第2話
はあああ……
帰りの終礼と同時に大きなため息を吐く。
ようやく学校が終わった。
やがて教室内で生徒達が、がやがやと音を立て始める。授業という束縛から解放されそれぞれがそれぞれの思惑で動き出していた。
不必要なほど大きな声で放課後の予定を話し合う者たち、教室から逃げるようにそさくさと帰る者。教室という狭い空間の中にいろいろなタイプの人間がいる。
陰キャと陽キャ。
クラスの生徒をその2つのカテゴリーに分類すると、人生をエンジョイしていない僕は陰キャになるだろう。
それが理由になるのか分からないが、僕は学校を全く楽しめていなかった。
勉強と運動の面白さを理解できず、クラスの連中のノリについていけない。
原因は僕自身にある。それは分かっているが今更自分を変えることは出来なかった。
格好の付く趣味や特技なんかがあったならもっと充実した毎日を送れたのかもしれないが、そんなものはない。思い浮かんでもせいぜい輪投げや射的くらいしかない。
そんな惰性で過ごしていた毎日に差し込んだ光。そう、それがシプレちゃん。
彼女と出会ってからは学校にまつわる悩みなんて悩みじゃなくなった。もしシプレちゃんと一緒に暮らすことができたら、僕は幸せな日々を過ごせるのに。
ガチャ更新まであと4時間。
よし!! 張り切って帰るぞ!!!
帰り支度を済ませて尋の机に近づく。
部活動、委員会のどちらにも所属していない俺たちは、放課後になるとすぐに下校していた。
「尋、帰ろう」
「あーすまん! ちょっと待っててくれ。横山の課題、今から出しに行くんだ」
顔の前で両手を合わせ、申し訳なさそうな顔で尋が謝った。尋の返答に少しだけ不満を覚えるが、課題の提出ならば仕方がない。今日という素晴らしい日に1人で帰るのも味気ないし、それが終わるのを待つとしよう。
「そっか、じゃあ下駄箱で待ってるよ」
「サンキュー! 助かるぜ」
―――――――――――――――――――
尋、なかなか遅いな。
横山先生に課題を提出するため職員室へ向かった尋だったが、20分経った今も一向に戻ってくる気配が無い。
横山先生にシメられてるのかな。
あれから僕は下駄箱で友人を待ち続けている。かつての塗装は剥げかけて、ささくれの目立つ木製の下駄箱。その姿は僕をノスタルジーな気分にさせる。
下駄箱といえばやっぱりラブレターだよな。
暇を持て余した僕は余計なことを考え始めていた。
放課後の開放感を肌で感じ、帰ったら何をしようかと胸を躍らせながら下駄箱に近づく。靴入れには青と白のスニーカーが無愛想に置かれているはずだ。
このスニーカーもそろそろ替え時かな、と考えながら手を伸ばすが、それに触れる直前で手を止める。
なぜなら、そこには普段とは違う光景が広がっていたからだ。冴えないスニーカーの上に腰掛ける桃色の封筒。これはまさか!?
「あ、あの……綾人君」
僕の馬鹿げた妄想は背後から聞こえた声によって制止を受ける。
「……ん?」
呼びかけに応じるために後ろを振り返ると、同じクラスの橘愛華が立っていた。
あまり目立たない女の子、橘愛華。彼女とは小学校から同じ学校なのだが、話したことは数えるほどしかない。目立たない割になかなかのルックスを持っているが、暗い雰囲気のせいかそれを活かしきれていないようだ。
そんな彼女が僕に何の用だろう。
なにか約束をした覚えはない。
「えっと、橘さんどうしたの?」
こちらから話しかけてみるもなかなか返事が返ってこない。橘さんは視線を床の方に落とし、体の前で組んだ手をもじもじさせている。
「あ、あの、その……」
何か言おうとしているのは伝わるが、なかなか言い出せないようだ。ただ今更驚くこともない。こうやってもじもじする橘さんを、僕は何度も見てきた。
モデルのような切れ長の目と艶やかな黒髪のロングヘア。周りは気付いていないようだけど、やっぱり橘さんって美人だよな。なんとも言えぬ沈黙の中、僕は目の前の橘さんをまじまじと見てしまう。
「わ、私……待ってます」
「え?」
ようやく口を開いたかと思えば、出てきた言葉は真意のはっきりしないものだった。
それから橘さんは、困惑する僕の横を早足で通り過ぎて昇降口を出ていった。
「え、なにを待ってるの? ていうかそれだけ?」
理解に苦しむ一連の流れに、僕は呆然と立ち尽くすしかなかった。
「待ってる」って、提出物関係の事かな? 未提出の課題かなにかがあったのか? 先週の学校内アンケートは出したはずだよな……うーん考えても分からない。
そうして頭を悩ませていると、廊下の向こうから小走りでこちらへ近づいてくる尋の姿が見えた。
「すまんすまん! だいぶ待たせちまったな」
「うん、いいよ。それにしても長かったな。こっぴどく叱られたのか?」
「いやあ、そうじゃないんだよ。横山の野郎、職員室にいなかったんだ。それから学校中を走り回ってさ、探すのに時間がかかっちまった」
尋は怒りの感情を露わにしつつも、楽しそうにこれまでの出来事を語った。
「あるあるだよな、それ。で、結局横山先生はどこにいたんだ?」
「なんと3–Cの教室だったぜ。体育館とか理科準備室とかならまだしも3–Cって……分かるか! そんなピンポイントな場所!」
「はは、それは災難だったな」
話の内容は陳腐なものだが、尋が相手だと何故か笑えてくる。友達というのは不思議なものだ、とつくづく思う。
「それでお前はずっと1人で待ってたのか?」
「あー……いや、そうでもないよ」
「お? 誰といたんだ? もしかして女子か!?」
さっきの橘さんとのやり取りを、僕の前で卑しい笑みを浮かべている友人に話すか迷う。
「まあ、うん。橘さんと少し話したよ」
「なにい! 橘さんと!?」
若干オーバーな驚き方をする尋。
その反応をされるのがなんだか恥ずかしくて、言ってしまったことを少し後悔する。
「そうだよ。なあ橘さんって結構な美人だよね? モデルっぽくないか?」
気恥ずかしさから敢えてこちらから彼女の話題を振ってしまう。しかも少しだけ早口になってしまったのはご愛嬌だ。
「へえーなんだお前、やけに橘さんを持ち上げるじゃねえか。橘さんのこと気になってるのか?」
「いや、そういうんじゃないけどさ、正当な評価を受けてないみたいで、もやもやするんだ」
それを聞いて一瞬考えるそぶりを見せた尋だったが、すぐにいつもの調子に戻って返事をした。
「綾人、それは……恋だぜ。そのもやもやとどきどきときゅんきゅんは間違いなく恋のしるしだ」
「は?」
相変わらず訳の分からない尋に、怪訝な顔を向ける。どきどきときゅんきゅんは感じてないし。
「あはは! 冗談だよ、冗談! さあ、さっさと帰ろうぜ。花嫁がオレ達を待ってる」
「まったく、なんだよそれ」
もっと言い返してやりたいが、帰りたいのは事実だ。下駄箱から自分のスニーカーを手に取る。後ろで尋も同じように靴を履こうとしているようだ。
「はあ……先が思いやられるぜ」
尋が何かを呟いたような気がした。
けれど気にしないことにする。
時刻は16時48分。
僕の頭の中は『ラブプラ』のことでいっぱいだった。