3.
夜会を飛び出してからどれほど歩いただろう。煌びやかな宮殿の灯りを背に、リリアナは凛とした足取りで石畳の道を進んでいた。彼女の横を並んで歩くクレアが、ふと気遣わしげに口を開く。
「ねえ、リリアナ。さっきは本当に大丈夫だったの? あんな場であんな酷い言い方をされて……」 「……正直、今は悔しさや怒りよりも空しさが大きいの。ずいぶん頑張って準備したのに、まるで最初から何も見られてなかったみたいで」
リリアナは苦笑交じりに言葉を紡ぐ。夜会で感じた屈辱や悲しみは、冷たい夜風にさらされて余計に胸の奥を締め付ける。
それでも彼女は目を伏せることなく前を見据えた。いつまでも過去の言葉に引きずられてはいられない。自分の“技術”や“作りたいもの”が軽んじられたのなら、それを証明してみせるしかないのだ。
「まあ、クリスピン様って昔から浮名を流すことで有名だったし……。けど貴女はそれでも信じようと努力してたじゃない。私、ずっと見てきたからわかるわ」 「そう言ってくれるのはありがたいけど……まあ、私が見る目がなかったのかもね」
クレアは沈痛な面持ちでうなずく。二人は宮殿の門から出て、今度はリリアナの工房がある区画へと向かう。
伯爵令嬢といえど、リリアナの家は代々“魔術工房”に携わってきた背景があるため、貴族街というよりは工芸と交易の盛んな地域に近い場所に邸宅を構えている。そこに多くの職人を抱える工房が併設されているのだ。
夜会の騒動を思い返すほどに、胸がチクリと痛む。されど、そんな感情に浸っている暇はない。クリスピンとの縁談はもう破棄になったのだから。
やがて二人は工房の大きな門へ辿り着いた。夜更けにも関わらず、まだ灯りがついている部屋がある。
扉を開けると、暖かな明かりが奥まで伸びていて、数人の職人が何やら片付けをしている最中だった。リリアナの姿を見るやいなや、皆が手を止めて駆け寄ってくる。
「お嬢様、お帰りなさいませ! 夜会はいかがでしたか?」 「って、そんなの訊くまでもないか……。わ、わかるよ、その顔色」
少し年上の女性職人ミラベルが申し訳なさそうに眉を下げる。リリアナとともに剣の制作に携わってくれた最重要メンバーだ。彼女は制作班のリーダーとして、今回の贈り物に大きく貢献していた。
隣の初老の職人ガルスも、辛辣な視線を向けながら口を開く。
「まあ、あんな“優男”に苦労するなんてわかりきってた話だ。俺なんか最初っから気に入らなかったね。仕事仲間を見下してるような奴とは、こっちも口を利きたくない」 「ガルスさん、落ち着いて。でも……ありがとうございます。私も今夜のことで決心がつきました。もう、あの人に私の作った物をどうこう言われる筋合いはないし、それでいいんです」
リリアナはそう言いながら、手に持った宝石箱をそっと作業台の上に置く。その中には黄金色の回復薬が納められている。先ほどの夜会では、王族や軍部の人たちから「譲ってほしい」という声が相次いだ代物だ。
クレアはリリアナの肩をぽんと叩き、「ちょっと席を外すね」と周囲に告げる。どうやら工房の仲間が用意してくれた温かい飲み物でも取りに行くのだろう。気配り上手な彼女らしい振る舞いに、リリアナはささやかに感謝の笑みを返す。
一方、集まった職人たちは、今回の騒ぎをどこまで知っているのか、あれこれ質問を飛ばしてくる。
「それで結局、あの剣はどうするんだ? うちの工房に残しておくのか? それとも……」
「あっちから『捨ててくれ』なんて言われたって話も聞いたぞ。まさか本当に捨てやしないよな?」
「当たり前でしょ。あれを完成させるのにどれだけの素材と手間がかかったと思ってるの。しかもリリアナお嬢様の独自刻印があるから、もう同じものは作れないんだよ」
剣については彼らの誇りでもあるのだ。リリアナは「大丈夫よ。あれはこの工房の作品。私だけの物ではないし、一緒にどう扱うかを考えましょう」と皆に呼びかけた。
するとガルスが腕を組んでうなずきながら、「だったらこいつは工房の保管庫にしっかりしまっとこう。変な噂につけ込まれて、どこかに横流しなんぞされないようにね」と渋い声を発した。
「横流し……ですか?」 「お嬢様、もうすでにあんたの回復薬を買い取りたいって話が何件も来てるんだよ。貴族だの軍人だの、電話石経由で続々と連絡が入ってるんだ。実際そいつらが本当に善意なのか、それとも別の目的があるのか分からんから、慎重に対応したい」 「そんなに早く……」
リリアナはその事実に驚きを隠せなかった。ほんの数時間前に夜会があったばかりなのに、噂はもう飛び交っているのか。
そういえば夜会の壇上でも、クリスピンが捨てると言い放った途端、王族や貴族が一斉に「私が欲しい」「うちで買い取りたい」と手を挙げていた。軍事利用はもちろん、希少な回復薬は医療面でも絶大な価値を持つ。
しかし、だからといってすぐさま売り払うのが正解とは限らない。工房の仲間たちとともに作り上げた品だし、何よりリリアナ自身、無闇に富と名誉を得たいわけではないのだ。
(……父が築いてきたこの工房と私の力、それをどう使うかは慎重に考えないと。持て囃されて舞い上がって、政治の道具にされるのはゴメンだわ)
ふと、リリアナの脳裏に父アルトワーズ伯の言葉がよぎる。
――「魔術や錬金術は、人を救うためにある。だが、使い方ひとつで争いを招く原因にもなる。お前が作り上げた技術が、何に使われるのかよく見極めろ」
まだ幼かった頃のリリアナに、父はそう言い聞かせていた。今回の剣や回復薬は、その言葉を証明するかのような“すさまじい力”を備えているのだ。