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19.

 国境を襲っていた魔獣の被害は、リリアナたちの防護魔術具と騎士団の活躍によって大幅に抑え込まれた。大型個体は退却し、周辺の村では再び畑仕事や家の修復に着手する動きが見られる。やっと住民が笑顔を取り戻し始めた矢先、リリアナは「必要な対策はひとまず整った」と判断し、工房へ戻ることを決めた。

 現地に残る騎士団や王軍の部隊が状況を引き継ぎ、防護魔術具の簡易操作やメンテナンスについても教えていく。リリアナとしては未練もあるが、今は研究をさらに深めるため、工房での作業が優先だ。なにしろ、魔獣は一時的に退いたにすぎない可能性もある。長期的な対策を考えれば、現在の装備をより強化しなければならないのだ。


 こうして数日後、彼女はミラベルやガルスら工房仲間と共に王都へ戻り、久しぶりの石畳を踏みしめる。工房の門をくぐると、出迎えた職人たちが口々に「お嬢様、お帰りなさい!」「ご無事で何よりです」と声をかけてくれる。リリアナは安堵の笑みを浮かべ、

「みんな、ただいま。こっちは大丈夫よ。国境の被害も落ち着きそうだし、これからはもう少し私たちの研究に集中できそう」

と答える。

 クレアも目を潤ませながら、「本当に無事でよかったわ、リリアナ……!」と胸を撫で下ろす。彼女が留守を守る間も、工房には王宮や軍部からの問い合わせ、貴族の視察などが相次ぎ、それなりに忙しかったらしい。


 一方そのころ、ウェンフィールド家の屋敷では、クリスピンが実家の伯爵から激しく叱責(しっせき)されていた。

「まったく、国境へ行って何をしてきたのだ! 貴族の義務を果たすどころか、自分が危うく死にかけただけではないか! お前が足を引っ張ったおかげで、恥の上塗りもいいところだ……」

 ウェンフィールド伯は苛立(いらだ)ちを(あらわ)にし、机を叩いて立ち上がる。夜会での醜態の話題もまだ冷めておらず、そこへさらなる失敗が重なってしまった形だ。

「お前には、もう伯爵家の跡継ぎとしての価値を見出だせなくなった。いずれ、弟か遠縁(とおえん)の者に家を譲る可能性もあるぞ。……この家の顔に泥を塗った責任、よく考えろ」


 冷徹な言葉に、クリスピンは声もなくうなだれる。先日の魔獣との戦いでは、リリアナに助けられる形で命拾いをした。だが彼女が喜んで救ってくれたわけではないし、周囲からは「結局また足手まといだった」と思われただろう。その事実は、何よりも彼のプライドを打ち砕く。

 父が部屋を出ていくと、クリスピンは途方に暮れたように寝台へ腰を下ろす。かつては何不自由ない暮らしをし、遊び人として社交界でも自由気ままに過ごしてきたのに、今や周囲の目は冷ややかだ。味方してくれる人間はほとんどいない。


(どうして、こんなにも状況が変わってしまったんだ……)


 思い返せば、リリアナとの婚約は始めから彼の本意ではなかった。家同士が決めた縁談で、出自を揶揄されたリリアナに興味すら持たず、むしろ鬱陶(うっとう)しく思っていた。しかし、今となっては彼女の才能と意志の強さに圧倒されっぱなしだ。

 彼女を取り戻そうにも、リリアナはとっくに前を歩み、そしてクリスピンに目もくれない。まるで自分が無価値だと証明されたようで、苛立ちと悲しみが混ざった暗い感情が渦巻く。

 窓の外からは、明るい陽光が差し込んでいるのに、部屋の中は重苦しい空気に包まれていた。


 一方その頃のリリアナは、工房の作業場で新たな強化装備の試作を進めていた。魔獣対策のさらなる強化――具体的には、既存の防護魔術具をアップデートしたり、護符により安定した回復効果を持たせたりすることが目標だ。

「魔獣の牙や爪による斬撃を、もっとしっかり防げるようにしないと……。それに、体が大きい個体だと衝撃も桁違いだったわ。あれを相手にするには、今の防御壁じゃ少し頼りない」

 リリアナはそう言いながら、大きな紙を広げ、そこに新しい魔術式のパターンを描いていく。ミラベルやガルスといった熟練職人が、彼女のアイデアを受けて素材の選定や刻印温度の設定などを提案し、次々とメモを交わす。

 互いに意見をぶつけ合い、少しでも実用的な装備に近づけるための作業は、一日があっという間に過ぎるほど熱中を伴う。


「まったく、お嬢様は休憩もろくに取らずに没頭しちゃうんだからね」

 ミラベルが苦笑しながらも、リリアナにハーブティーの入ったカップを差し出す。彼女も今回の研究に大きく関わっており、夜会での一件を機に工房全体が“自分たちの技術を世に示す”ことへ意欲的になっていた。

 リリアナはティーをすすり、ほっと一息つく。頭に詰め込んだアイデアがぐるぐる回っており、ともすれば休息を忘れて突き進んでしまいそうだが、仲間の気遣いで何とかバランスを保っている。


 研究の合間、彼女のもとへレイナルドからの手紙も届いた。エリオン公国に戻る前に王都へ立ち寄るので、再び工房に顔を出したいという内容が(つづ)られている。

「ほんの短い期間で国境の状況が改善されたのは貴女のおかげです。エリオン公国でも貴女の功績を知る方が増えてきました。今度はわたしから自国の技術者とも交流を進めてみたいと思っています」

 そんな文面に、リリアナは自然と頬が緩む。今のところ恋愛感情と呼べるほどのものかは分からないが、彼の誠実さに()かれているのは確かだ。何より“技術を人々のために使う”という理想を共有できることが、彼女にとっては何より嬉しい。


(私にはまだ、やるべき研究がたくさんある。彼の思いにも、どう応えたらいいのか……今はそこまで考える余裕がない。でも、いつかはきちんと向き合いたい)


 そんな思いを抱えながら、リリアナはカップを置き、再び設計図に視線を戻す。そして、目の前の課題と向き合う時間に没頭した。

 こうして日々は過ぎ、試作品の改良を重ねるうちに、次なる強化装備が少しずつ形を成していく。具体的には、複数の魔術具を連携させて、より広範囲をカバーする仕組みや、魔獣だけでなく闇夜に潜む亜人種(あじんしゅ)の襲撃にも対応しやすいよう、探知機能を持たせる計画などが検討された。


 ある晩、リリアナは作業場に残って最終チェックをしていた。素材の配合や刻印の配置など、一歩間違えば破損や暴発につながりかねない。魔術研究の難しさは、常に危険と隣り合わせだ。

 そこへふとクレアがやってきて、「休まないと倒れちゃうわよ」と心配そうに声をかける。

「明日には大まかな形を仕上げたいから、もう少しだけ……」

 リリアナは笑顔で応じるが、その目には確固たる集中力が宿っていた。工房の誰もが彼女の情熱を知っているだけに、止めるに止められないのだ。


 かつて夜会で“重い”と切り捨てられたほどの努力。だが今のリリアナは、その努力が正当に評価され、必要とされる喜びを知っている。もう二度と、他人の勝手な言葉で自分の道を諦めたりはしない。

 そのころ、クリスピンは自室に閉じこもり、亡霊のような表情で日々を過ごしていた。父ウェンフィールド伯からは「勝手に夜会で破談にして、国境でも醜態をさらし、本当にどうしようもない」と軽蔑され、社交界でも「リリアナに捨てられた男」と呼ばれている。

 名誉挽回は失敗。さらなる策も見いだせず、ただうなだれたまま外出もしなくなった。周囲の従者も、もはや彼に期待する様子はない。

「……こんなはずじゃ、なかったのに……」


 ぽつりと(つぶや)いても、誰も返事をしない。以前の友人たちから連絡が来ることもなく、クリスピンは孤独を噛みしめる。リリアナの研究がますます注目を集め、王族や軍部からも高く評価されている現状は、彼にとって耐えがたいほど辛い。

 あの時、軽率に「いらない」と言わなければ。少なくとも、彼女と手を取り合う形は残っていただろうに。後悔が頭をもたげるが、今さらどうにもならないのは自明の理だ。

 こうしてクリスピンは、まさに絶望の底へ沈みつつあった。かといって新たな道を探そうにも、これまで本気で取り組んできたものが何一つない。すべてが空虚で、ただ時が過ぎるのをぼんやりと見送るしかない。


 一方、アルトワーズ工房では、リリアナが「魔獣対策の強化装備」として位置づける装置が完成に近づいていた。外観は従来のものより少し大型だが、連携操作を前提にした仕組みで複数台を配置すれば、広範囲を守りながら個体ごとの力を増幅できるという。

「これがうまく稼働すれば、次の段階に進めるわね。魔術の制御が複雑になるけど、レイナルド様や騎士団の方々にも協力してもらえば実戦テストができるはず」

 リリアナのつぶやきに、ガルスが(うなず)く。

「今度こそ、どんな大型個体が相手でも対応できるようになるかもしれねえな。お嬢様の研究がさらに花開くときだ」


 夕暮れの工房には、赤い陽光が差し込み、作業台に並ぶ新装置の金属部分がきらきらと輝く。これはただの武器ではなく、人々を守るための“盾”だ。リリアナはその意義を噛みしめながら、最後の仕上げにかかった。

 同じころ、王都の一角にいるクリスピンの姿は暗闇に包まれ、何も見えない未来に絶望していた――状況はあまりにも対照的だ。かつては婚約者として隣に立っていたはずの二人の距離は、もう埋めようのないほど離れてしまっている。

 リリアナは迷うことなく次のステップへ進む。自分の作った装備や防護魔術具が、さらなる被害を食い止める力になると信じているからだ。かたやクリスピンは、その光景を遠くから見上げることすらできないまま、孤立の底へ沈み続ける――それが、今の二人の決定的な差となっていた。


 強化装備を完成させたリリアナは、最後の点検を終えると、ふっと肩の力を抜いて微笑む。

「よし……一応これで新たな形が見えたわ。あとは実践でどこまで使えるか試すだけ。次の段階へ……進むのは、わたしだけじゃない。工房のみんな、そしてレイナルド様たち騎士団とも力を合わせて――」

 彼女の瞳には、もう後ろを振り返る迷いはなかった。過去の婚約破棄も、嘲笑を浴びせられた経験も、すべてはここへ至る道のりにすぎない。


 こうして、リリアナ・アルトワーズは新しい装備を引っさげて次なる挑戦へと歩みを進める。クリスピンがどんな思いで見ていようと、もはや彼女の決意を揺るがすものは何もなかった。

お読みいただきありがとうございました!


本日最後の更新です。

続きが気になった方は是非とも評価ブクマ頂けますと嬉しいです!

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