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8.

ークリスピン・ウェンフィールド視点ー


 華やかな音楽と洒落(しゃれ)た会話が飛び交うはずの社交界――だが、そこに足を踏み入れたクリスピン・ウェンフィールドの表情はどこか冴えない。

 彼が夜会で婚約破棄を公然と宣言した話は、あっという間に街中に広まった。しかも、捨てろと言った贈り物が実は国宝級の価値を持つ品だとわかり、いまや貴族たちの関心は「リリアナにこそ注目すべきだ」という方向へ向いている。

 一方のクリスピンは「口が滑っただけだ」「実は誤解なんだ」とあちこちで弁解を試みるが、誰も取り合ってくれない。


「おや、ウェンフィールド様。先日の夜会ではお疲れさまでしたね」

 半ば嘲笑(ちょうしょう)を含んだ声で、同年代の男爵令息がすれ違いざまに声をかける。

「……ああ、どうも」

 クリスピンは苦い顔をして応じるが、相手の背後でクスクスと笑い声が起こるのを聞いて、さらに気分が沈む。

 いつもなら彼の周囲を取り巻いていた若い令嬢たちも、今は誰一人として近づいてこない。かつては遊び仲間としてつるんでいた男性貴族のグループも、目を合わせるのを避けるようにしている。


(勝手に大袈裟(おおげさ)に騒ぎ立てやがって……あれはほんの出来心だったんだ)


 クリスピンは頭の中で何度もそう繰り返す。夜会で婚約破棄を宣言したのは事実だが、“そこまで大きな騒ぎになるとは思わなかった”というのが正直なところだ。

 ――自分のことをつまらない男だの、努力が重いだの、そんな愚痴を軽く言えばリリアナが泣いて謝るなり諦めるなりするだろう。形ばかりの結婚を回避できればいい程度に考えていた。

 だが現実は、その場でリリアナが毅然(きぜん)と贈り物を引き取り、周囲が彼女の才能を絶賛。気づけばクリスピンが“国宝級の品を捨てた男”という愚か者扱いになっていた。


「はあ……」

 華やかな廊下を抜けて応接間へ向かう間、クリスピンの口から出るのはため息ばかり。人々の鋭い視線やひそひそ話が聞こえてくるたびに、居た()れない思いが募る。

 さらに、当主である父ウェンフィールド伯の怒りが収まらない。彼が帰宅するなり、開口一番「恥を知れ」とどやされ、家名を汚したと責められる日々だ。

「このままでは我が家が社交界から見放される。今すぐ他家との縁談を探して、取り返しを図れ!」

 父の怒鳴り声が耳にこびりつき、クリスピンは苛立(いらだ)ちを隠せない。どこの家が今さら自分と結婚しようというのだろう。噂好きの貴族たちはもう、彼の“軽率さ”を嗅ぎつけて引いている。


 クリスピンは自室で考えを巡らせた。どうにかして状況を打開する方法はないのか。思い浮かぶのは、やはりリリアナの名だった。

(そうだ、リリアナさえ許してくれれば、元の(さや)に収まる可能性もある。俺が彼女の品を受け取り、誠実さを見せれば……周りもわかってくれるはず……)

 彼は淡い期待を胸に、リリアナへ手紙を書き送る。だが返事は来ない。もしくは門前払いとして返されるだけ。かつての夜会でこそ、彼女は何も言えないまま泣き寝入りするかに見えたが、今はもう完全にクリスピンを拒絶していた。


「ちくしょう……どうしてこんなことに」

 日々続く冷遇の中で、彼は自分が拒否したあの贈り物がどれほど価値のあるものなのかを、改めて耳にする機会が増える。たとえば夜会に参加していた貴族からは、「あれは軍部や王宮ですら欲しがる逸品だ」と言われたり、街の噂として「リリアナ様の回復薬は数百年ぶりの奇跡」などと囁かれたりしている。

 そういう話を聞くたび、クリスピンは自分の愚かしさを痛感せずにはいられない。あのとき、なぜもっと冷静に彼女の技術を把握していなかったのか。もし最初からその価値を知っていれば、あの場であんな言葉を吐かなかったかもしれない。


「……いや、そもそも俺のわがままが原因なんだよな」

 家の使用人の前でポツリとそう漏らしたとき、使用人は何も言わず目を伏せた。今までクリスピンの遊び癖や放蕩(ほうとう)を見てきた彼らも、もう呆れ果てているのだろう。


 そんなある日、ウェンフィールド伯に呼び出されたクリスピンは、執務室に足を踏み入れてすぐ、怒りの表情を見せる父と目が合う。

「また、お前はリリアナ・アルトワーズから門前払いを受けたそうだな。どこから情報が漏れているか知らないが、こっちにも噂が入ってくる。いい加減にしろ、みっともない!」

「……父上だって、リリアナの価値を知った途端に手のひら返しをしたのは同じでしょう? 俺にばかり当たらないでくださいよ……」

「何を言うか。伯爵家の跡取りとして、あのような醜態を(さら)すからだろう! 今やアルトワーズ工房は王宮や学術院から声がかかるほどの大事業。そこに取り入れば、我が家も莫大な利益を得られるのに……お前は一体、何を考えているんだ!」


 まるでリリアナと再度縁を結ぶことが“家のため”になり得るかのような口ぶりに、クリスピンは言葉を失う。自分が彼女を(ないがし)ろにした過ちを責めるというより、家の利益を失ったことに憤慨している父の態度が、さらに胸を痛ませる。

(俺は遊び人と呼ばれていたけど、父上だって金や権力のことしか考えてないじゃないか……。確かに俺にも責任はあるけど、今さらそんな打算まみれの結婚なんて……)


 父との口論を終え、クリスピンは気まずい思いのまま屋敷を出る。向かう先もなく、ただ馬車に乗って街を彷徨(さまよ)うだけだった。ふと見上げると、王都の大通りには以前にも増してアルトワーズ工房の名を示す張り紙や広告が出回っている。

「これが、リリアナの築きあげた信用……」

 改めて、夜会以来の状況の変化を痛感する。リリアナは婚約破棄をされたはずなのに、却って一目置かれる存在へと成長している。一方、自分は周囲から(さげす)まれ、家族からも責め立てられるばかり。あまりにも対照的な状況だ。

お読みいただきありがとうございました!

続きが気になった方は是非とも評価ブクマ頂けますと嬉しいです!

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