『ハルカの過去・2』
葬儀など執り行われるわけがない。
村人は荷車を用意し、こづ恵を乗せ、峰子と夜の山へ向かった。
ある程度登ると、そこそこ開けた場所へとたどり着く。
村人は荷車を乱暴に倒し、こづ恵の亡骸を地に転がせた。
「さっさと埋めちまいな。」
そう言い、峰子を一人残して山を降りていった。
本来ならば峰子一人で、大人ひとり分の穴がたやすく掘れるわけがない。
日中に、村人が周辺の土を柔らかくしておいたのだ。
___峰子への、最後の温情なのだろう。
こうして峰子は天涯孤独となった。
これからは誰にも縛られず、自由に生きていける。
しかし、何もかも母と祖母に決められてきた峰子には
自分の意思で動くという事が出来なかった。
やり方が、わからないのだ。
独りぼっちになった家で、ぼーっと物思いにふける。
家財道具はほとんど無くなっていた。
無駄に広い家に、こづ恵の寝ていたせんべい布団だけが残っている。
峰子は部屋の中をゆっくり見回した。
(もう家には何も無い。家にある物は、全て売り払っっちゃったから・・・。)
それもそのはず、父孝介が失踪した後は収入など無い。
確かに富豪であったが
金銭を始めすべてにずぼらだったこづ恵はすぐに貯蓄を使い果たし
生活に困り、高価な着物や帯などを質屋に入れたのだろう。
これからどうしようか、峰子が途方に暮れていると
はらり
薄汚れた布が降ってきて頭に被さった。
「わっ・・・何これ?」
その布を手に取り広げてみる。
「どこから落ちてきたの?天井にでもくっついてたのかな・・・。」
不思議な事だ。
タイミングを見計らったように、峰子が一人になった時
何もない空間から一枚の布が現れた。
峰子はその布をじっと見つめる。
見た事のない不思議な模様。
ハンカチのように薄い布ではなく、少々厚めで柔らかいものだった。
その布には『ハルカ』と刺繍がしてあった。
(ハルカ・・・?)
峰子はその刺繍を見て、何か引っかかる物を感じた。
その刺繍を指でなぞった時、急に大きな音が鳴り始めたのだ。
キイイイイイイイーーーーー
(!?)
峰子は慌てて耳を塞いだ。
しかしそれは耳鳴りのようで・・・だが何かが違う。
耳をふさごうとも意味は無かった。
その音は脳内で鳴り続ける。
(なんなの・・・!?)
視界は点滅し、次に
ゴオオオオオオオーーーー
という音が響く。
意識を失いそうになりながら、その時ある光景を見た。
ある女性に抱かれ、見上げている。
自分の手は小さく、その小さい手で女性の顔を触ろうとしていた。
褐色の肌、水色の着物、黒い髪。
目元は見えないが、唇は薄く、形が良かった。
その唇が動き、抱かれている自分の名を呼んだ。
____ハルカ。
「!!」
大きく息を吸い、目を見開く。
気づくと視界は見慣れた部屋に戻っていた。
甲高い耳鳴りはもう聞こえなかった。
(私はお母様の子供ではなかったんだ。そして、峰子は本当の名ではない。
・・・本当の名前は)
不可思議な事だが、自分が赤子である時の記憶が蘇ったのだ。
次の日の夜、彼女は村から旅立った。
未練など無い。
この村には彼女にとって嫌な思い出ばかりが詰め込まれた土地だった。
着の身着のまま、荷物など無い。
だが一つだけ、天から降ってきた布を大事に懐にしまった。
これはきっと実母との唯一の繋がり。
生きていれば、いつか会えるかもしれない。
ハルカはお守りとして、大事に持ち歩こうと決めた。
出来るだけ遠くへ・・・村から離れられれば行先などどうでもいい。
ただひたすら歩み、雨露を飲み喉の渇きを癒した。
山を降り切ると、海岸に出た。
そこには一隻の大きな船が停泊している。
彼女は樹木の影に隠れ、目を輝かせ船を見つめていた。
子供たちが笹の葉で作っていた小舟とはわけが違う。
大きな大きな貨物船だ。
船の周りでは、大人達が忙しそうにせっせと荷物を運んでいる。
もっと近寄って船を見たかったが
そんな事をしたら怒られてしまいそうだ。
(そうだ、これに乗れたら
ずっとずっと遠くまで行ける事が出来るかもしれない。)
自暴自棄になっていたのか、それとも罪の意識すら無かったのか
峰子は船に忍び込む。
倉庫の奥、積まれた木箱やら樽の隅で身を隠す。
やがて船は揺れ、岸から離れ航海へ出る。
船酔いがひどかったが、胃の中には吐く物など無い。
そのうち峰子は意識を失ってしまった。
ボーーーーッ
(ん・・・?)
汽笛の音で目を覚ます。
(揺れが止まってる・・・。どこかの船着き場に着いたのかな・・・。)
船は目的地へと着き、港に止まっているようだ。
足取りはふらふらしているが、歩けないほどでは無い。
乗組員が荷物を運び出している隙に、またこっそりと船から脱出する。
(ここはどこだろう・・・)
目の前に広がるのは大草原。はるか遠くには地平線が見える。
峰子は全てから解き放たれた感覚を得た。
(・・・私、自由になれたんだ・・・。)
深呼吸をし、風のにおいを感じる。
コホッ
急に深呼吸をしたからか、咳が出た。
ゴホッゴホッ
口の中で鉄の味がする。
ゴホッゴホッ
何かにむせて、慌てて口に手をやる。
グブッ
峰子は両手を見た。
血で真っ赤に染まった、自分の手。
(あ、そっか。)
峰子は察し、観念した。
グブッゴボォッ
自由になれた、そんな感覚は幻だった。
喀血は止まる事なく、あっけなく膝をつき倒れる。
(草の香り、いい香り・・・。
こんな大きな草原が見れただけで、それだけでも)
峰子は結核に感染していた。
(それだけでも、うれしい・・・。)
峰子の口からまた咳と共に血が溢れる。
(つらい人生だった・・・。)
自分もこづ恵のように死ぬのだろう。
目に涙が浮かび、瞼を閉じると流れた。
未練など無い。
自由の無い彼女は、何を望めばいいのかわからなかった。
____役立たずも同然だよ!
あれは母の声
____何一つやり切った事も無い癖にへらず口を!
あれは祖母の声
(ごめんなさい・・・。)
彼女は死の間際まで、心に鎖を巻きつけていた。
それからどれほど時間が経っただろうか
そこへ偶然、白馬に乗った男が通りかかった。
血にまみれ倒れている峰子を見かけ、彼は白馬から降りた。
「おい、大丈夫か?」
その男は峰子に近づこうとした。
しかし、咄嗟に付き人が止める。
「なりません、王子。この者は肺結核です。近づいたら感染します。」
あー、と呑気に応える『王子』。
付き人は、王子も状況を察し、近づく事をやめるだろう、と判断した。
「王子と呼ぶなって言っただろう。俺は騎士団総長に就任したんだ。」
騎士団総長 リックハート
つい三ヶ月ほど前、十九歳という若さで騎士団総長に就任。
見た目は真っ赤なサーコートに肩当てをつけ
これまた真っ赤な羽付きシャッポを被っている。
魔術を得意とし、後方からの攻撃に長けるため重い鎧や鉄仮面などは身に着けない。
髪の毛は金色、目の色は澄んだ青だ。
整った顔立ちから、女性からの人気は高い。
しかし
「いいか、赤っていうのは相手の攻撃性を高める事が出来る色なんだ。
攻撃性が高まればおのずとミスも多くなる。だから俺は赤い服を着るんだ。」
そんな事を平然と言う変わり者でもある。
女性からは「クールで素敵!」と言われる反面
男性からは「斜に構えていけ好かない」と言われる事も多い。
そして、実は彼はラヴァゴート国の第一王子。
両親亡き今、妹のソニア王女が女君主に即位した。
リックハートは
「俺は国を治める事に向かない。俺が国王になったら大変な事になるのはわかるだろ?」
周囲は大きく頷いた。
何故なら彼のマイペースで破天荒な性格を、誰もがよく把握していたのだ。
こうして自ら皇位を妹に譲り
その代わり騎士団総長へ就任し、妹の補佐にまわったというわけだ。