Chapter.3
朝、身だしなみを整えて軽くご飯を食べる、いつもと同じルーティン。違うのは、美術の時間に対する胸の高鳴り。
私みたいな人、ほかにもいそうだなぁって気がする。それだけ、ヨシカミさんの名前を聞く機会は多い。
「行ってきまーす」
家を出て、電車に乗って15分。駅から校舎へ向かう間にも、もう散ってしまった桜と同じ色を探してしまう。
なんでこんなに惹かれるのか。それを確認できるほどの接点もなくて理由はわからない。
果たしてわかる日が来るのかな。三年間あってもわからないんじゃないかなって少し不安になりつつ教室に入る。
入学したときから変わっていない私の席は、出席番号1番の定位置、教卓側のドアから一番近い席。
あんまり早く来るとあとから入ってくる人がたくさん通り過ぎるからっていう理由で、ちょっと遅めに来てる。
別に“おはよう”って四文字を言うだけなんだけど……なんでだろう。ハードル高い。
クラスメイトの人たちはみんな垢ぬけてて、同い年なのに大人っぽくて、別の世界の住人みたい。
みんな明るくて優しいから顔を合わせたら挨拶してくれるし、交流を持とうと話しかけてもくれるんだけど、私はそれに上手に答えることができなくて、自ら一人になることが増えた。だからみんな気を遣ってくれて、私は一人のまま。
あんなに意気込んで志望して入学したのに、やっぱり自分が変えられなくて落ち込む。
仲のいい友達ができることもなくて、みんなが集まっておしゃべりしたりゲームしたりしてる休み時間は一人で小説を読んだりしてる。なんとかしなきゃなぁ、と思うけど、勇気がでなくて……。
それでも学校は楽しくて、授業も苦じゃなくて、それだけが救いだった。
二時間目の授業が終わって、美術教室へ移動する。教科書、ノートとペンケースを持って廊下を一人で歩く。
行きかう生徒は全員私服。誰も気にしてないみたいだけど、やっぱり気になる。
帰ったらママかおねーちゃんに相談してみようかな……。
ファッションとかに興味はないけど、このままでいたくないとも思う。
それに……。
美術室の前に着いて、ドアを開ける。生徒はチラホラ。
白板に“好きな席に座っていいです”と書かれていたから、教室とは真逆の席、先生から一番遠い教室の一番奥の席に座る。
教室全体が見渡せる席は初めてで、なんだか新鮮だ。
二人で使う机の片側は、もちろんだけど空いている。
先にいた男女のグループが中央あたりの席に陣取ってるから、選択肢はまぁまぁ少ない。
多分、欠席者がいないなら全部の席に人が座るはず。
先に来て誰かが隣に座るのを待つのと、あとから来て誰かの隣に座るのとどっちが良かったかなぁ……。次回以降の席が今日と同じように決まっていないとしたらどっちにしよう。
続々と集まる生徒の顔を眺めながらぼんやり考える。その人たちの中に期待していた人はいなくて……そっか、じゃあ違う授業を選択したんだな、って思う。
四分の一の確率すら合致しないんだなぁ、と、空いたままの隣席を気にしつつ先生を待つ。
生徒は全員集まったのかと思っていたら……教室後方のドアがカラリと音を立て開いた。
一斉に向いた視線の先、少し驚いたようなバツが悪そうな顔をして立っていたのは、ヨシカミさんだった。
(えっ、わっ、うそ)
女子の大半も私同様、色めき立っているのがわかる。
ヨシカミさんは教室を少し見まわして、私の辺りで視線を止めた。
(えっ、なに? 見つめすぎた?)
慌てるけどどうにもならない私を気にも留めず、こちらに向かって歩いてくる。
(えっ、わっ、えっ)
「ここ、いい?」
私の隣、空いた席を指して、小さく聞いた。
「は、はい」
同じように小さな声で返事をする。
ふと笑ってうなずいて、ヨシカミさんは教材を机の上に置き、着席した。
こっそり覗き見た教科書の裏、名前の欄に書かれていた漢字を即座にインプットする。
“由上 蒼和”
(こういう字なんだ……)
爽やかな由上さんにぴったりの漢字。名は体を表すってこういうことだよなぁ、と自分には似合っていると思えない“光依那”の文字を思い浮かべる。
少しして先生が入ってきて、自己紹介を始めた。今日から一年間、このメンバーで美術の授業を受けること、一年で習うのに必要な画材、その他もろもろの説明。
私と由上さんは隣り合った席で先生の話を聞いていた。
頬杖をついたりノートを取ったりあくびを噛み殺したり……一挙手一投足の気配を感じながら、得意ではないけどきっと美術の時間が一番楽しみになるんだろうなと思った。
授業が終わって、由上さんの周りに人が集まった。そのほとんどが私と同じクラスの女子。そうだよね、こういうタイミングじゃないと接点ないもんなぁ。
でも次の授業の時間も迫ってるから、みんな一言二言会話して、教室をあとにする。これから美術は毎回同じ教室で受けられるから、今日は挨拶だけにしたみたい。
人波がおさまると由上さんは小さく息を吐いて、教材をまとめ終わった私に笑顔を向けてくれる。
「一年間、よろしくね」
「よっ、よろしく、お願いします」
その一言だけで、私の中の由上さん株がまた急上昇した。
隣に座っただけの私にも声をかけてくれるなんて、なんて優しい人なんだろう。
嬉しさで表情を崩しながら歩く教室への帰り道で、自己紹介をし忘れたことに気付く。あぁ、私ってホント……。
もし今度、また今日みたいな奇跡が起こったら、ちゃんと名乗って挨拶をしよう。そう決めて、四時間目の授業の準備を始めるのだった。