18.
大型魔獣を相手にした激戦から数日後、リリアナたちが築き上げた防衛体制は国境の村々に浸透し、二度目の襲撃も最小限の被害で凌ぎきった。迅速な防護魔術具の配置と回復薬の供給が功を奏し、騎士団も住民たちも大きな犠牲を出さずに済んだのだ。
その功績は瞬く間に王都へ伝わり、軍部や王族は改めてリリアナの名を讃える。かつては夜会で“工房育ち”だと蔑まれた彼女だが、今や“国を救う魔術師”として熱烈に求められる存在になっていた。
「リリアナ・アルトワーズ殿、ぜひこれからも国のために貢献していただきたい。我が軍の専属研究員として、あなたの技術を存分に活かしてほしいのです」
そう申し出てきたのは、軍部の高官たちだった。さらに王族の一部からも「近衛部隊に武具を提供してほしい」「回復薬を大規模に量産してほしい」という要望が相次ぎ、重臣たちがこぞってアルトワーズ工房へ足を運ぶ始末だ。
だがリリアナは、そのいずれの要請にも即答を避けていた。
「……私たちの工房は、国のために尽くしたい気持ちはあります。ただ、何もかも差し出せるわけではありません。まだ研究段階の技術も多く、むやみに広げてしまえば危険が大きいかもしれません」
この控えめな拒否の裏には、彼女の確固たる警戒心がある。技術が無制限に利用されれば、やがては“人々を支配する手段”になりかねない――子どもの頃から父に教えられてきた“魔術の功罪”が、常に頭をよぎるのだ。
一方で、国境の村々がリリアナの魔術具によって救われたのも事実。実戦での貢献度があまりにも大きかったため、軍部や王宮は半ば強引にでも彼女を味方につけたい。
工房の仲間たちは「このままでは、あちこちから求められすぎて疲弊するのでは……」と心配し、ミラベルやガルスも「お嬢様が振り回されないように、少し距離を置いたほうがいい」と進言する。リリアナ自身も「もう一度、父や学術院の関係者とも話し合わないと」と考えていた。
そんな折、エリオン公国の騎士団は国境での調査をひとまず終え、王都に戻って中間報告をするため、一時的にリリアナの工房付近へ立ち寄ることになった。
先日の戦い以来、レイナルドとリリアナの間には言葉にしがたい信頼感が育ちつつある。騎士団副官としての冷静な指揮と、危険を厭わずに踏み込む勇敢さ――そして何より、リリアナの研究が“本当に人々を守るため”に使われるべきだと、心から理解してくれている存在だ。
「またお会いできて嬉しいです、リリアナ殿」
工房の中庭に馬を降り立たせたレイナルドは、穏やかに微笑んで頭を下げる。頬に残る薄い傷跡は、先日の戦いでついたものだが、回復薬の効果もあってすでに痛みはないという。
リリアナも軽く微笑みを返し、職人たちと共に彼を迎える。
「レイナルド様こそ、お疲れ様です。国境はあれからどうですか? 魔獣の活動は落ち着いてきました?」
「ええ、大型の個体はあれきり姿を見せていません。もちろん警戒は緩められませんが、あなたの防護魔術具のおかげで住民の皆さんも安心して畑に戻り始めたようですよ」
そう説明するレイナルドの横顔には安堵が滲む。危機が完全に去ったわけではないものの、以前ほどの逼迫した状態からは脱したと言えるだろう。
しかし、話題はすぐに王都や軍部の動向へと移る。リリアナの技術をさらに国が買い上げ、大規模に取り込もうとする動きは、エリオン公国にも伝わっているのだ。
「噂では、貴女に対し相当に熱心な勧誘があるとか。わたしとしては、あなたの研究が正しく使われるなら賛成ですが、無理やり奪おうとする勢力が出てきてもおかしくはありません」
レイナルドの声は真剣だ。実際、彼の国でも“力のある技術”を欲する者は多い。そして、それを利用しようという政治的野心も少なからず存在する。だからこそ、彼はリリアナが抱えている心配を痛いほど理解できるのだ。
「私の研究が、人々の暮らしを守るために使われるのなら大歓迎です。でも、それがいずれ“支配”の道具になる可能性も……。そう考えると、あまり大きく広めるのは不安があって」
リリアナの言葉に、レイナルドは静かに頷く。
「ええ。魔力の使い方ひとつで、人を救うことも傷つけることもできる。貴女にしか扱えないほど貴重な技術ならば、尚更ですね」
しばし沈黙が降りる。工房の中庭を吹き抜ける風が、遠くから運んでくる初夏の香りを伝えていた。
「……でも、わたしはあなたの研究が人々を支配するためではなく、守るためのものだと確信していますよ」
レイナルドがそう言葉を継いだ瞬間、リリアナの胸が小さくときめいた。
「え?」
「先日の戦いでもそうでした。貴女は自分の身を危険に晒してまで人々を守ろうとした。もし自分の名声や利益を優先するのなら、わざわざあんな前線に立たなかったでしょう? それが何よりの証拠です」
真っ直ぐな視線に、リリアナは戸惑いながらも嬉しさがこみ上げる。彼が見ているのは、リリアナが生み出す技術だけではない。その心意気や大切にしている理想ごと、まるごと受け止めてくれているのだと感じるのだ。
「……ありがとうございます。そう言っていただけると、私も救われます。やっぱり……誰かを傷つけたいわけじゃなくて、本当に守りたいからこそ技術を磨いてきたんです」
微笑み合う二人の間には、言葉にしなくても伝わる何かがあった。まだそれが恋愛感情だと断定するには早いかもしれない。リリアナ自身、先日のクリスピンとの騒動もあり、人を信頼することには慎重になっている節がある。
それでも、レイナルドは“心から信用してもいい相手”だと思えるほど誠実に向き合ってくれる。胸の奥にうっすらと温かな思いが芽生え、リリアナはその気配を抱きしめるように、そっと深呼吸をする。
そんな穏やかな空気が流れる中、工房の門からガルスが急ぎ足でやってきた。
「お嬢様、軍の使者がまたいらっしゃいました。どうやら急ぎの用件らしくて……」
「わかりました。すぐ行きます。ありがとう、ガルスさん」
リリアナはレイナルドに「すみません、お話の途中で」と一言詫びてから、工房の奥へ向かう。彼は「お気になさらず」と微笑んで見送る。
そこに待ち構えていたのは、国防の要職に就く男たちだった。先日の戦功によりリリアナを“正式に”王宮へ招き、今後は軍備の拡充に協力してほしいと切り出す。
「あなたには近衛部隊の装備や、大規模な回復薬の生産にも関わっていただきたい。報酬や地位は十分に用意するつもりだ。どうか名誉を手に入れ、さらに国に尽くしてはくれないか?」
そんな甘い誘いに、リリアナはあくまでも冷静に対応する。
「光栄なお話ですが、私の研究はまだ未完成の部分が多いですし、工房の独立性を損なう形での協力は難しいかと思います。まずは必要最小限の範囲で、また段階を踏んで検討させてください」
絶妙な距離感で断られた軍の使者たちは苦い顔をしながらも、あまりに強引な交渉はリリアナの印象を損なうだけだと悟ったのだろう。「また改めて話しましょう」と言い残し、退散していく。
リリアナは深いため息を吐きつつ、その場に残る。胸の奥には、研究が大きく評価されることへの喜びと、それを誰かに“奪われる”かもしれない恐怖が共存している。
そうして彼女が思案に耽けっていると、ふと玄関のほうからレイナルドが姿を見せた。いつの間にか工房の案内を受けていたらしいが、リリアナの気配に気づいてこちらへやってくる。
「ずいぶん大変そうですね。……よければ少し、外の空気を吸いに行きませんか? お忙しいなら無理は言いませんが」
その静かな提案に、リリアナははっと我に返る。
「……ありがとう。少しだけなら、お願いしていいかしら」
そうして二人は工房の敷地から抜け出し、屋敷の裏手にある小さな庭へと足を運ぶ。花壇に咲く草花を眺めながら、風が心地よく流れる場所だ。
レイナルドは微笑みを浮かべ、リリアナを気遣うように言う。
「心配しなくても、貴女の技術は“正しい形”で広まっていくはずです。貴女がそう望んでいる限り、わたしも協力しますから」
またしてもまっすぐな言葉。リリアナはドキリと胸を震わせながら、それでも柔らかい笑みで返した。
――この人なら、自分の理想を理解してくれる。それが深い安心をもたらしてくれる一方、心のどこかで“もう一歩踏み込みたい”という想いも芽生え始めている。でも、その感情をすぐに形にしていいのか、まだ自分でも整理がつかないのだ。
クリスピンとの破談が示したように、人は言葉や地位だけでは測れない。レイナルドが誠実な人だと信じたくても、ほんのわずかな迷いが、リリアナの心に影を落とす。
それでも、今この瞬間、彼の存在に支えられている事実は確かなものだった。リリアナはそのぬくもりを感じながら、もう一度歩み出す決意を新たにする。自分の研究を、誇りを、そして工房の独立を守るために――。
国全体がリリアナの技術を欲している中、彼女は歩みを止めない。レイナルドの言葉を胸に抱きながら、これから先も“守りたい人々”のために力を尽くそうと心に誓うのだった。
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