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月は綺麗ですね

作者: 雉白書屋

 ――月は綺麗だね。


 彼がその言葉を口にした瞬間、ドキッとして、あたしは何も言葉が出てこなかった。


『どうしたの? ぼーっとして』


「え、あ、ううん。その、あなたのこと想ってて……って、いや、あはは、あたし、何言ってるんだろ、あはは……」


『ふふっ、想っているなんて、まるで遠くにいるみたいだね。目の前にいるのに』


「あはは、それはそうだけど……でも、やっぱり遠いよ」


 あたしはそう言って、モニターをそっと撫でた。彼の顔に、その唇に指を伸ばす。

 彼も手を伸ばし、あたしに触れようとした。でも、感じられたのはモニターの蛍光灯が作り出す体温に似た生ぬるさと、滑りの悪い手触りだけだった。


『ああ、確かにそうだね……』


「うん……でも」


 でも? 何を言おうとしているんだろう、あたし……。いつか会えるよ、かな。でも、本当に? 本当にいつか会える? そう思ってる? ……それに、彼はあたしに会いたいと思ってくれているのかな。きっとそう訊けば、彼は言ってくれるだろう。いつも通りに、あたしが欲しい安全な言葉を。

 それで、二人はまた無難なやり取りを続けて、通信を終えるんだ。いつものように……。


「あ、ごめん。ママが帰ってきたみたい。切るねっ」


『うん、またね。また――』


 また明日。そう言って通信を終えたけど、それって二十四時間後ってことなのかな、とたまに混乱する。ここでの一日は地球時間をもとにしているけど、ここで生まれたあたしには馴染みがない。

 

「……ねえ、ママは地球に未練があったりする?」


 リビングで夜ご飯を食べながら、あたしはママに訊ねた。


「えー? さあ、どうかなぁ……」


「でも、パパは地球に行ったんだよね? 抽選に当たってさ」


「うん、まあ、そうなんだけどさ」

 

「パパに会いたくならないの?」あたしはママにそう訊こうとした。でも、もしかしてあたしがここにいるからパパのことを考えないようにしているのかな、とあたしは思い、言葉と夕食のビーンズを喉に詰まらせ、ウグッと変な声を出してしまった。

 ママはあたしのその様子を見て笑い、あたしも笑った。

 あたしが生まれるずっと昔、あたしのおばあちゃんが生まれるよりも前に、人類はここ、月に建設された基地に地球から移り住んだ。

 その理由は、人口が増えすぎて資源を求めて国同士が争ったり、環境を壊した結果住めなくなってしまったからだとか。でも、展望室から眺める地球は教材で見る過去の映像と同じく、青く綺麗に見える。

 それに、あたしのパパや向こうで生まれた彼のように、地球で暮らす人間は今も結構いるらしい。

 彼の話だと、防護服なしでは外には出られないし、物資もここよりだいぶ少ない。それでも除染作業に勤しみ、いつの日かまたみんなで地球で暮らせる日を迎える、その手伝いができていると思うと、すごく誇らしい気分になれるんだって、彼は話している。その笑顔は眩しすぎて、あたしも彼が誇らしくなる一方で、チクチクと胸の奥に痛みを感じる。

 

『やあ、おはよう』


「うん、さっきぶりだけど、そっちはもう朝?」


『ううん、でも日付は変わったから、だからおはよう。それに、君にはおはようが似合うよ』


「ふふっ、意味がよくわからないけど嬉しい。ああ、いいなぁ……」


『ん? 何が?』


「なんか、そっちのほうが生きてるって感じがして、あ、気に障ったらごめん……」


 物資不足や汚染の影響で、地球で暮らす人たちの寿命は月で暮らすあたしたちよりも短いらしい。


『ふふっ、何を謝っているかよくわからないけど、平気だよ。それに、確かに僕は生きている。君とこうして会えると、それを強く感じるよ』


「うん……あたしも、生きている」


『それで、お母さんは? 声、平気? 聞こえたりしてないかな?』


「ああ、うん。もう寝てる。はぁー、あなたのことをママに話せたら、こんな風にこそこそしなくて済んで楽なのになぁ」


『ふふっ、そうだね。いつか紹介してもらいたいけど今はダメ。この通信は』


「違法だもんね」


『うん、ふふっ』


「え、なぁに?」


『なんか嬉しそうだね』


「あはは、まあね。悪いことってなんかいいじゃない。だってここじゃ、犯罪とか無理だもの。見張られてるって訳じゃないけど知った顔が多すぎて、自由がない感じだし、何かすると、その話がすぐに広まっちゃうし……あ、前回、気持ちの悪いあのおじさんが抽選に当たって消えてくれたのはよかったけど、息苦しいよ、ほんと」


『ふふふっ、まあ、それはこっちも似たようなものかな。外は開放的だけど、まあ、防護服を着ているから、やっぱりあまり快適じゃないかな』


「あはは、そうだねぇ。こっちも外といえばバギーを走らせるくらいかな。もちろん宇宙服を着て、隣には係の人が乗ってて、いちいち指図されるんだよ。全然気晴らしにならないっての」


『ふふっ、じゃあ似た者同士だね』


「そうだね。あはは」


 あたしと彼との出会いは唐突だった。別の区域に移った友達と基地内通信を終えた瞬間、急に彼が通信に入ってきた。あたしはすごく驚いて、きっとすごく間抜けな顔をしていたはずだ。そのことにすぐに気づいたあたしは、手で顔を覆った。でも、目だけは彼をしっかりと見つめていた。だって驚いたっていうのも、彼がすごくカッコよかったからだ。

 通信装置を自作し、地球から月への通話を試みたんだと彼は言った。これは違法だから秘密にしてと、片目を閉じて指を唇の前に持ってきた彼はとっても――


『おーい、また、ボーっとしてるよ』


「あ、うん、ごめんねっ、あはは……」


 ああ、会いたい。会いたい、会いたい、会いたい……。

 最近は友達と全然通信してないから、ママに「夜中、誰かと話してたの?」って聞かれたとき、友達を言い訳にしづらい。彼のことがバレてしまったら、この関係はお終いだもの。だからいつも彼との通信は、ママのいないときか寝ているときにおそるおそるしているんだ。ああ、こんな画面越しじゃなくて、もっと近くでたくさん話がしたい。直接会って、話して、抱きしめてもらって、ふたりで笑い合って、それからずっと……。


『――いね』


「え? ごめん。またボーっとしてて聞いてなかった……」


『遠い目をしてるねぇって』


「ああ、ふふ、そうね……でも、本当に?」


『え?』


「本当はなんて言ったの? ちょっと違った気がして」


『……遠いね』


「あ……うん」


『……会いたいね』


「うん」


『会えるかな?』


「うん。うん」


 そうだ。あたしは彼に会いたいんだ。何をおいても、誰を置いても……。



『今回、見事抽選に当たり、地球行きが決まった皆様。六番ゲートの前までお越しください』


 六番ゲートの近くまで来たあたしは後ろを振り返り、ママのことを見た。ママはビクッとしてまた今にも泣き出しそうな顔をした。ママはあたしが抽選に当たったと知ったときからずっとこんな感じだった。


「ねえ、ママ。あたしは大丈夫だから心配しないで」


「なんで……なんで……あなたが……」


『なお、規則により、月と地球間での通信は行えないため、ご家族ご友人の方々とのお別れを済ませることをお勧めします』


「あ、向こうでパパに会ったらママのことしーっかりと伝えておくね!」


「……パパのことなんて……どうでもいいの」


「えー? どうでもいいって、やっぱり家族だしさ」


「あの人はあなたと私を置いて他の……その……とにかくどうでもいいの」


「そう……でもまあ、また会えるかもしれないしさ。ね? ほら、地球の除染活動っていうの? それも結構進んでるみたいでさ」


「……なんで、そんなことがあなたにわかるの?」


「え? あはは、だってもうずっとやってるんでしょ? そりゃそうでしょ。あはは」


「そう……ね……。でも、なんであなたが当選なんて……」


 さすがに、彼にシステムをハッキングしてもらったなんて言えないなぁ、とあたしはママと抱き合いながら思った。

 また、胸の奥がチクチクする。これが背徳感ってやつなのかな……。でも、後悔はない。


「いつか、いつかママも行くからね」


「……うん。すごいなぁ」


「え?」


「ううん、なんでもないっ。じゃあ、またね」


「ええ、また……」


 すごい、チクチクがなくなっちゃった。ママと彼のおかげ。たぶん、これが愛ってやつなんだと思う。


「ママ、愛してるからね!」


「ええ、ええ、ママもよ。あなたのことを愛してる……」


「ふふふっ、あっ、向こうに着いて少ししたら通信するね。もちろん、内緒だよ」


「えっ……?」


「じゃあ、またね。行ってくる!」


 あたしはゲートをくぐり、地球行きの連絡船乗り場に向かった。通路で一度だけ振り返ると、ママはポツンと立ってあたしのことを見ていた。通信のことをほのめかしちゃったけど、たぶん大丈夫だよね。ああ、彼のことを紹介したらきっとママも喜ぶだろうな。



『連絡船にお乗りの皆様。シートベルトを着用の上、座席の取っ手にしっかりとお掴まりください。間もなく発射いたします』


 ――いよいよ、彼に会えるんだ……


「彼? 彼氏が先に地球に行ったの?」


「え? あ、あたし、声に出してました? あはは、えーっとまあ、そういう感じです、はい」


 あたしは隣に座るおばさんに話しかけられて、そう答えた。


「ふふっ、いいわねぇ。実はあたしもね、向こうに彼氏がいるのよ」


「え、へぇー! 意外、あ、いや、そうなんですね」


「実はね、あっ! うーん、でもまあ、もう話しちゃっていいか……。これはね、内緒なんだけどね、実はある日突然、地球から通信が入ってきてね」


「え?」


「彼ったらハッキングしたんですって! もう、ワイルドよねぇ、そういうの好き好き! 月で暮らす女と地球で暮らす男の運命の恋……。遠く離れたその距離が今、縮まって、そしてやがて二人の距離がゼロになったとき、それはもう、うふふふふふふ」

「ああ、彼女に、彼女に会える……」

「やっとだぁ、ミカたん……」

「ああ、早く早く会いたい……」

「運命……」


 あたしは胸の奥、心臓がぎゅっと握られたような感覚がした。背筋が冷たい。何か変だ。この船に乗っているみんな、もしかして、でもなんで、どうし――


『間もなく大気圏です。月の人口抑制のため、尊い犠牲となるあなた方には深く感謝申し上げます』


 ――月は綺麗だ。月だけは……。

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