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9.

 そんな折、街の貴族が集う小さなサロンで、クリスピンは昔の友人たちに声をかけられた。ほとんどの者は距離を置く中、数人だけが表面上は笑顔を見せ、話しかけてきたのだ。

「ねえクリスピン、君……あの回復薬のこと知ってるかい? 王宮が欲しがってるっていう噂だろう? もし君がリリアナ様と仲直りできたら、僕らにも紹介してくれないかな?」

 彼らの口調は軽妙だが、その底には下心が見え隠れしている。結局、リリアナへアクセスする“つて”として彼を利用しようとしているのだ。


「……さあ、僕にもわからないよ」

 乾いた笑みを浮かべて誤魔化すしかない。クリスピン自身、リリアナとの連絡がつかないどころか、手紙も開封されているか怪しい状況だ。

 友人たちはしつこく食い下がるが、彼が何も得られないとわかると「ああ、そうなんだ。残念だね」とあっさり引き下がる。その姿がまた、今のクリスピンにとっては痛烈な侮辱にも似た実感を突きつけた。

(俺が持っていたはずの社交界での影響力も、すべてリリアナの価値にしがみつく連中すら繋ぎ止められない程度のものだった、というわけか)


 夜になって屋敷へ戻ると、待ち構えていたのは再び父の怒声だった。さすがに使用人たちは(ひる)んで物陰に隠れている。

「クリスピン、お前のせいで縁談の話はことごとく立ち消えだ! 伯爵令息だというのに、どの家も嫌がって取り合わない。どうしてくれる!」

「そんなの俺が聞きたいくらいですよ……」

 父の叱責(しっせき)に反論する気力も湧かない。むしろ、どうやってリリアナと仲直りするかだけが頭を巡り続けている。だが、現実問題としてはもう取り返しのつかない失態だろう。


(リリアナがもう一度向き合ってくれる可能性は……ない、よな。あんなに冷たく拒絶されたんだから……)


 思えば、リリアナは最初から工房の研究や職人たちの技術に熱心で、彼女自身の行動原理は“ものづくり”にあった。クリスピンがその研究を面白く思わず軽んじていた時点で、すでにズレが生じていたのだ。

 彼は、リリアナが素晴らしい発明を成し遂げているなど夢にも思わず、単なる地味な作業に没頭している退屈な女性としか見ていなかった。いくら家柄で縁組まれた婚約だったとはいえ、自分で勝手に関係を断ち切ってしまったのだから今さら後悔したところで遅い。


「……どうしたら、もう一度だけでも話を聞いてもらえるんだろう」

 寝室のベッドに腰掛けたまま、クリスピンは空虚な瞳で天井を見つめる。かつては遊び人として知られ、どんな舞踏会でも女性を引き連れてはしゃいでいた自分。そんな華やかさはすっかり失われ、今やただの“醜態を晒した男”として、街中から白い目で見られている。

 取り返しのつかない夜会での発言を思い返すたびに、胸が締め付けられる。もしあの夜に戻れるなら、リリアナをあんな場で侮辱するなんて真似はしなかっただろう。彼女の剣も薬も、その価値を理解して受け取っていただろう。


 しかし、現実は甘くない。部屋の窓の外では月が淡い光を落としているが、それはクリスピンにとってどこか遠く感じられる。

 廊下の方からはまた父の怒声が小さく聞こえてくるが、彼はもう聞く気力すらない。部屋に閉じこもってしまえば、誰も自分を探さないだろう。逃げ場をなくしているのに、逃げるしかないような気持ちなのだ。

(どうしてこうなった? ……いや、全部俺のせいだ。自分勝手に振る舞って、最後はリリアナを踏みにじった。周囲から見放されても仕方がない……)


 まるで抜け殻のようにベッドへ倒れ込むと、何もかもが色褪せて見える。婚約破棄のあと、彼はようやくリリアナがどれほど高い才能と熱意を持っていたかを知った。だが知ったところで、もうどうにもならない。彼女はとっくに自分のもとを去り、新たな道で輝きを増している。

 孤立していくクリスピンの周囲は、日を追うごとに冷めた空気に包まれるばかり。いつしか彼の心にも、取り返しのつかない後悔がじわりと広がっていくのだった。


 こうして、ウェンフィールド伯爵家の跡取り息子・クリスピンは世間の嘲笑と貴族社会の冷ややかな視線を浴び続ける。再縁談を探しても成果は上がらず、どこかでリリアナの名を聞くたびに胸が痛む。あの夜会での刹那的な選択が、彼の人生を大きく狂わせていた。

 夜の闇の中、彼が抱えるのは“どうにか関係を修復したい”という未練にも似た苦悩。だが、その未練はますます報われぬものとして、社交界の時の流れの中に()まれていくしかないのだ。

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