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Chapter.65

「ごめんなさい……」

「いいのよ。制服じゃなくて良かったじゃない」

 結局、水で洗っても落ちなくて、ペンキがついたままのジャージをママに渡すことになった。

「クリーニングで落ちるかしら」

「汚れててもいいよ」

「そう~? とりあえず、時間経たないうちに行ってみるわね。明日も使う?」

「あー……使う、かも。いま文化祭の準備してて」

「あらそう。もうそんな季節かぁ」

 しみじみするママに

「ごめんなさい、お願いします」

 ジャージを預けたまま部屋に戻った。

 今日はもう、日記用のルーズリーフを開く気力もない。それでも課題は出ていて、重い身体と気持ちを無理矢理起こして机に向かった。

 夜、ベッドに入っても今日の出来事がよみがえっては消え、よみがえっては消え、を繰り返して、周りの酸素が吸収されたように、息苦しさが私を襲った。


* * *


 次の日、ジャージの代わりにとママが買ってきてくれた作業着を持って学校へ行く。多分今日は、教室の端っこで目立たないように作業するだろうから、多分大丈夫。多分……。

 自分を安心させるように、頭のなかで“大丈夫”って繰り返しながら教室へ入った。

 教室後方の出入口近くの席で、椎さんと恵井(エイ)さんが喋っているのが目に入る。

 まさかね、とは思うけど、それでもその理由がしっくりきてしまう。

 私が、由上さんと親しそうにしているから……だから最近、私の周りでなにかが起こっている。それをしているのは……いけない。良くないよ。だって全部、ただの私の憶測。いくら二人が由上さん(非公認)のファンクラブ会員だからって……トイレで囲まれたからって……昨日のことも、わざとじゃないかも……うっ。

 自分の席に座ろうとして、動きが止まる。

 引いた椅子の座面に、蓋が外された接着剤が置かれていたから。

 気づかず座っていたら中身が出てスカートや椅子に付いてたかも……って思って嫌な気分になった。

 そっと持ち上げて、机の上に置く。近くを少し探して、すぐに蓋を見つけることをあきらめた。

 背後で舌打ちの音が聞こえたからだ。

 どうせやるなら、誰がやったかわからないようにしてほしい。そしたら、決まった人におびえたり嫌な気持ちをいだいたりしなくて済むのに。

 誰の仕業かわかってしまったら、その原因もわかってしまう。そうしたら、私はその“原因”から離れなくてはならない。

 蓋のない接着剤をティッシュにくるんで、教室後方のごみ箱へ捨てた。視線を感じるけど、気づいていないふりをして、そちらを見ないようにした。

 多分もうなにもないだろうけど、心配になって机の中を確認する。うん。大丈夫。

 向こうもあまり大げさにしたくないだろうし……私もそう。だから……私が我慢すればいい。

 一度席に着いてしまえば、周りに誰かいる間はきっと大丈夫。由上さんが教室にいるときは、こちらを見ることさえしない二人だし、由上さんが近くにいるときは私なんか気にも留めてないと思う。

 私だって、由上さんが誰か特定の人と仲よさそうにしてるの見るの、ヤだもん。しかも相手が私みたいな、地味でモブな人だったらきっと余計に不満になると思う。だとしても私だったら誰かになにかするとかじゃなくて、あきらめちゃうだろうから……良くも悪くも行動に移せるのはすごい。いいかどうかは内容によるけど……。

 重くなりつつある身体を動かして授業の準備をしていたら、先生が教室に入ってきた。

 ふぅ、と息を吐いて、日直の号令に従って立ち上がった。


* * *


 授業が終わって一息つく。けど、安心よりも不安な気持ちが先だってしまう。

 なんだか最近ツイてないというか……悪意あってのことかどうか……スカッと嬉しいこともなくて、夏休みの由上さんとの思い出が遠い昔のことのよう。

 次の授業が終わったらお昼休みになる。教室や食堂で食べるのもなぁ……涼しくなってきたし、屋上行こうかな……なんて考えていたら、バッグの中でスマホが震えた。

 なんだろ……ダイレクトメールとかかな……。

 取り出して画面を見たら、由上さんからのメッセが表示されていた。予想外で思わず背筋が伸びる。

 短い休み時間中だからきっと教室……私の後方の席にいると思う。けど、振り向くことはできない。

 そっとスマホを取り出してこっそり確認したら


『昼、いつもの場所で一緒にどう?』


 って一文を受信していた。“いつもの場所”は、猫ちゃんたちの憩いの場所のことだ。

 返事はもちろん『はい、ぜひ』。

 さっきまで沈んでいた気持ちがフワッと浮き上がる。

 あの場所なら、きっと誰にも見つからないで由上さんと一緒の時間が過ごせる。

 誰かに見つからないように行かなければならない、というミッションも付加されて、頭の中はもう由上さんとのお昼ご飯の時間のことばかり。

 我慢しないと漏れ出してしまう笑みを、少しうつむいて隠した。

 たった一行のお誘いだけでこんなにも気持ちが弾むなんて、やっぱり由上さんはすごい。

 さっきまではノートを取るだけであまり頭に入ってこなかった授業内容が、すんなり理解できるようになった。さっきは苦手な科目で、いまが得意な科目だからってのもあるのかもしれないけど、それでもモチベーションが全然違っていて、なんというかもう、由上さんは“ありがたい存在”になっていた。


 授業が終わって、クラスメイトは昼食を食べるために移動を始めた。初音ちゃんに誘ってもらったけど「先約があって」と伝えたら、すぐにわかってくれたみたいで笑顔で無言で応援してくれた。

 後方の席には由上さんはもういなくて、待たせたら悪いと少し慌てて個人ロッカーに入れてあるお昼ご飯が入ったサブバッグを取って教室を出ようとしたら、「天椙さん」

 背後から声をかけられた。

 振り向くと、そこには美好さんが立っていた。

「ちょっといい」

 疑問形ではないその要望を断ることなんてできなくて、

「は、はい」

 少し怯えながらうなずいた。

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