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第三話

 身体を貫く銀色の刃を呆然と見つめる。

「がっ…」

 流れ落ちるおびただしい液体。

 その絶望的とも言える光景に、わななく唇を辛うじて動かし、少年は呪詛の言葉を紡いだ。

「…がびーん…」

 …意味がない。

 橋の欄干に腰掛けたレグナは、竿の先にぶら下がったイトミミズを見つめながら肩を落とした。

 彼が居るのは二叉路からさらに二時間程進んだ街道の途中である。

 イブリース達のペースはかなり速く、剣を一振りと小さなリュックを背負っている以外に大きな荷物を持っていないとは言え見るからに華奢な少女であるシェラが平然とそのペースを維持していた事には少々驚いた。(同じ少女でもシュミラは別だ。彼女は限り無く少年に近い。などと考えていたら何かを察知したシュミラから肘打ちを食らった)

 まあ何と言うか、正直疲れた。腹も減ったし。

 レグナが早くも旅に同行した事を後悔し始めた頃、その気持ちを察してか否か狭い幅の川に架かるこの橋に差し掛かった所で昼食も兼ねて休憩と相成った訳である。

 準備の役割分担としては、元気なシュミラが野草取り。か弱いシェラが薪拾いでイブリースは当然シェラの護衛だ。

 そして魚釣りがレグナ。

 一番動かなくてラッキーなんて思ってたら一匹も釣れやしねぇ。

「ホントに魚なんているのかよ」

 竿の先端から釣り下がった糸の先でグッタリと脱力したイトミミズがクルクル回る。

 こんな事なら釣りはシェラに譲れば良かった。

 何度目か分からない後悔をする。

 そもそも最初は釣りはシェラ達の役目で、それを動きたくない一心で掠め取ったのがレグナなのだから、この仕打ちも激しく自業自得劇場ではある。大体薪拾いなど二人もいらないだろう。

「くそっ」

 毒づきながらも一応気を取り直して竿を振るう。

 一度竿のしなりに引っ張られて後方に飛んだイトミミズが次の瞬間綺麗な放物線を描いて川の中ほどに落ちる。

 浮きの木片がスルスルと流れて行く。

「釣れたかい?」

「釣れないよー」

 不意にかけられた言葉に適当に返事を返しつつ、振り向くといつの間に帰っていたのかシュミラが袋一杯の山菜を抱えて立っていた。

「お、大漁じゃん」

「任せなさい」

 さすが食べ物の事には人一倍鼻が利く。

「えー?そんな事ないよ。その辺食べれる野草でいっぱいだったよ?」

 シュミラはいかにも心外ですと言った口調で袋を放り出した。閉じ切らなかった口から入り切らなかった野草がこぼれ出る。

「わっ、何ホントに釣れてないじゃない」

 下手ね〜と呟くシュミラ。

 うるさいな。魚なんかいないんだよ。

 っとその時。

 まるでレグナをあざ笑うように魚が宙に跳ねた。パシャっと心地よい音が響く。

「………」

 絶句するレグナを見て爆笑するシュミラ。黙らせたいが竿から手が離せない。

「くくっ…。て、手伝ってあげようか?」

 余程ツボにはまったのか目に涙まで浮かべている。

「…良いよ別に。いるのは分かったんだから」

「そうね。一人で楽しようとしてたんだから自業自得だわ」

 …ムスッとしていたレグナはさらに顔をしかめる。

 バレてやがった。

 そりゃあれだけ騒いでればねと呟き、シュミラは欄干に頬杖を着いた。

 サラサラと水が流れる音がする。

 そよ風が静かに頬を撫で、シュミラの髪から香る甘い匂いが流れて来る。

 他には鳥の鳴き声しか聞こえない心地よい静けさが支配していて、レグナは思わず唾を飲み込んだ。

 …何この沈黙。

「…あの、何かあった?」

 恐る恐ると言った感じでレグナは声をかけた。

「ん〜?」

 などと言いながらシュミラは物憂げな表情に熱っぽい溜め息まで吐いて川を眺めている。

 レグナは何か恐ろしいものを見たように体を震わせるとぎこちない動きで水面に顔を戻した。

 おかしい。

 有り得ない。

 あの年がら年中元気娘で、事あるごとにレグナを殴り食べ物さえあれば機嫌が良いと言われるシュミラに物思いにふけるなんて繊細な感情があるとは到底…。

 そこまで考えたところで突然シュミラに背中を蹴り飛ばされた。不安定な姿勢だったレグナは突如襲ってきた衝撃に成すすべなく欄干から滑り落ちる。

「私が物思いにふけったら悪いか!!」

 顔を真っ赤にしてシュミラが怒鳴る。どうやら口に出ていたらしい。

 ギリギリで欄干を掴んで転落を免れたレグナは、余計な事を言った事を後悔しつつ普段通りの姉の姿に内心ホッとしていた。

「で、どうしたのさ」

 欄干をよじ登りながらレグナは聞いた。

「う…うん。あのさ…」 と、歯切れ悪く呟いたシュミラがまたあの気持ち悪い表情を浮かべる。

 もう口は滑らせまいと心に刻みつつ、レグナは釣竿に結ばれた糸を手繰り寄せた。先程の騒動で餌が外れてしまったので別のイトミミズを付けるべく欄干の上に乗せた皿に手を伸ばす。

 必死の抵抗をみせるイトミミズに苦戦していると、それまでモゾモゾしていたシュミラが顔を上げた。

「ねえ、あの二人どう思う?」

「どうって言われても…」

 あれからなんやかんやと動き続けていたので実はまだシェラ達にあまり詳しい事情を聞けていなかったりする。

 まぁ確かに。

 考えてみればちょっと解せないところもあるにはある。

 今のアルストロメリア王国は大戦で敵対した国々とも積極的に融和政策を取る、軍事国家だったアインツとは180°方針を異にする平和主義国家であったりする。

 十二自治区も半分が独立と言う目的を果たし、残りの半分も吸収こそされたがそれに近い権限を与えられているそうな。

 むしろ魔法使学園などの施設を有している分国力としては優位なので、独立した事を後悔した自治区もあったと言う話だ。

 そんな訳で、現状他の国との関係が良好であるアルストロメリア王国に侵攻しようとする国は無い。

 と言うか、九年も続いた大戦がやっと終わって疲弊しきっているのに、敢えて他国からの非難を受けてまで敵対する意味が無い。

 せっかくアルストロメリア王国が国と国の調和なんて面倒くさい事をしてくれているのに、下手にちょっかいを出して大戦の火種を作るような事態はどこだって避けたいはずだ。

 しかし実際にアルストロメリア王国のお姫様は逃亡中で、レグナ達の目の前で何者かの襲撃を受けている。

 国と国の問題では無いなら、考えられるのはクーデターか。

 だがこれも時期が悪い。今はまだ戦後の復興の真っ最中だ。アルストロメリア王国は国王の信用と政治手腕で各国と交渉を続けているので、このタイミングで政権を奪取したところですぐに立ち行かなくなって破綻するのがオチだ。

 レグナは白銀色の鎧を身に着けていた騎士の姿を思い出す。

 彼は自分達はI.C.Eだと謎の言葉を残していったが、はてさて?

 まぁシェラは何の事だか分かっていた様子だったし、後で確認するとしてと。

 それにしても、反対するシェラを無理矢理押し切って付いて来たのに今さら疑うのはあんまりだと思うのだが。

「や、そうじゃなくて、さぁ」

 しかしシュミラはまた俯いてモゾモゾと身体を動かすと、何が恥ずかしいのかゆっくり顔を上げた。

「あの二人、付き合ってるのかなぁ」

「……はぁ!?」

 あまりと言えばあまりに予想外の発言に思わず声を上げたレグナの手からやっと掴んだイトミミズが滑り落ちた。

 命からがら脱出したイトミミズを、水に落ちる寸前で飛び上がった魚が捕食する。

「あぁ、くそっ!」

 毒づくレグナをシュミラはもはや眼中にはとどめていなかった。

「だ、だってさ!だってさ!!お姫様を守る為に恋人がいっしょに旅するなんてロマンチックじゃない!!」

 ウットリと宙を見つめるシュミラは瞳に星まで浮かべそうだ。

 いきなり何を言い出すんだこいつは。

 思わず頭を抱えそうになる。呆れて溜め息も出ないレグナは皿のイトミミズとの格闘に戻った。

 横ではシュミラがまだ何かわめいているが知った事か。

 大方頭の中には禁断の愛とか結ばれぬ恋とかそんな情景が浮かんでいるに違いない。

「まあ確かに単なる主従関係って感じでも無いけどね〜」

 レグナは適当に答える。でしょでしょっ!とこんな時ばっかり話を聞いていたシュミラが飛び跳ねるが知るか。

 ようやく餌を付け終えた釣竿を振り抜く。空を切る甲高い音が響き水面に落ちた浮きがゆっくり流れて行く。

 それを眺めながらレグナもシェラ達の事を考えた。と言っても別にシュミラみたくロマンス的な夢想をしている訳では無くて。

 友人同士、と言うにはシェラの態度がおかしいし、しかしイブリース本人は臣下だと言っていた。そのくせ主導権はイブリースにあるような節もあるし確かに考えてみれば奇妙な二人ではある。

 ―ま、後で二人に聞いてみれば良いか…っと!!―

 考え事をしつつも小刻みに動かし続けていた浮きが沈んだ。

「来た来た来た来た来た来たぁ!!」

 直後、釣糸が一気に水中に引き込まれ竿の先端が大きくしなる。

「でかしたレグナ!!」

 あまりの引きの強さに欄干から落ちそうになったレグナを背中に抱き付くようにしてシュミラが支える。

「逃がしたら承知しないわよ!!」

「当然!!」

 竿を通して伝わる引きの強さからみてこれは相当の大物だ。

 レグナはグッと竿を引く。だがここで焦って引き過ぎてはいけない。

 無理に引けばせっかくの獲物から針が外れてしまったり最悪糸が切れる事もある。

 ここからは持久戦。先に息が切れた方が負ける。

 伸縮式の釣竿がギシギシと頼りない軋みを上げる。

 どれくらい経っただろうか。数十分か、あるいは数十秒しか経っていないのかも知れない。

 その時、フッと手に伝わる引きが軽くなった。

 その瞬間、それまで菩薩のような顔をしていたレグナの表情が変わった。

 今だ。

「うぅおりゃぁぁぁぁ!!!」

 突如鬼のそれと化したレグナが一気に竿を引いた。

「引け!!全力で引きなさい!!!」

 シュミラが声援を送るが、力が入り過ぎたのかレグナの腹に回している腕がメリメリとめり込んで来る。

 痛い。

 魚も必死だ。これまで以上の激しい抵抗を釣竿が折れんばかりにしなり、そして鯖折りを食らっているレグナの背骨も折れそうだ。

「…もうダメだ…」

 遠のく意識の隅で「来た!!」とシュミラの喚声が聞こえた気がした。

 次の瞬間、激しく飛沫を上げていた水面が割れ、ついに魚がその巨体を宙に踊らせた。



 この時既に二人の頭の中からシェラ達の関係の事などきれいさっぱり忘れ去られていた。






―Crystalline-Cell "SAGA2"―【戦空の魂】



第三話



『覚悟の形』






 ―何やってんだあいつらは…―

 イブリースは橋の上で騒いでいる二人に目を向けて思わず溜め息を吐いた。

 追っ手は引き離したとは言え、今が逃亡中だって言うのを分かってんのかねぇ。

「どうしました?」

 何故か木の根を引っ張ってうんうん唸っていたシェラが、イブリースの様子を不審に思ったのか顔を上げた。

「いや、昼飯の心配はしなくても良さそうだ」

「?」

 首を傾げイブリースの視線を追うが、元よりこの位置からでは橋は見えなかった。

 イブリースは広げた魔法学フィールドの感知圏越しに『観て』いたので間の障害物はあまり関係が無いのだ。

 実際に目で見てる訳では無いのでそちらに目を向ける必要は無いのだが、何となく気になる方には目を向けてしまうものだ。

 二人が林に入ったのは薪拾いの為だが、この時期枯れ木なんぞは探すまでも無く嫌と言う程落ちている。

 シェラは気付いていないようだがそもそもこんな薪拾いに二人もいらなかった。

 作業を初めてからものの数分で袋はいっぱいになってしまった。

 なので以降アウトドアの要領が分かっていないせいで袋が半分も埋まっていないシェラをダラダラ手伝いながら、イブリースは周囲を警戒していた。

 とは言え状況からして刺客に襲われる心配はまず無いと思われるので、こうしてフィールドの広げているのもあの姉弟に自分達の居場所を教えている意味合いの方が強かった。

「あの二人、どう思いますか」

「ん?あぁ、実は刺客でしたってオチは無いみたいだ」

 一応盗聴はしてたけれど、さっきから馬鹿な会話しかしていない。

「いえそうではなく、と言うか疑っていたんですか?」

 意外とばかりに目を見開くシェラ。しっかりしているようでこの妙な警戒心の薄さが世間知らずで危なっかしい。

「そんな、私はあなたが連れて行けと言うから…」

「俺は好きにしろって言ったんだ。別に連れてけなんて言ってないよ」

 パッと頬を染めたシェラは何かを言おうとしたが、結局「いじわる」と呟くとそっぽを向いてしまった。

 その子供っぽい仕草にイブリースは僅かに声を出して笑ってしまった。

「…何がおかしいのですか」

 頬を膨らましたままシェラが横目で睨む。

「いや。まぁ面白い奴らだとは思うよ」

 シェラの視線から逃れるようにイブリースはギャーギャー騒いでいる姉弟に意識を向けた。

 興奮し過ぎて弟を鯖折りにしている事に気付かないシュミラと、姉を引き剥がそうにも釣竿を離す訳にもいかずもはや声も出せなくなっているレグナ。

 奔放を絵に描いたような二人だが、それがシェラに年相応の少女らしい変化を与えているなら良い事だ。

「そんな事言って、本当は結構気に入っているのでしょう?」

 シェラの言葉にイブリースは昨日の光景を思い出す。

 絶対的に実力の差があるイブリースに、決してシェラを見捨てて退くと言う選択をしなかった二人。

 迷いのない真っ直ぐな視線を向けられたのは随分久し振りな気がする。

 自分も昔はあんな瞳をしていたのだろうか。

 あの長すぎた戦争は、一人の少年を殺人機械にするには十分な地獄だった。

「それはそうとして、本当にあの二人を連れて来て良かったのでしょうか」

 イブリースが何かを言う前にシェラが口を開く。

「私達の事情とはまるで無関係なあの二人を危険な目に会わせると言うのは、私はやはり。それにあの二人の制服は…」

 そこでシェラは瞳を伏せた。

「言いたい事は大体分かるよ。ただこっちの事情だけで言うなら、使える戦力が増えるのは助かるな。昨日の鎧レベルの奴等がもう一回来たら正直俺一人じゃ厳しい」

「やはりあなたでも厳しいのですか」

「どんなに強力でも戦車一台じゃ千の歩兵には勝てないさ。誰かを相手にしている間に他の奴に押し潰されちまう。威力の問題じゃない」

 と、それを聞いた途端シェラは突然吹き出した。

「何だ?」

「いえ…ふふっ、すみません。あなたらしい例えだと思いまして。つまりあなたは単に力比べだけなら千の歩兵と匹敵するだけの戦力を、たった一人で持っていると言う訳ですね?」

 それは心外。まるで自分の強さに溺れているようではないか。

 もちろん負けるつもりなどは無いが。

 そう言ったら、今度こそシェラは声を上げて笑い始めた。よほどツボにハマったのか目に涙まで浮かべている。

 笑い過ぎだ。

「ああおかしい。まったく、あなた程頼もしい護衛は他にいないでしょう。分かりました。私は戦いの事は何も知りませんから、あなたが厳しいと言うのならきっとそうなのでしょう。幾つか懸案事項がありますが、この後食事をしながら考えましょうか。どの道後一つ峠を越えれば伯父の国です。この旅もそんなに長くは無いですしね」

 それでは早く薪を集めないといけませんね、とシェラは再び木の根との格闘に戻った。

 そろそろ教えてやらないと気の毒だ。

 ―それにしても―

 イブリースは姉弟が持っていた武器を思い出す。大戦の最前線で様々な兵器を見て来た彼も、あれに類する兵器を見た事は無い。それに父親はあの白銀の鎧と知り合いだと言う。

 ―ま、何か秘密がありそうな奴等だけどな―

 イブリースは、大きな魚を抱え、びしょ濡れになりながらひっくり返って楽しそうに笑う姉弟を観ながら、ぽつりと呟いた。



     ●




「私はシュミラ・メルキオット。こっちは弟のレグナよ。歳は二人とも十三歳。よろしくね」

 橋のそば、川が見下ろせる街道沿いの草むらでシェラ達一行は焚火を囲んで遅い自己紹介をしていた。

 結局あの後魚は一匹しか釣れず、シュミラとレグナが半分ずつ。イブリースはいらないと辞退したが、シェラが一匹丸ごとなんて食べれないと言うのでこちらも仲良く半分ずつ分け合う事になった。

 シュミラが集めて来た野草とキノコ。イブリースが僅かに残しておいた干し肉と特製のスープが今日の昼食だ。

 昨夜も飲んだがこのスープ、中々侮れない。

 ベースはさっぱりとしたオニオン系のスープなのだが、今日は摘んで来た野草と刻んだ干し肉まで入っていて正直絶品である。

 やはり本物の大戦を乗り切った人はサバイバルの腕もひと味違った。

 ちなみにシュミラ達も野ウサギやら野狐やらの肉を薫製にしたり干したりして携帯していたのだが、道中食べながら歩いているから大抵二日もしない内に空っぽだ。

 空腹には勝てない。

 シュミラは上品に魚を口に運ぶシェラの姿を眺めながらそっと自分のお腹を擦るのだった。

「同い年と言う事は二人は双子なんですか?」

 シュミラの微妙な乙女心に気付く事も無く、シェラが話を続ける。

「ううん。レグナとは血が繋がってないの。戦災孤児だから。私は赤ちゃんの時に、レグナは三つの時に父さんに拾われたのよ」

 それを聞いたシェラは形の良い眉をスッと寄せた。

「そうでしたか。それは失礼な事を聞いてしまいましたね。ごめんなさい」

「そんなそんな!別に慣れてるしシェラが謝るような事じゃないってば」

 シュミラ達にとっては物心が付くよりも前の話だし、正直自分で言っていても実感が湧かない話だ。こちらが恐縮してしまう。

「でも、それでは二人のお父上と言うのは」

「ああ…。それはちょっと説明が必要よね」

 シュミラは少しだけ気まずそうに視線を外した。

 さて困った。

 まさかシェラがアルストロメリアのお姫様だとは夢にも思わなかったので、うっかり父親云々の話をしてしまったがシュミラ達の義理の父親のジルギアは旧アインツの首都アルストロメリアを壊滅させた大罪人だ。

 それは同時にシュミラやレグナの本当の両親を殺した大戦の遠因を作った張本人でもある訳で、大っぴらに口にできる名前ではない。

 最終的にアルストロメリア王国が独立するきっかけとなった大戦だったとは言え、アインツの首都アルストロメリアの住人はアルストロメリア王国の末裔でもあったはずだ。

 同族を殺されて良い気持ちのする人間は居ないだろう。

「どうしました?」

 シェラがシュミラの顔を覗き込むようにして言った。訝しく思ったと言うよりは急に黙ってしまったシュミラを心配している様子だった。

 ―やっぱり綺麗な瞳―

「体調でも悪いんですか?」

 その美しいエメラルドグリーンの瞳に見蕩れ、訳も無く幸せな気分になっていたシュミラは、本格的に心配したシェラの声で我に返った。

「い、いやいやいや、何でもないのうん、ごめんなさい」

 あまりの恥ずかしさに思わず場違いに大きな声を出してしまった。

 びっくりしたシェラが目をまん丸くする。

 そのシェラの隣で魚を咥えたイブリースが軽く鼻を鳴らすように笑い、一連の様子を見ていたレグナが軽く額を押さえていた。

「あ〜、姉さんじゃ話が進まないから俺が説明するよ」

 ぴーぴー怒るシュミラを無視してレグナが話を引き継いだ。

「確かに俺達が探しているのは血の繋がった父親じゃないよ。しかもすぐに育ての父親に引き取られたから戸籍上も義父でも何でも無いしね」

 だからメルキオットも育ての父親の姓なんだ、とレグナは繋げた。

「ではわざわざ血の繋がらない父親を探しに二人だけで旅をしていたのですか」

 シェラが何とも言えない微妙な表情になっている。

 無理も無い。シュミラだって他人の話だったら同じ顔をするだろう。

 何でまたそんな面倒な事を、とはシェラはさすがに言わなかったが。

「うん。俺も何でこんな面倒の事してんのか三日に一回くらい分からなくぐぁっ!」

 気が付いたらシュミラはレグナの脇腹を蹴り飛ばしていた。

 あんたが言うな。

「げほっ。ま…まあほら、俺は拾われてからすぐに育ての父親に引き取られたから父さんと暮らした思い出なんて無いけどさ。姉さんは三つまでは二人だけで暮らしてたんだから、会えるなら会いたいって思うのが自然じゃないかな」

 取り繕っているのか元々そう言うつもりだったのか微妙な感じだが、それなりに理屈は通っている。

「なるほど。確かにそうかも知れませんね」

 シェラも一応納得してくれたようだ。

「それにしても、あそこでたまたま私が襲われている所に出くわさなかったらあなた達は何の当ても無く旅をするつもりだったんですか?」

「まさか」

 シュミラは苦笑いしながら首を振った。

「ちょうど出張から帰って来た学校の教官が、こっちの方で父さんらしき人を見掛けたって言ってたから。その街まで行ったら後は人に聞きながら色々周ってみようと思ってたのよ」

「教官、ですか?」

 ああ、それはまだ言ってなかったかとシュミラは思った。

 その一瞬だけ空気が変わった事に気が付くべきだった。



「そう。私達アルテイルの魔法使学校の学生なのよ」



「?」

 レグナはふと違和感を感じ、シェラの顔を見る。

 だが、

「そうですか、それは随分遠くから。二人だけでは大変でしたね」

 と、シェラは労うような笑顔を浮かべた。

 その様子に不審な点は無いように見える。

「…」

 確かにシェラの返事が不自然に遅れた気がしたのだが。

 シュミラの反応を伺おうと顔を向けると、シュミラはシェラの顔を見つめてうっとりしていた。

「だあぁ!何やってんだよ姉さんは!」

 だがシュミラは隣りで叫んだレグナの事など意識の端にも上らないようだ。

 思わず溜め息を吐く。何だか一人で警戒して馬鹿みたいだ。

 まぁ、気のせいだったかな。

 そう思い直すとレグナはスープをおかわりをする為に鍋に手を伸ばした。

 『アルテイルの魔法使学校』と聞いた瞬間、シェラの表情が僅かに強張った事に彼らは気が付かなかった。




     ●




「はぁん。これがビットねぇ」

 イブリースはシュミラのビットを手の中で転がしたり日の光に透かしてみたりしていた。

 食後、鍋も空っぽになりすっかり人心地ついた感じだ。

 上品にハンカチで口元を拭うシェラの隣で、イブリースはシュミラのビットとレグナの剣を観察している。

 道具好きなのかその目は興味津々と言った感じで、心なしか表情も和らいでいる気がする。

 最初の印象が悪過ぎたせいかシュミラはどうもこの黒一色の男が苦手なのだが、レグナは気にならないらしく先程から男の隣で質問に答えたりしていた。

「驚いたな」

「ふぇっ?」

 急に話し掛けられて変な声を出してしまった。

「結晶体加工の事だよ。この剣もそうだが、アルテイルにこれだけの技術があるとは驚きだ」

「はは、確かにそうね」

 実はビットも剣もジルギアから貰った物なのだが、当然そんな事は言えない。

 つい誤魔化す様な曖昧な答え方をしてしまったがイブリースはさして気にしている様子は無かった。

 先程もうっかり教官がジルギアを見た、なんて事を口走ってしまったばかりだ。そこを言及されたらかなり困ってしまうところだった。意外にもシェラはそこを突いてはこなかったが。

 どうにも自分はこう言う駆け引きみたいなものは向いていない。

 しばらく黒い手袋を填めた右手でビットを転がしていたイブリースだが、不意にその手を少し離れた所に生えている木に向けた。

 ちょうどビットの先端が指先を向いている。

 その黒い手袋に赤い光が流れたと思った次の瞬間、パッと空気が弾ける音がした。

「…はっ?」

 一瞬何が起きたか分からなかった。

 気が付けばビットはイブリースの手の上からは消えていて、カッと軽い音を立てて木の幹に穴を開けていた。

「な…え?今何したの?」

 余りにも有り得ない光景を目にしてシュミラは慌てた。レグナもポカンと口を開けている。事情を知らないシェラだけがきょとんとしていた。

「何って、結晶体を起動しただけだよ。別にお前だって一々ビットに命令を送ってる訳じゃないだろ」

「そりゃそうだけど…」

 イブリースはさも当然のように言ってのけたがとんでもない話だ。

 結晶体と魔法使との間には相性のようなものがある。いってみれば固有の周波数のようなものか。

 元々は別の人間の身体の一部だった結晶体の周波数は、当然術者本人のものとは異なる。だから魔杖等で能力を補う時は出来るだけ周波数の近い結晶体を探し出す必要があるし、そうやって見つけた結晶体だって本来の能力の半分も引き出せれば上々だ。

 当然それは術者一人一人に合わせてカスタマイズされた物なので他人が使っても起動すら出来ない事の方が多かったりする。

 結晶体には一つにつき一種類の魔法が記憶されている。それは元々の結晶体の持ち主が覚えていた魔法の残滓で、基本的にその魔法をいじる事は出来ないが起動さえさせてしまえば一応魔法の発動は可能だ。

 当然ビットもシュミラが一々魔法を組立ている訳では無いのでイブリースの言ってる事は別に間違いではない。

 間違っているのは大前提として『シュミラとイブリースの周波数は全然違う』と言う一点だ。

 これはもう間違いない。魔法学フィールドはこの周波数の差を使って空間を認識したりバリアにしたりしているのだから、シュミラがフィールド介してイブリースのフィールドを感知している段階で周波数は違う。

 とするならば、考えられるのはイブリースが自分の周波数を自由に変えられる可能性だ。

 もし本当にそんな事が可能ならこの男はどんな結晶体の魔法でも使えるはずだ。

 …そんな人間聞いた事無いし居るとも思えない。

 『首都アルストロメリア壊滅させたのは美少女型破壊兵器だった都市伝説』が実は真実だったと言われた方がまだ信じると思う。

「えっと、イブリースさん?イーブスさん?」

「何とでも好きな様に呼べばいいさ」

 イブリースは特に名前にこだわりが無い様で適当な感じで答えた。

「じゃあイブ」

「なんだそりゃ」

 これにはさすがにイブリースも前髪に隠れた眉を少し傾ける。

「だってイブリースって何か長くて呼びにくいんだもん」

「………」

 その様子を見ていたシェラがくすりと笑った。

「…何だ?」

「いえ、イブリース・イーブスも形無しですね。まあ良いじゃないですか、可愛くて」

 明らかに楽しんでいるシェラの言葉を聞き、イブリースは諦めた様に溜め息を吐いた。

「まぁ良いよそれで」

「ありがと。で、えっと…ねえイブ、あなたの能力ってなんなの?」

シュミラの質問に答えるようにイブリースは手袋に覆われた右手を目の前に持ち上げた。

「別に大した能力じゃないよ。俺はこの手袋に編み込まれた結晶体の力で掌に高周波の振動を作る事ができる。それで直接内臓を破壊したり、ナイフを使えば切れ味を増したりできるな。それだけだ」

「え、それだけ?じゃああの加速能力は…」

「あれは体重移動だ」

「は…?」

 思いもかけないイブリースの言葉にシュミラはポカンと口を開けてしまった。

 昨日の戦闘でイブリースは十メートル近い距離を一瞬で移動したり、銃弾に匹敵する速度を持つビットを避けたりしたのだ。

 どう考えても何らかの能力を使ったとしか考えられない。それを単なる体重移動と言い切りやがったのだこの男は。

 それが意味する事はつまり…。

 はぐらかされたのだ。

「怪しい…」

 見るからに不満100%のシュミラの顔を見てイブリースが苦笑する。

「そんな顔で睨むな。お前達にだって人に言えない事の一つや二つあるだろ」

「…それはそうだけど…」

 秘密、と言われた瞬間心臓が飛び出しそうなくらいドキッとした。

 この男は勘が尖すぎて怖い。

「後は企業秘密だよ」

 あんまり欲張るな、とシュミラの内心にはまるで気が付かない素振りで、イブリースは話を切り上げた。




         ●




 火の消えた薪が燻る横で、イブリースとシェラは二人だけでポツンと座っていた。

 食事の準備はイブリースがしたので、片付けは姉弟の役目になったのだ。

 川の方から何やら騒ぎながら洗い物をする声が聞こえる。

 それを聞いてシェラはクスリと笑った。

「元気なものですね」

「騒ぎ過ぎだ。まあ、あの年頃の兄弟は騒がしいもんだ」

 普通は男兄弟だけどな、と付け加えた言葉にシェラは再び笑った。

 そしてすぐにその笑が消える。

「…あの二人、何を隠してると思いますか?」

「まだ分からないな。今考えられるとしたら例の白銀の鎧と知り合いだって言う父親の事くらいだが」

 やっぱり。シェラは思わず歯がみした。

  あの時二人の学校を聞いた際、不覚にも動揺してしまい不自然に会話が途切れてしまった。

 本来ならあの流れで聞き出せたはずなのに。

 次は彼らのターンだ。

 出来るだけこちらのカードを切らない様にあちらの情報を引き出さなければならない。

 あの二人の為にも。

「まあそんなに警戒しなくても良いんじゃないか?どうせあんなガキ供に大した秘密があるとは思えないし」

 軽いイブリースの口振りにシェラはムッと眉を寄せる。

「そう言う問題では…」

「それに」

 だがイブリースは遮る様に言葉を重ねた。

「案外アイツらはお前の事を気遣って秘密にしてるだけかも知れないぜ」

「え…それってどう言う…?」

 意味をはかりかねたシェラはきょとんとした表情でイブリースを見つめた。

「別に、何となくそんな気がするだけさ」

 イブリースはそう言うと足元に置いた消火用の水を入れた空き缶を手に取り、ひっくり返す。

 火が消えても燻っていた薪がジュッと音を立てた。



「おまたせー」

 シュミラは手ぶらで戻ってきた。その後ろを鍋や食器を全部持たされたレグナがフラフラとついて来る。

 どうやら先ほど騒いでいたのは荷物持ちを決める勝負をしていたからのようだ。

「あ、そうだ」

 脇で崩れ落ちる弟に労い一つかけることもなく、シュミラは腰に下げた布袋からビットを一握り掴み出すとそのまま適当に放り投げた。

 左目に赤い呪文の光りが走った瞬間、宙に散ったビットが赤く輝き高速で回転を始めた。

 地面に落ちるより前に浮力を得たビット達が宙を舞う。

 圧縮空気の力で加速したビット達はそのまま一直線にとある木の幹に向かった。先程イブリースがビットの一つを打ち込んだあの木である。

 さっきのどさくさですっかり回収するのを忘れていたのだ。

 良く見れば木の方に向かった物とは別にちょうどシュミラと木との中間辺りに一つビットが浮かんでいる。

 先程イブリースに指摘された通りシュミラはビットの飛行に関しては一々命令を送っていない。それどころか攻撃に関しても完全に制御してる訳では無かったりする。

 シュミラが扱うビットの数は最大で数十にもなる。銃弾に近い速度を持つビットを、しかもそれだけの数を一人の人間が完全に操るのは不可能だ。

 なので基本的にビットはシュミラの制御を離れている。シュミラが認識する戦況に合わせて自分達で判断して行動しているのだ。

 ただしそれは合理的だが場当り的なものでしかないのでビット達だけではすぐに裏をかかれてしまう。

 そこで状況に合わせてシュミラが命令を送り細かい挙動を行わせるのだ。

 これがうまくハマるとシュミラはとても強い。結晶体で構成されたビットは普通の魔法使のフィールドなど簡単に突破してしまう上、全方位から好きなタイミングで打てるので相手からすれば非常にやっかいな攻撃だろう。

 たがここ二日くらいでその自信は完全に打ち砕かれてしまったが。世の中化け物みたいな人もいるものだ。

 シュミラはビットに命令を送った。

 命令は魔法学フィールドを介さなければならないがシュミラのフィールドはそこまで広い範囲に広げられないので、そのままでは戦闘行動に著しい支障が出てしまう。

 なのでシュミラは攻撃を行っているビットとは別にフィールドの中継点となるビットを置いている。

 今回は距離が近いから一ヵ所だけだが状況によって何ヵ所も置く場合もあった。

 フィールドを介してビットに呪文を送り、呪文を受け取ったビットがビットの持つフィールドを使って次のビットに呪文を送るのだ。

 実際にはさらに魔杖を介さなければビットとフィールドを繋げないので、そう言う意味では結構複雑な命令系統をしている。これは明らかに既存の技術体系とは離れた技術なので、シュミラと同系統の魔法使は他に存在しない。

 ビットも複製が利かないので実はイブリースに破壊された分は結構痛手だったりする。

 実家に帰れば予備は沢山あるのだが手持ちはこれだけだ。誰が超硬の結晶体が破壊される事態など予想するものか。いつか弁償させてやる、と

シュミラは思った。

 ビットは一つだけでは思考が出来ないので、必然的に幾つかのユニットを組む事になる。

 今回は三つのビットが等間隔を保ちながら三角形を描いていた。

 三角形はクルクル回りながら木の幹に空いた穴の前で静止する。

 次の瞬間穴の奥から赤い光が漏れ、中から高速で回転するビットが木を削りながら飛び出して来た。

 新しく仲間を加えたビット達は空中で反転すると、一直線にシュミラの方に向かいそのまま布袋の中に戻って行った。

 袋の口を締めると、ぱちぱちと乾いた音がした。

 見れば今までの光景を見ていたシェラが拍手をしている。

「見事なものですね。やっぱり何度見ても魔法と言うのは不思議なものです」

「あははっ。そんなに感心されると照れちゃうな。でも私はちょっと命令を送ってるだけだから、そんなに凄くはないんだよ。どっちかって言えばこれを作った人のが偉いなぁ」

「いいえ、誰かが作ってもそれを扱える人がいなければ道具は機能しません。やっぱりあなたは素晴らしい才能を持っていると思うわ。少なくとも大切なものを守るだけの力があるんですから」

 そう言うシェラは真剣そのもので、お世辞など微塵も思って無い事はいくら鈍いシュミラでも分かった。

 だからなおの事恥ずかしいのだが。

 恥ずかしいセリフを照れずに言える人だ。

 ただ、何故シェラがそこまで思うのかは何となく察しがつく。

 前にシェラは家族や友人を沢山亡くしたと言っていた。

 多分これは賞賛と言うよりは憧憬に近いものなのだろう。

 歳の近いシュミラにあって何故自分には魔法の力が無いのかと、思わない訳が無かった。

「…ねぇシェラ。あなたは何故追われているの?あの鎧は何?アルストロメリアで何があったの?」

 シェラはそれまで浮かべていた笑顔を曇らせた。

「…シュミラ。それを聞いたらあなた達は…」

「お願い聞かせて。父の事だけじゃない、私達はあなたの力になりたいの」

 逡巡するように視線を彷徨わせたシェラは、隣りに座るイブリースの顔を伺うように見た。

 イブリースは何も言わずただ首をすくめるだけだったが。

「…現状、私達には助けがいる事は確かです。あなた達が力になって下さるなら心強い事はこの上ない。ですが無関係なあなた達を巻き込みたくないと言う気持ちは変わりません。ですからあなた達が決めて下さい。これから話す事はアルストロメリア王国にとって重大な機密になります。知ってしまえば今度は私達があなた達を手放す事が出来なくなります。万一機密を持ち逃げされるような事になればそれは国の重大な危機ともなります。もしそのような事があったら私達は容赦しません。どこへ逃げたとしてもこのイブリース・イーブスがあなた達の口を封じるでしょう。それだけの覚悟が、私と運命を共にする覚悟あるのならお話します」

 イブリースのものとは違う、氷のように冷徹な雰囲気を今のシェラは持っていた。

 それは、それだけの覚悟を彼女自身が持っていると言う事だ。イブリースもきっと彼女の為になら当然の様に命を捨てるはずだ。

 後一歩でも踏み出したらもうシュミラ達は普通の生活に戻れなくなる。国家の存亡なんてスケールも分からない争いに巻き込まれていく事になる。

 ここが分水嶺。 

「…ねぇシェラ。私、父の事だけじゃなくてあなた達の力になりたいって言ったわよね。でもね、ホントは私そこまで深く考えていた訳じゃないの。理由なんて多分もっと単純。何だか分かるかしら?」

 急な質問にシェラが僅かに首を傾げる。

「理由なんて無くても、きっと人は誰かの為に動きたいって思うの。助けて欲しいって手を延ばしてたら助けずにはいられないものなのよ。それでももしそれに理由を付けるとしたら一つだけだわ」

「何ですか?」

 問い返すシェラにシュミラは笑顔を返した。そして言う。

「知らない所で死なれるのは後味が悪い」

「は…」

 シェラがただでさえ大きい目を真ん丸に開いて、ぽかんと口を開けている姿は中々愉快だった。

 我ながら馬鹿馬鹿しい理由だとは思う。だがシュミラは難しい事を考えるのは苦手だ。結局、放ってはおけない意外の理由なんて彼女の中には無いのだ。

 目も口も真ん丸に開いていたシェラの表情が、やがてゆっくりと笑みに変わっていく。

「まったく、あなたは面白い人ね」

 その言葉からは少しだけ角が取れ、砕けたものに変わっていた。

「分かりました。この後私達はアルストロメリア王国と友好関係にある国に向かいます。協力を仰げたとしたらその後は政治的な戦いになってきますから、どの道こうして旅をする期間もそう長くはありません。ですから私はそれまでの間、あなた達二人を護衛として雇う事にします。その業務の上であなた達が知り得る情報であれば、お話しましょう」

 雇う以上はちゃんと対価を払いますよ、とシェラは付け加えた。

「レグナもそれで良いですか?」

「姉さんが良いって言うなら俺はそれで良いよ」

「イブリースもそれで異論は無いですね?」

「俺はシェラの判断に従うだけだ」

 レグナと同じ様にイブリースも答えた。自分には特に意見を求められなかった事は気にしていないようだ。

 それを聞いてシェラは僅かに頷き、シュミラに向き直る。

「そうですね、どこから話したら良いでしょう…」

 少しだけ宙に視線を送り、そしてもう一度シュミラの顔を見た。

 そして言う。

 ひどくあっさりと、ある意味予想通りで、しかしその実それが意味するものはとてつもなく重篤な、その言葉を。

「シュミラ、私の国で起きたのはね。クーデターよ」

 

 

 

         ◆

 

 

 

 アインツの首都アルストロメリアが大規模な破壊に見舞われてから三年、防衛行動の名目で首都に進行しようとする連合側と阻止したいアインツ側が衝突。

 三年に渡る交渉が決裂すると、両者はまるで底が抜けたように内乱に雪崩込んでいった。

 首都最大の防衛戦力であった航空師をアインツは大破壊の際に失っていた。内乱までの三年である程度復興した魔法使養成機関、魔法使学園もその段階では戦力になりうる魔法使を輩出するには時期が早すぎた。

 結局アインツは残存していた首都の防衛戦力と残りの自治区の戦力をかき集めて戦う事になり、しかし連合側も基本的には自治区時代の戦力しか保有しておらず両陣営の戦力はほぼ拮抗。

 決め手に欠ける戦いはダラダラと三年続き、一時休戦する。

 そして二年近く続いた休戦と言う名の冷戦が終わった時、大陸を取り巻く状況は大きく変わっていた。

 連合側とアインツ側が隣接する諸国が次々に参戦を表明し、内乱は大陸を真っ二つに分ける大戦に発展したのだった。

 連合側の魔法使戦力は一気に倍以上になり、最初の内はアインツ側を圧倒する。

 しかし開戦から六年、アインツは二つの新兵器を投入した。

 一般の兵を簡易魔法使化するアンソーサラーと、結晶体を蒸着させて武器に応用する、結晶体被膜と呼ばれる加工技術だ。

 どちらも差が開く魔法使戦力を補う為の苦肉の策であったが、これがそれまでの戦術を一変させる事になる。

 通常の魔法使よりも数において圧倒的に優る一般兵が魔法学フィールドを扱えるようになる事で戦力としての価値が一気に上がり、結晶体加工の技術によって生み出された武器を用いる事で、本来単体では魔法使には全く歯が立たないアンソーサラーも、数で押し込む事で直接魔法使に対抗する事ができるようになったのだ。

 やがて魔法使学園からも真正の魔法使が輩出されるようになるとアインツ側は勢いを取り戻し、戦況は五分まで戻る。

 内乱が始まってから魔法使の技術は二十年は進んだと言われる程に、両陣営は新しい戦術や技術を生み出していった。

 しかしそんな大戦にも最後の時は訪れる。

 それまで静観を保っていたアインツの首都のにあったスラム街ソレブリア地区=旧アルストロメリア王国が突如蜂起。アインツに宣戦布告をする。

 突然身の内に降りかかった災難を、すでに疲弊し切っていたアインツに振り払う力は残されていなかった。

 宣戦布告から僅か二日、アインツの中枢機関であった司法局が陥落。

 侵略戦争から200年余り続いた大国アインツは余りに呆気なく消滅した。

 ソレブリア地区はアルストロメリア王国再建を宣言すると共に連合側の独立を承認、こうして九年の長きに渡る大戦は幕を閉じた。

 

 

 

 と、ここまでがちょっとでも勉強した事がある人間なら誰でも知っている一般的な近代史だ。

 

 


 何が悪かったのかと言われるなら、結局のところ王侯貴族の選民意識と言うものが、彼らにとってどれ程重要なものだったのか。それを見誤った事が最大の失敗だったと言うより他は無い、とシェラは思う。

 終戦後、アインツは解体されたが執政官を務める多くの貴族達がアルストロメリア王国に引き抜かれた。同時に父は身分に関係なく、優秀な人材を積極的に重用した。

 貴族にも平民にも、平等にチャンスが与えられる社会基盤を目指したのだ。

 その結果貴族と平民が同じ身分で肩を並べる事になる。それが貴族達の反感を買った。

 彼らにとって平民とは等しく虐げられるものであり、上に立つのは自分達で無くてはならない。同じ立場で仕事をする事など考える事もできない事だった。

 父は貴族達と積極的に対話を続けた。少し前まで一地区でしかなかったアルストロメリア王国に政治を行える人間などほとんど存在しない。彼らの力は絶対に必要なものだった。

 父の言葉に賛同してくれる者も多くいたが、最後まで反目していた一派がある日、ついに謀反を起こした。

 実際、アルストロメリア王国と周辺諸国の関係はまだまだ微妙な時期で、父の人格と信用で辛うじて繋ぎ止められているような状況だった。

 だから、不穏な分子があったとしても、まさか謀反を起こされるとは思っていなかった父の見通しは甘かったと言わざるを得ない。

 



 

 その狭い空間に軽い振動を残し、それまで鳴り響いていた機械音が止まった。

 目的地に到着した事を示すランプが点灯し目の前の蛇腹状の扉が横にスライドする。

 一歩脚を踏み出すとまだ少し身体に振動が残っている気がした。

 大戦中に開発されたと言うこの昇降機だが、何度利用しても好きになれない。ワイヤーで吊り下げられているなど考えただけでゾッとするものだ。

 昇降機は勝手に扉を閉めると音も無く上昇していった。

 人の居住性よりも機械の機能維持を最優先に設定された空気は冷たく乾いていて、少し歩いただけで喉が張り付くようだった。

 嗅ぎ慣れたこの空気。人の存在を拒絶するようなこの場所が嫌いだ。

 自分は人間では無いのだと、嫌でも思い出させる。

 廊下はただ真直ぐ伸びている。壁や天井は必要に応じて拡張できるように骨組みがむき出しな機能的なデザインになっていて、その間を無数のパイプやケーブルがまるで何かの生き物のように這い回っている。

 人の営みとはかけ離れたその通路を無言で歩き続ける。

 その時枝分かれした通路から白衣を着た男が現れた。男はちらりと自分の顔を認めると挨拶はおろかむしろ露骨に顔を背けて足速に去って行った。

 そんな姿にもさざ波一つ立たない心中を滑稽に思いながら、ただ歩みを進める。

 やがて突き当たりに大きな扉が現れた。

天井まで届く扉は白く、艶の抑えられた表面からは分からないが今『この世界』で作り出せる限り最高の強度を誇る材質なのだと言う。

 自分の剣でも切れるかどうか。いつか試してみたいものだ。

 扉横の守衛室に声を掛ける。窓口の男は不快そうに顔を一瞥すると、「ん」と顎で扉を示した。

 次の瞬間、巨大な扉がゆっくり左右に開いていく。

 一人分の幅で停止した扉に近付くと、中からさらに冷たい空気が漏れ出て来た。

 ここから先は正真正銘人が住まわぬ場所。

 さながら悪魔と、それを生み出す魔女の小屋と言ったところか。

 扉をくぐる直前、背後から「人形が」と吐き捨てるような声が聞こえた。

 だがこちらが振り向く前に再び扉が閉められる。

 『ゴン』と重い音が部屋に反響する。

 その音を背中で聞きながら部屋を見回した。

 だだっ広いその空間には幾つもの培養槽が並んでいる。高さは天井に届く程で、扉が無駄に巨大なのもこれを搬入する為なのだ。

 培養槽の殆どは空で稼動しているのは一機だけだ。

 『8th』と書かれたその培養槽の中には一人の男が浮かんでいた。

 隆々とした肉体は鍛え上げられていたが、その左腕は付け根からもぎ取られたように失われている。

「手酷くやられたものだな、エイス」

 声に反応し、培養槽の男が瞼を開いた。

『…ベルトラルか』

 エイスは口を開いていないが、培養槽に読み取られた思考が電子的に合成され、据え付けられたスピーカーから音声として発せられる。

『…ラボラトリの奴等…腕一本作り直すのに何日待たせる気だ…』

「人間を丸々作るより部品だけを作るより方が難しいそうだ。遺伝子工学とやらは」

『…ちっ…』

 ベルトラルは近くの机から椅子を引っ張って来るとエイスの前に腰掛ける。

「その身体がここまで損傷を受けるとはな」

『…あんなクソ重い鎧を着せるからだ』

「犬の首輪と同じだな。我々が逃げ出すのを恐れているんだ」

『…はっ。それで失敗してるんじゃ話にならねぇな』

 吐き捨てたエイスは僅かに沈黙するとチラリと隣りの培養槽を見た。

『…ナインスは死んだのか?』

「…ああ。鎧ごと心臓を一突きにされていた。恐らく何が起きたのか理解する間もなかっただろう」

『…ちっ、役立たずが。…ついに完成体は二人だけになっちまったな』

「三人だよ。現在調整中だ」

『…けっ。最大出力で起動したら勝手にブレーカーが落ちちまう欠陥品に何ができんだよ』

 ベルトラルはちらりと部屋の奥に視線を送った。

 なぜあれ程の強固な扉が必要なのか。それは同じ強度の扉をさらに五つ隔てた先に理由がある。

 この部屋など『あれ』を封印する為の前室に過ぎない。

「…暴走を抑える術がまだ見つかっていない。どうやら設計図そのものに重大な欠陥があるようだが、誰も『あれ』がどうやって動いているのか本当の仕組みを知らないのだから無理も無いな」

『…はっ。だから止める為には一々電源を落とすしかねぇってか。…大体ここの設備の一つでも仕組みを完全に把握してる奴がいるのかよ?…何だか良く分からないものを使うからだ。…ざまぁ無ぇ』

 かつてこの施設を作った男は、狂った研究を続けた挙句追放されたと言う。

 大陸を混乱に陥れたその男が去って以降、誰もその仕組みが分からぬまま施設だけが運用をされ続けている。

『…奴がちゃんと機能してればあんなクソガキ供にナメられずに済んだんだ。…クソ面白くも無ぇ…。…アイツら、腕が治ったら真っ先にぶっ殺してやる』

「追跡も完全に振り切られてしまった。また最初からやり直しだな」

『…ちっ。…使えねぇ奴等ばっかりだ』

 軽く笑ってから、ベルトラルはナインスの培養槽に視線をおくり、少しだけ眉をひそめた。

「それにしても…あの男は何者だ」

『…テメェにしちゃ珍しくあの黒服にご執心じゃねぇか。また『自分探し』ってヤツかよ』

「そうでは無い。ただ少し引っ掛かる。奴の能力が」

『…あ?まぁ確かにすげぇ戦闘能力だったけどな。だがあれもナイフとか体術に長けてるだけだろ?油断してなきゃあんな良いようにやられやしねぇよ』

「確かにそうなんだが…」

 引っ掛かるのはむしろそこだ。あれだけのフィールドの力を持っていて魔法があれだけとは…。

『…考え過ぎだ。まともにやってテメェに勝てる奴なんていねぇよ。アルストロメリアの英雄さんよ』

 険のある言葉にエイスを睨み付ける。

「…何が言いたい」

『…別に。ただクラスBだからって良い気になるなよ。テメェはたまたま適合率が高かっただけで、本質は俺や奴やグズのナインスと同じ出来損ないのガラクタなんだからよ。…生きる意味なんて始めからありゃしねぇ』

「…」

 ベルトラルは椅子から立ち上がると8thの培養槽の表面に触れた。

 エイスの唇が皮肉げに歪む。

 ベルトラルの全身を呪文の赤い光が駆け巡る。

 腰に下げていたナイフを引き抜くとそのまま一息に振り下ろす。

 空間が裂ける嫌な音。

 次の瞬間、隣りの9thの培養槽がガラスが撒き散らしながら崩れ落ちる。

『…あ〜あ。またラボラトリの奴等がお冠だぜ』

「どうせ空室だ」

 8thの培養槽の表面にナイフを押し当てる。

「…忘れちゃいないさ。私もお前も最初から人の道を外れている」

 押し当てたナイフに力を入れる。ガラスと擦れて『キッ』と甲高い嫌な音がする。

「だが今度そんな口を利いてみろ。お前から先に殺してやる」

 そのままナイフを振り抜く。強化ガラスの表面に一本の白い傷が残る。

『…くくっ…』

 エイスはその傷を見つめて楽しそうに頬を歪めた。

 ベルトラルはナイフをしまうとエイスに背を向けた。扉に脚を向ける。

『…ぎゃはははは!何だよお優しいじゃねぇか!マジで殺されるかと思ったぜ!』

 無視をするベルトラルに構わずエイスはまくし立てる。

『…慈悲深いお人だぜ英雄さんはよ!いっそ殺してくれれば楽だったのにな!まったく、テメェといると楽しくて仕方がねぇぜ!間違い無ぇ、テメェも俺と同じだよ!何だかんだ言って相手を殺したいだけの人でなしだ!』

 扉の前に着くとドアの開閉ボタンの蓋を開ける。

「シェラドーネ姫の追跡は明朝より再開される。貴様の投用はその腕が回復してからだ。せいぜい養生しろ」

 それだけ言い残すと、ボタンを殴り付けるように押した。

『…よぉ!シェラドーネを見つけてもあのガキ供は取っておいてくれよ!奴等は俺の獲物だからな!テメェは思う存分あの黒服と殺し合ってくれ!』

 目の前の壁と思える扉が真ん中から開かれていく。

『…ぎゃはははは!ぎゃーはっはっはっ!』

 一歩外に出ると守衛が驚いた目でこちらを見ていた。

 それを無視して通路を逆に戻る。

 エイスの哄笑は扉が閉まるまで続いていた。

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