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紅蓮に燃ゆる魔人覚醒

『異形の魔人は、人の血肉を喰らう』


 魔術学園に入学した十六歳の少年グレンは、クラスメイトから一つの噂話を耳にする。それは、「魔人」と呼ばれる恐ろしい怪物が、帝都の人間を喰らっているというものだった。


『昨日、封鎖されてる通りがあったろ。あそこで怪物に襲われた奴がいたんだ』


 馬鹿馬鹿しい噂話だ。そう思っていたグレンだったが、とある事件をきっかけに自分がその「魔人」であると知ってしまう。そして、戸惑う彼の前に現れたのは、数多の魔人を狩る狂暴な「勇者」だった。


「――選べ。その力で人を喰らうのか。それとも、魔を狩るのか」


 覚醒していく未知の力と、明らかになる真実。突きつけられる刃。生きるために何を選ぶべきか、グレンは自分の道を探していくが――

「――おい聞いたか。昨日、例の魔人ってやつが出たらしいぜ」


 それは、噂話と呼ぶには大きすぎる声だった。

 視線を向ければ、クラスメイトのダミアンとかいう大男が、教壇の前で皆の注目を集めている。入学してまだ一ヶ月しか経っていないというのに、彼は既にクラスの人気者だ。


「魔人ってあれか、人を喰う怪物の?」

「あぁ、それだ。昨日ほら、西地区で封鎖されてる通りがあったろ? あそこで怪物に襲われた奴がいたらしい。噂の魔人に間違いないってよ」


 確かに昨日は、帝都の西地区の一部が封鎖されていた。重装備の傭兵が忙しなく走り回っていたらしく、何があったのか皆知りたがっていたのだ。気がつけば、ダミアンの周りにはたくさんの同級生が集まっていた。


(……あんな大勢を相手に、よくやるなぁ)


 声を張り上げるダミアンを遠くから眺める。

 教室の隅で静かに過ごすのが好きなグレンにとって、ダミアンのような目立つ人間はどうにも理解しがたい。年齢こそ十六歳と同じだが、まるで別の生き物のように思えて仕方がなかった。


 グレンは手元の魔術理論書に目を落としつつ、話の内容に耳を傾ける。


「皇帝陛下のお膝元で悪事を働くとは、魔人って奴も肝が座ってるぜ……人間の肝を喰ってるからかねぇ」


 ダミアンが笑うと、教室のあちこちから小さな悲鳴が上がる。その反応に気を良くしたのか、彼はニタァという笑みを顔中に貼り付けて、低い声で脅すように話を続けた。


「大の男が五人も襲われて、生き残りは一人だけ。掃除に雇われた傭兵団の話では……あたり一面に、血やら臓物やらが飛び散っててなぁ。お前らも、魔人に喰われないように気をつけないとなぁ」

「ひぇぇぇぇっ」


 クラスメイトの一人が大げさに震えると、少し遅れて皆が笑い始める。噂話の信憑性はともかく、ああやって盛り上がれるなら内容はなんでも良いんだろう。


 ここローザリア魔術学園は、ガルディア帝国内でも指折りの名門校として知られている。厳しい入学試験で拾い上げた若い才能を、三年をかけて鍛え抜き、脱落することなく卒業に漕ぎ着けた者は帝国きってのエリートとして将来を約束されるのだ。


(とは言うけど、こんな噂に踊らされる奴らがエリート候補だもんな……。いや、別に僕も大した人間じゃないけどさ)


 そもそも「傭兵から聞いた」なんて噂話は大半が眉唾ものだし、ここで必要以上に怯えても何かが変わるわけじゃない。グレンはどこか冷めた気持ちのまま、ダミアンを中心にはしゃいでいる同級生の姿を見た。


「よ、よし。おっぱいの話でもして落ち着こうぜ」

「それはもう語り尽くしたろ。大は小を兼ねるだ」

「ああん? 希少価値って言葉を知ってっか?」


 帝国の未来は大丈夫だろうか。そんな疑問を持ちながら、グレンは手元の魔術理論書に没頭し始める。魔術というのはいくら学んでも奥が深く、現在も全てが解き明かされているわけではない。研究者になりたいグレンにとって、勉強する時間はいくらあっても足りないのだ。


 そうやってページを一つ捲った時だった。


「グレン君、おはよー!」


 反射的に顔を上げると、一人の女の子がグレンに向かって柔らかく微笑んでいた。


 彼女の名前はクゥネ。

 同級生にしては小柄な子で、肩まで伸びた翡翠色の髪をサイドテールに結っている。大きな目は小動物のようにクリッとして可愛らしい。グレンが会話をする数少ない同級生だ。


 彼女は少し遠慮がちにグレンを見つめながら、両手をもじもじとすり合わせる。


「ねぇ。グレン君も男の子だし……その」

「ん?」

「やっぱり女の子の胸が好き?」

「は?」


 想定外の質問に慌てたグレンは、持っていた本を取り落とした。


「あ、いや。僕は脚線美を重視するけど」

「へぇ。そっかー、足が好きなんだ」

「って、僕は何を答えてるんだ……」


 不意に火照ってしまった顔をパタパタと扇ぎながら、グレンは落とした本を拾って埃を払う。

 一方のクゥネは何やら少し安心した様子で、慎ましい胸元を押さえながらゆっくりと息を吐いていた。


「よかったよかった。ちなみに私はねぇ、男の人の手が好きなんだよ」

「……手?」

「そうそう。手を見るとさ、なんというか……その人がこれまでどうやって生きてきたのか、ちょっと分かる気がしない?」


 前の席に腰を下ろしたクゥネは、グレンの手をさっと掴み上げると、それを包み込むように撫でる。


「グレン君の手は……優しい手。でも少し寂しそう。一人いる時間が長かったりしたのかな」


 その言葉に、グレンは自分の過去を思い出していた。

 彼は生まれつき病弱で、赤ん坊のころからずっと帝都にある大きな研究所で育ってきた。自由時間はあったが個室から出ることはなく、日常的に会話をするのは数人のみ。研究者である母親、雑用をしてくれる奴隷身分のおばさん、家庭教師の爺さん先生……。だから同年代の者とまともに接するのも、このローザリア魔術学園が初めてと言っていい。


 朝晩の薬だけで日常生活を送れるようになったのは、母親の研究のおかげだ。それについては感謝しかないが。


「……まだ戸惑ってるんだ。僕にとっては、箱庭の壁が急に崩れたようなもんだから」

「そっかぁ。少しずつ慣れていくしかないね」

「慣れるかなぁ。人と話すのは、どうも疲れる」


 グレンがそう言うと、クゥネは何が可笑しいのかクツクツと肩を揺らし、彼の手をぎゅっと握った。


「じゃあさ。今日の放課後、帝都を案内してあげるよ。あんまり知らないんでしょ? オススメの食事スポットとか……あ、中央庭園は見たことある?」

「いや、ないな」

「もったいないよ! 今の時期はチューリップが綺麗に咲いてるからさ、見に行こう」


 そう話すクゥネの顔が、あまりにも魅力的だったからだろう。照れながら頷きを返すグレンの頭からは、既に「魔人の噂」のことなど掻き消えてしまっていた。



 帝都の街並みは活気にあふれていた。

 数十年前に魔水晶を使った動力機関が発明されると、この国の生産力や輸送力は大きく変化し、周辺国家をあっという間に支配下に置いた。人も金も集まるこの帝都は、現在この大陸で最も栄えている都市と言えるだろう。


 そんな街を、グレンとクゥネは並んで歩く。


「ほら、この通りの先に大っきな歌劇場があるんだよ。今度休みの日に見に行こうよ」

「……どんな演目があるんだ?」

「そうだなぁ、最近の流行りは恋愛モノの演劇かな。身分の低い令嬢が、皇太子と結婚する話とか」


 楽しそうに語るクゥネを見ながら、グレンは小さく首をひねる。


「皇族の婚約を巡る政争か。恋愛というより、政治的な駆け引きがメインの気がするが……」

「そこはもうちょっと夢のある感じでさぁ」


 そうやって話をしながら、二人は帝都の散策を続けていた。



 日が少し傾いてきた頃だった。

 人通りの少ない場所に差し掛かったところで、グレンは首筋にチリチリと妙な視線を感じ始める。


「……誰かに見られてる?」

「静かに。大丈夫、私に任せて」


 クゥネはそう言って、グレンの手を握る。

 彼女の手は緊張したようにじっとりと汗ばみ、表情は強張っている。どうやらこの嫌な視線は、グレンの気のせいではないらしい。


「グレン君。こっち」


 複雑な小道を抜け、建物の裏を通り、二人が小走りになる頃には、追いかけてくる足音もあからさまに大きくなってきていた。何者かに付け狙われているのは間違いない。相手は人間か、それとも――


「ガキども。ここは行き止まりだ」


 グレンたちの前に立ち塞がったのは、一人の男だった。

 乱れた髪に薄汚れた衣服。少し曲がった鉄パイプをカラカラと引きずりながら、男はクゥネの身体を舐め回すように見ている。その目的は、あえて言葉にするまでもないだろう。


(悪いのに目をつけられたか……。こうなったら)


 ドクドクと脈打つ心臓の音を聞きながら、グレンは右手に魔力を集める。構築するのはマジックアロー、魔術の矢だ。たとえ殺してしまっても、この状況なら正当防衛になる。


(落ち着け。練習通りにやれば大丈夫だ)


 するとそこで、背後から数人の足音が響く。

 おそらく男の仲間が来たのだろう。


「おいガキ。魔術を準備してるみたいだが……さっさと撃つべきだったな。判断が遅え」


 男はそう言って、蔑むような笑みをグレンに向ける。


「……お前、人を殺したことないだろ」


 男の言葉に、ドクンと心臓が震える。

 一瞬の躊躇。グレンが固まった体を動かせないでいるうちに、男は鉄パイプを振り上げていた。同時に、背後からも複数の気配が近づいてきて――



 グシャリ。

 次の瞬間、潰れていたのは男の頭だった。


 一体何が起きたのか。

 生暖かい血の噴水が、グレンの顔を赤く染める。心臓はドクドクと痛いほどに脈打ち、手が震え、うまく息を吸えない。


 グレンはふと、隣にいるはずのクゥネに目を向けた。


「うまくいったね、グレン君」


 そこにいたのは、半分だけ蜘蛛の形をした女だった。

 上半身はクゥネの形をしているが、その肌は黒ずんだ外骨格に覆われている。下半身は蜘蛛そのもので、長く伸びた足が周囲の男たちを貫いていた。


 蜘蛛女(アラクネ)

 グレンを見返す目は、虫のような複眼だ。


「このあたりはオススメの食事スポットなんだ。グレン君だから教えるんだよ。魔人同士、仲良くしよ?」


――ちなみに私は、男の人の手が好きなんだ。


 クゥネによく似た蜘蛛女はそう言うと、男の死体から腕をもぎ取って微笑んだ。

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