16.
「おーい、リリアナ! やっぱりここにいたか。さあ、俺も戦うぞ。そいつを俺に貸してくれ!」
見ると、それはクリスピン・ウェンフィールド。その場には不釣り合いな華やかな衣装を着て、どこか浮ついた様子が目立つ。装備も満足に揃えておらず、腰にはそれらしい剣を一振り差しているだけ。兵士も数名雇ってきたようだが、場当たり的な印象は拭えない。
リリアナはあからさまに困った顔をして周りを見回す。隣にいたレイナルドは眉をひそめ、「彼は……?」と目配せする。
「私の……昔の婚約者です。今はもうその話も白紙ですが」
リリアナが低い声でそう伝えると、クリスピンは「どうせ俺を馬鹿にする気だろうが、俺だってやれる!」と鼻息を荒くする。
「国境の村が危ないって聞いて、名乗りを上げたんだ。魔獣と戦って手柄を立てれば、俺の見る目も変わるだろうし……お前の技術だって俺が守ってやる! うん、そうだ、それがいい!」
言うことが支離滅裂に近く、村人たちも彼の言動に戸惑いの色を見せる。騎士団員のひとりが小声で「なんだあれは……状況をわかっているのか?」と呆れた調子でつぶやいた。
リリアナの工房職人であるミラベルとガルスも「頼むから余計な混乱を起こすなよ……」という目で見守るが、クリスピンはお構いなしだ。
「俺も勇敢に戦うから、防護魔術具を貸せ。どうせお前が作ったんだろう? なら、元婚約者の俺に使わせても損はないはずだ」
しかしリリアナは、きっぱりと首を横に振る。
「申し訳ないけれど、あなたに貸す分はありません。今はこの村や兵士たちを守るために限られた数しか作れないんです。正規の訓練を受けている兵士や民間人を優先したいので」
露骨に拒否され、クリスピンは「なっ……!」と息を呑む。周囲の視線がますます彼から距離を置くように感じられ、苛立ちが顔に浮かぶ。
「お前……俺を足手まとい扱いする気かよ! 俺だって伯爵家の生まれなんだぞ。これくらいの危機に立ち向かうくらいできる!」
その大声に、騎士団の一人が「貴方は本当に魔物との戦闘経験がおありで?」と怪訝そうに問いかける。答えに詰まったクリスピンは、それでも後には引けない様子で「問題ない」と言い張る。
村人たちが一様に不安げな表情を浮かべる中、レイナルドが静かに割って入った。
「ウェンフィールド様とおっしゃいましたね。わたしたち騎士団は、確かに支援が欲しい。ただ、実戦で力を発揮していただくには、相応の装備と訓練が必要です。すぐに提供できるわけではありませんし、無理に前へ出られては危険です」
レイナルドの丁寧な口ぶりには、本音の部分で「足手まといだ」と言いたい気配が滲んでいる。それを察したクリスピンはますます苛立ち、リリアナを睨むような視線を送った。
「くっ……わかったよ。いいさ。後で見ていろ。俺だってやれるってことを証明してやるからな」
そう捨て台詞を吐き、クリスピンは仕方なく集めた兵士たちとともに離れていく。村人たちはほっと胸を撫で下ろすようにため息をつき、騎士団も「あれに振り回されては困る」と暗い面持ちを見せる。
リリアナはただ一言、「すみません、ご迷惑をおかけして……」と周囲に頭を下げる。彼女自身、どうしようもない、という思いが表情ににじんでいた。
ひとまずクリスピンの騒動は収まったものの、前線の状況は油断を許さない。すでに部下の騎士たちからは「また魔獣が山を下りてきた形跡がある」という報告が入り、夜になるまでに防御態勢を固める必要があるとわかる。
リリアナと工房の職人たちは、休む間もなく魔術具の調整を続ける。村の外れや主要な通路に設置することで、進軍してくる魔獣を迎え撃つ“簡易要塞”を作り上げるのだ。
レイナルドは騎士団を細かく編成し、山道の偵察や村の警備を指示していく。その指図は的確で、リリアナは彼の優れた指揮能力に感心する。加えて、彼が合間に見せる穏やかな気遣いに、心の奥でほんのりと温かな思いが芽生えていることにも気づいていた。
「レイナルド様、わたしは次の場所に防護魔術具を設置してきます。もし魔獣の動向に変化があれば、すぐ連絡をください」
「承知しました。リリアナ殿もお気をつけて。無理だけはなさらないでくださいね」
短いやり取りの中にも信頼関係が育まれている。リリアナは微笑んで頷き、職人たちとともに走り去る。
その後ろ姿を見送りながら、レイナルドは胸の奥に芽生える感情をはっきり自覚した。単なる“工房の天才”ではなく、一人の誠実で勇敢な女性として、リリアナに惹かれているのだと。
――こうして国境の村は、リリアナの防護魔術具と騎士団の警戒態勢によって一定の防御ラインを築き始める。夜を迎えるころには、住民たちの避難を終え、いつでも魔獣が来ても応戦できるように準備万端となっていた。
しかし、その裏でクリスピンは虚勢だけを張ったまま、ろくに作戦にも加わらずに苛立ちを募らせている。実力も装備も不十分な彼にとって、ここはただの「アピールの場」にしかなっていないからだ。
混乱の波がまたひとつ広がる中、夜の闇が静かに村を包み込み始めた。次に魔獣が襲い来るのは、果たしていつなのか――人々の不安は深まるばかりだった。
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