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7.

本日13時10分、14時10分の2話更新です!

 そう予想はしていたが、やはり来たか――リリアナの胸は軽くざわつく。研究者としては、学術院の設備や支援は非常に魅力的だ。自由に使える豊富な資料や、各地の魔術師たちとの交流も得られるに違いない。しかし、彼女はすぐに答えを出さず、慎重に口を開く。

「お誘いはありがたいのですが……私はこの工房が好きなんです。ここで仲間たちと一緒に試行錯誤して技術を磨いていきたいと思っています。ですから、今すぐ学術院へ入ることは考えていません」


 グラハムの背後に控えていた若い研究員の一人が、「ですが、リリアナ殿は伯爵令嬢でもありますし、将来を考えるなら学術院での地位を得るほうが……」と声を重ねる。

 実際、優秀な研究者は学術院で確固たる地位を築くほど、多くの貴族からも尊敬される。名声と権力を望むなら、その道が最短だろう。

 けれどリリアナは、たとえ立派な肩書を得られても、この工房で得た温かい仲間との時間や自分が築き上げた独自の研究スタイルを手放したくはなかった。


「ご厚意はとてもありがたいのです。ですが、私はまず今の研究を続けながら、必要があれば学術院とも協力する、という形を望んでいます。直ちに席を置くという話は、もう少し考えさせてください」

 リリアナはそう返事をまとめ、頭を下げた。するとグラハムは少し残念そうな表情を見せながらも、「なるほど、よくわかりました。学術院としても、貴女の自主性を尊重します」と答える。

「ただ、私としては“本物の才能”が埋もれるのは惜しく、こうして動向を気にしている人間が多いということも伝えておきます。いつでもご連絡ください。お待ちしておりますよ」


 そう言い残すと、グラハムたちは工房を後にした。玄関先で別れを告げた後も、リリアナの胸には軽い葛藤が残る。学術院に入れば、最新の設備と資金のもとで研究に没頭できる。だが、これまでと同じ自由はどこまで守られるだろうか――。


「お嬢様、大丈夫? 何だか難しい顔をしてるけど」

 ミラベルが心配そうに声をかける。先ほどまで一緒に実験をしていた彼女としては、リリアナが急に浮かない表情になったのが気がかりなのだろう。

 リリアナは微苦笑を浮かべ、「大丈夫、ちょっと考え事をしていただけ」と返す。

「工房を離れるつもりはないの。でも、この先、もし研究規模が大きくなればなるほど、人や資金が必要になるのも確かだし……学術院みたいなところとどう付き合っていくかは課題になるわね」


 彼女が言うとおり、今後ますます大がかりな研究や開発を行うとき、工房だけの力では限界があるかもしれない。だが、それでもやり方は一つではないはずだ。王宮や貴族、そして学術院との協力体制をどのように築くか――それがリリアナに課せられた次なる試練でもある。


 その日の午後、再び工房の作業場に戻ったリリアナは、先ほどまでの雑念を振り払うように研究に没頭した。短剣型の防護魔術具へ刻印を入れる際、ミラベルと一緒に細かいテストを行い、温度や刻印時間を記録していく。

 気がつけば周囲が薄暗くなっていたが、彼女の手は止まらない。クレアが「もう夕食にしましょう」と声をかけてくれるまで、リリアナはひたすらペンを走らせ、仮説をまとめ、実験結果をノートに書き込んでいた。


「ふう……やっぱり、研究してるときが一番落ち着くわ」

 夜が近づき、工房の灯りをひとつ、またひとつと点しながらリリアナは笑みを漏らす。邪魔するものがなく、純粋に“ものづくり”に没頭できる環境こそ、彼女の理想の居場所なのだ。

 クリスピンとの婚約破棄や貴族たちの干渉、そして学術院からの誘い――周囲には彼女を取り巻く様々な思惑がある。だが、それらに翻弄されないためには、まず自分が作り出す“技術”に自信を持つしかない。そして、その技術が本当に必要とされる場を慎重に選ぶこと。


「研究をもっと突き詰めて、どんな可能性があるのか自分で確かめたい。そうすれば、どこかに籍を置くかどうかなんて、自然と答えが出るはず……」


 やがて空腹を覚えて「もう少しだけ……」と呟きながら作業を切り上げる。

リリアナは小さく伸びをし、明日の研究スケジュールを思い描いた。

 彼女の周囲には工房の仲間たちが慌ただしく動き、誰もがリリアナの新たな研究を応援するような視線を向けている。


 かつて婚約のために用意した剣や回復薬は、今や王宮や貴族、さらには学術院までもが欲する逸品となった。だが、リリアナの目指す理想は、ただ権力者に技術を売り渡すことではない。

 彼女は、一人の職人として、何よりも“作ること”そのものが好きなのだ。身分やしがらみに(とら)われず、自由に手を動かしてひとつの完成形を追求する。それを守りたいからこそ、余計な干渉を受けずに済む道を模索している。


「みんなの力を借りながら、もう少し研究を頑張ってみよう。学術院とは協力関係を作ればいいし、無理に所属する必要はないもの」

 自分に言い聞かせるようにつぶやいて、リリアナは短剣を布で包む。これが完成に近づいたとき、また新しい可能性が見えてくるだろう。

 夜風が入り込んできて、作業場のランプがふっと揺れた。リリアナはそれを見つめながら、まるで新しい旅路を示す灯火のように感じる。

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