Chapter.7
「えっ」
「フルーツサンドだ、良く買えたね」
「今日は早めに購買行けたので……」
「あ、こっちのクラス体育だった?」
「うん、サポセン」由上さんの問いに答えたのは立川くんだ。
「いいなー、昼休み前のサポセン」
“サポセン”は“サポートセンター”の略称ではなく、不定期で外部から授業をしに来てくれる体育の小田嶋悟先生のあだ名。常に左ひじにサポーターをつけてる先生、略してサポセンは、昼休み前の授業で必ず「腹減っただろ」と気を利かせて、終業のチャイムより少し早めに授業を終わらせてくれる。
「そーなんだよ、俺すっかり忘れててさー」
「わかるー、オレも良くやる」
立川くんと由上さんが笑い合う。
「フルーツサンドって数量限定じゃん。いつも狙ってるけどいつも買えないんだよね~」
笑いながら言う由上さんに、勇気を出して言ってみた。「半分、食べますか……?」
「えっ! いいの!?」
思っていた以上の喜びようで、少し驚きつつも「はい」うなずく。
「じゃあオレもなんか」自分の近くに置かれたレジ袋を由上さんがガサガサあさりだす。
「いっ、いえっ、大丈夫です!」
「いや、もらってばっかじゃ悪いし」
「一人で食べきれるかなぁって心配だったので、半分もらっていただけると嬉しいです」
「……そう?」
小首をかしげて言った疑問形の言葉と同様、少しきょとんとしたような表情はなんだか幼く見えて、思わず笑ってしまう。
「はい、ぜひ」
うなずいて笑みを返す。共有できるのがすごく嬉しくて、真顔でいるなんて無理だった。
机の端っこ、落ちちゃわない安全な場所にフルーツサンドを置く。
「食べたくなったら開けていただければ……」
「ありがとう。うわ、すごい見栄えいいじゃん。写真いい?」
「はい」
由上さんはスマホを取り出して、フルーツサンドにレンズを向けた。均等にスライスされたマンゴーが並ぶ断面は確かに見栄えが良く、写真を撮りたくなる。
微笑ましくてニヨニヨしながらその光景を眺めていると、カシャリと音がした。
「……うん、カワイイ。ありがと」
「はい」
私も撮ろうかな、とスマホを取り出す。フルーツサンドをくるりと半回転させて……背景に、由上さんが入るようにして、こっそり、パシャリ。
バレてないかなとドキドキしながら写真を確認する。今日の戦利品であるフルーツサンドと、その奥で優しく微笑む由上さん。ピントはもちろん、由上さんに合ってる。
由上さんと同じように、画面を見て写真を確認してからスマホをしまった。
「めっちゃ写真映えするね」
「そうですね……素敵です」
ちゃんと撮れてて嬉しくて、えへへと一人はにかむ。
「蒼和ばっかりずるーい」
「二切れしかないんだから、無理言わなぁい」
「ひいきだ、ひいき」
立川くんは楽しそうにブツブツ言いつつ、おにぎりを開封する。由上さんも同じようにしながら、「いつも教室で食べたらいいのに。そしたらこうやって話せるしさぁ」私に話しかけてくれる。
「いつも、ここで昼食ですか?」
「割とね。なんか居心地いいから」
「わかります」
少し開いた窓から雨の匂いが混じった風が入ってくる。
晴れの日には暖かい陽射しを浴びられて、難しい授業のときは眠気と戦うことになる。夏は暑くなりそうだけど、夏休みに入ってしまえばこの席に座ることもない。
鞄からポケットティッシュを取り出して、机に敷いた。気を付けて食べていても、カレーパンのコロモが落ちてしまうから。由上さんがいるのわかってたら、もっときれいに食べられるの買ったのになぁ……と後悔するけど、一口かじったカレーパンがまだ暖かくて美味しかったから、もういいやって気持ちになる。
「お弁当とかなのかと思ってた」
「…私、ですか?」
「うん」
「そういうときもありますけど、梅雨どき以降はちょっと……こわくて」
「あぁ、食中毒とか」
「はい」
「教室にも冷蔵庫とレンジあればいいのにね」
「そうですね」
「一年の教室、食堂までちょっと遠いもんねー」それまで私たちの会話をニコニコ眺めていた立川くんが言葉を挟む。
「そうなんだよね。それに、冷蔵庫はともかく、レンジ、意外と並ぶんだよ」
4月、5月中のお弁当だった日は食堂にある生徒用の冷蔵庫とレンジを使っていたけど、並んで待っているだけで貴重な昼休みの数分を費やしてしまうから、たまに温めずに食べる日もあった。
「へぇ、そうなんだ」
「うん。立川くん、使わない?」
「うん、うち弁当作ってくれる人いないからさ、いつもコンビニのとか、食堂で食べちゃう」
「そっか」
「蒼和はたまに使うでしょ?」
「え? あー、うん。使うね」
「お弁当、ですか?」
「うん……兄貴が作ってくれるから」
「お兄さんいるんですね」
それは初耳。
「こいつんち、男ばっかの五人兄弟でさ、一番上のにいちゃんが料理人なんだよ」
「そうなんですね」
「うん。だからたまに、気まぐれで作ってくれる」
「仲いいんですね」
突如出てきた新しい情報を脳が勝手にインプットしていく。この感情は“好き”というより“ファン”なんだろうな。
うんうん、それならこの感覚にもうなずける。ファンだからお話しできるだけでこんなに緊張するし、こんなに嬉しいんだ。
一人でうんうんうなずきながら私がカレーパンを食べ終える間に、由上さんと立川くんはおにぎりを二個とホットスナックのアメリカンドッグ一本を食べ終えてた。
いつも思うけど、男子の食欲ってすごい。
机の上を見ると、案の定ティッシュの上には揚がったパン粉がいくつか落ちてた。こぼさないようにしつつティッシュを丸めて、パンが入っていた紙袋に入れ……ようとしてまだツナサンドが入っていたことに気付き、教室の後方にあるごみ箱にカレーパンの包みと一緒に捨てた。
そうだった、ツナサンド食べればコロモポロポロ問題回避できたじゃん。でも揚げたて食べたかったし、まぁいいか、なんて思いながら席に戻ると
「開けていい?」
少し首をかしげながら由上さんがフルーツサンドの袋の端をつまんでる。
「はい」
それが可愛らしくて、自然と笑顔になってしまう。わー、とかきゃー、とか脳内の自分がバタバタしてるけど、バレてしまうほど表には出ていない。思ってることがあまり出ないタイプの人間で良かった、といまは思う。
封を開けて、三角に切られたサンドイッチを一切れ取り、「はい」由上さんが私に包みを渡してくれる。
「ありがとうございます」
受け取って、同じように一切れ、袋から取り出した。ずしりと重いそれを両手で持って、食べる準備をする。
「いただきます」先に由上さん
「いただきます」
あとから私が言って、二人で同時にひとかじり……んんっ!
「うまぁ!」
先に声をあげたのは由上さんだった。そのすぐあとに私もうんうんうなずく。
「マンゴーが!」
「すごくジューシーです!」
「ね!」
二人で盛り上がっていると「深夜の通販番組みたいだよ」立川くんにあきれ顔をされた。
「いやマジで旨いんだって!」
うんうん!
「一口ちょうだい」
「だぁめ、オレがもらったの」
「けち」
「またサポセンのときに買いに走ったらいいじゃん」
「そっか。次いつだっけ」
「えーと……」立川くんに問われて、カラになった三角のビニール袋にフルーツサンドを一旦置いて、スマホのスケジュールを確認する。「再来週……7月中旬くらいかな」
「えー、じゃあもうフルーツサンド終わってんじゃん」
そう、フルーツサンドは季節限定。7月に入ったらもう買えない。でも、フルーツサンドの魅力を謳うポップの隣に、嬉しいお知らせが掲示されていたのを思い出す。
「代わりにアイスの販売が始まるって書いてあったよ?」
「あっ、そうだ」
「そっか」
立川くんと由上さんがそれぞれ言って、笑顔で顔を見合わせる。
「え、ちょっとオレの分も買って冷凍庫入れといてよ」
「別にいいけど、あれ、個数制限あるらしいじゃん」
「そうなんだ? オレそれ初耳かも」
私たちはまだ一年生で、買ったことがないから憶測になるけど、兄や姉、部活なんかの先輩から聞いている人が多くて、入学して早々に『夏になると購買部でアイスを販売するらしい』と噂になった。
「蒼和の兄ちゃん、音ノ羽出身じゃないんだっけ」
「兄貴たちが高校生の頃、まだこっち戻ってないよ」
「あぁ、そっか」
なにか二人にしかわからない共通の話題があるのかな? と思いつつフルーツサンドをパクつく。何口食べても笑顔がこぼれるくらい美味しい。品質のいいフルーツを仕入れているってポップに書かれてたなぁ、なんて思い出しながら、あっさりした風味のクリームと一緒に味わう。
同じように食べ進めていた由上さんが、なにかに気付いたようにクリームだけ舐めた。
「あ、これ生クリームじゃなくて、ヨーグルトクリームか」
「! だから爽やかなんですね」
「うん。ちょっと味、軽いよね」
「はい。フルーツの甘味で気付かないだけかと思いました」
「またマンゴーが旨いよね~、オレ好きでたまに食べるんだけど、これめっちゃいいやつだわ」
「あっ、カウンターのポップにも“産地厳選”って書かれてました」
「そーなんだ! マジで今度狙お~!」
「ねぇ、また通販番組みたいになってるって」
立川くんが苦笑しながら私たちを見ている。
その目線とは別に、遠くからチクチク感じる複数の視線。
廊下を歩く女子たちが教室内の由上さんに気付いて、通りすがりにこちらを見ている。会話の相手が私だと気付いた人からの視線が、少し痛い。
(すみません、すみません)
私のようなモブ生徒が主役級の由上さんと喋っていることが、お気に召さない人もいるだろう。
(きっと私の人生に何回かしか訪れない僥倖なんです、すみません)
卑屈に謝りながらも幸せなこの空間が愛おしすぎて、終わって欲しくないなって思う。だけど、鳴るのはわかってたけど、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ってしまった。
クラスの人たちもちらほら戻ってきて、由上さんも席を立った。
「また、タイミングあったら一緒に昼飯食おう」
「はい」
そう言ってもらえるだけで、もう充分、満足だった。
そんな奇跡のようなタイミングがまた訪れるのかはわからないけど、来たらいいなぁ、と思う。
バイバイ、と手を振って、由上さんが教室をあとにした。いつかの屋上を思い出す。
立川くんのように振り返すことができなくて、笑みを浮かべて会釈した。
由上さんが退室したのを確認して、立川くんがそっとこちらに身を寄せる。
「ね」
「うん?」
「こわい? 蒼和」
「えっ、全然。なんで? 私、怯えてた?」
「いや、ずっと敬語だったから」
「あ……」
無意識で出てしまうクセ。自分ではわかっていても、知らない相手には委縮していると捉えられてしまう。
「私、緊張すると、相手がどんな人でも……たとえば赤ちゃんとかでも、敬語になっちゃうの。だから……」
「あぁ、そういうこと。じゃあ俺は特別だ」
「う、ん……そうだね……立川くんには何故か、緊張しないんだよね……」
「まぁ、威圧感出したことなんてないからねぇ」
立川くんはのほほんと笑いながら机の上を片付けてる。
ほかの人からだって威圧感を感じてるわけじゃないけど、立川くんの雰囲気はいままで出会った人たちにはない、人を安心させるなにかがあるように思う。だから初対面でも気兼ねなくお話しできた。それってすごい才能。立川くんの特殊能力だと思う。
「……気にさせちゃったかな」
由上さんにも同じことを何回か言われているのに最初の口調に戻ってしまって……いつからかなにも言われなくなったけど、それも優しさだとしたら気にさせてしまった可能性が高い。
「うーん、どうかな。まぁ、それはそれで、火が付いたと思うけど」
「なにに?」
「んー? 闘志?」
「え? なにに対して?」
「んー……秘密」
「えっ、気になる」
「俺が言うことじゃないから~」
鼻歌を歌うように言った立川くんは、どこか嬉しそうな楽しそうな、晴れやかな雰囲気だった。謎に思いつつ、それ以上聞けないまま5時間目の授業を受ける。
窓の外に広がった黒雲とは正反対に、私の心は晴れやかだった。
この席を引き当てられてよかった。立川くんとお話しできるようになってよかった。由上さんが優しくて、本当によかった。
入学して二か月経って、心の底から嬉しいと思えることにたくさん出会えるようになった。それが本当に嬉しかった。
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