」


 叫んでいるはずなのに、茉奈も男も反応しない。

 ナイフが抜かれると、血飛沫が舞う。

 そして、再度、勢いよく振り下ろされた。


 目の前で、何度も何度も娘の身体にナイフが突き刺さる。

 ナイフを握る感触がこの手にまだ残るようで、自然と身体が身震いする。


 一突きするごとに制服は鮮血に染まり、「痛い、痛い」と泣き喚く声は、大通りまでは届かない。

 地面に蹲る少女はそのうちに動かなくなり、興奮のままに放たれた精が、赤黒く染まったスカートを穢した。

 

 無惨に捨て置かれた茉奈の姿が目に入り、絶叫する。

 だが、その声も誰の耳にも届かない。


 なぜ殺した……!

 ――ムシャクシャして、腹が立っていたから。


 なぜ茉奈を殺した……!

 ――たまたま、目についたから。


 なぜ茉奈は、死ななければならなかったんだ……!

 ――親に電話をかけている姿が幸せそうで、その顔を歪ませたくなったから。


 身勝手な言い分に、全身の血が沸騰する。

 怒りで気が狂いそうになる中、何度も肩で呼吸を繰り返す。


 男は、茉奈の遺体を鼻で笑い、踵を返した。


「待て……! 殺してやる!!」


 すれ違う男の顔が、街灯に照らされる。

 目深に被られた帽子から覗くその顔は――。


 

 ――――――――――俺?




 


 ――ピッ――――――――。


 不愉快な電子音が鳴り響く。


「……あぁ、終わったみたいですね」


 聞き覚えのない声が降ってきて、そちらに目を向けようとするも、強い力で押し留められる。


「いまケーブルを外すので、待ってください。頭の機械も外しますよ」


 顔に手が触れたと思った瞬間、頭を締め付けていた何かが取り外される。

 急に視界が開け、その先には鈍色の天井があった。


「まだ起き上がらないでください。いくつか質問をさせてもらいますから」


 ガンガンと痛む頭の中、落ち着き払った声がやけに癇に障る。

 手を動かそうとした瞬間、思ったより指が重く、異様な違和感が走る。

 まるで、自分の身体が、自分のものではないかのような――。

 

 ここはどこだ?

 どうして俺はこんなところにいる?

 ……茉奈は、茉奈は、また助けられなかったのか?


「お名前を教えてもらえませんか?」


 馬鹿げた質問だと思いながらも、「山川大志」と名乗る。

 すると、白衣を着た男が苦笑した。


「まだ混乱されているみたいですね。……もう一度、あなたのお名前を教えてください」

「だから! 山川大志だと言ってるだろうが!」

「いいえ、違います。あなたのお名前は桜井悠志です」


 ――桜井、悠志?


 ぐらぐらと、脳を直接揺さぶられるような奇妙な感覚に襲われる。

 

 その名には、確かに聞き覚えがある。

 だが、俺は大志として生きたはずだ。

 養護施設で十八年を過ごし、その後に最愛の家族を得て――美咲と茉奈は……。


 桜井悠志という二十一歳の男に、殺されたんだ。


 いや、違う。

 美咲は殺されていない。

 俺が殺したのは、茉奈で――……違う!


 俺が、茉奈を殺すはずがない!


 記憶が混濁する中、必死に過去を繋ぎ合わせようとする。

 だが、それならば――大志として生きてきた俺の半生は何だったんだ?


「……この国は、加害者の人権ばかりが尊ばれる。新たな更生プログラムなるものをわざわざ生み出すほどに。更生さえすれば出所後に再び犯罪を犯さない――そんなお題目まで掲げてね」

「新たな、更生プログラム……?」

「それすら覚えていないですか? ちゃんと承諾書に署名捺印を頂いたんですけどね」


 皮肉げに笑う男が、サイドテーブルの引き出しを開け、一枚の書類を取り出す。

 見せつけるように突き出された紙の右下には、確かに、汚い文字で『桜井悠志』と署名されていた。


「あなた、いま自分が何歳か分かりますか?」


 小馬鹿にしたような物言いに、腹が立つ。

 「二十一だ」と答えると、男はまた鼻で笑った。


「先日、三十九歳を迎えましたよ。おめでとうございます。服役期間も間もなく終わりです」

「さ、三十九だと……?!」

「鏡見ます? 驚かれるかもしれませんが」


 手渡された手鏡に映し出されたのは――俺の姿だった。ほうれい線が刻まれ、白髪が目立ち、顔全体の肉が垂れ下がった姿に愕然とする。


 そうだ、俺は大志なんかじゃない。

 ……桜井悠志だったはずだ。


「山川様には大変ご尽力頂きました。彼の半生のすべてを学習できなければ、あなたに追体験させることなどできませんでしたからね」

「ついたいけん……?」

「山川様として生きたでしょう? 茉奈さんが産まれてから死ぬまでの十七年と少しを」

「何を言ってるんだ……? 山川として生きたって……どういうことだ?」


 軽薄な笑みを張り付けたままの男が、何を言っているのか理解できない。

 ただただ狼狽えていると、男は「はぁ」と、これ見よがしに溜息を吐いた。


「桜井悠志。十八まで児童養護施設で育ち、退所と同時に就職するも、周囲と馴染めずすぐに退職。その後もバイトを転々とし、あの日も、客からクレームを受けてむしゃくしゃしていた、等という勝手極まりない理由で、たまたま目についた山川茉奈さんを殺害。……途中までは山川様と似たような人生を歩んでいたというのに、やはり犯罪者が生まれる理由は環境ではなく、本人の資質だと思うんですよね」


 淡々と説明する声に、全身の血の気が引いていく。

 そうだ。俺は――女を、愛する娘を、この手で――。

 何度も、何度もナイフを突き立てて――。


 急な吐き気に襲われるが胃液しか出てこない。

 義務的に差し出されたタオルで乱雑に口元を拭う間も、男は説明を続けていた。


「よく言いませんか? 相手の立場に立って物事を考えましょう、と。この更生プログラムのコンセプトは、そこにあります。……被害者遺族の記憶をもとに、最新技術を駆使して追体験ができるんですよ。どうでしたか? とても幸せな人生ではありませんでしたか?」


 そう、幸せだった。

 施設では得ることのできなかった、心が満たされるあたたかな日々。

 愛する妻と、護るべき娘と、三人で過ごした幸せな十七年。


 その幸せをぶち壊したのが……俺自身だったというのか?


「……遺族の立場としての感想は、聞かせて頂かなくて結構です。手続きを経て貴方は釈放となります。お勤め、ご苦労さまでした」

「ま、待ってくれ! 茉奈は、本当に死んだのか?! 本当に、俺が、この手で――」

「ええ、そうですよ。国選弁護士にも得意げに語っていらしたではないですか。……たまたま優秀な方がついて、本当に良かったですね。無期懲役が妥当だったでしょうに。三十九歳ならまだ全然、新たな人生を謳歌できますよ」

「違う! 俺が殺すわけがない! 茉奈は、茉奈は俺がずっと大事に育ててきたんだ!」

「だからそれは山川様の記憶です。記録、とも言えますね」

「そんな……。美咲は……美咲は、元気にしているのか? 美咲に会わせてくれ!」


 もう一人の愛した女の現状を尋ねると、男は無表情のまま答えた。

 

「茉奈さんが亡くなられてから、後を追うように自殺されましたよ。あの予備校に通わせなければ。車の運転さえ出来ていれば。何の非も無いというのに、毎日のようにご自身を責めてらっしゃったそうです。……第一発見者となられた山川様の心中は、察するに余りありますね」

「美咲も……死んだっていうのか?」

「あなたが山川様一家の幸せを壊したのですから、もうその名を呼ぶ資格はありませんよ。桜井悠志、さん」


 男は俺を一瞥すると、さっさと部屋を出ていこうとする。


「待て、待ってくれ! まだ話は終わっていない!」

「いいえ、話すことなどありません。あなたはもう充分に反省したのでしょう? その様子なら、更生できたと上にも報告できることでしょう。どうぞ、新たな人生をお楽しみ下さい。……もっとも、更生したからと言って、学も職も金もない前科者を放り出すなんて、お国の考えることはよくわかりませんね」


 ベッドの上に無造作に手鏡が放られ、無情に扉が閉められる。

 ――鏡に映るのは、決して許さないと誓った憎い男の顔。

 

 絶叫とも、慟哭ともつかない。何に対して嘆き、悲しみ、怒り狂っているのかも、もはや分からない――。

 室内には、ただ誰かの叫び声だけが響き渡った。



 ――◆◆◆――



『次のニュースです。◯◯医療刑務所は、三十代の男性が首をつった状態で見つかり、搬送先の医療機関で死亡が確認されたと発表しました。刑務所は自殺とみて、「このような事案が発生したのは遺憾で、再発防止に取り組む」と――』


 夜のニュースに耳を傾けた白衣の男は、「やっぱりね」と皮肉げに笑った。


 再犯率を下げるために試験導入された、AIとVRを利用した更生プログラム。

 AIに学習させるためとはいえ、愛娘を亡くしたばかりの遺族に半生を事細かに聞き出すのは、お互いに辛い時間であった。


「いい試みだとは思うんですけどね」


 桜井のような自己中心的な男ですら、自責の念に駆られ、その日のうちに命を絶ったのだ。再犯率を下げるという目的自体は達成されたと言えるだろう。


 しかし、遺族の心的負担は計り知れず、コストも時間も想定をはるかに超えるものだった。

 そして長い年月をかけて辿り着いたのがこの結末とあっては、正式導入は、おそらく見送られるだろう。


 それに、今回の結果が世間に知れれば人権屋も騒ぎ立てるはずだ。

 非人道的すぎる――なんて言って。

 


 報告書を書き上げた男は、高校の入学式で三人が幸せそうに寄り添う写真に目を向ける。


 ――さて、明日は墓参りに行かねばなるまい。

 今回の結果を、山川家三人の墓前に報告するために。

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 同じ苦しみを味わえ、という気持ちはよくわかりますし、他者の痛みを慮ることのない身勝手な人物に心底思い知らせることの難しさもよくわかります。……もう、大っぴらに広報せずにこのシステムをこっそりと導入す…
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