森の魔女と呪われた王子
むかしむかしある国に、300年生きる魔女がいました。
魔女は、深い森の中、サラシャという女の子とふたりでくらしていました。
サラシャは花の16歳、乙女座。
森の中の小さな家で、魔女の身の回りをお世話するのが仕事です。
ある日のこと。魔女の家を、ひとりの青年が訪れました。
青年はレオといいました。17歳、魚座。
精霊に呪いをかけられてしまった少年は、呪いをとく方法を求めて魔女の家までやってきたのです。
夏の日差しにきらめく麦穂のような金髪と、澄みきった空のように青い瞳。
レオはとても美しい青年で、サラシャは一目で恋に落ちてしまいました。
いっぽう青年は、初めて見る魔女の姿に目を見張り、そうかと思うと、崩れ落ちるようにひざまずいて、言いました。
「無礼を承知でお願い申し上げます!」
300年を生きる魔女は老婆――と思いきや、セクシーダイナマイツバディな美魔女でした。
魔女は魔法で年齢を操ることができるのです。
黒く艶やかなロングヘアー。
肉感的な身体を強調するようなマーメイドラインのワンピースは胸元に大きくスリットが入っていて、豊かな乳房が今にもあふれんばかりです。
あらんかぎりを振り絞った青年の声が、小さな家に響き渡りました。
「おっぱい揉ませてください!!!!」
それは、魂の咆哮。
彼はどエロでした。
そして、自分で言った通りに、そっくりそのまま無礼でした。
「は?」
魔女は眉をひそめました。
当たり前でした。
もしもここで慈愛の微笑みを浮かべられたとしたのなら、彼女は魔女ではなく聖女になるべきでしょう。
その様子を見ていたサラシャは、つい、思ったことをつぶやいてしまいました。
「クソ野郎だわ……」
その通りでした。
100年の恋も冷めました。
いいえ、100年ではありません。
サラシャが恋に落ち、その恋がすっかりさっぱり冷めるまで、時間にしてわずか20秒。
国内最短記録です。
それまでの12分41秒に大きく差をつけ、サラシャは一躍トップに躍り出たのです。
ここに樹立された記録は、未来永劫塗り替えられることなく歴史の頂点に燦然と輝き続けるのですが、当のサラシャは、最高記録保持者となったことなど知るよしもありません。
魔女は、土下座しながら「せめてひと揉み!」と懇願する青年を見下ろして、言いました。
「やれやれ。こんなのが王子だなんて、この国も終わりだね」
そうです。
青年は、この国の王子だったのです。
この国も終わりです。
サラシャは、まだ土下座している王子を見て、言いました。
「先生、このクソやろ……このひと、耳が」
「サラシャや。これは精霊の呪いだよ。コイツは精霊の怒りに触れたのさ」
王子の頭からは、短くふわふわした被毛におおわれた肉厚な耳が、ピンと三角形に立っていました。
ワンちゃんの耳でした。
人間の耳も、それはそれでありました。
耳が4つです。
音がすごくよく聞こえることでしょう。
精霊の呪いのせいで、王子は頭から犬の耳が生えてしまったのです。
精霊の呪いのせいで、王子はどエロになったわけではありません。
どエロはもともとでした。
ありあまる性欲をもてあまし、夜な夜な、お城にある精霊の銅像に本能の命じるがまま腰を打ちつける王子を見て、怒った精霊が呪いをかけたのです。
「すごく……いいカラダの銅像なんです…………!」
顔を上げた王子の瞳は一点の曇りもなく、澄んだ輝きをたたえていました。
サラシャは、呪いというかバチが当たったのではないのだろうか、と思いました。
「この呪いをとくことはできないでしょうか」
魔女のナイスバディに我を忘れ、本来の目的を見失っていた王子でしたが、どうやら我を思い出したようでした。
しかし、魔女は無慈悲に言いました。
「無理だね。この呪いはアタシにはとけない。"愛の呪い"といってね、かけられた者が"真実の愛"を知ることで、初めてとける呪いなんだよ」
サラシャは、こいつには無理そうだな、と思いました。
じつは王子も、俺には無理そうだな、と思っていました。
「なんということだ……。父上は、この呪いを自力でとくことができなければ、俺を廃嫡にするとおっしゃっているのです」
「そうした方が、この国のためだね」
嘆く王子を、魔女はせせら笑いました。
「なんなら王は、お前が魔物にでも喰われてくたばっちまえばいいと思ってるのさ。廃嫡なんかより、そっちの方がずうっと手間がかからないからね。供のひとりも付けないのが、その証拠じゃないか」
王子は、なんとも的を得たご意見だ、と思いました。
そして実際、その通りでした。
魔女の住む森には魔物が出ます。
年を追って落ち着くどころか破竹の勢いを見せる王子のどエロっぷりに、この国の王はとうとう匙を投げ、どうせ王子は他にもたくさんいるんだから、どエロ王子にはいい感じに行方不明になってもらって、そのままなかったことにしてしまおうと考えていたのです。
しかし王子は存外強かった。
無傷で魔女の家までたどり着いてしまいました。
魔女とサラシャにとっては、いい迷惑でした。
「まぁいいさ、呪いについては調べてやろう。その間はここに住むといい。そのぶん、しっかり働いてもらうがね」
魔女は前々から、無料でこきつかえる男手があったらいいなぁ、と思っていたのです。
その夜のことです。
魔女のエロエロナイスバディが目に焼き付いて離れなかった王子は、魔女に夜這いをかけることにしました。
こっそりと部屋に忍び込み、ベッドに近づくと、そうっと毛布をめくって、寝ている相手におおいかぶさります。
「きゃああああ!!」
「うわああああ部屋まちがったあああ!!」
暗くてわかりませんでした。
ここはサラシャの部屋でした。
王子はサラシャにまたがったまま、頭をかかえて言いました。
「なんてことだ! エロくておっぱいが大きいお姉さんに俺のはじめてをもらってもらおうと思ったのに! これじゃあ……これじゃあ、あんまりだあああ!!」
王子は、心は薄汚れていましたが、体は清らかでした。
王子の目から、大粒の涙がこぼれ落ちます。
その涙は、月の光を反射してキラキラときらめきながら、サラシャの頬に落ちました。
――だがこれがサラシャの逆鱗にふれたッ!!
「殺す!!」
サラシャの瞳に、闇より深い憎悪の炎が燃え上がりました。
サラシャからすると、寝ているところに勝手に忍び込んで、勝手にがっかりしているのです。
怒るのも無理はありませんでした。
何よりサラシャは、胸が小さいことを気にしていました。
その時です。
――力が、欲しいか……?
何者かが、サラシャの脳内に直接語りかけました。
――欲しい……力が…………
サラシャは、答えました。
――コイツを殺せるだけの、力が…………!!
サラシャは王子を押し返すと、今度は自分が馬乗りになり、王子に拳を振り下ろしました。
そうです、マウントポジションです。
昨今なんでもありにおけるマウントポジションは、様々な格闘家達によってエスケープ方法が考案され、かつてのように圧倒的有利とは必ずしもいえません。
でも王子は昨今の様々な格闘家達ではないので駄目でした。
無理でした。
王子に降り注ぐ、無慈悲な拳の嵐。
なんとかガードしようと上げた手はなんなくいなされ、ガラ空きの顔面にキツい一発をおみまいされてしまいます。
王子は必死にもがきましたが、サラシャは巧みな体重移動でもって王子を逃しません。
ガッシ! ボカッ!
「女の……女の力じゃない……!」
そうです。
サラシャは、ちょっぴりお転婆、だけど優しい、どこにでもいるごく普通の女の子。
しかし、激しい怒りによって眠っていた力が呼び起こされた今、此処に存在のは、血に飢え戦いのみを求めるただ一疋の狂戦士でした。
さきほどサラシャの脳内に直接語りかけた声は、関係ありませんでした。
あれは、魔界で人間を対象に毎年行われている意識調査です。
答えると返礼品が送られてくるので、サラシャは、忙しくてもなるべく答えるようにしていました。
ちなみに、今年度の結果は以下の通りです。
質問:力が欲しいか?
回答:欲しい………………………48%
欲しくない………………… 9%
どちらともいえない………16%
無回答………………………27%
ところで、王子はうすれゆく意識のなか、不思議な景色を見ていました。
見渡す限りにひろがる、色とりどりのお花畑。
顔を上げた先には川がそうそうと流れていて、そのむこう岸では、きれいな女性が手を振って、王子の名前を呼んでいます。
それは、王子が幼い頃に亡くなった、前の王妃でした。
「は、ははうえ…………」
その時です。
とどめの一撃を放とうとしたサラシャの手が止まりました。
それは、奇跡でした。
王子のかすかなつぶやきに、サラシャの中にたったひとしずく残った"心"が目を覚ましたのです。
具体的にいうと「コイツも人の子なんだな」と、良心が咎めたのでした。
こうして王子は一命をとりとめました。
その頃、産んだ責任をもって王子をシバき回してやろうと思っていた川のむこうのははうえは「チッ」と舌を鳴らしていたのでした。
ひと月が過ぎました。
王子は、あの後も何度か魔女に夜這いをこころみましたが、
ある時は火炙りにされ、
またある時は氷漬けにされ、
とうとう釜茹でにされそうになったところで、ようやく夜這いをあきらめたのでした。
夜這いにアグレッシブな王子でしたが、仕事に対する姿勢もアグレッシブというか、真面目でした。意外にも。
炊事、洗濯、薪割り。どれもこれも、王子にとっては初めてのことばかり。
しかし王子は、サラシャに教えてもらいながら、いやな顔ひとつせずに一生懸命はたらきました。
初日にフルボッコをくらったためサラシャが怖かったのもありました。
そうしているうちに、ふたりはすっかりうちとけて、いつしか仕事終わりには王子のワンちゃんの耳をさわらせてもらうのがサラシャの日課になっていました。
サラシャは犬派だったのです。
健康状態がよいからでしょうか。王子の耳はたいへん毛ヅヤがよく、指ざわりはすべすべ、ふかふか、ほどよい厚みがまた、たまりません。
「ずーっと『犬が飼いたい』って言ってるのに、許してもらえないんだもん!」
「そういえば先生は何も飼ってないな。魔女といえば、黒猫やカラスを使い魔にしているものだと思っていた」
魔女は、動物全般がキライでした。
「『毛が抜けるからイヤ』って、掃除するのは私なのにぃ!」
サラシャは、ペットを飼えない思いのたけを、王子の耳にぶつけました。
てのひらで包むようにしながら親指でなでるたび、三角形のお耳がピョコン、ピョコンとはねます。
王子の耳は、弾力性にも富んでいました。
そんなとき、サラシャの茶色い瞳は、それはもう満足げに輝くのです。
王子は、この時間がキライではありませんでした。
目の前でサラシャの亜麻色の髪がふわふわと風にそよぐと、その柔らかそうな猫っ毛に、王子はふれてみたいと思いました。
王子はどちらかというと猫派でした。
でもそう考えると、王子はなぜだかソワソワと気恥ずかしいきもちになってしまい、ふいと目をそらすのでした。
王子には、もっとほかに恥ずべきところがあるように思います。
ある日のことです。
サラシャと王子は、森を出ていちばん近くの町へ、買い出しに行きました。
荷物が多くなってしまうので、買い物の前に、まずは二手に分かれての自由行動です。
王子は走ります。
疾風より速く。
現在より速く。
商店街を駆け抜けて、ひとけの少ない路地裏へ。
たどり着いたのは、娼館でした。
なんということでしょう。
王子は娼館へ行くつもりです。
まだ、午前中だというのに。
「ア〜ラ、カッコいいお兄さん。カワイイお耳つけて、遊びにきてくれたの?」
客引きのお姉さんは、王子のケモミミをファッションだと思ったようでした。
昼前から営業する娼館で働いているお姉さんの労働環境が心配です。
この世界に、労基はないのでしょうか。
「げっへへェ、おねーさん、色っぽいねぇ。おねーさんが相手してくれるのぉ?」
王子は、生まれは高貴でしたが、品性は下劣でした。
「うーん、それはお勘定次第かなぁ?」
「まっかしてよ! 金なら……かね、なら…………」
ここへ来る途中、自分の持ち物をお金に換えた王子のふところはあたたかでした。
「……あ、俺、ほかに買う物があったんだった。あはは、おねーさん、またねー……」
けれども王子はそう言うと、きびすを返し、その場から立ち去ってしまうのです。
それを笑顔で見送りながら、お姉さんは「金がないなら来るんじゃねぇよ」とつぶやくのでした。
「はぁ〜……」
路地裏から抜け、にぎわい始めた商店街をトボトボと歩きながら、王子は大きくため息をつきました。
今日は良いお天気。
通りを行き交うひとびとの顔も、なんだか活気に満ちています。
この世の終わりみたいな顔をして歩く王子の姿は、なんとも場違いでした。
「娼館へ行くのが俺の子供の頃からの夢であり、人生の目標でもあったのに……」
もっと、ほかになかったのでしょうか。
「何やってんだ、俺……」
王子はまたひとつ、ため息をつきました。
日の高いうちから娼館に行こうとしたことに対して「何やってんだ」と思ったわけでは、なさそうでした。
力なく歩いていた王子でしたが、ふと、雑貨屋さんの前で立ち止まりました。
雑貨屋さんのショーウィンドウにはたくさんのアクセサリーが飾られています。
その中でも王子が見ているのは、金色の髪飾り。
腐っても王子ですので、金がメッキであることはひと目でわかります。が、しかし!
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王子はしばらくのあいだ、その髪飾りをぼんやりと眺めていました。
可愛らしい髪飾りのあざやかな金色は、亜麻色の髪によく似合うだろうなと、王子は思ったのでした。
その後、サラシャと王子は無事合流。
いよいよ買い出し開始です。
干し肉、酒と野菜の種。青カビチーズに酒に魚醤。蕎麦の実、黄連の根茎、何種類かの布地、そして酒。
魔女はお酒が好きでした。
たくさん買い物をして、最後に立ち寄ったのはパン屋さん。
店の裏手の水路で挽いた小麦粉と、ついでにパンも買って、それを食べながら帰るのがサラシャの楽しみなのです。
「いらっしゃい! サラシャ、今日は魔女さんと一緒じゃないんだ?」
店番をしていたのはパン屋さんの次男坊、トムでした。
「トム、久しぶり。薬ならいつも通りアンナ婆のお店に置いてきたよ」
「いつも助かるよ。うちのじーちゃん『わしのリウマチには魔女さんの薬じゃなきゃいかん』って言って聞かねーんだから」
魔女は、作った薬を町の薬屋さんに置いてもらっているのです。
そして「王子」という下働きを手にした今、魔女は家でのんびりゴロゴロしているのです。
トムは王子の存在が気になるようで、サラシャと会話をしながらも、ちらちらと王子のほうをうかがっています。
「それでサラシャ、あの……そちらの兄さんは、誰?」
いつも魔女と一緒に来るサラシャが、今日は男性を伴っています。
この町では見たことがないくらいの美青年です。
背負子の限界に挑戦しているのでしょうか、山と積まれた荷物を背負って平然とした顔をしています。
いえ、なんだか少し不機嫌なような……
(※過積載は大変危険です。積載量を守り、貨物は正しく積みましょう)
あと頭からは動物の耳が生えています。
過ぎたるは及ばざるが如し。
トムの脳は、情報処理能力が追いつきません。
「彼はレオ。先生に呪いをといてもらいにきたのよ」
「なぁんだ〜、魔女さんの患者さんかぁ!」
サラシャの紹介を聞いて、トムは明らかにホッとした様子で言いました。
「だよな、そんなワケないもんな! サラシャにその、か、彼氏ができるなんてな!」
「それ、どーいう意味?」
サラシャは不満げにトムをにらみますが、トムはニコニコ、トングをカチカチさせながら「さあ、何にする? 今日のクロワッサンは俺が焼いたんだぜ。サラシャ、好きだろ?」と、上機嫌に言うのでした。
帰り道、サラシャと並んでクロワッサンをほおばりながら、王子がぽつりとつぶやきました。
「……トムは、少し目と目の距離が離れすぎているような気がした。あれは直した方がいいと思う」
「は? 直すって……どうやって?」
「あと、トングをカチカチさせるのもよくない。威嚇行為ととられてもおかしくない」
「何、なんなの、いきなり。トムのこと嫌いなの?」
「いやそうではなく……つまり、総合的に判断した結果、俺の方がかっこいいんじゃないかと思うんだが、どうだろうか」
大真面目に問いかける王子を見ながら、サラシャはクロワッサンをひとくち食べました。
そして、よく噛んでから飲み込むと、言いました。
「アンタは顔より性格を直した方がいいと思うわ」
魔女の住む森には魔物が出ますが、サラシャは魔女のお守りを持っているので魔物は近付きません。
ですので、サラシャと王子は、日が暮れる前に家まで帰ってくることが出来ました。
荷ほどきをして買ってきたものを片付けてしまうと、夕飯の支度の前にしばしのコーヒーブレイク。
パン屋さんでお土産に買った一口サイズのシフォンケーキをお茶うけに、魔女とサラシャと王子の3人で、木のテーブルを囲みます。
「あ、そうだ」
どうにもすわりが悪い様子でそわそわ落ち着かない王子でしたが、さも今思い出したかのようにそう言うと、立ち上がって部屋を出ていきました。
魔女とサラシャが「なんだなんだ」と思っているうちに、王子は戻ってきました。
手には、なんかおしゃれな紙箱を持っています。
「サラシャ、これ……」
「やる」と言うと、王子は、なんかおしゃれな紙箱を押しつけるようにサラシャへ渡しました。
「え、私に?」
サラシャは戸惑いながらも紙箱のふたを開けてみます。
すると、中には金色の髪飾りが。
「わぁ、かわいい……!」
サラシャは髪飾りをそっと手に取ると、茶色の瞳をキラキラと輝かせました。
「サラシャには、いつも世話になってるから……た、他意はない。お礼の気持ちを……」
「レオ、ありがとう!」
「他意はないからな!」
その様子を、魔女はニヤニヤしながら眺めていました。
「あ、先生。先生にもあるんです!」
王子はそう言うと、もうひとつ持っていたなんかおしゃれな紙箱を魔女に渡しました。
「私にもかい? へぇ、なかなか気の利くことをするじゃな……」
箱の中身を見て、魔女は無言になりました。
「先生、それ、なんですか?」
「…………」
サラシャの素朴な疑問に、魔女は無言です。
魔女へのプレゼントは、なんていうか……その……まだ明るい時間に口にするのは、はばかられるような、いわゆるひとつの、大人のおもちゃでした。
王子が立ち寄った雑貨屋さんは、品ぞろえのたいへん豊富なお店だったのです。
「…………」
魔女は無言です。
「新製品らしいですよ! あ、これ説明書」
王子は爽やかな笑顔で、魔女に説明書を手渡します。
「…………」
魔女は無言です。
「店のおねえさんが言うにはさみしい女性の独り寝にさいてギャッ!!」
王子は、魔女にディルドでぶん殴られました。
王子が魔女の家に来てから、半年。
「クックック……あれから半年経った。そろそろヤツの警戒もとけている頃に違いない」
夜のとばりにつつまれて、不敵に笑う怪しい影。
足音を忍ばせ向かうのは魔女の部屋。
王子です。
まさかまた、魔女に夜這いをかけようとしているのでしょうか。
「時はきた……今日、俺は童貞を卒業する!!」
そのとおりでした。
ぜんぜん懲りていません。
さらに、はたらけどはたらけど猶わが給料払われざりけりの現状に不満を抱いていた王子。
魔女には何度か賃金請求の申し立てを行いましたが、そのたびに「治療代と相殺だよ」とスルーされ続けていました。
「呪いについて調べる」と言ったわりに調べている気配が一切ないこと、ではなく、最近になってサラシャが魔女からおこづかいをもらっていると発覚したことが引き金となり、王子の我慢は限界へ達し、その結果、今回の凶行へとつながったのです。
王子は、抜き足差し足忍び足で魔女の部屋の前までたどり着き、扉のハンドルに手をかけると、なぜだかそのまま動きを止めました。
しかしすぐに、ぶんぶんと頭を振ると、勢いよく扉を開きました。
「さんざん無料でコキ使いやがって! 給料はきっちり支払ってもらおうじゃねぇか、カラダでなァ!」
王子なのに、話しかたや言っている内容に気品の「き」の字も見当たりません。
森での生活で失われてしまったのでしょうか。
いいえ、そうではありません。
もとからこんなかんじでした。
魔女はというと、ベッドによこたわって本を読んでいるところでした。
胸元の空いた藤色のナイトドレスに寝化粧もばっちり。必要以上に淫靡な雰囲気をかもしていますが、就寝前のくつろぎタイムです。
王子のもくろみ通り、完全に油断しきっています。
読んでいる本のタイトルは『魔界の*かわいい!*どうぶつ図鑑』。人気作『魔界のどうぶつ図鑑』シリーズ3作目。
アンケートの返礼品として、石鹸セットと一緒に送られてきたものでした。
「は!? お前、まだあきらめてなかっ……」
魔女が目を丸くしている間に、王子は魔女へ向かって華麗にジャンプ。
大海原を跳ねるイルカさながら、たどる軌跡は美しく弧を描き、王子はそのままベッドへ落下。
「ぶぇっ!」
王子の体の下敷きになった魔女は、潰れたカエルのような声を上げました。
「ぃいったいじゃないのさ! このエロガキ!!」
魔女は、覆いかぶさる王子を床へ蹴落とすと、こみかみに青筋を浮かべて立ち上がりました。
「最近おとなしくなったかと思ったら、まぁーだお仕置きされ足りないみたいだねぇ?」
魔女の両手から魔力が漏れ出ると、糸のような稲光が細高い音を立て、爆ぜては火花を散らします。
「……今日はかみなりか…………」
王子は、秒であきらめました。
静かに目を閉じ、断罪の時を待ちます。
しかし、どうしたことでしょう。
いつまで経っても何も起こりません。
不思議に思い目を開けると、魔女の表情から怒りは消えていて、ただじっと王子を見つめていました。
「……先生?」
「……」
「どうしたんすか、俺の顔になにか……あっわかった、俺があまりにカッコいいからみとれてたんでしょ! もー今ごろ気付いたんですか〜確かに俺は顔の造形には自信が……」
「黙りな」
王子は黙りました。
「……ふん、なるほどね」
魔女はなにやら納得した様子で、ベッドに足を組んで腰かけました。スカートのスリットから白くなまめかしいふとももがあらわになります。
「いいだろう。受けてやるよ」
「え?」
王子は、ベッドから蹴落とされた状態のまま、床にねそべってスカートの隙間からどうにかして下着が見えないものかと首の角度を試行錯誤していたので、何を言われているのかわかりません。
「夜這いに来たんだろ? させてやろうと言ってるんじゃないか」
「えぇっ!?」
寝耳に水、棚からぼたもち。
王子は跳ね起き、青い瞳を白黒させました。
「しょっ正気ですか!?」
「お前ね……」
魔女は、あきれたようにため息をつきました。
「せっかく、このアタシが手取り足取り教えてやろうってのに……嫌だってんなら無理強いはしないがね」
「嫌だなんて言ってないでしょお!? 俺はいつだってヤる気まんまんですよ!」
「『やる気まんまん』ねぇ……コッチはそうでもないみたいだけど?」
「あふぅ! ちょっ……」
魔女は組んでいたほうの足を上げ、つま先で王子のデリケートな部分をつつきました。
「半年前は粗末なモンをおっ立てて襲いかかってきてたのにねぇ?」
「そまっ……なんてこと言うんですか、見たこともないくせに! 先生にはデリカシーってものがない!」
「お前にデリカシーを説かれたかないね」
しかし、魔女の言うとおりでした。
千載一遇のチャンスであるというのに、王子の王子は無反応です。
粗末なんかではないところを見せつけてやりたいというのに――長年苦楽を共にした相棒のまさかの裏切りに、王子は悲しい気持ちになりました。
「どうしたッ……今ヤらずにいつヤるつもりだ!? 目覚めるんだ、目覚めよ、俺!! ……先生、見ていてくださいよ。本気の俺はこんなもんじゃあ…………あ、やっぱり、ちょっとあっち向いててもらえます? 10分くらいあれば……」
「お前ね、気付いてないのかい?」
魔女はしばらくの間、無様にあがく王子を白い目で眺めていましたが、見たくもないものを見せられそうな気配を察知してか、王子を制止し、問いかけます。
「へ? 何が?」
王子は何を聞かれているのかわかりません。
ズボンに手をかけたまま、きょとんと魔女に聞き返しました。
「鈍い男だよ、まったく。自分にかけられた呪いがとけてることにも気が付かないなんて」
「えっ? あっ!」
王子は自分の頭にパッと手をやると、驚きの声を上げました。
「な、ないっ……ない! 耳が、耳がなくなってる!!」
誤解があるといけませんので説明しますが、王子の耳はちゃんとあります。
ないのは、呪いで生えたワンちゃんの耳でした。
「いつの間に……」
「アタシに飛びかかってきた時にはもうなかったよ」
「えぇ〜……けっこう気に入ってたのに……」
「お前、ウチになにしに来たのか忘れてるだろ」
消えてしまったワンちゃんの耳を求めて未練がましく頭をまさぐる王子に、魔女は言いました。
「胸に手をあてて、よーく考えてみな。下半身の奴隷だったお前が、なぜ今は性欲に振り回されていないのか」
「えっ? まさか、ふの……」
「違う」
さっと青ざめた王子でしたが、否定の言葉にほっと胸をなでおろします。
いっぽう魔女は、こめかみに手をあて疲れたようなため息をつきました。
「……自分でもわかってるんだろう? 心に引っかかっているのは何なのか。町へ買い出しに行くたびに娼館へ行くくせ、店には入らず帰ってくるのはなぜなのか」
「なななんで娼館のこと知ってるんですかっ!?」
「娼館からウチに苦情が来てるんだよ」
最近では、王子が魔女の家に居候していることは町の人たちにも周知されています。
魔女は、娼館から「おたくのお弟子さん、男の子のほうね。何度もひやかしに来るの、やめさせてほしいんだけど」とクレームを受けていたのです。
「いやぁお恥ずかしい」
「恥ずかしいのはコッチだよ」
しかし、さすがの王子も魔女の問いかけの意味は理解していましたし、その答えも、もうわかっていました。
魔女の部屋の扉を開けようとした時。
娼館へ足を踏み入れようとした時。
猫のように忙しく動く茶色の瞳が、軽蔑を映すかもしれない。
春日の笑顔を、もう自分に向けてはくれないかもしれない。
頭をよぎったのは、そのことでした。
「お前は何を――いや、誰を思った?」
そんなの王子には、たったのひとりしか思いつかないのです。
「サラシャ……」
初対面で軽蔑のまなざしを向けられたことは、王子的にはノーカンのようでした。
「……で、でも、呪いをとくには"真実の愛"を知らないといけないんですよね? 俺、正直言ってよくわからないというか……何か特別なことが起こったわけでもないし」
「劇的に燃え上がる愛もあれば、本人にすら知られずひっそり育つ愛もある。愛の形は人それぞれさ」
「愛……なんですか? これが……。こ、恋とかじゃなく?」
なぜか王子は、自分で言って自分で照れています。
「愛と恋とは、似て非なるもの。いいかい? 恋に溺れて愛を忘れたとき、その呪いは再びお前に――」
「そうとわかれば、こうしちゃいられない! この思い、今すぐサラシャにぶつけに行かないと!!」
「話聞けよ」
王子は魔女の話も聞かず、部屋から飛び出していきました。
思い立ったらすぐ実行。
王子の座右の銘でした。
王子は走ります。
サラシャのもとへ。
でも同じ家なので、一分もせずサラシャの部屋へと到着します。
「サラシャ!」
王子はいてもたってもいられない気持ちで、サラシャの部屋の扉を叩きました。
それから少しすると扉が開き、眠そうな目をこすりながらサラシャが廊下に出てきました。
「なによ、レオ……こんな夜中に……」
まだ夜中ではありませんでしたが、サラシャは就寝中でした。
早寝早起き病知らず。
サラシャの座右の銘でした。
「サ、サラシャ! なんて格好をしてるんだ! そんな薄着で人前に出ちゃだめだろ!!」
「はぁ?」
人を叩き起こしておきながら、起きて顔を出すとうろたえだす王子。寝起きのサラシャは理解が追いつきません。
サラシャが着ているのは薄手の木綿のワンピース。
寝巻きです。
なぜ寝巻きなのかというと、寝ていたからです。
いつだったか、間違えて夜這いをしかけられたときにも同じ格好だったので、サラシャは寝ぼけた頭で「なに言ってんだコイツ」と思いました。
薄暗さも手伝って、王子の頭にワンちゃんのお耳がないことにも気づきません。
王子はいそいそと自分の上着をサラシャの肩にかけ、そしてサラシャに向き直りました。
「やっと気付いたんだ、自分の気持ちに。俺は……俺は、サラシャが好きだ!」
サラシャは驚きのあまりいっぺんに目が覚めました。
夢でも見ていたんじゃないかと、王子の顔を見返します。
しかし王子は、今まで見たことがないくらいに真剣な表情で、まっすぐにサラシャを見つめているのです。
薄闇に鈍く光る金の髪に、澄んだ瞳は宝石のよう。
そして、着衣には乱れが見られました。
すこし視線をおろしてみると、王子のはだけた白いシャツの裾には口紅が。
さらに視線をおろすと、ズボンの股間部分では、なにものかが自己主張をしていました。
「先生に夜這い失敗して私に来たのか、このクソ男!!」
怒りの叫びとともに、サラシャのコークスクリューブローが王子の左頬にねじ込まれます。
王子の体はきりもみ回転で宙を舞い、そのまま床を2メートルほど滑りました。
それはまるで、地すべりする土砂のよう。
曲がり角の壁に頭がゴンとぶつかって、王子の体は床に、意識は闇に沈みました。
王子の頭からワンちゃんの耳がなくなっていることとその理由をサラシャが知るのは、王子が床の上で目覚めた、翌朝のことです。
〈終〉