天才どもを、喰い殺せ
最近絵に興味を持ったという転校生の広田彩芽。
僕、尾山倭はそんな彼女が初めて描いたという絵を見て——圧倒された。
彼女は色の天才だったのだ。
スランプ中だった僕は彼女にドス黒い感情を抱きつつも、弟子になりたいという彼女の申し出を承諾。放課後、絵を教えることに。僕は、真剣に学ぶ彼女の姿に段々と愛着が沸きつつあった。
そうして順調に行っていたある日。僕のリハビリも兼ねて師弟子でコンテストへ参加することに。しかし、そこには僕のスランプの原因となった天敵ともいえる人物、御野寺凛がいた。
「最近調子乗ってるみたいだったから叩き潰してやろうかなってね」
混沌とした状況の中始まる絵画コンテスト。誰もを魅了する天才色使いの弟子と、万年一位の天敵と、基礎しか取り柄のない劣等感まみれの僕が、優勝の座をかけて競い合う!
絵に熱い想いを持った三人の高校生が送る、青春ヒューマンドラマ!
——それは、まるでブラックホールだった。
なんだ……これ?
放課後。部室である美術室に足を踏み入れてすぐのこと。窓際に置いてあったその絵に、僕の視線は釘付けになっていた。
「あ、倭くん! えへへ。実は、家で描いた絵こっそり持ってきちゃった」
それの前に立って、にへらと笑みを浮かべる同級生の広田彩芽さん。
視線が一度彼女の方へ向かい、再び絵に戻される。彼女のことを気にするだけの余裕が、今の僕にはないから。
「初心者って言ってたろ……ッ!」
彼女に聞こえないよう声を落として、吐き捨てる。
昨日転校してきた時、絵に興味を持ったばかりだって言ってたじゃないか……!
内心毒づきつつ、僕はそれに深く意識を集中させた。
一番に目を引く、ど真ん中に描かれたまん丸の紫。それを囲うように、周りには絶妙な色使いで彩られた赤、青、黄、緑、ピンク、オレンジ……いや、他にも何色か使われてるな。それらが、あるべくしてそこにあるのだと主張するようによく馴染んでいる。そして各所にさりげなく散りばめられた小さな金の絵具が、ど真ん中の紫を際立たせていた。
しかも、これだけ多彩な色が使われているにもかかわらず、うるさくない。自然と中央の紫へ視線が導かれ、目移りしないのだ。
普通、いくつもの色を一つの絵に押し込めようとすると、駄作以下のゴミに成り果てる。使い過ぎれば毒となる、いわゆる薬のようなもの。しかし、この絵はそれを『個性』と呼ばれるものにまで昇華している——できている。
一言でいえば、凄まじい。すごすぎる。
「これは……本当に、君が?」
「そうだよー。めっちゃ時間かかったけど」
腰までの綺麗な髪をなびかせ、なんでもないように彼女は言った。僕が圧倒されてるのがわかったのか、その大きくて丸っこい目とぷっくらとした口がだらしなく歪んだ。
時間かかったけどね……か。
彼女がさりげなく発したその言葉に、無意識に歯を食いしばる。
「確か、初心者って言ってたよね」
「うん。実際に描いたのはこれが初めて。絵画とかはよく見てたんだけどね〜」
「そ、うか……」
描いたのが初めて、だって……? これで……?
その理解したくない事実に、ただただ思考が停止する。
確かに、自分で言っていた通り彼女は初心者で間違いないんだろう。お世辞にもデッサンが上手いとも言えなければ、構図も単純だし。でも、それらはいわば技術の分野。学べば身につけられる。
それに、その程度の問題など気にならないほどに、彼女の色使いに魅了される。
……くそ。こんなの認めるしかないじゃないか……ッ!
間違いなく——彼女は天才だ。
その事実を頭の中でじっと噛み締める。
すると、広田さんは自分の絵をじーっと眺め、こう言った。
「うーん、やっぱり倭くんの絵の方が上手だな〜」
なん……だって……?
この絵と比べて、僕の絵のどこに魅力があるっていうんだ? そりゃあ、僕は十年以上絵を描いてるし、基礎ができているという自負はある。
でもそれだけだ。
この絵ほど強烈な個性なんてなければ、それを裏付けるように参加したコンテストはいつも二位だ。いつも強烈な個性を巧みに操る、先輩に負けている。いつも一位をかっさらっていく、あの憎きサディスト女に……!
そんな僕の作品が、この絵よりも魅力があるだなんて……そんなわけないだろッ!
だんだんと、ドス黒い感情が僕の頭を支配していく。
……っていやいや、待て待て。ここでソレを爆発させてどうする。せめて、人のいないところで、だろ。
ふう、と大きく深呼吸をしてから、にっこりとした笑顔を心がけて口を開いた。
「ごめん広田さん。僕ちょっと用事思い出しちゃったから帰るね」
へ? と固まる広田さんを無視し、そこらへんに突っ立っていた顧問に声をかけて帰りの支度を始める。
背後から『尾山君、まだ描けるようになってないのね……』という先生の呟きが聞こえてきた。
ああ……その通りだよ。僕は、あの先輩にずっと負け続けてスランプになった腰抜けだよ。悪いか。……というか、部活とは言っても別にそこまで厳しくないし、たまにはサボってもいいだろ。実際、幽霊部員も多いしな。
ちょうど用意を終えたところで、広田さんが何かを思いついたようにあっ! と声をあげた。
「それじゃあ、私も帰ろっかな! ね、倭くん。一緒に帰ろ!」
「…………え」
一人になりたくて帰ろうとしてるんだけど。
……でもまあ、いいか。今の時間、どうせ通学路は人が多い。家に着いてさえしまえばこっちのものだ。
「うん、わかった。そうしようか」
僕がそう返すと、広田さんはわーい! と一足先に扉から飛び出していった。いちいち行動が早いな……。
彼女を追うように僕も美術室を後にし、そのまま並んで廊下を進みはじめる。
……できるだけ、絵のことを考えないようにしながら。
「へへへー、倭くん一緒に帰るの初めてだね!」
「うん、そうだね」
というか君、そもそも昨日転校してきたばかりだろう。
そんな調子で、広田さんが振ってくる話題に適当に相槌を打ちつつ昇降口へ向かう。
しばらくすると、壁に飾られた、先のコンテストで一位と二位を勝ち取った二枚の絵が視界に入ってきた。
広田さんはそのうちの一枚、二位のものに視線を向けると、
「あー。倭くんの絵、やっぱり上手だなあ。全体のバランス、すっごくいいし!」
嬉しそうに、しみじみと呟いた。
…………それくらい練習すれば誰にだってできるだろ。
そして、続け様にこぼした彼女の何気ない一言が——僕の胸を抉った。
「あ、そうだ! ねえ、倭くん! どうせなら、私に絵を教えよ!!」
…………は?
その言葉を聞き取って一瞬、頭が働かなくなる。
「ほら、最近よく聞く……なんだっけ? えーと、そうそう。弟子! 私を弟子にしてよ!」
弟子、だって……?
思わず目を伏せ、グッ、と拳を握り込む。
ふざけるな。
ふざけるなよ。
君は……君は、書き始めたばかりであれだけの才能を持っていながら! 何年、何十年も費やして、やっとここまで来れるようになった僕の技術を奪おうというのか……!
ここまでやってきて、僕はまだ一位を取れないんだぞ。いつも、いつもあの先輩に……あの女に一位を奪われるんだ。僕の努力を……僕の全てを嘲笑うように……ッ!
それなのに……それなのに!
君まで……君まで奪おうというのか! 僕の、全てを……ッ!
ギリッ、と歯が軋む。握った手から血が滲むのがわかった。
「……倭くん?」
何か違和感を感じたのか、広田さんはどうかしたの? と問うてくる。
僕は何も答えない。言わない。
だけど代わりに——
僕は大きく深呼吸して、告げた。
「……じゃあ」
それならば。
「教えてあげるよ」
自分の中の妬み、羨望、憧れ……そして怒り。その全てを押し殺して、そう言ってやった。
「君を、僕の弟子にしてあげる」
「え、本当!? 本当にいいの!?」
「うん。……僕なんかで良ければ」
「いやったああああ!!」
彼女は胸の前で何度も何度もガッツポーズをして、体全体で喜びを表す。
…………ああ。
教えてあげるとも。
間違っても君のその才能を、殺しはしない。嫌と言うほど基礎を叩き込んで、きちんと伸ばしてあげよう。
そうして、最後に——喰らってしまおう。僕の全てを奪われる、その前に。
いや、広田さんだけじゃない。いつも僕から一位をかっさらって行くあいつもだ。あの先輩にだって、今まで僕が奪われていた分……いやそれ以上に奪い返してやる。
——圧倒的な才能を持った彼女らの全てを、ずっと敗北を味わってきた僕が、僕の手で喰らい返してやろう。