22.
夜の帳が工房の敷地を静かに覆いつつあった。風はほとんどなく、まるで嵐の前の凪を思わせる。職人たちは交代制で巡回しながら、不審者の侵入に備えている。リリアナは作業机の明かりを落とし、資料庫がある部屋の鍵を改めて確認した。
「……これで大丈夫かな。みんなが危険に巻き込まれないようにしないと」
囁くように独りごちると、心配そうな顔つきのクレアがやってきて、「私も見回りに加わるわ」と静かな決意を示す。以前は実質サポート専門だったクレアだが、最近は“いざというとき自分が守りたい”という思いが強いようで、訓練にも励んでいた。
一方で、レイナルドは騎士団の仲間と連携を取り、工房の周囲を巡回している。正式に大人数を送り込むと政治的に問題が生じるため、あくまで“個人的な友人”という建前で、数人の騎士を私的に派遣するかたちをとっていた。
(何も起きずに済むならそれが一番だが……)
レイナルドは夜空を見上げ、危険の兆候を見逃さぬよう注意を払う。この工房を守りたいという気持ちは、彼自身の信念とリリアナへの想いが絡み合って、さらに強くなっていた。
そして、その夜はやはり静かには終わらなかった。
深夜、工房の壁沿いの茂みにうごめく複数の人影。闇に紛れるような黒ずくめの装いで、手には錠前破りの道具や小型の爆薬らしき物を握っている。
「こっちだ……音を立てるな。狙いは資料庫の扉と試作品だ。長居は無用、さっさと盗んで撤退する」
男たちは囁きあい、合図とともに工房の外壁を巧みに乗り越える。何か月も前から周囲を下見していたのだろう。警備が強化されたとはいえ、そこをくぐり抜けるための手配は綿密に行っていたらしい。
幸いにも、彼らの気配に気づいたクレアやミラベルがすぐに異変を察知し、警戒の合図を送る。工房の各所で明かりが灯り、職人たちは布団から飛び起きて走り出す。
「来たわね……! 皆、落ち着いて!」
リリアナは深呼吸しながら、あらかじめ準備していた小型の防護魔術具を起動させる。玄関や裏口付近に設置した装置が、薄い光の結界を展開し、不審者の進行を阻む。
しかし、闇に雇われた盗賊たちも予想以上に手慣れていた。魔術の光を見て一瞬たじろぐが、すぐに爆薬を投げつけ、結界の一角を強引に破ろうとする。轟音とともに壁の一部が崩れ、煙と土埃が舞う。
「やめて! ここは人々を守るための研究をしている場所なのよ!」
リリアナの叫びも届かず、盗賊の一人が試作品の保管庫を狙って突入しようとする。そのまま職人仲間を突き飛ばし、資料庫の鍵をこじ開けようとする動きを見せた。
「くっ……!」
ガルスやミラベルが応戦するも、相手は複数で奇襲を仕掛けてきている。あっという間に人数差で押されそうになったそのとき――
「もうやめろ!」
レイナルド率いる騎士たちが駆け込んできた。私服ながら、その動きは洗練された剣技を持つ者ならでは。数人で連携して盗賊たちを包囲し、一人ずつ動きを封じていく。
混乱する工房の廊下で、リリアナも小型盾を展開し、駆け寄る盗賊の打撃を弾き飛ばす。クレアがその隙に職人仲間を立ち上がらせ、安全な場所へ移動させる。
「ミラベル、そっちは大丈夫?」
「ええ、こっちも何とか……! でも、あと一人逃げようとしてる!」
振り向けば、盗賊のリーダー格らしき男が、資料が詰まった大きな革袋を抱えて裏口へ突き進もうとしているのが見えた。レイナルドはそれを追おうとしたが、別の敵に阻まれて間に合いそうにない。
「ここで逃がすわけにはいかない……!」
リリアナは覚悟を決め、短剣に魔術刻印を施した試作品を起動させると、男の足元へ向けて抉るように魔力を放つ。膝から崩れた男は革袋を取り落とし、歯ぎしりしながら「ちっ……あの女め……」と呟いている。
そこへミラベルが駆け寄り、男を蹴り倒す形で動きを封じた。「盗んだ資料を返しなさい!」と迫ると、男は仕方なく袋を手放し、床に転がる。やがてレイナルドの騎士仲間が取り押さえ、縄をかけた。
こうして工房への襲撃は、リリアナたちとレイナルドの奮闘、そして仲間たちの結束によって辛うじて阻止された。建物の一部は爆薬で損傷し、何名かの職人が打撲や擦り傷を負ったが、幸い重大な負傷者はいない。試作品や研究資料も無事に回収できた。
騒ぎを聞きつけて駆けつけた王宮の関係者やクレアらの通報により、“裏で盗賊を雇った黒幕”に関する証拠も徐々に明るみに出る。捕らえた盗賊の所持品やメモからは、ある複数の貴族の名前が浮上した。
「まさか……最初からリリアナ様の研究を奪うつもりだったなんて……」
職人たちは怒りに震えながらも、ようやく一息つく。そこへ王宮の要人が到着し、被害状況を確認しながら「この計画には貴族の影がある」と断言する。
「確かな証拠が揃った以上、陛下や学術院も黙ってはいまい。リリアナ殿、これからは正式にあなたを庇護する動きが強まるでしょう。悪事を働いた輩は厳罰を免れません」
その場に居合わせたクレアも「よかった、本当に間に合って……」とリリアナの手を握りしめて目に涙を浮かべる。リリアナはほっと安堵しながら、「みんながいてくれたから防げた」と返す。
そんな混乱の最中、見慣れぬ姿が工房の敷地の端に立ちすくんでいた。それはクリスピン・ウェンフィールドだった。
どうやら彼は一部の貴族に唆され、工房の様子を探る手助けをしろと命じられていたらしい。しかし、実際にはそこまで積極的に動けるわけもなく、ここへ来ても「どうせ俺には何もできない」とただ立ち尽くすだけ。
襲撃事件が一段落して騎士団や要人が押し寄せる現場で、彼は顔を伏せて震えていた。
「お前、今さら何をしに来た? まさかこの襲撃に加担していたのか?」
工房の仲間に問い詰められても、クリスピンは「い、いや、そんなつもりは……」としどろもどろ。事実、彼は直接の犯行には参加していないが、結果的に貴族の陰謀に利用されかけていた形だ。
リリアナも遠目にその姿を捉えたが、もはや何の感情も湧いてこない。怒りや恨みではなく、本当に“無関心”に近い。すでに彼は、彼女の人生において何の影響も与えられない存在なのだ。
「リリアナ、そろそろこの場を離れましょう。工房の被害調査や、王宮への報告が待っています。皆さんと協力して、しっかり対処しないと」
レイナルドが声をかけ、彼女を促す。リリアナは頷き、集まっていた職人仲間を見回す。けがを負った者はいるものの、誰も命を落とさず、決死の防衛戦で工房を守り切った。その結束力こそが何よりの財産だと、リリアナは改めて感じる。
「みんな、本当にありがとう。私ひとりじゃ絶対守れなかった。これで、また前を向いて研究を続けられるわ」
その言葉に応えるように、ガルスやミラベルが「当然だろう?」と顔を見合わせ、クレアは涙を拭いながら微笑んだ。レイナルドもまた、静かなまなざしでリリアナを見つめている。
こうして貴族たちの陰謀は表面化し、王宮の要人が動いたことで真の黒幕が暴かれ、計画は頓挫した。狙いの試作品や研究資料も無事回収され、工房の危機はひとまず去った形だ。
クリスピンは結局、一瞬関与しかけた形で名前が上がったが、すでに彼に社会的信用など無く、誰からも相手にされない。彼がどんな弁明をしようとも、空々しく響くだけで、もはやリリアナにかける言葉すら見当たらない。
その姿を横目に、リリアナは「自分にはもう、関係ない」と思う。そして心の中で、小さく息を吐き出した。
(私には仲間がいる。この工房と、父様が築いてくれた環境と、そしてレイナルド様みたいに誠実に助けてくれる人がいる。だからこそ、こんな危機も乗り越えられたのよね)
防衛戦を経て、研究を守り抜いたという事実はリリアナの自信をさらに高める。仲間たちとの連帯感も強まり、“自分の道は決して間違っていない”という確信が、胸の奥で熱く燃えるのを感じる。
襲撃の後片付けで忙しくなる中、工房に差し込む朝の光が、彼女の頬を照らした。――新たな日が始まり、リリアナは今まで以上に高みを目指して歩んでいく。危機を乗り越えたその先に、さらなる未来が広がっているのだと、彼女ははっきりと悟っていた。
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