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5.

 朝早く、工房の門を開けたリリアナは、まだ冷え残る空気の中で深呼吸をした。数日前の夜会の騒動を経て、ここ数日は落ち着かぬ日々が続いている。

 あの夜会以来、工房には貴族や軍部、商人などから問い合わせが殺到していた。国宝級の品を生み出す才能を持つリリアナは、一躍注目の的となったのだ。もっとも、本人は世間の評価よりも、工房の仲間と一緒に研究に励む日常を望んでいる。だが、そう簡単に平穏を取り戻せないのが現実だった。


 工房に足を踏み入れると、すでにガルスをはじめ何人かの職人が作業に取りかかっていた。皆、朝早くから鋳造や刻印の準備を始めている。

「お嬢様、おはようございます。昨日、またクリスピン家の使いが来ていましたよ」

 ガルスが渋面(しぶつら)をつくって伝えてくる。リリアナは小さく息をついた。


「やっぱり来ましたか……。一体なんだっていうの?」

「手紙を渡して帰っていったよ。謝罪文と、どうやら“婚約を継続したい”っていう話が書かれてるらしい。ふん、よくそんな都合のいいことが言えたもんだな」

「ありがとう、ガルスさん。もうその返事は決まってるから、大丈夫」


 リリアナは努めて冷静な口調で答える。しかし、心の奥では小さな苛立ちがくすぶっていた。夜会の壇上であれほど公衆の面前で婚約破棄を宣言し、贈り物を「捨てろ」とまで言ったのはどこの誰だったのか。

 結局、品物が国宝級と呼ばれる価値を持つとわかった途端、翻意して擦り寄るなど、まさに身勝手の極みである。そんな人間をどうして今さら受け入れられよう。


 荷物を置き、少し工房の仕事を見回ってから、リリアナは父の書斎へ向かった。普段は不在がちな父アルトワーズ伯だが、昨夜遅くに屋敷へ戻ってきたと聞いていたからだ。

 書斎の扉をノックすると、すぐに「入りなさい」という静かな声が返ってくる。中へ入ると、父は山積みの書類を前にして苦笑していた。


「やあ、リリアナ。夜会では大変だったそうだな。直接会ってやれなくてすまない」

「お帰りなさい、父様。私のほうこそ、ご心配をかけてしまって……」

 父は手元のペンを置き、娘を真正面から見つめる。

「噂は耳にしている。クリスピン家から手紙も届いたね。どう対処するつもりだ?」


 リリアナはまっすぐに父の目を見返した。幼いころから、彼は娘を“誇り高い職人”として育てようとしてくれた。立場や身分を超えた技術の意義を説きながら、どんな時もリリアナの意思を尊重してきたのだ。


「もちろん、断固拒否します。あんな形で私を(おとし)めておいて、今さら謝罪されても信用できません。それに……あの人が本当に望んでいたのは私じゃなくて、私の作った物の価値だったんだと痛感しましたから」

 アルトワーズ伯は微かに笑みを浮かべ、「そうか」と穏やかに(うなず)く。

「お前がそう決めたのなら、それでいい。私もお前をそこに嫁がせようなどと、今は全く思わない。むしろ……お前の評判は、この件をきっかけに急上昇しているようだね。王宮からも近く謁見の要請がある。国防強化のために、お前の武具や回復薬を活用したいという意向だそうだ」


 リリアナは父からの言葉に、一瞬驚きの眼差しを向ける。

「王宮が直接そんな話を……。確かに夜会で、いろんな方が“譲ってくれ”と口々に言っていたけれど、まさかそこまで本格的に……」

 伯爵は手元の文書を示しながら続ける。

「お前の剣は相当に希少な魔術刻印を施しているだろう? 軍備としても、あるいは王家の護衛用としても極めて高い価値がある。さらに回復薬となれば、戦時や災害時の被害を劇的に軽減できる。それを国は望んでいる。それに関しては……私も国に貢献するのは良いことだと思うよ」


 父の言葉には説得力がある。リリアナ自身も、作り上げた技術が人を助けるために使われるなら、拒む理由はない。それでも、彼女にはひとつ懸念があった。

「でも、もし国家事業として取り込まれたら……私たち工房はどうなるの? 貴族や軍部が大きく介入してきたら、自由に研究を続けられなくなるかもしれない」

 伯爵はそれを見越していたように、柔和な顔で娘を安心させるように言う。

「そこは交渉次第だ。陛下も無理強いはしないと明言している。そもそも、お前の研究を支配するよりも、協力関係を築くほうが有益だと国も理解しているはずだ。もっとも、貴族の中には手柄を横取りしようとする者もいるだろうが……」


 リリアナは、夜会での貴族たちの“手のひら返し”を思い出し、ほんの少し胸がざわつく。あれほどまでに(ないがし)ろにしていた彼女を、価値があると知った途端に持ち上げる。そんな態度をされたのだ、今後も政治的思惑や駆け引きがあるに違いない。

 しかし、だからといって何もしないままでは、自分の研究も工房の意志も宙ぶらりんのままだ。父が作り上げたこの場所を守りつつ、国に貢献する方法を探る――それが今の彼女の課題である。


「父様、私……工房の仲間たちと一緒に仕事を続けながら、自分のやり方で国に力を貸したいと思うの。王宮で保護されるのも一つの手かもしれないけれど、せっかく工房のみんなと築いてきたものを手放すような形は嫌」

 伯爵は満足そうに微笑み、娘の言葉を受けとめる。

「いいだろう。私も同じ意見だ。お前がやりたいようにやれ。もちろん、私も必要に応じてサポートするつもりだ。しかし、国と関わる以上は大きな責任を伴う。そこは肝に銘じてくれ」

「わかっています。もし、あの武具や回復薬が悪用されるような事態になれば、それこそ取り返しのつかない災いになるでしょう。私も、自分の作ったものがどう使われるか、最後まで見届けたい」


 決意に満ちたリリアナの声に、伯爵は静かにうなずく。書斎には暖かな陽光が差し込んでいたが、それ以上に父娘の間には熱い意志が通い合っていた。


 話し合いを終え、リリアナが書斎を出ると、廊下で待っていたクレアが「どうだった?」と尋ねる。

「父様は私の考えを尊重してくれたわ。これから王宮に行って、直接話をする機会がありそう。正直、貴族の思惑はややこしいけど……やらなきゃいけないこともあるものね」

 クレアはリリアナの表情から、吹っ切れたという印象を受け、ホッとしたように笑う。

「婚約破棄の件は、クリスピン家が騒いでるみたいだけど?」

「全部お断りよ。いまさら謝られても、私の中で何かが元に戻るわけじゃないから」


夜会での出来事があったからこそ、彼女は自分の道を明確にし、工房を守りながら技術を活かす道を選ぼうと心に決めたのだ。クレアも同意するように頷く。


「ところでリリアナ、王宮への謁見の準備はどうする? 衣装とか、いろいろあるんじゃない?」

「そうね……あんまり派手なのは好きじゃないけれど、場を考えて失礼にならない程度には整えないと。工房の仲間にも急な話をしておかなきゃだし、明日は朝からバタバタしそう」

 クレアは「あらあら」と楽しげに笑い、リリアナの腕を軽く引く。

「じゃあ手伝うわ。あなたは技術のほうに集中して、細々した準備は私がサポートする。遠慮しないで任せて」

「ありがとう、クレア」


 工房に戻ったリリアナは、さっそくミラベルやガルスをはじめとする主要な職人たちを集め、今後の方針を伝え始めた。王宮から正式な要請が来ること、技術や製品をどう管理するか、そしてクリスピン家との縁談については完全に破棄すること――。


「いいじゃないか、どのみちあんな連中とは手を切るほうが賢明だろうよ」

「まったく賛成です。お嬢様が望む研究を続けられるよう、私たちは全力でフォローしますからね」

 皆の頼もしい言葉に、リリアナは自然と笑みがこぼれる。彼女が育ってきたこの工房こそが、どんな貴族の家よりも暖かく、自分らしくいられる場所なのだと思う。


「王宮には、父様も同行してくれる予定ですし、私は工房と研究を優先しながら協力できる形を提案してみるつもり。……きっと一筋縄ではいかないだろうけど、私たちの意思をちゃんと示して、交渉していくわ」

「お嬢様がそう言うなら、心配いらないさ。夜会での一件で、王族や貴族の方々もお嬢様の技術力を思い知ったはずだ。今後はそう簡単に無下にはされないだろう」


 ガルスの言葉に、他の職人たちも口々に賛同する。

 リリアナはその光景を眺めながら、手のひら返しに苛立つ気持ちを抱えつつも、こうして自分を支えてくれる仲間がいることに感謝した。


 翌朝、王宮への正式な召喚状が届く。リリアナは準備を進めるために工房の仲間と早朝から打ち合わせを行い、クレアやミラベルの助力を受けながら、必要な道具や資料を鞄に詰め込む。

 王族が求めるのは、例の剣や回復薬だけではないはずだ。リリアナの研究力そのもの、つまりはこの国の発展を左右しうる新たな魔術・錬金術の可能性に大きな期待が寄せられているのだろう。


「私たちの工房を、ただの“道具置き場”みたいに扱われたくはない。そのためにも、ちゃんと話し合わないと……」

 そう心の中でつぶやき、リリアナは毅然(きぜん)とした表情を作る。

 研究を深めるため、国に貢献するため、そしてなによりも工房の仲間たちを守るため――リリアナ・アルトワーズは、自分のやり方で未来を切り開くことを誓う。

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