世界一のお前を殺せるまで、俺は何度でも殺され続ける。
優等生だとしばしば不良に絡まれる。俺はヤツらを一方的に殴りながら、いつも殺すまで殴ればどうなるのだろうかと考えていた。
そんな時に現れた同級生の雪堕アリスは、俺にある提案をする。
「合法的に人を殺せるところ、教えてあげよっか?」
紹介されたのは銃で鎬を削るフルダイブ型のVRゲーム。初めは圧倒的な強さを誇るアリスとデュオを組みながら、やがて俺も名の知れた存在になっていく。
デュオの大会で優勝、三十人用のレイドバトルを二人で撃破、ゲーム内で最も大きなファミリアの壊滅。
様々な経験を経た先に訪れたのは、ソロの大会。
元々、俺がこのゲームを始めたことには理由があった。
「お前を殺すまで、それまでならやってやる」
ゲーム内は勿論リアルでもアリスの片手縛りに負ける。そんな俺に出来た、たった一つの目標。
──たとえそれが、前回の世界大会で優勝したアリスであったとしても。
眉目秀麗成績優秀品行方正クラス学年問わず人気者。
それが俺、三嶋黒葛を表す言葉、いわゆるリア充だ。
しかしだからこそ、厄介なヤツにもよく絡まれる。
「ガハッ……! ぐっ、おぇ」
潰れかけのカエルのような呻き声が体育館裏に響く。当然人目につかない場所なので誰かの耳に届くことは無い。
蹲っているのは俺ではなく呼び出した男。放課後友達と話していると急に絡んできた上級生だ。
「て、てめ……! 調子に……ぐぁっ!?」
顔を上げたところへ横薙ぎに蹴りを入れる。
いろいろ恵まれているとしばしばこういうことが起こる。今どき暴力なんて流行らねえってのに、本当面倒なヤツらだ。
「俺がただの優等生だと思った?」
グシャ。倒れ込んだ男の顔を踏みつける。
「俺みたいな完璧人間でも暴力なら勝てると思った?」
ザリ。踏みつけた顔を地面に擦り付ける。
「優等生やってるとお前みたいな理不尽にもよく遭遇するんだよ。そんなヤツらがのうのうと生きてて俺が不利益を被るとかありえないでしょ」
ガン。足を離して再度顔を蹴りつける。
それを最後に、男は意識を手放した。
「……もう終わりかよ」
俺はイラつきを紛らわせるためにガシガシと頭をかく。
……気絶までじゃなく、一度くらいは。一度くらいなら殺しても──
──後ろから砂を踏む音が聞こえた。仲間でも居たのかと、俺は思わず上がる口角を抑えながら振り向く。
感情の無い瞳。思わず目を見開いた俺の前に居たのは、明らかに日本人のそれではない銀髪を腰辺りまで伸ばした妖精のような女。
雪堕アリス。学校内でも有名な女だ。
……見られたのは面倒だな。こんな時間に体育館裏に来るような変わり者が居るとは思わなかった。
とりあえず誤魔化すか。俺はクラスでの笑顔を貼り付ける。
「雪堕さんだよね? 丁度良かった、今この人に襲われかけてさ。抵抗したらたまたま顎に入ったみたいで倒れちゃって」
「そう」
「俺はこの人を診てるし、もし良かったら先生を呼んできてくれない?」
「私が居なくなったらその間に男を起こして、自分が嬉々として殴っていたことの口止めをする。そういうこと?」
「……やだなぁ、そんなんじゃないよ」
見ていたのか? だとしても怯えが無さすぎる。その態度がどうにも解せない。
雪堕はふとポケットから何かを手にする。
「これ」
ひゅっと投げられたそれは地面に突き刺さる。
……は? ナイフ?
「雪堕さん、これは……」
「アリスで良いよ」
「……アリス、これは?」
「今からそれを使って私に勝ってみて。ナイフが嫌なら暗器でも良いよ。それともピストルにする? あ、拳が良いならメリケンサックもあったっけ」
胸ポケット、内ポケット、スカートに隠したガーターベルト。至る所から凶器を俺のもとへ投げつけてくる。
「私は素手かつ片手。それでもハンデになるかわからないけど」
「……何を言ってるんだ」
「消化不良なんでしょ? その男が勝手に気絶しちゃったせいで」
「……お前」
「目を見たらわかるよ。綺麗に見せた瞳だけど、裏には隠しきれない狂気とか殺意がある。私と同じ」
アリスは一切物怖じせずそう告げる。俺の目がどうかは知らないが、少なくともアリスの目には禍々しいナニカが宿っている気がした。
まあ、受ける義理はないんだけどな。確実に面倒なことになる。
「俺は女の子は殴らない主義なんだ。だからごめんね」
「受けてくれないなら今ここでツヅラにレイプされかけたって言いふらすね」
俺の名前知ってんのかよ。どうでも良いけど。
「この学校じゃ俺の信頼度の方が高い」
「でも一度ついた疑念は卒業まで付きまとうよ」
「……チッ。それをしてお前に何のメリットがあるんだよ」
「やっと素を見せてくれた。好きになっちゃうかも」
「言っとけ」
俺は落ちていたメリケンサックを拾い、右拳に嵌める。握り込むと素手より数段拳が固くなるのを感じた。
「傷が残っても文句は言うなよ」
「それはツヅラも同じ。じゃあスタ──」
聞き終わる前に俺は全速力でアリスへ接近する。完全に不意をついた。
こちとらお前が言うように消化不良なんだよ。文句は言わせねぇぞ。
ローファーで砂を蹴り上げる。眩ませた視界の隅に隠れるように屈みこみ拳で腹を狙う。
しかし、そこにアリスは既に居ない。
「は?」
「終わり」
するはずの無い方向からの声。後ろから凛と透き通った終了宣言の後、白くて細い指が俺の目蓋に触れた。
背後をとられ、かつ片手で詰まされる。目を捨てれば勝機はあるが、ここでそうする理由はない。
「……降参だ。何者なんだよお前」
「傭兵をね、昔してたの」
「は?」
「元々私は戦争孤児で、でも射撃の腕があったからパンパン人の頭を撃ち抜いて、その流れで雇われをしてたんだ。今日本に居るのはお人好しのパパとママが拾ってくれたの」
すっと目から指を外され、俺は静かに振り向く。
アリスの顔に嘘は見えない。
……てことはコイツ、人を殺したことがあるのか。
「ふふ、羨ましい?」
「何がだよ」
「わかってるくせに。人、殺してみたいんでしょ?」
「……」
初めて見せたアリスの笑顔に俺は押し黙る。
その理由なんて勿論、図星だからに決まってる。
「合法的に人を殺せる方法、教えてあげよっか」
「は?」
「これ」
右手で手渡されたのは日除けの無いサンバイザーみたいな機械。確かこれはフルダイブ型のVRゲーム……だったよな?
アリスはにこりと笑顔を貼り付ける。
「中にはKiller and Killerっていうのが入ってる。いわゆるFPSってやつで、銃を使っての殺し合い。ただ近距離での戦闘も見据えて普通じゃ出来ない動きも出来るし、だからこそプレイヤーの戦闘能力が重視されてるの。新規参入しやすいんだよね」
「……これが合法的に人を殺せる方法か?」
「うん。そっちのアカウントは既に私がTuduraの名前で作ってあるし、後は家で起動するだけ」
随分用意が良いことで。俺は聞くなり頭に嵌める。
「ここでするの?」
「ちょっと覗くだけだしな」
「じゃあ私もここでするね」
「……そうかよ」
「嵌めたら目を瞑って、頭の中でスタートアップって唱えたらダイブ出来るよ。誰も居ないところでログアウトしてるし、そこでもう一度私と殺し合いをしようよ」
本当に用意が良いな。声には出さずに賞賛する。
……まあ、一度やってみるだけだ。
スタートアップ。そう唱えると、暗い視界の先でナニカが弾けたような気がした。
*
目を開けるとそこは、確かに戦場だった。無骨な荒野に遠くから響く銃声。乾いた空気はこれが作り物の戦場だと思わせない雰囲気があった。
「ツヅラ」
ちょん、と肩をつつかれる。隣にはアリスそっくりのアバターが迷彩服を着て立っていた。
「始めよっか。さっきと同じように私は片手。ツヅラは……メリケンサックだっけ?」
「いらねぇよ」
俺はさっき相対したくらいの距離をとる。その意味をアリスも理解したようで、小さく頷いた。
「じゃあ始めるね。スタ──」
全く同じ繰り返し。言い終わる前に俺はアリスへ接近して砂を蹴り上げる。荒野だからか先程よりも大きく砂埃が舞う。さっきはここで後ろに回られた。
思い出せ。俺に機械を手渡した時、アイツは右手で渡してきた。だとしたら咄嗟に出るのは右手を前で使える方向。つまり俺の左側から回るはず。
俺は時計回りに後ろ回し蹴りを放つ。
「終わり」
またそれか。そう思ったのもつかの間、今度は正面からアリスは二本指を俺の右目に突き立てていた。
異常な反射神経か、こうすることまで読まれていたか。どちらにせよ確かに終わりだ。
それがさっきまでの世界なら。
俺は右目が潰されることも厭わず、前へ踏み出し首を掴んで押し倒す。マウントポジションを取り首を締め上げる。
「……どうだ、今回は俺の勝ちだろ」
「甘いよ」
「っ!?」
地面が迫ってくる。青空が視界を侵食していく。
ぱさりとアリスの長い髪が頬に触れる。そこでようやく俺はマウントポジションを返されたのだと理解した。
「終わり。でも右目を捨てたのはビックリしたよ。現実じゃそんな人は居なかったもん」
「……なのに負けるのかよ、クソ」
「このゲーム楽しいでしょ? 一緒にやろうよ」
「……アリス」
言葉を無視した俺の呼び掛けにアリスは可愛らしく首をかしげる。とても人を殺したことのある人間の仕草には思えない。
「お前を殺すまで。それまでならやってやる」
「じゃあ一生やることになるね。私もツヅラのことは全部知りたいから丁度良いかも」
「言ってろ」
そう吐き捨てるが、組み伏せられた状態だと格好もつかない。俺は大きな溜め息をつく。
「ちなみに、お前はこのゲームだとどれくらい強いんだ?」
「一番」
「は?」
「前回の世界大会で優勝してるよ」
「……ははっ! 何だそれ、めちゃくちゃ楽しいな!」
大して努力しなくても出来すぎるくらい出来てしまう俺に出来た新しい目標。
俺は目の前のヤツより強ければそれで良いのに、それがたまたま世界一強かったってか?
「最高だな、アリス!」
俺は逸る鼓動を抑えきれずに、獰猛な笑みでそう言ったのだった。