公爵令嬢は一言も話しかけてこない王太子殿下の隣で読書をする。
エリーヌ・ミテラン公爵令嬢は、この国のハリス王太子の婚約者であったのだが、
婚約者と決まったのが10歳の時、15歳になるこの年までまだ一度もハリス王太子に会った事はなかった。
15歳になれば、貴族の子女は王立学園に通う事になる。
嫌でもハリス王太子に会う事になるのだ。
やっと婚約者であるハリス王太子に会う事が出来る。
嬉しさで胸が高鳴ったエリーヌであったが、
ハリス王太子に会ってみて驚いた。
会ったというか、彼は机にかじりついて、本を読んでいたのだ。
近眼のようで、眼鏡をかけてひたすら本を読んでいたのだ。
エリーヌが近づいても、見る事も無く、ただただ本を読んでいて。
エリーヌは話しかける事すら出来なかった。
少しでも親しくなりたかったのに、何故?本ばかり読んでいるのかしら?
授業を受ける以外、見かけるハリス王太子は本を読んでばかりいて、
エリーヌは苛立つばかり。
わたくしは貴方の婚約者なのよ。
少しは気を使いなさいよ。
苛立ってばかりいても仕方がない。
放課後、図書室で本を読むハリス王太子の隣に座り、エリーヌも本を読む事にした。
隣にいても一言も話しかけてこないハリス王太子殿下。
それでもエリーヌは、ハリス王太子の隣で読書をするだけで、何だか婚約者の傍にいけたようなそんな気がして幸せだった。
ただ、一つ望む事。
一言でも話しかけて欲しい。
わたくしはここにいるのよ。
お願いだから話しかけて?
王太子殿下…。
放課後、図書室でハリス王太子の隣で読書をする事が半年程続いたある日の事である。
エリーヌがハリス王太子の隣に座ろうとしたら、声をかけられた。
隣国のアレク皇太子である。
「私は隣国の皇太子アレクだ。今、留学してこちらの学園に来ているのだが、君がミテラン公爵令嬢、エリーヌだね?」
「ええ。そうですわ。」
「噂通り美しい。これから私とカフェでお茶でもしないか?」
「でも、わたくしは…」
隣で婚約者が他の男性にカフェに誘われていても読書が大事なのね…
ハリス王太子殿下は…
「いいわ。カフェに参りましょう。」
エリーヌはアレク皇太子の誘いに乗る事にした。
外のテラスのカフェでお茶を楽しむエリーヌとアレク皇太子。
アレク皇太子は、
「こんな美しい令嬢があの読書しか目がないハリス王太子の婚約者なんてもったいない。私の国に来て、私の妃になって貰えないだろうか?」
エリーヌは紅茶を飲んでから、
「王家が許さないでしょう。我が公爵家を手放しませんわ。これは政略。わたくしがどうこう出来る問題でもありませんわ。」
「それならば、今までのハリス王太子殿下の態度を、この国の法務へ訴えればよいのでは?
婚約者への不誠実な態度。訴えれば王家相手とはいえれども勝ち目はあると思えるが。」
訴えるだなんて考えた事は無かったわ。ただ、隣にいて読書が出来ればそれで満足していたわたくしって…
その時である。
「ゆ、許さないぞ。エリーヌは、わ、私の婚約者だ。」
真っ赤になって、ハリス王太子が近づいてきて、アレク皇太子に向かって怒鳴った。
エリーヌは驚いた。
初めてその声を聞いたのである。
アレク皇太子はハリス王太子に向かって、
「ふふん。お前はエリーヌ嬢と会話も無いじゃないか。婚約者と言えるのか?」
「そ、それはその…」
ハリス王太子は俯く。
そして、小さな声で。
「わ、私は…恥ずかしがり屋なのだ…。エリーヌが私の婚約者と決まって、そっと見に行った。嬉しかった。だから、学園に通うのが楽しみで楽しみで。
でも、いざエリーヌを前にすると話しかける事が出来なかった。
恥ずかしくて恥ずかしくて…エリーヌに嫌われたらどうしよう…洒落た会話も出来ないし、私はこの通り、冴えない男だし…だけどエリーヌは、本ばかり読んで話しかけもしない私の傍で毎日、放課後、隣で読書をしてくれた。幸せだった…私はそれだけで満足していたのだ。
でも…それは婚約者にする態度ではない…確かに。
すまなかった。エリーヌ。こ、こんな私でも見捨てないでいてくれないか?
これからは努力する。一生懸命、交流するよう努力するから。」
エリーヌは嬉しかった。
やっとハリス王太子の声が聞けた。その気持ちが聞けた。
とても嬉しかったのだ。
「承知致しましたわ。ハリス王太子殿下。
それからごめんなさい。アレク皇太子殿下。わたくしはハリス王太子殿下の婚約者。
貴方の申し出は受けられませんわ。」
「解った。二人仲良くな。」
アレク皇太子はやけにあっさりとその場を去っていったのであった。
そして、彼はこの国の国王陛下と王妃に報告をした。
「上手く行きました。ハリス殿下に焼きもちを焼かせることが出来ました。
これで少しはエリーヌ嬢と交流するでしょう。」
国王陛下はアレク皇太子に礼を言う。
「有難う。アレク皇太子殿下。我が息子ながら女性に対しては気が小さくて。
優秀な息子なのだ。しかし、女性に対してだけはどうしようもない。」
王妃もアレク皇太子に礼を言う。
「貴方はミレーヌの婚約者になりますのに、有難う。今回の事、礼を言います。」
そう、政略でこの国の王女ミレーヌと婚約を結ぶことが決まっていた。
アレク皇太子は二人に礼をして、
「お役に立てて光栄です。」
内心でアレク皇太子は、
- エリーヌが、ハリス王太子を見限ったら面白かった物を。まぁいい…
政略国相手に機嫌を取るのも大事な事だ。 -
満足げに微笑んだのであった。
国王陛下と王妃達の苦労もあって、
ハリス王太子はこの件があってから、エリーヌと会話をするようになった。
「この本は面白いから、エリーヌも読んでみるといい。」
「まぁ、どんな本ですの?」
「恋愛小説だ。王太子と公爵令嬢が熱い恋に陥るロマンティックな…」
二人で顔を見合わせて赤面する。
エリーヌは思った。
ハリス王太子殿下はとても良い人で…話せば話す程、どんどん好きになる。
政略で婚約した相手をこうも好きになれる自分はなんて幸せなんだろうと。
先々のハリス王太子との幸せを思い浮かべながらエリーヌは今日もハリス王太子と話をする。
秋の空はエリーヌの心を表すかのように美しく晴れ渡っているのであった。