『ハルカの過去・3』
「王子と呼ぶなって、ちょっと待って下さい。
つっこむところそこですか!?
呼び方がどうとかじゃなく、この浮浪者は結核ですよ!?近づいては・・・」
「一昨日さ、ちょうど新しい術を開発したんだ。」
付き人の制しをするりと避け、リックハートは峰子の横にしゃがむ。
彼が人差し指を立てると、緑に光り始めた。
そしてその光が峰子の体の中へと入っていく。
「これで治るんじゃね?」
リックハートはあっけらかんと言った。
***
峰子は布団の中で目を覚ました。
布団といっても、大和村の寝床とは違う。
長細い台の上に布団が敷いてある。不思議な寝具だ。
上半身を起こすと、そばにいた人物が驚いた。
「こいつは驚いた・・・本当に生きてるなんて。」
全身を白い布で覆うような服装をしており、とりわけ奇妙な眼鏡とマスクが不気味だった。
「咳は・・・?出ない?血は?えぇ・・・?」
峰子はわけもわからずきょろきょろと辺りを見回していると、そこへリックハートが現れる。
「あ、総長・・・危ないですよ、防護服を着ないと」
「大丈夫だ、問題ない。」
リックハートは峰子の前に立つ。
「ここはラヴァゴートの医務室だ。わかるか?」
峰子は相変わらず目を丸くし、はいともいいえとも言わなかった。
「お前は結核に感染していたんだ。だけどもう完治しているから心配するな。」
医者は口を挟む。
「びっくりしましたよ・・・。彼女の症状は結核そのものだ。
しかし、体には全く異常が無い。」
「術なんてそんなもんだ。そのうち医者はいらなくなるかもな。」
「シャレになりませんよ・・・。」
峰子は不思議そうに彼らのやり取りを見ていた。
続いて女給仕が入室し、食事と衣類を置いた。
「とりあえずこれに着替えて飯を食え。」
カーテンをしめ、給仕に手伝ってもらいながら着替えを始める。
着替えを済ませた後、給仕はカーテンを開け、食事を促した。
峰子はベッドに腰かけながら、目の前のテーブルに置かれた『食事』を見つ
める。
飲まず食わずの状態が続き、空腹はとっくの昔に限界を迎えていた。
それまでは極度の緊張で、空腹など感じたことはなかった。
しかし、今そこにある『食事』は非常にうまそうに見える。
甘い匂いが鼻腔をくすぐり、腹がぐうと鳴った。
つついてみるとふわふわしている。
ほんの少しちぎり、まじまじと見、においを嗅ぎ、口にほおりこんだ。
それは西洋の菓子『パンケーキ』。
「おいしい・・・。」
ここに来て、峰子は初めて言葉を発した。
もう一つ小さくちぎって口に入れる。
結局3枚重ねられたパンケーキを全てたいらげた。
「落ち着いたところで、ちょっといくつか聞かせてほしい。」
リックハートはベッドの横に立ち、峰子と向かい合う。
事情聴取が始まった。
「・・・ふむ。ヒイズル国の、上総にある村の出身
船に忍び込んでここまで来た・・・ということか。歳は?」
「・・・十九です。」
「なんだ、同い年か。名前は?」
峰子は一瞬目を泳がせてから、答えた。
「『ハルカ』です。」
リックハートは彼女の一瞬の怪しい素振りを見逃さなかったが
「ふーん。まあいいか。」
いつもの適当さで流した。
故郷と名前を捨て、偽名で新しい人生を歩む人間などいくらでもいる。
「で、これからどうするんだ?」
数秒沈黙した後、二人同時に言葉を発した。
「それじゃあ」「あ、あの!」
リックハートが、どうぞ、と先をうながした。
すいません、と小さく言った後
「ここは、ラヴァゴートですよね?私、巫女になりたいのです。」
「巫女?何故だ?」
リックハートは訝し気な顔をした。
「私は、ラヴァゴートの巫女さんの噂を故郷で聞きました。
神に仕えるとても優しい方々だと。」
そんな事無いと思うけどなぁ・・・。
リックハートは宙を見ながら呟く。
「よし、じゃあ巫女達がいる礼拝堂へ行ってみるか。」
二人は医務室を出て行った。
一人ぽつんと取り残された医者は、あきれ顔でため息をついた。
「全く。総長は昔から捨て猫とかほっとけないんだよなぁ。」
フンと鼻で笑い、使用人を呼んだ。
「アレが食べ散らかしたテーブル、あと床とベッドを掃除してくれ。
布団や枕はクリーニングへ。
きちんとアルコールで除菌するんだぞ。」
***
城の中は広い。
この総長と呼ばれる男とはぐれたら、一瞬で迷子になってしまうだろう。
(大和村が何個入っちゃうんだろう・・・。)
ハルカはきょろきょろと周りを見回しながら、後をついて廊下を歩いた。
廊下を歩く使用人や兵士が皆、立ち止まり頭を下げ挨拶をする。
(この赤い服の人、すごい人なんだ・・・。)
改めて後ろ姿をよく見る。
結核を一瞬で治してしまうほどの力の持ち主。
そして貴族たる堂々とした風格。
「ここだ。」
リックハートは両開きの大きな扉を開けた。
一歩踏み入れば、これまた別世界のようだ。
高い天井、左右に並ぶ長椅子。
まっすぐ歩くと教壇があり、その後ろにマドンナリリーの像がある。
ハルカはきちんと手入れされたマドンナリリーの像に見入っていた。
(大和村の獅子神様の像とえらい違いだ・・・。)
「あの~・・・何か用?」
ふと声をかけられそちらを見ると、巫女装束を着た中年女性が不審そうにハルカを見ていた。
「あ、え?あの」
しどろもどろするハルカは、ここまで道案内をしていた赤い服の男を探した。
「ここは勝手に入っていい場所じゃないの。出て行ってちょうだい。」
「あ・・・ご、ごめんなさ・・・」
奥の扉が開き、リックハートがこちらに歩み寄る。
「相変わらず古い聖書しか置いてないんだなあ。時代遅れだ。」
「あら総長、急になんですか?勝手に書斎を物色しないでと何度言ったらわかるんです?」
中年女性はツンとした態度で言った。
「ごめんごめん。それはさておき
この子が巫女になりたいと言うから連れてきた。
ほら、仲間になりたそうに見つめているだろう。
巫女長のところで面倒見てやってくれないか?」
「そんな簡単におっしゃらないで下さい。巫女だって一般兵の扱いなのですよ。
志願兵選抜試験を受けていただかないと。」
巫女長はピシャリと言い放った。
どうやらこの二人はあまり仲が良くないようだ。
「こういう言い方はしたくないが」
リックハートが首を傾けると、帽子の奥の碧眼が見えた。
コホン、と一つ咳をし、巫女長の耳元で囁いた。
「ロイヤルコッペパンハーゲンのティーセット一式でどうだ?」
巫女長は大の茶会好き。茶器コレクターでもある。
ロイヤルコッペパンハーゲンは、茶器マニアには憧れの高級ブランドだ。
つまり、彼は弱みを突いたわけだ。
「高僧である私を物で釣れるとでもお思い?
よりによって皇室の方が、神を愚弄する行為とは!」
巫女長の声は震えていた。
「じゃあティースタンドも付けよう。」
尚も食い下がるリックハートに、巫女長はぐっと押し黙る
「うーん、そういえばキルフェボヨンの茶菓子も会議用に発注すると言ってたなあ。
少々多めに発注してもらう事も出来るけど。」
リックハートは顎に手をあて考え込むフリをしながら、巫女長をちらりと見た。
これは賄賂だ。駆け引きだ。
「巫女長には普段から世話になってるからなあ。
こっそり個人的に菓子を渡す分に問題は無いんだが。
でも巫女長は高僧だから受け取れないんじゃ仕方ないか。」
巫女長は声だけでなく、全身を震わせた。
「し、仕方ありませんわね。この子がここへきたのも何かのお導き。
こちらで修行僧として励んでいただきましょう。」
しかめっ面と喜びが混在した不気味な表情だ。
「よし、決まりだな。じゃあ、えっと・・・ハルカだっけか。明日から修行頑張ってくれ。」
このやり取りを、ハルカはぽかんと見つめていただけだった。
「じゃあ俺はやる事があるから帰る。あとはよろしく。」
そう告げて、彼は礼拝堂から出て行った。
___こうしてハルカは巫女となった。
しかし、彼女がリックハートのコネで巫女になったのはすぐ噂になった。
「総長に色目使ったんじゃないの?」
と噂される事もあったが、ハルカは見てくれがいいわけでもない。
「おばあ様が床に臥せられてから、私も介護のために納屋から出る事が許されました。
ある日八百屋へお使いへ向かった時、たくさんの女性に囲まれている男性を見ました。
彼の名は蔵之介。西洋にとても詳しい方です。
彼はこんなみすぼらしい私にも声をかけてくれて、西洋が如何に素晴らしいか
そして西洋の神職者の心の温かさについて教えてくださいました。
だから、私は巫女になろうと決心したのです。
心温かい神職者様たちならば、私を侮蔑しないだろうと。」
ハルカからこの身の上話を聞かされた巫女達は唖然とした。
つまり、神に近い存在になろうとしたのではなく
ただ優しくされたかっただけという下心のみで行動したのだ。
おまけに神の存在を信じないという価値観の持ち主なのに。
神からのご加護が得れないのも、当然の事なのだ。