20.
王宮に程近い貴族街の一角に集うのは、保守的な立場をとる有力貴族たち。彼らは表向きこそリリアナに賞賛の言葉を贈っていたが、内心では「平民上がりの娘が功績を独り占めするなど許せない」という感情を拭えなかった。
とある屋敷の奥まった応接室。飾られた高価な絵画の下に腰を下ろす三人の貴族が、ワインを傾けながら小声で話をしている。
「まったくもって面白くありませんな。リリアナ・アルトワーズは、これまで貴族のエリート教育を受けてきたわけでもないのに、王宮の有力者から大層な引き立てを受けている」
「しかもエリオン公国の騎士団にも接近しているとか。我が国の利益を彼女ひとりが左右しかねない。伯爵令嬢とはいえ“半ば平民上がり”が、そこまで大きな顔をするのはおかしいですぞ」
「ええ、そうですな。先日の国境での戦いぶりとやらも、都合よく武功を独り占めしているようにしか見えません」
それぞれが不満をぶちまけたあと、年長の男爵が手を振って話題をまとめる。
「しかし、あの技術が確かに本物で、国益にもなる以上、正面切って潰すのは得策ではありません。むしろうまくこちらの陣営に取り込みたいが……どうやらリリアナ嬢は独立性を死守する構えらしい。簡単には組み敷けませんな」
「ならば、その技術をこちらの手中に収めればよいのだ。本人が従わないのなら、いっそ工房そのものを骨抜きにして、要となる技術情報を握ればいい。そうすればリリアナ・アルトワーズは単なる‘職人娘’に戻るだけだろう」
そこまでは計画の筋書きが固まっている。問題は“どうやって”工房から情報を盗み出すかだ。警備もしっかりしているうえに、リリアナ自身が強い魔術の心得を持っており、彼女を騙すのは簡単ではない。
しかし、この貴族たちはさらにもう一つの“手”を用意していた。
「そういえば、ウェンフィールド伯爵家の跡取り息子はどうしている? あれはリリアナ嬢の元婚約者ではなかったか?」
「クリスピン殿ですか……夜会のあれ以来、すっかり信用を失って、国境でも醜態をさらしたと聞いております。まるで落ちぶれた存在ですな」
「逆に都合がいいではないか。彼は今や立場を失い、リリアナに執着しているという噂もある。彼をうまく焚きつければ、工房の内情を探るための足がかりにできるかもしれない」
そう画策する彼らだったが、実際にはクリスピンはすでに信用を失いすぎており、リリアナに近づく術も持っていない。何度か接触を試みようとしても、門前払いされるのがオチだった。
ある日の夕刻、ウェンフィールド伯爵家の控え室で貴族の一人がクリスピンと対面し、言葉巧みにリリアナへの接近を促そうとしたことがある。しかし、ぼんやりと暗い顔をしたクリスピンは「今さら俺が何を言っても、彼女は聞いてくれない」と弱々しく答えるばかり。
貴族たちはそっと眉をひそめながら屋敷を後にした。「これでは駒にすら使えないな……」と舌打ち混じりにこぼし、やむなく別の手段を講じることにする。
「クリスピンは使えない。なら、こちらから直接動くしかないな。夜陰に乗じて工房へ忍び込み、研究資料をいただく。多少荒事になっても構わんだろう。どうせ裏から手を回せばもみ消せる」
「しかし、彼女らには王宮やエリオン公国の騎士まで後ろ盾がある。あまり大規模なことをすれば、我々も疑われるのでは……」
「だから“最後の手段”だと言ったろう。表立っては動かない。闇に通じた者を雇い、証拠を残さずに済ませる。工房に詳しい内通者も確保しておく必要があるが、まあ金を積めばいくらでも……」
こうして、彼らは工房に対して直接スパイや盗賊を差し向ける計画を立て始めた。表向きはリリアナに「新技術を一緒に研究しよう」と甘い言葉をかけて取り込みを図り、裏では最悪のケースとして「技術情報を強奪する」という二段構えだ。
未練がましくリリアナを追っていたクリスピンですら、自分が利用されていることに気づかず、ましてや会話さえまともにできない状況。焦る貴族たちは、最も手っ取り早い略奪への道に踏み込もうとしていた。
そうした動きがあることを、リリアナ自身はまだ詳細には知らない。ただ、工房の外に怪しい人物が出入りしているとの報告や、研究資料を狙う輩がいるという噂は以前から耳にしていた。
にもかかわらず、彼女は研究をやめるわけにはいかない。防護魔術具や回復薬をより強力にするための改良を止めれば、遠く国境や辺境で苦しむ人たちを見捨てることになる。
そんな中、エリオン公国の騎士団副官・レイナルドも王都に再び戻ってきた。国境での任務を区切りとし、今度は正式な報告と挨拶を兼ねて王宮に滞在しているらしい。
夜会の会場で顔を合わせる機会があったレイナルドとリリアナ。公的な場でありながら、どこか緊張を解した空気の中で言葉を交わす。
「リリアナ殿、少々ご相談したいことがあるのですが……」
煌びやかな装飾が施された会場の片隅で、レイナルドは低い声で切り出す。周囲には貴族や要人が多く、立ち話もままならない状況だが、内容はあまり公にしたくないらしい。
「実は、貴女の工房の警備態勢について心配しているんです。最近、一部の貴族が裏で妙な動きをしているとの情報がありまして……あなたの研究が狙われる可能性は非常に高い」
リリアナは思わず目を丸くする。ここ数日、忙しさにかまけていたが、工房の周囲で不審者目撃の話を耳にしていたのは確かだ。だがそれをレイナルドが教えてくれるということは、相当に確度の高い情報なのだろう。
「……もし本当にそんな危険が迫っているのなら、早急に対応しなくてはなりません。わたしも気になってはいたのですが、ただ漠然とした噂に過ぎないと思っていて」
「わたしのほうでも詳しいところまでは掴めていませんが、複数のルートから同じような話が出ています。念のため警戒を強化したほうがいいでしょう。もしよろしければ、うちの騎士団も協力します」
頼もしい提案に、リリアナは目を伏せ、言葉を探すように一瞬黙る。自分の研究を守ることは大切だが、余所の騎士団に頼るとなると、また別の政治的問題が生じかねない。
けれど、背に腹は代えられないのも事実。警護を受けることで工房の独立性が揺らぐのなら、どうバランスを取ればいいのか――悩ましい問題だ。
「ありがとうございます。レイナルド様のお気持ちはとても嬉しいです。でも、あまりにも公的に守っていただくと、かえってわたしや工房が“国や貴族の所有物”扱いされる恐れもあります。そこは慎重に考えたいんです」
リリアナの言葉に、レイナルドはすぐさま理解を示すように頷く。
「ええ、無理強いするつもりはありません。ただ、何かあったときは必ず声をかけてください。わたしも……あなたを危険から守りたいので」
その最後の一言に、リリアナはどこか胸を締め付けられるような優しい感触を覚える。彼女を“国の宝”や“利用すべき存在”ではなく、一人の人間として守りたいと願ってくれている。やはり、レイナルドという男性は誠実で、リリアナの心を支えてくれる大きな存在なのだと実感する。
彼に深くお辞儀を返し、リリアナは「近いうちに工房の仲間と警備を再検討します」と伝える。レイナルドは笑顔で「それがいいでしょう」と答え、二人は会場のざわめきの中へと戻っていった。
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