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意識を取り戻した時、ガリレオは暗く静かなホールで、卓へ顔を伏せていた。
僕、大学のミサに戻ったのかな?
ぼんやり思いを巡らせながら鈍痛の残る頭を上げ、周囲を見回してみる。
そこはピサの聖堂より狭かった。
学生の姿が無い代り、祭壇奥に枢機卿らしき高僧がおり、正門前で衛兵が鋭い睨みを利かせている。
そして、シャンデリアの灯火が照らずホールの外側、闇に包まれた領域より厳かな法衣をまとうシンプリチオが現れて、ガリレオの正面へ進み出た。
「弁えよ! 何て不謹慎な行いだ」
いきなり叱責され、ガリレオは未だ焦点の合わない目で審問官を見返す。
「被告の分際で神聖なる異端審問の最中、居眠りをするとは言語道断」
「……被告!? 僕が、ですか?」
「ガリレオ、貴様以外に誰がいる。我らの住まう地球が宇宙の中心ではないと、声高にのたまう者など」
シンプリチオは抱えた筒から巻紙を取り出し、大きく広げた。それは天動説に基づく図で、プトレマイオスの唱えた星の動きが緻密に描き込まれている。
「かのアリストテレスも記しておる。主のまします我らの地球こそ、永遠に変わらぬ『不動の術者』であると。なのに貴様は、手製の望遠鏡を弄し、地球が太陽の周りを回ると言う」
「……望遠鏡なんて、僕は知りません。それにプトレマイオスの説が間違っていると主張した覚えも無い」
ガリレオは必死で訴えた。
天動説と対立するコペルニクスの地動説は1543年の著作「天球回転論」に記されており、ガリレオも内容を知っていたが、只、それだけの事。
「何より僕、まだ学生です」
「学生? つまらん冗談は止せ、皺だらけの爺ぃの癖に」
当惑し、額に滲む汗を拭った時、ガリレオは己の掌が、若者らしい張りを失っている事に気付いた。
見れば、深い皺を刻む老人の手だ。
「あの……今、西暦何年ですか?」
「無論、1633年に決まっておろう」
ガリレオは絶句した。
何時の間にか51年の時が経過している。大学前の広場で、ほんの一時、意識を失っただけなのに。
その時、背後から接近した人影が、震える彼の肩を優しく叩いた。
「ねぇ、空間や時間は、人の感じる通りじゃないと言ったよね?」
振向くガリレオに、若々しい学生の顔を保ったまま、サグレドが微笑む。
「……君、生きてたの!?」
「オイ、怪物を見る様な目は止め給え」
「カラクリ仕掛けの男を、怪物以外に何と呼ぶ!?」
サグレドは肩を竦め、横目でシンプリチオを見た。
彼を追う筈の審問官は何故か沈黙を保ち、高僧や衛兵も全く動かない。張り詰めた静寂が聖堂を包み、ガリレオの動揺を一層掻き立ていく。
「……もう君が怪物でも悪魔でも良い。この嘘塗れの世界を消せ! 何もかも君の魔術の産物だろ?」
「全部が全部、嘘じゃない」
懇願するガリレオに対し、答えるサグレドの声は微かな憐みを含んでいた。
「52才と66才の二度に渡り、君が異端の誹りを受けるのは歴史上の真実さ」
「僕の未来でか!? それは、何故だ?」
「君は独自の工夫で望遠鏡を作り上げ、天文学へ情熱を注ぐ様になる。木星、金星、太陽黒点の観測で成果を挙げるが、観測結果から地動説を確信し、ローマ教皇庁に睨まれてしまうのさ」
「……裁きの結果は?」
サグレドは小首を傾げて見せる。
聞くまでも無い事、とその仕草が告げていた。
「……負けるの?」
「その上、保身の為に自説を捨て、異端誓絶文を大衆の前で読み上げさえする」
「……嘘だ」
呟くガリレオの声は掠れ、殆ど聞き取れなかった。
見た目の老いに拘らず、その胸で18才の理想が燃えており、己の変節を認めたくないのであろう。
「確かに僕は、君に翻弄され放題の阿呆さ。でも大学で真理の探究に目覚め、一生の仕事にしたいと夢見ている。心に秘めた誓いを裏切ったりはしない。どんなに年老いても、決して!」
ガリレオは気持ちが昂るまま、サグレドの胸元を鷲掴みにした。
「又、僕を壊す気?」
「壊せるものなら壊したい。だが、もうその喉に詰まる林檎は何処にも無いだろ」
「おい、シンプリチオ、笑ってないで何とかしろ」
向いの席では、冷静沈着な態度をかなぐり捨て、審問官が腹を抱えている。
「あ、お前もサグレドとグルか!? 化け物の一味なんだな」
「フフッ、お望み通り、我々の魔術をご覧にいれよう」
シンプリチオが指先を鳴らし、その瞬間、辺りは漆黒の闇に包まれた。
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