人形のように生きていたら本当に人形になったので
『人形のように生きてきた。だから私は、人形になった』
神々に祝福されたこの世界で、超越者の力を持ちながら人形のように生きてきた****は人の身をやめることにした。
前人未到の王都迷宮最下層に単身到達した彼女は、手に入れた遺物を使って人形となった。超越者だった時よりもはるかに脆く、神々の祝福も与えられない弱々しい人形の体。しかし、この体は、好きなだけ増やせるのだ。
彼女は増える。どんどん増える。個にして群たる集合意識となり、やがて国を為すまでに増え続ける。溢れるマンパワーに物を言わせ、技術研究も軍備拡張も内政発展も凄まじい速度で推し進め、いつしか『彼女』は新興ながら大国に比肩する超国家となる。それでも彼女は増え続け――。
彼女が望むは理想郷の建設。人形のように生きた人々が、人間らしく生きられる世界を目指して。
果たして我が半生を語るとて、そこにどれほどの関心があるのだろう。
人と人とは他人である。交流の断絶を望めば溝はどこまでも広がる。かつて私は世界を拒絶し、世界は私を拒絶した。ゆえに今日に至るまで私と世界は他人のままだった。
他人同士の二人が出逢えば、そこに結ばれる挨拶は初めましてだ。互いのことも知らぬうちから過去語りなどしようものなら、埋まる溝も埋まらない。何も今更世界の皆様と仲良くしたいわけではないが、これ以上の溝も望まないのだ。なので、過去は語らない。しかし語らねばならないこともある。この記憶を始めるために、最小限の因果で現状を説明しよう。
人形のように生きてきた。
だから私は、人形になった。
人形になった、と言うのは文字通りの意味だ。柔らかな体と熱き血潮を脱ぎ捨てて、つるりと滑やかな陶器の体になったのだ。頭の天辺から足の爪先まで作り物感を盛大に主張する、無機質極まりないマテリアル・ガール。それが、今の私である。
一部の方々にとっては極めて大切なことなので明記しておく。
球体関節だ。無論である。ご安心いただけただろうか。
さぞやご安心いただけたことだろうが、愛されボディを手に入れた本人としてはまったくもって不便極まりない体だ。腕も足も満足に曲がらない。そもそも曲げるための筋肉がない。仕方がないので自分で自分に魔法をかけて体を操っている。多少なりとも魔法が使えて本当に良かった。そうでなければ詰んでいた。
もう一つ言えば、体が動いたからと言って現状がどうにかなるものでもない。
私が今いるこの場所は、王都の地下に広がる巨大迷宮の最下層。悪鬼羅刹はびこる悪意の底に、体一つで突っ立っている。
さて、先ほど私はかつて世界を拒絶したと述べた。その一方でこれ以上の溝も望まないとも言った。そこにどのような心境変化があったのか、今こそ語る時だろう。
ヤバいのだ。ピンチなのだ。誰か助けてほしいのだ。
*
死んじゃう。こんなところに一人でいたら私死んじゃう。人形だろうと人間だろうとお構いなしに死んでしまう。
陰惨な未来予想に膝を抱えて泣きたくなるが、三日ほど抱えても何の解決にもならなかったので立ち上がった。少なくとも、お腹が空かないのはこの体の数少ない利点だ。
今一度状況を整理しよう。私がいるのは地底に広がる巨大迷宮最下層の小さなお部屋。俗に言う報酬部屋というやつだ。ここは迷宮でも数少ない安全地帯になっていて、この部屋にいる限り魔物に襲われることは無い。しかし、部屋の外で待ち受けているのは人智を越えた混沌だ。
人間だった頃の私でさえ、あの混沌の中では息を潜めて逃げ隠れるのが唯一の生存戦略であった。ましてや人間から人形にランクダウンした今となっては、背中を丸めてえぐえぐとすすり泣く他に取る術が無い。
ならば待っていれば何か状況が好転するだろうか。それはありえないと断言できる。まだ迷宮上層すらも突破できずにまごまごしている人類の皆様に、助けを期待するのは無理がある。
(あいつらなら来れるかもだけど……)
ここまで来られそうな輩に心当たりはあったが、私はすぐにそれを否定した。彼らに頼るくらいならこの場所で朽ちたほうがよっぽどマシだ。むしろ連中にだけは見つかりたくない。圧倒的な力を持つ超越者集団にこんな頼りない体で相対したが最後、私の生殺与奪権でボール遊びが始まるのは目に見えていた。
私は生きたい。生きてこの場所を出たいのだ。だから。
「がんばりましょうか」
言葉に変えて決意を固める。目的は生還。手段は不問。報酬は愛すべき我が人生。それはつまり、いつも通りのことだった。
スピード、パワー、アビリティ。全てにおいて以前とは比べ物にならないほど劣化したこんな体でも、いくらかやれることはある。特に期待できそうなのは魔法だ。
体を動かしている内に気がついたが、このボディは人間だった頃に比べて格段に魔法を扱いやすい。あいにく強力な魔法は覚えていないので使えないが、簡単な魔法なら高い精度で操ることができるのだ。具体的には常時自分にかけている操作魔法のことである。人形として日々を過ごすうちに、私はこの魔法を文字通り手足のように操る術を身につけた。そして操作魔法とは、本来遠隔から物質を動かすために使うものだ。
つまり、操作魔法を使えばこの部屋を動かずに探索できるのではないか。私はそう考えた。
報酬部屋にあった宝箱(中身は空だ)を解体して、自分を模した人形を作ってみた。名付けて私二号としよう。八分の一スケールの私二号に魔力の糸を接続すると、この矮小にして哀れな私は一挙一動を大いなる私に委ねることになった。くるくると踊らせてみる。虚しさが訪れた。
報酬部屋の扉を開け放ち、私二号を外に放り出した。いよいよ大冒険の始まりだ。頑張れ私。安全な部屋から応援しているぞ。
さて、迷宮において報酬部屋に繋がる部屋とはどのような部屋か。冒険者の皆様にそう聞けば、きっと顔を真っ青にして答えてくれる。そこは迷宮でもっとも危険な場所。蛮勇に散った冒険者たちの墓場。地獄の底の悪意の玉座。
あるいは単に、ボス部屋と呼ぶ。
ボス部屋は、見るも無残に荒れ果てていた。
部屋の中央には、かつてこの迷宮の主だった三体の天使が物言わぬ姿で斃れ伏していた。
*
私二号の最初の仕事は、天使の亡骸を解体することだった。
これが中々に重労働なのだ。見かけ以上に頑丈な天使の体をバラすのは、ちょっとやそっとでは難しい。長い時間をかけて慎重かつ丁寧に解体を進め、少しずつ素材を回収していった。
私二号だけではあまりにも効率が悪かったので、回収した素材を使って新しく人形を作った。人形の数は指数関数的に増えていき、最終的に六四体の小型人形たちが働いていた。八人編成の人形隊が八つ。これが今の私に操れる限界数だ。
数日かけて天使たちの亡骸を完全に素材化したので、私は次のステップに移った。人形ボディの利点その三、自分の体を交換できる。回収した素材を使って、貧弱極まりない私のボディを作り直すのだ。
昔から手先は器用な方だったし、操作魔法を駆使すれば荒い道具でも素材加工はできた。集めた素材から作った即席の工具で切ったり縫ったりくっつけたり。数週間の試行錯誤を経て、私はついに天使素材の等身大人形を作り上げた。
「ま、悪くはないんじゃない?」
天使のように可愛らしいと言うと語弊があるが、球体関節むき出しの無骨ボディに比べれば大分マシである。白く透き通る肌に亜麻色の髪。美しく輝くサファイアブルーの瞳。羽のように柔らかなワンピース。一目には人間と区別がつかないだろう。
私は自分の胸腔をがぽっと開き、中から取り出した輝く球体を天使人形へと移し替えた。変な表現かもしれないが、この球体こそが私なのだ。魂はどこに宿ると聞かれたら、私にとってはこれだと答える。
新たな体の手足が十分に動くことを確認しながら、私は次の方針について考えた。性能の良い体を手に入れたものの、これではまだ脱出までは望めないだろう。迷宮はそんなに甘い場所ではない。幸いにも天使素材はまだ残っているので、いくつか探索用の人形を作ってみよう。操作魔法で操れば安全に探索できるはずだ。
高性能の人形が何体かあれば、魔物の目を盗んで自生している素材を集められる。素材があればより多くの人形を作れるし、人形があればできることは更に増えるだろう。
そうして自己複製を繰り返せば、いずれはこの迷宮を脱出することも夢ではないのだ。
*
そして、二年の時が経った。
二年。二年なのだ。誰がなんと言おうとも二年が経ってしまったのだ。
結論から言おう。私はやりすぎた。自分を増やすのが楽しくて、脱出そっちのけで人形ライフを盛大に謳歌していた。
探索人形を遠隔操作して迷宮内の素材をかき集めた私は、人形を増産して魔物との戦いに臨んだ。最初の内こそ小粋に死闘を繰り広げたが、魔物素材を集めるほどにパワーバランスはどんどん傾いた。死闘は戦闘となり、狩猟となり、最後には虐殺になった。息を合わせて動く人形の群れと互角に戦える魔物などいないのだ。
しばらくすると最下層から魔物の姿が無くなったので、素材を求めて下層へと登った。下層の敵は最下層より数段弱い。私は人形を数体の編成に分けて操り、分散させて魔物を狩った。この虐殺は数ヶ月で終わった。
今、私の手元には十分以上の戦力がある。一体の純天使素材人形(私だ)。六体の天使素材配合人形。十九体の最下層魔物素材人形。五十二体の下層魔物素材人形。三百を超える素材回収用小型人形。それから、一体の宝箱素材人形も。私二号のことだ。解体して素材に戻しても良かったのだが、妙な愛着が湧いていた。
幾分か準備過剰かもしれないが、おいしい魔物もいなくなったことだしそろそろ脱出するとしよう。快適な迷宮生活を手放すのは名残惜しいが、もう行かないと。
私には、やらねばならないことがあるのだから。
地上に戻ろう。あそこがどんな場所かは知っている。それでも地上に戻るのだ。
私が生きたあの場所は、誰もが思い描いたような理想郷では無かった。世界は欺瞞に満ちていて、本当を知った私たちは人形のように口を閉ざした。
だけど、もう、そんな嘘は殺してしまおう。
主演は私。客演も私。幕が上がるには遅すぎて、カーテンコールには早すぎる。終演なんて認めない。私の劇はこれからだ。
人形劇を始めよう。
人形劇を始めよう。
災禍の底より、光を求めて。