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35話・エソラ旅館の老人


「亡霊が出る部屋か。どうでもいい。出たらブン殴るだけだ。成仏するよう掃除してやる」


 箱根エソラ旅館に当日の夕方にチェックインした俺は、亡霊が出ると言われた曰く付きの部屋に通された。亡霊が出る部屋だろうがどうでもいい。


 旅館へは西村唯の友人という事を覚えられていたようで、すんなり宿泊出来た。これで唯にはここにいるのがバレてしまうが、それはそれでいいと思っていた。親には泊まる場所が箱根になったとも伝えているから、誰かが聞けば知られてしまうからだ。


「ふぅ……」


 部屋の畳の上で寝転がる俺は、少しの間目を閉じる。今自分の身に起きている全てを忘れるように目を閉じた。


(誠高校関係やグレイ云々から解放されたい……せめてもう少しだけは利用されていた事を忘れたい……)


 心を休めてから夕食を食べ、風呂に入った後もスマホなどは見ずにすぐに寝る事にした。亡霊などは出る事も無く、俺は眠りについた。





 朝方の四時ぐらいに目が覚め、窓から少し霧がかかる幻想的な景色を見ていた。雄大な自然が大きな口を開けて人間達の暮らしを眺めているような気がした。冷たい水で顔を洗って気持ちを引き締めた。


「……気分は悪くない」


 寒空の下、俺はエソラ旅館の外に出た。身体が芯から寒く感じるが、心の闇が癒されて行くような感覚もする。キレイな空気を全身に送り込むように深呼吸をした。


「東堂に利用されていた事はわかっていても、それを受け流せなかったのは俺の未熟さでもある。この状況を打破する言葉さえ見つかれば、俺も次に行けるはず……」


 早朝の冷たい風が頬を撫でた。

 この風を辿れば、あの女達に続いている気がして手を伸ばしてみる。けど、風が掴めるワケもない。


(……)


 瞬きすると何かぼんやりとした人間が見える。そして、着物を着た白髪の老人と出会ったんだ。


「おはよう少年。箱根は二度目かな?」


「そうだけど……って、何故それを知ってるんですか?」


「ワシは物知りジイさんじゃて。そのくらいは朝飯前じゃ」


 そのよくわからないジイさんはこんな朝早くから散歩か? と思っていると立ち止まる。もしかすると唯の親戚の関係者かも知れないと思いつつ、俺はジイさんと話す。


「散歩ですか? まだ夜明け前で暗いからお気をつけて」


「少年の心ほど暗くはなっていないよ。少しは癒されたようじゃが、まだ良き場所へは辿り着いていない。心に情熱が必要じゃて」


 まるで東堂の青眼のようにジイさんは俺の心を見透かす。だが、まるで知らない人間に自分の心の中を言い当てられても不快では無かった。年が離れているせいもあるのかも知れない。このジイさんに少し質問してみる。


「今の俺に情熱が無いとして、昔の俺には情熱がありましたか?」


「昔の少年にはあっただろう。昔の少年には仲間がいたからのぅ。けど、今は独りを望んでいる。結局、人間は独りにはなれない。そして情熱が無いと亡霊になるだけじゃ」


「じゃあ、ジイさんには情熱があるという事か?」


 カカカッと笑うジイさんは言った。


「年を取ると情熱が無くなる。良くも悪くも、情熱があるのは若い証拠。それを利用されたなら、利用してやるのも一つの生き方じゃて」


「利用されたら利用する……か。それがジイさんの人生訓か?」


「人生訓ではない。押し付けるつもりも無い。ただ、それを決めるのは少年。君の意思だ」


 その俺の意思はあやふやだったが、ここに来て決まりつつあった。ただその答えが利用されたら、利用してやるという言葉として浮かんで来なかっただけだった。


(これで俺は俺の問題を掃除出来る。箱根に来て良かったぜ)


 そう思いながらヒントをくれたジイさんに感謝した。すると東からも西からも風が吹き、俺はその風を受け入れるように耐えた。何か憑き物が落ちたような気がしつつ言う。


「スッキリしたよジイさん。ありがと……な?」


 横にいたはずのジイさんは消えていた。まるで朝靄の幻想のような存在に少し身震いした。


「まさかあれが亡霊? ……ありうるな」


 そして、俺は部屋に戻った。

 それから朝食を食べて帰り仕度をした。旅館の人間にこの辺に着物を着た白髪の老人の話をしてみたが、やはりそんな人間はこの旅館周辺にはいないようだ。


「さて、俺は俺の問題を掃除するか」


 エソラ旅館をチェックアウトすると、その入口に黒髪ツインテールの女が立っていた。見慣れたブルーのコートで、あの青い目に恐怖した事もあった。その俺の性欲を刺激する女は決意を秘めた顔で言う。


「赤井君。帰ろう」


「あぁ、帰る。東堂……心配かけたな。俺はもう、大丈夫だ」


 迎えに来た東堂と共に俺はエソラ旅館を出た。そこで東堂からはネットに出たのは消しても無駄だけど、出版は止める事は可能。だから出版は辞めるという話をされた。それはする必要は無いさと答え、東堂を驚かせた。そして、俺は朝陽に目を細めながら立ち止まる。


「何だ……全員集合か。朝陽をバックに登場しやがって」


 進む道の先には唯、風祭、勇の三人がいた。友達の全員が来た事に俺は感謝する。そしてこの男には謝らないとならない。


「済まなかったな勇。グレイ野郎は言い過ぎた」


「そうだよ。グレイ野郎。傷ついたよ? でも、僕も上から目線過ぎたね。総司の意思を無視して介入してたと思う。ごめんなさい」


「なら、これでチャラだ」


 勇のホッペにキスをした。あ! と思う三人の女達はまさかの事態に驚いていた。俺が勇にキスするのはこんな時しかない。本気でされるとは思わない勇が一番驚いていて、機能停止している。三人の女もキスを望んで来たから全てホッペにしてやる。

 そして、唯に一つの質問をした。


「唯、お前の親戚に白髪に着物のジイさんいるか?」


「去年死んだジイさんの事? 何で総司がそんな事知ってるのよ?」


「ん? 俺は物知りだからな」


 俺が恋をしている唯にはやはりジイさんがいて、去年亡くなっていた。そのジイさんは、わざわざ亡霊として俺を助けてくれたようだ。そして愛している風祭は本気で俺を心配して泣いていた。恋も性欲も愛も――全て受け入れてやるしかない。


 この仲間達はかけがえのない仲間達だ。俺にとっては最高の情熱を与えてくれる仲間――。


「……俺には仲間がいたんだ。俺を心配してくれる仲間が。なら、進む道は一つしかない」


 全てを掃除する覚悟を決め、俺は大きな一歩を歩き出した。

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