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「これが科学の行きつく果て……かい?」
ガリレオは、人造湖で眠る人々に憧れの眼差しを向けつつ、サグレドへ訊ねた。
「いや、まだこれからさ。だから、君にここへ来てもらった」
「君達より遥かに劣る知識しかない僕が、何かの役に立てるの?」
「人類がこの先、科学を更に追求すべきかどうか、アドバイスが欲しいんだ」
「え?」
「言語の多層化は、今も続いている。我々は時を自由に行き来するテクノロジーを既に完成させ、もう少しで宇宙の謎の全てを解明する所まで来ている」
「……宇宙の全てを」
「だが、そこへ到達するには更なる進化が必要だ。人造湖の脳同士を完璧にリンク、並列処理を行うコンディションを十分整えた上、有機コンピューターとより緻密な接続を行う必要がある。その過程で、繋がる科学者は個人としての感情を失わねばならない」
「完全に機械の一部になるのか!?」
「ああ、もう人型のサイバーボディに戻れないし、有機コンピューターと意識下のレベルで結ばれたまま、死ぬまで共生しなければならないだろう」
「……そんな状態で、人はまだ人と言えるの?」
「25世紀の全科学者を代表し、僕らはそれを、君に尋ねたい」
サグレドとシンプリチオは、立ち尽すガリレオに跪き、恭しく頭を垂れる。
「君なら例え人間としての己を捨ててでも、新たな知識を求めるか? それとも現状に満足し、探求の途を放棄するのか?」
「進化の分岐点で迷う我々に、16世紀の迷妄と戦い続け、後世に科学の父とまで呼ばれた君、ガリレオ・ガリレイの意思を示してくれ!」
ガリレオはもう一度、湖に沈む多量の脳を見やった。
深く頷き、答えを告げる。それは彼にとって何ら迷いを伴わない自明の結論である。
「僕を、あの機械に繋げ!」
サグレドとシンプリチオは、驚いて顔を見合わせた。
「もう我慢できない! 僕の知らない知識の全てが、あそこに有るんだろ? 繋がりさえすれば、時も、宇宙も、何もかも理解できるんだろ?」
ラテンの熱い血が又も暴走した。
ガリレオはコンソールへ飛びつき、機器の如何を問わず、手当たり次第に片っ端から弄り始める。
「止せ、ガリレオ!」
サグレドとシンプリチオが、過去から来た若者を抑え込もうとした時、一際大きい真紅のスイッチが押された。
緊急ブザーが鳴り、閃光が走った刹那、全てを闇が包み込んでいく。
又、時間が動いたのだ。
16世紀でも、25世紀でもない、歪んだ時の狭間の中で。
1582年4月、ピサ大学のミサが終り、広場へ出た若者達の中に大きく背伸びをする若きガリレオがいた。
何事も無かった顔で歩き出す。
だが、もし友人の一人が彼に近付き、後頭部の髪を丹念にまさぐったとしたら、硬い金属スイッチの感触をそこに見出す事だろう。
「……フフッ、結局、歴史に名立たる偉人の好奇心や知識欲を、僕らは甘く見ていたという事だろうね」
元になる肉体のデータを解析、完全に再現した上で機械化を果したガリレオの義体内部で、サグレドの脳が呟く。
本物のガリレオ・ガリレイは、未来の知識を得たい一心で時空干渉装置へ触れ、機器の暴走に伴う衝撃波で自らの身体を失った。
その挙句、25世紀の人造湖に沈む脳髄となる道を選択、有機コンピューターに繋がれている。
予想外の形だが、「科学の父」の答えは出たと言えよう。
一方、ガリレオの身代わり役に志願し、新たな義体で16世紀へ残る事となったサグレドは、乱れた時空を修復しつつ、歴史上の役割を引き継がねばならない。
それはサグレド個人の選択と言うより、他に選択肢の無い苦肉の策であったが……。
澄んだトスカーナの青空を見上げ、彼はいずれ体験するであろう出来事を、指折り数え始めた。
1616年、1633年に待ち受ける異端審問も悪くは無い。
でも、彼にとって最も興味深いのは史上まれなる病原菌カタストロフの一つ、まもなくヨーロッパ全土を襲うペストの蔓延である。
今は幸せそうに見える町の住人達が、如何に迫り来る絶望と対峙するか、じっくり観察しなきゃ。
サグレドは微笑み、歩を進める。
真理の探究へ向かう人間の好奇心……時に善悪の彼岸さえ超える、その本能的な欲望を胸の奥に滾らせて。
読んで頂き、ありがとうございます。
次回はまた「IF」の要素を入れた歴史物に挑戦してみたいと思います。良かったら、そちらもご覧ください。
宜しくお願い致します。