烏森の魔女が助けたのは、『心の欠けた僕』でした
『烏森にある沼に落ちると、魔女の呪いで死ぬ』
この片田舎にある水楢町では有名な話だ。
高1の夏休み明け、内嶋秋弥はこの水楢高校へ転入した。
都会から来たこともあり、転入早々クラスで浮いてしまう。
転入から4日目、クラスメイトから急に遊びに誘われる。
それは、あの烏森での肝試しだ。
沼に着いた彼を、悪戯で沼につき落としたクラスメイト。
だがそれを助けてくれたのは、紛れもない『魔女』だった──
「沼に落ちたから、明日の夜には死じゃうね」
『沼の呪い』をとくには、1ヶ月、魔女に花を届けなければならないという。
秋弥にすでにかけられていた『母の呪い』をとくためにも、やると決める。
ただ、魔女に『心臓』を渡せば、すぐにどちらの呪いもといてくれるという。
心臓を持つ者の死と引き換えに──
花を贈る度に知る魔女のこと、そして秋弥の気持ち。
烏森の魔女は、彼にとって優しくて楽しくて、お人好し、だ。
『烏森の沼に落ちると、魔女の呪いで死ぬ。』
この片田舎の水楢町では有名な話だ。
その水楢高校の1年として、僕は夏休み明けから転入することになった。
あの家から、いや、母から逃げるためには、僕はここに来るしかなかった──
「みんなぁ、夏休みどうだったぁ? さっそくだが、転入生だ。内嶋秋弥、今日からクラスメイトになる。よろしく頼むぞぉ」
初日は、僕が都会から来たのもあり、興味本位でいろんなことを聞かれたりもした。
だけど、僕がここへ通わなきゃならなくなった理由は、ここの人のほうが詳しく知っている。田舎とはそういうところだ。
「内嶋ってさ、母ちゃん死んでウツって、ここに来たってマジ?」
「やっぱ都会の人って、センサーイ」
不躾にそう言うヤツもいた。
だけどそれは少し違う。
今日は登校から4日目の木曜日。
授業がおわった放課後、部活もない僕は帰るだけだ。
ただ、明日は金曜日。明日をこなせば、ようやく休みがくる。
そのせいで僕の心が少し弛んでいた。
だから、つい、「いいよ」なんて返事をしちゃったんだ。
「内嶋、今日の夜中、肝試しにいかん?」
繋がってしまったメッセアプリには『今日の夜、23時に沼、集合』と書いてある。
畳に寝転がりながら、僕はスマホを見上げた。
「沼って、烏森の、だよな……ま、行くだけ行くか」
約束は約束。
断ることももちろんできたけど、これ以上、波風を立てたくない。それでなくても、僕はぎこちない作り笑いしかできないし、都会から来たというマイナスのステータスを引きずってて、クラスですでに浮いている。
この状況はどうにかしたい。
「──ごちそうさま」
何か言いたげな祖父母を横目に、僕は部屋へと戻った。
適当に時間を潰せば、すぐに時間がきてしまう。
僕はすでに寝静まった家から、そっと出て行く。
軋む廊下を鳴らさないように歩き、引き戸の玄関を開けると、むわっとした外気が肌を包む。
すぐにスマホの地図を開き、その通りに歩いていくと、街灯のある道路から、月明かりしかない道へと入っていく。
舗装ではない道をたどりながら、僕はあたりを見回した。
「これ、道あってる? ……マジ森ん中、暗いんですけど……」
止まないカエルの鳴き声に、ときおり響く鳥の声。どれも不気味な演出だ。
もうすでに僕の中では肝試しと言ってもいい。
ビクビクしながら歩くこと数分。月明かりで、水面が白く揺れる沼の前へ出てきた。
「意外とキレイかも」
沼の大きさは見渡せる程度で、想像していたよりも小さかった。
淵には長い草が覆い、目の前には年季の入った看板が。
錆た鉄板から辛うじて『危険』の文字が読めるが、その割には沼の周りに柵などは設けられていない。
「あれ、早く着きすぎた……?」
スマホを掲げかけたとき、何かが藪から飛び出した。
黒い影が僕に向かってくる!
悲鳴を上げる間もなく、僕の体は浮いていた。
……いや、突き落とされたんだ。
沼へ落ちる瞬間、数人の男の笑い声が聞こえたから。
黒い水面は上下が全くわからない。
きっとこの瞬間も動画にとって、あいつらは笑っているんだろう……。
すぐに体が冷えて、どんどん沈んでいく───
「……ひっ!」
飛び起きたところはベッドの上。
僕は周りを見渡し、まだ夢の中にいると確信した。
なぜなら羽をつけた小人が僕の周りを飛んでいる。ファンタジーで見る妖精ってやつだ。
僕はそれを掴もうと腕を伸ばしてみた。
「お触り禁止でーす!」
黒いフードをかぶった女の子が、僕の手を唐突に握り、阻止された。驚き見つめていると、
「ん? ここは烏森の魔女の家だよ? 知ってるでしょ?」
彼女はおもむろにフードを外した。
僕と同じ高校生くらいだ。だけど雰囲気は落ち着いていて、金色の柔らかな髪を指にからませ、耳にかけた。
彼女は慣れた手つきで青いバラをもぐと、知らない言葉を唱えながらマグカップに手をかざす。
瞬く間に藍色の水が現れ、差し出された。
「はい、飲んでー」
「……なんか、リアルな夢……」
「ん? 現実でーす」
「は? 全部ファンタジーじゃん」
「いーえ、ここは現実の、烏森の魔女の家! 略して魔女宅!」
僕はそのセリフに笑おうとするけど、うまくいかなかった。笑えない僕を見ても、彼女のテンションは変わらない。
喋り続ける彼女の横で、僕は『今』を理解しようとする。
起き上がった体を見直すけれど、服は乾いているし、怪我もない。
もしかしたら、落ちたのが夢……?
「そうそう、君さ、沼に落ちたから、明日の夜には死んじゃうね。それでさぁ」
「……は?」
「君は死ぬ。腕、見てみなよ」
冷えきった声につられて見た僕の右腕。
そこにはバラの蔓が巻きつき、青いバラの蕾が1つ、膨らんでいる。
「そのバラが咲ききったら、君は死ぬんだよ」
胸に刺さる程の感情のない声に、僕はそれが真実だと理解した。
「僕、死ねるんだ……」
ほっとした僕に、魔女が小さく首をかしげた。
「その呪いは、1日かけて蔓が身体に巻きつくの。ゆっくりじっくり殺す呪い。夜が近づくごとにイバラの痛みに悶えることになるんだけど、そーいうの好き?」
「い、嫌だっ!」
痛いのは嫌だ、絶対に!
「母さんみたいに痛いのは絶対に嫌だっ!」
脳裏で声がする。
『痛いの、秋弥、痛い……痛い痛い……痛い痛い痛い』
死ぬ間際の母さんの声だ。
自分で自分を傷つけたのに、痛い思いを僕にぶつけて……!
おかげで、笑おうとするとあの声がする。楽しい気持ちになってもあの声がする。
だから僕は、引きつったような作り笑いしかできなくなったんだ。
母が死んだあの家を離れてここまで来たのに、声がぜんぜん消えないなんて……!
「君はすでに呪いにかかってる」
膝を抱えるように耳を塞ぐ僕を、彼女はそっと抱きしめた。
「君の心は欠けたんだ、君のお母さんの呪いでね。あたしは魔女だからわかる。それは呪い。もし、1ヶ月、ここに花を届けてくれたら、バラの呪いと一緒に、そのお母さんの呪いもといてあげる」
やわらかな胸が頬にあたる。
僕は温もりを感じながらも、彼女の申し出に顔を上げた。
「……どうする?」
魔女の問いに、僕は「やる」と、一言だけ返した。
魔女はそれに満足そうに微笑んで、さらに条件を加えたのだった───
目が覚めてみても、腕のバラは消えていない。
「本当なんだ……」
ただこれは僕にしか見えていない。
スマホで写そうとしたけど、腕しか写らなかったから。
蒸し暑さが残るなか、自転車で学校へ。
教室に着くと肝試しに誘ってきた連中が振り返る。
「よう、内嶋、昨日は悪りぃ。急に足滑らすから驚いちゃってさ。……ちょ、悪かったって!」
「いや、落としてくれて、ありがとう」
こういうときは笑えるんだ。腹の底からぐにゃりと笑える。
相手の引きつった顔がひどく滑稽だ。
僕は構わず椅子に座りなおすと、スマホで地図を広げた。
「花屋ってどこにあるんだ……?」
まず、魔女に言われたこと……
『毎日花を持ってこないと、夜に死んじゃうからね! 花は道草に咲いてる花でもOK。ちなみにあたしはバラが好き!』
スマホ地図に花屋と打ち込んでみたが、隣町が出てくる。
流石にそこまではいけない。バスで片道50分ぐらいかかる。
「花って、どこで買うの、これ……?」
「秋弥くん、お花屋探してんの?」
そう声をかけてきたのは、この町では珍しいギャルだ。苗字はたしか、佐竹といっていた。
「花は駅前のスーパーあるじゃん。あそこ。お母さんに供えんの?」
「いや」
僕の声が低くなったのに気づいたようだ。眉を寄せて、謝られた。
「ごめ! スーパーの花屋さ、あんま種類ないから。そんだけ」
彼女は席を立ち、後ろのグループに入っていく。
お礼を言うべきなのかもしれないけど、もう佐竹との会話は、これでおしまいだろう。
次がないなら、気にする必要もない。
次は……
『あたしのことを好きにならないでね? 恋されちゃうと、あたし、君の目玉、食べなきゃいけない。美味しいからいいけど』
念押しするように魔女はにっこりと笑っていたけれど、これは嘘とも本当ともわからない。
だけれど、妖精が飛んでいる家なのだから、本当の割合が高そうだ。
最後に───
『あたし、心臓がないの。探してくれない? たまに人間にいるんだ、心臓が2個ある子。見つけたら、ここに連れてきて。腕の蕾を見てから周りを見ると、心臓の炎が見えるから。それが2つある子だよ? まずいないけど』
心臓探し……
口の中で転がすけれど、これの意味が本当にわからない。
「やってみる、か……」
腕をまくり、バラを見る。
腕に刺の痛みが走り、目が熱くなる。
驚いて顔を上げたとき、クラスメイトたちが白黒に、そして、心臓部分に炎が……。
瞬きをすると消えてしまった。
再び腕を見て、もう一度クラスを見渡した。
「……え?」
背中に見える炎が、2つ、浮いている人物がいる。
「佐竹……?」
僕はこの事実をどうとらえればいいのだろう……
『心臓をくれたら、即、呪いはといてあげる。あ! その心臓の子は死んじゃうけど』
絡まった気持ちを断ち切るように、朝のチャイムが鳴り響いた。