『閉まる心の扉』
本来ならば結核で死んでいてもおかしくない。
そこへ、偶然リックハートが通りかかり、偶然『一昨日開発した術』で結核の治療をしてもらい、偶然の重なりでご縁に恵まれ運よく巫女になれた。
よくよく考えれば船の行先がラヴァゴート、というのも出来すぎた話だ。
信心深い者が聞けば
「それは神のご加護だろう。」
というかもしれない。
しかし、ここまではとんとん拍子だったが。
無論、現実は甘くなかった。
環境が変われば関わる人間も変わる。
ラヴァゴートの人々は皆ポジティブで開放的
大和村の陰湿な村民とは全く正反対だ。
育った環境と、これから生活していこうと決めた環境。
隔たりはなかなか大きい。
それに加えハルカは適応能力が非常に低く、なかなか場になじめずにいる。
友達と遊んだり、大人と話す機会の少なかったハルカは
あまりにもコミュニケーションの経験値が少なかった。
ハルカが巫女の一員となり、皆の前で挨拶した時。
他の巫女は皆口をそろえて
「変な子。」
と言った。
そして今もその印象は変わらない。
人と話すことはおろか、目を合わせることすら苦手とする。
他の巫女達には、そんなハルカの存在をどうも不快に感じる事が多いようだ。
「根暗。」
「おどおどして要領が悪い。」
「見ているとついイライラしてしまう。」
「ちょっと強く言えば、何でも言う事を聞いてくれそう。」
小心者で作り笑いが下手な彼女は、マイナスな印象がどんどん付け加えられていった。
気の強い周囲が悪いのか、それとも他者のサディスティックな部分をくすぐるハルカが悪いのか。
ハルカの出した答えはこうだ。
___不出来な自分が全て悪い。
ハルカの心に出来たしこりのような物は頑固で、今も膨張し続けている。
自己肯定感は地の底まで低く、しかしそれを認められず抗い
自分を責め続けるひどい人生だ。
彼女は生き方においてすごく不器用なのだ。
(私は峰子じゃない。役に立てる・・・。)
しかし、名を変えたところで人は簡単に変われない。
(きっと、役に立てる、誰かの役に立てる・・・。)
母から幾重にも浴びた『役立たず』という言葉が心にこびりつく。
強い劣等感は彼女の心の大半を巣食っていたのだ。
***
巫女の生活のルーティンはシンプルなもの。
一日のうち、食事と入浴以外はほとんどが祈祷の時間である。
巫女には特別な修行は無い。祈祷こそが修行だ。
丸一日の修行を終えた巫女達は、ささっと入浴を済ませ
神に就寝前の祈りを捧げる。
そしてベッドに入りすっと眠りにつくのだ。
無駄な事をしている時間は無い。
翌日も、その翌日も、朝は早く祈祷の時間は長い。
睡眠不足で祈祷の間居眠りをしてしまうなど、あってはならないのだ。
そして午前5時、起床の時間だ。
まだ陽も登りきらない時刻から、身支度を整え礼拝堂へ向かう。
礼拝堂の作りは、教会をイメージしてもらえばわかりやすい。
入口からまっすぐ、細く長い絨毯が敷かれ、その先には教壇がある。
左右には長椅子が何列も並ぶ。
巫女達は一番手前の長椅子に座り、祈祷の準備を始める。
・・・とはいえ、巫女は10人ほどしかいないため、最前列以外の長椅子はほこりを被っているのが現状だが。
巫女長が入室し、教壇の前に立つ。
「皆さんおはようございます。朝の祈祷を始めましょう。」
巫女長はティンシャという法具を手に持ち、チリン、と鳴らした。
祈祷の始まりだ。
神の恩恵とは、例えば『治癒』『風水』『五感強化』など。
得れる能力は人それぞれ違う。
一見魔術と似ているが、大きく異なる。
魔術士は自分の体内のエネルギーを術として使うが
巫女は神の恩恵をエネルギーとして術を使う。
神への信心を何よりの条件とする巫女は
能力の最大値、最小値が大幅にブレる。
万一神を疑う事があれば、最悪得た能力は全て失うのだ。
・・・ここだけの話、ティンシャはチベット密教の法具だ。
この空間は多国籍というか、無国籍というのか・・・。
ティンシャの音を合図に、祈祷が始まる。
(神様を信じなきゃ、信じなきゃ、信じなきゃ)
ハルカは心の中で強く念じた。
大半の巫女は
この祈祷で新しい能力が開花したり、能力が強化されたりする。
(何か能力を得ないと、ここでも居場所を失っちゃう)
これがハルカの本音だ。
能力を得るには、神の存在を心から信じ、神に寄り添う事。
しかしハルカは表向きはどんなに念じても
本心では神の存在を否定している。
ハルカの本音は、どんなに隠せど神には伝わっているだろう。
そんなエセ神職者に、神が加護を与えるわけがない。
(神様、神様、神様、信じてます、信じてます)
ハルカは祈祷の度、無我夢中で祈っていた。
ただの『信じてます』という言葉の羅列を。
それから二時間ほど。
巫女長がチリンチリン、とティンシャを鳴らした。祈祷終了の合図だ。
ハッとしてハルカは顔を上げる。
(今日こそは何か能力が)
ハルカは急いで両手を見た。念を込めてみる。
しかし何も起こらなかった。
「・・・ハルカ、言いにくいんだけど」
隣に座っている巫女仲間が、ハルカの様子を見て切り出した。
「・・・はい・・・。」
彼女の名はステラ。
低身長、短い髪をちょこんと二つに結んでいる。
童顔でもあり子供に間違えられる事もある彼女だが
巫女としてキャリアを積む立派な成人だ。
頬にあるそばかすがコンプレックスで
ファンデーションを厚く塗っているがどうも隠しきれていない。
「ハルカは巫女に向いていないんじゃないかなぁ。」
ステラの言葉に、ハルカは黙ってうつむいた。
「・・・。」
他の巫女達も周囲に集まってくる。
「うーん、どうしたらいいかなぁ。」
ステラは困ったような顔で、優しそうに語り掛ける。
気づけば周囲に立つ巫女達が
長椅子の端に座るハルカを見下ろす形になっていた。
「普通なら祈祷が終われば気持ちがスッキリして、何か力を得たような、守られている感覚になるの。
どう?」
「・・・・何も、ありません・・・。」
集団の横を、巫女長が通りすぎた。
コツコツと派手なハイヒールの音を鳴らしながら。
「あ、巫女長様!ハルカさんは相変わらず・・・」
ステラが呼び止める。
巫女長は一瞬足を止めて
「困ったものね~~。」
とだけ言って礼拝堂を後にした。
さきほど祈祷の合図を行っていた巫女長。
前述した通り、巫女達を仕切る高僧である。
年の程は四十代だろうか。体つきはまるで鶏ガラのような痩せ型。
短い髪にパーマをあて、くるくると強く巻いたヘアスタイルが印象的だ。
唯一神職免許を持つ彼女は、一般の巫女と違って袴の色は紫。
厳しくもあり、時にやさしくもある・・・だがその一方
よく癇癪を起こす癖もあり、機嫌の悪い時は誰も近寄らない。
「巫女長様、なんだかイラついてたね。」
ステラはハルカの隣に立つ人物に話しかけた。
「そりゃそうよ。
ここまで神への祈りが届かないなんて前例はないもの。」
彼女の名はグレイス。
腰まである艶やかな髪。そして高身長で整った顔立ち。
誰もが認めるスレンダーな美人だ。
その目元はミステリアス、そして下唇の横にあるホクロが色っぽい。
巫女の中で一番強い能力を持ち、巫女長にも気に入られている。
そつなく何でもこなす彼女は、エリートなのだ。
ハルカの周りに立つ巫女達は、口々に問い詰める。
「ハルカ、ちゃんとお祈りしてる?居眠りしてないよね?」
「信仰心が足りないんじゃない?」
「神様の存在を疑ってないよね?」
「もしかして過去に犯罪したことない?」
「神様を怒らせたことある?」
「このままじゃハルカが着てる巫女装束もかわいそうだよ?」
「ねぇ聞いてる?」
「ハルカのために私達言ってるのんだよ?」
「ねぇ聞いてる?聞こえてる?」
一気にまくしたてられ、ハルカはうつむいたまま
袴の膝の部分をぎゅっと握った。
「ダメだこれ。私達が何言っても伝わらないよ。」
カ〇ワなのかな。
誰かがぼそっと呟いた。
それに釣られ皆くすくすと笑う。
彼女らは肩をすくめ、呆れた。
「皆さ、泣きながら修行がんばってるんだよ?」
グレイスがしゃがみ、ハルカの顔を下から覗き込む。
終始語尾が疑問形なのが、やけに高圧的だ。
「ハルカもさ、故郷で大変だったよね?
でも私たちも大変だったんだよ?皆神様に救われたんだよ?」
「・・・もう、巫女、やめます。」
ハルカは絞りきるような声で言った。
すると、えっ!!と大きな声があがる。
何でも簡単に挫折するのはハルカの悪い癖だ。
「ごめんごめん!つらくなっちゃった?
大丈夫だよ~!私達ついてるから!」
一緒にがんばろ?ステラは明るく言った。
またもや周囲からくすくすと小さな笑い声が聞こえる。
グレイスも困ったように笑い、言った。
「すぐに落ち込んで投げ出したら何も成功しないよ?
元気だしていこう?」
ただでさえ女性の集団というものはもめごとが多い。
それなのにストイックな集団である彼女らは
陰湿ないじめでストレスを発散している部分もあるのだろう。
グレイスは立ち上がり、その場にいる皆に言う。
「さ、朝食の時間だよ。今日は私が当番だから、さっさと作っちゃうね。」
「うれしい!グレイスの作るご飯は
いつもの粗末なご飯でも美味しいんだよね!」
ステラは子供のように喜ぶ。
精進料理を『粗末な食事』と言ってしまう巫女も、どうなのだろう。
彼女らはぞろぞろとダイニングへ向かった。
扉が鈍く大きな音をたてる。
ハルカにとってはそれが、彼女らの心の扉を閉める音のように聞こえていた。