『静かな幕開け』
こちらの作品は『アンモニカ』の続編となります。
少しでもお楽しみいただければ、幸いです。
目の前に墓標が並ぶ。
その数は四つ。
老婆はその墓標をじっと眺めていた。
彼女の心境を察せる者など、きっといなかろう。
安堵と後悔、言葉に出来ない複雑な・・・
あまりに長い長い時間だった。
長い長い時間を耐え忍び、仲間の元へ帰ってきた。
老婆は言った。
____ただいま。
***
海沿いにある広大な草原の中心、大きな城がそびえたつ。
外観は白を基調とし、細部までこだわった装飾が施されている。
中世イギリスを彷彿させる、美しい城だ。
『ラヴァゴート』
辺り一帯はこの国の領地。
その拠点となるのがこの城、ラヴァゴート城だ。
城を中心として形成された城下町があり、その町もこれまた大きく栄えたものだ。
洒落た建物が並び、たくさんの花壇が町を彩る。
商店街には肉屋、魚屋、八百屋、多くの店が並び、常に新鮮な食材がそろっていた。
だがこの町の良さは暮らしやすさだけでは無い。
いつ何が起これど市民に被害が及ばぬよう
守りも固く、町も城と同じく分厚い城壁に囲まれている。
城下町の人々の笑顔は、皆輝いていた。
そんな様子を見ながら、一人の女が歩いている。
長くもなく短くもない黒い髪、歳は二十一。
背丈は高くもなく低くもなく、成人女性の平均ほど。
だがやや細身ではあった。
顔立ちは可もなく不可もなく。
どこにでもいるような平凡な女だが、彼女の衣服には特徴がある。
白い小袖に鮮やかな緋袴。
髪を一つに結い、結び目には熨斗飾が飾られている。
彼女がまとっているものは、いわゆる巫女装束だ。
***
この道を抜ければ広場に出る。
城下町の真ん中に位置する、大広場だ。
栄えた町の大広場というだけあり、相当広い。
レンガで出来た洒落た地面、手入れのされた花壇。
木々は茂り、ベンチが並ぶ。
木陰で読書をする者、赤ん坊を連れて散歩する婦人
はたまた若い男女が仲睦まじくデートをする姿も見かける。
広場の中央、そこには最高神『マドンナリリー』の像がある。
マドンナリリー。全知全能の女神だ。
アイボリー色の女神像は、いつ見ても神々しい。
まるで聖母、ここで暮らす人々を温かく見守っているかのようだ。
像の周囲は百合の花が植えられており、初夏の頃には花がいくつも咲く。
彼女は像を見上げ一つため息をついた。
(神様なんていないよ。)
女は女神像から目を逸らした。
見ているだけで胸やけがしそうだったから。
一つ、大きな風が吹いた。
目に砂が入らないよう、まぶたをぎゅっと瞑る。
一枚のチラシが、風にのって女の顔に張り付いた。
女は顔から紙を剥がし、文面を読む。
『ラヴァゴートに栄光あれ。
神に祈りを捧ぐ者は神のご加護が得られるでしょう。』
(どうせ皆、心のよりどころを探してるだけ。
神様なんてものが本当にいたら、人生はこんな苦労の連続じゃないよ・・・。)
彼女はチラシを丸め、ポケットにしまい再び歩みだす。
ラヴァゴート、巫女見習い。
名を、ハルカという。
***
ラヴァゴートの特徴、それは『身体能力を高める修行の場』。
繊細できらびやかな城の外観とは裏腹に、武術が盛んな国である。
『ラヴァゴートの兵士』という肩書は若者の憧れでもあり
故郷から自らの意思で志願しに来る者は多い。
しかしこの国は、決して戦を好むわけではない。
自らの肉体を鍛えたい、そう思う者が集うストイックな国だ。
そうして、ラヴァゴートは
高い戦闘力を備えた兵士により成り立ってきた。
剣術、槍術、弓術、鉄砲銃、など、武器を用いた武術はもちろんのこと
中には物理的な戦い方だけではなく、特殊能力を扱う兵もいる。
自然を操る者、対象を操る者、傷を癒す者、神の力を身に宿す者・・・。
武術とは違い、スピリチュアルな能力だ。
この特殊能力を扱う役職は、今のところ二つだけ。
一つは自らの生命エネルギーを糧にして術を扱う『魔術兵』。
もう一つ、神に祈りを捧げ、神力を身に宿し術を扱う者を『巫女』という。
兵士という無骨なものとは縁遠いものに感じるが
ラヴァゴートで修行するからには兵士として扱われている。
巫女は女性のみで編成された少々特殊な兵団だ。
生活の場は礼拝堂。
巫女の修行の場が礼拝堂というのは、いささかおかしい。
本来巫女は神社にいるものであるし、礼拝堂にいるのは修道士だ。
東洋の文化である巫女。
間違った伝わり方でもしたのだろうか
和洋折衷、西洋の文化と東洋の文化が混ざり合う希少な存在。
ステンドグラスの光に照らされる巫女。
これには批判より賞賛の声が多い。
そのあべこべがまた美しい、との事だ。
これだけでも随分特殊な兵団であるが、巫女にはもう一つ大きな特徴がある。
祈りを捧げる事で恩恵や加護を得る巫女であるが
その中でも徳を積み鍛錬に励んだ選ばれし巫女は
『アンモニカ』という儀式を行い、自らの体に神を降ろす。
そして、神が降りた巫女は『神薙』と呼ばれ、神の使いとしてその役割を務めるのだ。
***
このハルカという巫女、そしてラヴァゴート国。
人々の記憶には無いが
この一人の巫女がこの国との関わりを持った事で
凄惨な歴史へと繋がる事があった。
事の発端は、ハルカが『アンモニカ』を行った事。
その身に神が降り、ハルカは絶大な力を手に入れる。
しかし彼女が降ろしたのは邪神であった。
神を降ろすというのは、あくまで『共存』する事。
しかし、ハルカが邪神を食ったのか、邪神がハルカを食ったのか・・・
ハルカは邪神と『融合』し強大な力を手に入れ、無差別な殺戮を始めた。
ハルカに殺された者は少なくない。
人々は彼女を『邪神ハルカ』と呼び、恐れた。
ラヴァゴート国は混沌の渦に巻き込まれ
上層部はハルカの殺戮を止めようと、いや、ハルカを仕留めようとした。
人は神になれない。
彼女と親しくしていた者は、彼女から邪神を引きはがし救おうと努力とした。
だが、神の領域には届かない。
ハルカを止めるには、殺すしかなかったのだ。
邪神ハルカは多くの命を奪ったのち、一柱の神に仕留められる。
ハルカの心臓は止まり、邪神はその体を離れた。
そして平和が訪れた・・・はずだった。
空は赤く、水は濁り、植物は枯れ、・・・この世界は滅亡へ進みだす。
星は『死』に向かっていたのだ。
この星はもう救われる事は無い。
このまま全ての生命は死に絶えるであろう。
ハルカを親しく想う友が涙を流した時、ふと目の前に輝く階段が現れた。
それは『過去へ戻る』階段だった。
過去への旅行ではなく、自らが過去へと逆戻りする。
若返るといえばわかりやすいだろうか。
ハルカが邪神にならなければ、世界は滅ぶ事は無かった。
過去に戻り、ハルカにアンモニカを受けさせなければ、星が滅亡する事は無いのだ。
邪神ハルカを仕留めた神は、ハルカの亡骸を抱え
星の運命を変えるため階段を昇り始める。
そしてハルカは母親の腹の中へ戻り、再び産まれた。
つまり現在ハルカは、人生を始めからやり直している途中、という事になる。
この真実を知る人間はいない。
発端となったハルカですら、すでに死んでいたため記憶を持っていないのだ。
ハルカを滅した神、そして過去へ導いた神、もう一人の正体不明の男。
二柱の神と一人の男だけが、このむごたらしい歴史を覚えている。
***
「礼拝堂の時計が止まってしまったの。修理に出してきて頂戴。」
ラヴァゴート巫女の代表、『巫女長』からそうお達しを受け
ハルカは時計屋へ向かっていた。
広場を抜け、まっすぐ一本道。
その突き当りを左に曲がると、そこには小さな時計屋がある。
「ごめんください。」
カウンターには時計屋の主人、ダイキリが立っている。
「やぁ、いらっしゃい。」
にこやかにダイキリは挨拶をした。
真っ白になった頭髪をオールバックにし、口ひげをたくわえた老人だ。
頬は垂れ、小鼻の両脇から口元にかけてのしわが目立つ。
しかし腰が曲がる事もなく体格が良い。
きりっとした眉に、時折見せる眼光の鋭さが魅力的である。
『ダンディ』という言葉が似合う男だ。
さぞかし若いころは浮世に名をはせた人物なのだろう。
いや、今でも中高年の女性から人気なのかもしれない。
「修理をお願いします。」
彼女は、担いできた大きな時計をカウンターに置いた。
ダイキリは時計の様子を見て、ふむふむ、と呟いた。
「ここまで一人で運んできたのかい?重かっただろう。
すぐに直ると思うから、明後日頃お届けするよ。」
ハルカは申し出を断った。
「いえ、私が引き取りに来ます。」
「そうかい?・・・じゃあ待ってるよ。」
店内には普通の腕時計や置時計から、アンティーク時計まで
所狭しと並んでいる。
「他の巫女さん達とはうまくやってるかい?」
「えぇ・・・まぁ・・・。」
ハルカの返答は歯切れが悪い。
ふと窓の外を見ると、日が落ちかけ随分暗くなっていた。
他にも食材の調達を頼まれている。
早くお使いを済ませ帰らねば、夕飯の時間に間に合わない。
「それじゃ、失礼します。修理よろしくお願いします。」
「あぁ、気を付けて帰るんだぞ。」
ハルカは礼拝堂の裏口のドアを開け、中に入った。
「ただいま戻りました。」
今日の食事当番の巫女二人が、ハルカの姿を見て挨拶を返す。
「おかえりなさい、お疲れ様。」
買い物袋と余ったつり銭を渡し、ハルカは奥へと引っ込む。
ハルカが帰ってすぐ日は沈み、時計の針は六時をさしていた。