表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/27

夢の続きを、僕は雨天に綴る。

 この手紙があなたへ届くかは、私には判りません。

 ですが、どうか綴らせてください。

 あなたと過ごしたこの一ヶ月。

 雨模様の毎日を、僕は一生涯忘れることはないでしょう。

 伝えそびれた心からの感謝を、今ここで。

 ありがとう。そして、さようなら。


 僕は、あなたのことが──

 昔から、梅雨の時期が大嫌いだった。

 じめっとしてるし、少し頭も痛む。

 百害あって一利なしだ。


 今だってそう。僕は非常に困っている。


「(しくじったな、傘なんて持ってきてないのに)」


 先生の長話を聞き流し、泣き出しそうな曇天を窓越しに眺める。

 もっとも、泣き出したいのはこちらである。

 濡れネズミになりながらの帰宅なんて御免だ。

 それなのに、今日のSHRは心なしか長い。

 何がショートか。短く済ませる努力をしてくれ。


「それで、皆さんに大切な発表があります」


 担任の先生の、ひときわ大きな声が耳朶を打つ。

 全くの上の空だったから、どういう「それで」かは知らないが。


「なんと、このクラスに転校生がやってきます!」


 その発言に、周囲がにわかにざわつき出す。

 まだ夏休みには少し早い六月ではあるが、はてさて、どんな事情だろうか。

 しかし、こんな田舎の中学校へとやって来る人があれば、それだけで一大事。

 沸くクラスメイトたちの気持ちは分からんでもない。いや、いい歳して張り切る先生はどうかと思うが。


「なーなー、夏樹は転校生、男子だと思う? 女子だと思う?」

「少なくとも、お前が女子だといいなと思ってることぐらいは分かる」


 頭だけをぐりんと後ろの僕に向け、ご多分に洩れずテンション高めで話しかけてくる悪友に、適当に返す。


「おうともよ! 中二の夏、転校生とのラブロマンス! よくね?」

「妄想はチラシの裏にでも書き連ねておいてくれ」

「夏樹、なんか今日は辛辣じゃない?」


 典型的なしょんぼり顔を見せ、前に向き直る。

 表情が豊かなやつだ。


「それでは、入ってきてね」


 先生が促すや、おずおずと教室の扉が開かれる。

 途端、いったんは収まりかけた周囲の熱が再燃する。

 肩まで伸ばした髪は綺麗な濡羽色。

 どこかあどけなさを残してはいるが、美人になるだろうと一目で分かるその容貌。

 なるほど美少女である。


 黒板に、「白河(しらかわ) 二葉(ふたば)」と白いチョークで描かれる。

 どこか小動物のような女子だ。いわゆる庇護欲をそそられる、というやつか。

 可憐な彼女のことだ。きっと順当に恋愛などして、学校生活を送っていくのだろう。

 こんなひねくれ者とは関わらず、幸せに過ごせばいい。


 SHRが終わるやいなや、クラスメイトたちが彼女に殺到し、無遠慮な質問責めを仕掛けていく。

 娯楽のない田舎の中学生にとって、転校生とはそういう存在だ。

 どうか頑張って乗りきってくれ。

 おざなりなエールを心中で飛ばして、教室の扉に手をかけた。


◇ ◆ ◇


「ふう、危ないところだった」


 優柔不断な曇天は、ついに泣き出した。

 急いで帰ったおかげで大して濡れはしなかったが。

 さて、洗濯物をまとめてコインランドリーへと行くか。

 そろそろお風呂の掃除もしたい。ああ、今日は急いで出てきたから、水に浸けておいたままの食器も洗わないと。


 台所に移動して、冷蔵庫を確認する。

 料理はいつも通り入っていた。

 ラップに包まれたチャーハンと、その上には「レンジで温めて食べてね」との旨を記したメモ。

 その文面の最後は、常に「ごめんね」で締められる。

 母親だっていつも忙しいだろうに。感謝こそあれ、恨んではいない。

 でも。

 もう父は帰ってこないのだから、そろそろ再婚を考えてもいいんじゃないだろうか?


 いよいよ雨音が強くなってきた。

 ああもう、煩いな。


◇ ◆ ◇


 これは夢か。

 そうであるとしっかり理解できる。明晰夢というやつだろう。

 随分と久しぶりの感覚だ。

 頭は冴えている。僕の右手は思ったままに開いて、閉じる。

 暇つぶしに、散策でもしてみようか。

 椅子から腰を上げ、辺りを見回す。

 妙に視点が高い。

 どうやら、ここは書斎のようだ。見覚えはない。

 僕の家ではなさそうだ。

 真っ先に目についたのはカレンダー。最初は六月の十日、今日の日付け。そこから毎日赤いペンでバツが付けられている。

 それが途切れているのは六月の二十一日。

 何らかの事情があって途切れたのか? それとも、今がその二十一日?

 やたらと現実的で、奇妙な夢だ。


 と、入り口の扉がノックされる。

 開けようかと思ったら、先に入られてしまった。


「シュン、遅刻するよー?」


 見覚えのない女子用制服。揺れて存在を主張するポニーテール。

 意志の強さを感じさせる瞳が、こちらを見つめている。

 そして、その顔には覚えがある。

 昔見せてもらった、アルバムの中の母親。

 それが今、僅かな焦りの表情を浮かべて眼前に存在する。

 妙な感慨が浮かんでくるな。


 そして、少し遅れてもう一人。

 その人物は、別種の驚きを僕にもたらした。


「(白河……だったか?)」


 つい先ほど、と夢の中で言うのもおかしな話ではあるが。

 初めて見たばかりの顔がそこにある。母親然とした少女同様、制服をまとって。


「なにぼーっとしてるのシュン、さっさと行くよ!」


 手を掴まれ、書斎から引きずり出される。

 やはり、奇妙な夢だ。

 いいや、夢はこれくらい奇妙なものか。


◇ ◆ ◇


 薄い光が窓から射し込んでくる。

 スマホを手に取り、電源を付ける。

 五時三十二分。目覚ましよりも早く起きてしまったな。


 布団から這い出して、ぼんやりとしながら部屋を出る。

 リビングには、朝食が用意されている。

 まだ僅かに湯気を発している。


 家の中には人の気配はない。


 木製の椅子に腰を下ろし、味噌汁を一口啜る。

 ほう、と息をつく。


 窓越しに外を眺めれば、相変わらずの曇天。

 今日は傘を持っていこう。


◇ ◆ ◇


 いつもより時間に余裕がある状態で登校したが、さすがに早すぎたな。

 廊下に生徒の姿はほとんどない。

 さすがに手持ち無沙汰、余った時間をどうしようかと思ったが、とりあえず教室へと行くことにした。

 友人の一人でもいれば、他愛ない話で暇を潰せるだろう。

 が、それも失策であった。教室には、端の席で黙々と読書する白河だけ。

 すごく気まずいな。

 刺すような沈黙に耐えかね、適当な話題でも振ろうかと思ったが。


「あ、あのっ」


 彼女も同様に息苦しさを感じていたのだろうか? 先に言葉をかけられ、思わず言い淀む。


「何だ?」


 一瞬ののち、かろうじてそう返す。

 されど、果たしてなにを話すことがあるだろう?

 僕は彼女について知らない。

 彼女も僕については知らないはずだ。

 ところが。


「すみません、“中村(なかむら) 駿也(しゅんや)”さんという方をご存知でしょうか?」


 絞り出されるようなその言葉に、僕は今度こそ絶句した。

 微かに息を吐き、吸って、少し冷静さを取り戻す。


「駿也は僕の父親だよ。どうして君が知っているかは知らないけれどね」


 例えば、“可児江 駿也”と聞かれていたのなら僕はここまで動揺していなかっただろう。

 それは父のペンネームだ。もっとも、その名前で出した本は一冊きりだが。

 だが、“中村 駿也”の名前を彼女は知っていた。

 このクラスの人間ですら、誰も知らないはずなのに。

 この少女が、不気味に思えて仕方がない。


「もう一つ、聞いてもいいでしょうか?」


 それに対し、僕はなにも応えられない。

 やがて無言を肯定と受け取ったのか、白河は続ける。


「中村さんは今、なにをしていますか?」


 純粋な疑念を孕んだ瞳。

 その問いに対する解を、生憎と僕は持ち合わせていた。


「亡くなったよ、病気でね。とっくの昔に」


 予測してはいたが、その瞬間、空気が質感を伴って沈んだ。


「すみません、辛いことを思い出させてしまって」


 白河は慌てて手を振る。

 この話をしたときに決まって現れるこの空気感が、僕は嫌いだ。


「別にいいよ。気にしてないから」


 そう言って、自分の席へと向かう。

 気にしていないのは事実だ。実感が湧かないというのが正確だろうか?

 僕が小学校に上がる前にいなくなった父親の顔は、どこか朧げで。

 窓の外を眺めていた。

 泣けなかった僕の代わりのつもりだろうか?

 ざあざあと、雨が地上へと注がれていた。


◇ ◆ ◇


 その夜も、似た夢を見た。


 昨日と同様の、見慣れぬ書斎の中に立っていた。

 カレンダーを確認する。

 乱雑に破られたそれは、昨日見たものとは違って七月に入っていた。

 真っ赤なバツ印は七日で途切れ。そして七月十日、そこには「お別れ」と書いてある。


 そのまま立っていても仕方ないので、椅子に腰掛ける。

 と、机の上に一通の手紙を発見する。

 傍らには、芯が出たままのボールペン。


 途端に興味が湧いてきたので、開いて読んでみる。

 その最初の文。そこには、「白河さんへ」との文字が。

 そして、「この手紙があなたへ届くかは、私には判りません」。


 短い文章である。

 されど、僕はこの綴られた文章に、夢の中とは思えない確固たる意味と意思を感じた。


「僕は、あなたのことが──」


 その先は、いったい何を書こうとしていたのか?

 分からない。分からないのに、右手が動く。

 未完成の文章を書き上げようと、ペンを掴む。

 それなのに。


「がッ……!?」


 左手で胸を押さえる。

 熱い。心臓が張り裂けてしまいそうに、熱い。

 体験したことのない感覚に、抗う術などなかった。

 身体の芯は熱いのに、やけにひんやりとした表皮の感覚。

 それだけを知覚しながら、僕の意識は暗闇に落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  ▼▼▼ 第10回書き出し祭り 第1会場の投票はこちらから ▼▼▼ 
投票は9月26日まで!
表紙絵
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ