下敷きにしてしまった小柄なあの子と、この頃やたらと目が合う件。
身体が大きいせいで人に威圧感を与えがちな少年、海知はある日、同学年の小柄な灯の上に落下し、下敷きにしてしまう。
泣かせた!? と焦るが、灯はこの涙は別件だと言う。しかし足を痛めた原因は自分にある、とお詫びもかねて家まで送ることに。
だけどこの道、知ってる……?
なんと灯は海知の親が管理するアパートの住人だった! 衝撃が大きすぎて、結局泣いていた理由を聞きそびれてしまう。
家が近くだからといって交流することもなく、そのまま時は過ぎ、気付けば進級して二年生に。
あれ、同じクラス? え、隣の席!?
相手を意識しつつもうまく話しかけられない日々。
海知はあの日の涙のことを聞けるのか?
大柄な堅物少年の海知と、おっとり小動物系女子の灯。体格にコンプレックスを抱く二人は今日もチラチラ目を合わす。
身長差四十センチ超えのデコボコ両片想いラブコメ。
人を、殺めてしまったかもしれない────
飛鷹海知はこの状況を前に顔面蒼白になった。
冬の放課後は暗くなるのも早い。出来れば真っ暗になる前には帰りたかったが、忘れ物に気付いて教室まで取りに戻ったせいで、この事故は起きてしまった。
(もっと注意深く移動していれば……。いや、 そもそも忘れ物なんてしなければこんなことにはならなかったのに!)
海知は、自分の身体の下敷きになって倒れている女子生徒を前に、グルグルと思考のループに陥っていた。
「ぅ、うう……」
「はっ!?」
そんな海知を現実に引き戻したのは、女子生徒の呻き声だった。良かった生きている、と思うと同時に、自分がまだ上に乗ったままだということに気付き、慌てて彼女の上から退いた。己の対応の未熟さに、再度ウジウジと不甲斐なさを嘆きそうになる。それをグッと堪えて、海知は彼女を支え起こしながら声をかけた。
「すまない。大丈夫か?」
────小さい。
それが彼女に対して最初に抱いた感想だった。艶やかな黒い髪を肩上で揺らす彼女は、ゆるゆると上半身を起こす。ソッと下から腕を入れて支えた華奢な肩は、片手にすっぽりと収まってしまうほどだ。
(すごく軽い。それに、柔らかい)
予想外の軽さと女性特有の柔らかさに戸惑い、起き上がらせる力加減を間違えてしまうところだった。海知は僅かに頬を赤くしながら内心では冷や汗を流す。
「えっ!? あ、大丈夫、です……!」
一方で押し潰された彼女の方も、海知に対して最初に抱いた感想はきっと「大きい」というものだっただろう。驚いたように瞳が見開かれ、どこか関心したようにほぅ、と息を吐いているからだ。それもそのはず、海知は十六歳にして身長が一九〇センチ近くもある。体格にも恵まれすぎた、大柄な男子高校生なのである。
灯の見上げてくるその目は黒目がちで、どこか小動物を思わせる愛らしさがあった。気になったのは、目元に残る涙の跡。もしや自分が押し潰したせいで泣かせてしまったのでは、と海知は息を呑む。
「……立てるか?」
「は、はい」
この体格の良さのせいで、そのつもりがなくとも自分は外見だけで人をビビらせがちだ。自覚があるだけに、彼女を怖がらせないようにと、大きな身体を極力縮こませながらそっと手を差し出す。その様子を見た彼女は一瞬だけ目を見開くと、すぐにふわっと微笑んでその手を取った。どうやら大丈夫そうだ。海知はホッと胸を撫で下ろした。
しかしそのまま立ち上がろうとした瞬間、灯が小さく呻き声を上げた。
「どうした!? 足を痛めたか?」
「そう、みたいですね」
足首を触りながら眉根を寄せつつ微笑む彼女を見て、罪悪感でいっぱいになる。元来、真面目な海知はすぐさまその場に────土下座した。
「俺のせいで、申し訳ない! 泣いてしまうのも仕方ないよな」
「え、ええっ!? いえ、そんな! あなたは避けてくれたのに、私が変な方向に避けてしまったんです。それに、泣いていたのは別件ですし……」
事の次第はこうだ。急ぐあまり階段を駆け下りていた海知は、下りきった先にいる人影に気付き、すぐさま持ち前の反射神経で跳躍した。しかし、気が動転した彼女もまた、運の悪いことに同じ方向に避けてしまったのだ。
ぶつかる瞬間、咄嗟に片手をついて体重が掛からないようにしたし、彼女の頭の下に手を入れ、床に打ち付けないようにもした。とはいえ彼女が足を痛めたのは事実。たとえ泣いていたのが別件だったとしても、走っていた自分に非があると海知は言い張った。
「あのっ、わかりましたから……。頭を上げてください」
本当はまだ土下座を継続したかった。だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。海知は渋々と頭を上げた。困ったように微笑む彼女を前に、それならばと口を開く。
「その足では歩くのもままならないだろ? 君が不快でなければ、家まで送ろうと思うんだが」
「え、でも」
「そのくらいはさせてくれ。もう暗くなるし、保健室も開いてないし」
彼女は少しだけ迷う素振りを見せ、申し訳なさそうにしながら口を開く。
「あの、それじゃあお願いします。でも、これはあなただけのせいじゃないですからね? 不運な事故だったんです」
「いや、これは明らかに俺が」
「事、故、で、す、よ? それに、お詫びとして送ってくれるんですよね? それでいいじゃないですか」
自分が悪い、と言おうとした海知の言葉を、彼女は最後まで言わせてくれなかった。おっとりと微笑み、穏やかな声色ではあったが、有無を言わせないという力強さも感じる。ここまで言われたなら今は従う他ない。
笑顔の可愛い、ほんわかとした大人しそうな子に見えるが、意外と頑固なところがあるらしい。だが、その頑固さを好ましいと感じた。
「……わかった。腕に掴まってくれ」
「では、失礼しますね。っと、立てました!」
彼女に合わせて海知もゆっくりと立ち上がる。そして、その身長差に愕然とした。
(小さ……! え? 俺の肩に背が届いてなくないか?)
自分の腕にしがみつきながらこちらを見上げ、恥ずかしげに微笑む彼女はなんというか、とてつもなく可愛い生き物に見えた。あと、腕に感じる感触はやはり柔らかい。海知はつい、ぼーっと灯を見つめてしまう。
「? どうかしましたか?」
「いっ、いや、なんでもない」
こてん、と首を傾げて聞いてくる灯の声にハッとなった海知は、頭を振ってどうにか持ち堪えた。
そして気付く。逆を言えば、デカすぎる自分はやはり恐ろしく見えるだろうと。さっきは微笑んでくれたが、本当は怖いのを表に出さないようにしているってこともある。だからさっきと同じように背を丸め、少しでも身体を小さくする。どのみちそうしないと彼女がしっかりと自分の腕に寄りかかれないのだ。
「歩けそうか?」
「はい、大丈夫です」
ひょこひょこと足を庇いながら歩く姿は見ていて危なっかしい。腕に掴まっているというよりぶら下がっているといった状態なのに、これで大丈夫と言われても説得力がまるでない。海知は小さく溜息を吐く。
「そういえば、名乗ってなかったよな。俺は一年五組の飛鷹だ」
「同じ学年だったんですか? てっきり先輩かと」
「はは、無駄にデカいからな、俺」
なんてことはないと取り繕ったが、年上だと思われていたことに海知は少なからずショックを受けた。そんなに老けているのかと。学年によって制服のネクタイの色が違うから、互いの学年など気付くのが当たり前なのに。
現に海知は彼女のリボンが同じ赤色だったからすぐに気付いていたのだが、灯は海知の外見の印象で判断していたのだろう。
「えっと、私は一組の雪藤です。雪藤灯」
「雪藤な。なぁ、抱えてもいいか?」
「え? ……えっ!?」
「俺、デカいからこれじゃ歩きにくいだろ? 背負ってもいいんだが。届くか?」
気を取り直して海知は彼女に背を向けてその場に屈む。手は届くだろうが、背に乗ろうと思ったら少しジャンプする必要があるため、足を痛めている灯には難しいのがわかった。
「無理そう、です。私、チビですし」
そう言って灯は僅かに口を尖らせた。背が低いことを気にしているようだ。
「じゃ、失礼するな」
「え? ひゃあっ!? ひ、飛鷹しゃん!?」
海知は軽々と灯を抱き上げる。いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。急に目線が高くなったのだから、灯が驚いて噛んでしまったのも無理はない。それだけの理由で声を上げたわけではないだろうが、その様子が妙に可愛らしくてフッと小さく笑ってしまった。
「この方が早いし足に負担もかからない。たとえ誰かに何か聞かれたとしても、怪我をしたって言えばいい。本当のことだし、問題ないだろ?」
「そうです、けど……!」
顔を真っ赤に染めた灯は小さい身体をさらに小さく縮こませた。その様子が手のひらに乗せるとプルプル震えるハムスターのようだ、とまたしても笑みをこぼしてしまう。
「ひ、飛鷹さんは、恥ずかしいって思わないんですか?」
「緊急事態だろ? それとも、不快か? そうだよな、俺みたいなデカくて怖い男に抱き上げられても嫌だよな……。すまん、配慮が足りなかった」
調子に乗り過ぎたか? そう思ってそのまま彼女を下ろしかけたのだが……。当の灯が海知の服をキュッと掴んでそれを止めた。チラッと目を向ければ、相変わらず顔を真っ赤にして小刻みに震えている彼女の姿。
「不快なんかじゃ、ありません……。もう、ずるい」
ゴニョゴニョと言っていて後半はよく聞こえなかったが、顔が近いおかげでどうにか前半は聞き取れた。ひとまず不快ではない、と聞けたことで海知は安堵する。
「その、正直助かります。それに、飛鷹さんは怖くなんかないです。こんなに親切にしてくれているのに、嫌だなんて思いませんよ?」
続けておっとりとした笑顔で紡がれた予想外の言葉に、じわじわと自分の顔が熱くなっていくのを感じた。人から面と向かって怖くない、親切だと言われたのは初めてのことだ。しかも女子。
海知はそうか、と返すので精一杯だった。
(それにしても、ずっとニコニコしているな。痛い思いをしただろうに。その前に、泣いてもいたんだよな……?)
灯のその変わらぬ笑顔には少し違和感を覚えた。しかし初対面でそこに踏み込むのは躊躇われる。疑問を胸にしまい込み、海知は灯を無事に家まで送ることに集中した。
彼女の住む場所が、自分の親が管理するアパート、つまり自宅の隣であるとは思いもよらずに。