悪役令嬢は愛しい王太子殿下の裏切りを知る
誰がこの絶望を知るというのでしょう?
愛しい人に愛された日々は遠く、私が愛した……婚約者であった王太子殿下ディーン様は違う女性を愛し、愛を語り合った日々を過去と切り捨てられました。
フェリカ愛しているよと優しく囁いたディーン様を思い出すたびに胸が痛い。
こんな裏切りが許されてなるものでしょうか?
私、フェリーシカ・カーディスはある決意をしたのです。
愛しい王太子殿下が違う女性を愛したと言われて、婚約を破棄しようと画策しているのを知った時に……。
それは一年ほど前、魔法学園の三年生になったころからはじまります。
私は魔法学園の廊下を本を手に歩いていました。
それはいつものことでしたが……最近は日々が憂鬱になっておりましたわ。
公爵令嬢の一人娘として生まれ、王太子殿下ディーン様の婚約者になり10年がたとうとしておりました。
本来なら、私は学園を卒業する18歳になったとき、婚姻式をあげることになっておりました。
しかし……数週間前、ある女生徒が編入してきた時から、おかしなことになっておりましたの。
この学園は魔法の素養を持つ者は、庶民、貴族誰でもはいることができましたの。
庶民が入学することは珍しい事でしたわ。
私の両親はこの学園出身でしたわ。私のお母様、ベアトリーチェ・カーディスがこの学園で起こした醜聞、それは語り継がれていましたが、私は公爵令嬢、20年前の出来事はなかったことになっておりましたわ。しかし今更蒸し返されるなんて思ってみませんでした。
目の前の階段を下りてきたのは、数人の女生徒。
伯爵令嬢のユーリカさんと、マリオンさん、あともう一人。
「お母様のしたことをなしにできるなんて、本当に羨ましい事」
「アリスさん、何とかいってあげたらよろしいのよ」
「いえ私はフェリカさんがしたことではないので、悪くなどは言えません」
もう一人、目の前に見えたのが、淡い栗色の髪をした乙女です。
そういえば三人は同じ授業をとっていましたわね。
「私はフェリーシカですわ、フェリカは愛称です。アリスさん、あなたに愛称を呼ばれるのは困りますわ」
「悪役令嬢と言われるお方だけあります。アリスさん、泣いてしまわれましたわ!」
私の言葉は何か悪い事ですの? それを聞いた途端、茶色の目に涙を沢山浮かべてアリスさんが泣いてしまわれましたわ。
いじめたと言われますが、この愛称は両親、王太子殿下、親しいお友達などにしか呼ばせたことはありませんの。
私は公爵令嬢ですわ、愛称呼びされるのは困ると言っただけですが。
親しいわけでもない方に……。
「フェリカさん、申し訳ありません」
「いえあやまら……」
「あちらに行きましょう、睨んでおられますわ。怖い」
「アリスさん可哀そうです」
なんでしょう、最近ずっと私はこんな感じでしたわ。
私を睨みつける二人、好かれているわけではありませんでしたが、ここまであからさまに悪意を向けられるのも困ります。
私の言葉が全てアリスさんを苛めるものとされておりましたの。
私はただ貴族階級にあるものとして、常識を発言しているだけだと思っておりましたが。
アリスさんにとっては違うようでしたの。
階級によって身につけるものは変わってきます。
制服は同じですが、夜会のドレスはレースなどの質なども変わりますが、アリスさんは上等のシルク生地をふんだんに使ったドレスを仕立てられていました。
色は白、白は公爵令嬢以上のみが着ることが色でしたの。もしくは王族。
なのに着られていたのでそっと注意をしましたところ……。
アリスさんに嫉妬した公爵令嬢が、嫌みを言った。
ドレスに難癖をつけた。ということになっておりました。
いえ、私はただアリスさんが、皆の面前でそれを注意されるのは可哀そうと思っただけだったのです。
余計なことでしたでしょうか?
何を言っても裏目にでるので最近は彼女を避けておりましたの。
それもやはり無視しているなど言われておりました。
私はお話があまり上手ではないので、お友達もあまりいませんでした。
社交などはそつなくこなし、学業成績も良かったので影口などは言われておりませんでしたが……。
この数週間はずっとひそひそと何か言われているのを感じました。
ディーン様も私を避けているようでした。
ずっと前から約束していた二人だけのいつものお茶会も、最近は忙しいを理由に来て下さいません。
「フェリカ」
「ディーン様、次の授業は……」
ディーン様と教室の前で会いました。久しぶりなような気がしますわ。
最近授業も出られておりませんでしたの。
黒の制服、金の髪を揺らし、ディーン様は困ったような顔で私を見ています。
私が小首を傾げると、何かいいかけて止められましたわ。
「次の授業は欠席する。フェリカ、お前は真面目だな」
「ええ、そういえばレイモンド様も最近は……」
「ああまた女遊びだろう」
いつものように心底嫌そうに顔を歪め言われますの。
レイモンド様はディーン様の従兄弟、王弟殿下の一人息子、しかし二人は仲が悪く、ディーン様は蛇蝎のごとくレイモンド様を嫌われてますわ。
「そうでしょうか?」
「放っておけばいい、フェリカ、それでは私は行くよ」
「授業を最近……」
「最近忙しいのでな、では失礼する」
ディーン様は私にとっては光、いつも一緒でしたのに、最近はすれ違っておりましたの。
次の火魔法の授業ではペアになれると思っておりましたのに……。
結局、私は一人ぼっちで誰もペアを組んでくれる方もおりませんでした。
お友達と言える方はいた事はいたのですが、最近はずっと無視されています。
私、何かしたのでしょうか? 思い当たることはありません。
アリスさんがそういえば編入してきてからです……人を疑ってはいけませんわ。
「あれフェリーシカ、ディーンはどうした?」
「レイモンド様、お忙しいと……」
「ふうん」
長い銀髪を一つに結び、金の瞳をした青年、レイモンド様はクスクスと愉快げに笑われました。
学園の中庭で休んでいると、ひょっこりと顔を出されたのですわ。お珍しい事。
「ディーンがねぇ」
柔らかく笑うその微笑みは、女生徒たちの間で天使の微笑みなどと言われているそうですが、ディーン様の微笑みには敵いませんわ。
王弟殿下は美しいと形容される容姿の持ち主で、一人息子であるレイモンド様も麗しの湖の貴公子などと呼ばれておられますが、そんなに大したお顔ですかしら?
ディーン様の方が精悍で素敵ですわ。
「相変わらずだね、フェリーシカだけだよ。僕にみとれないのは」
「みとれてどうしますの?」
「相変わらずだね」
私は噴水に座り、本を読んでいました。教室は居心地が悪かったのです。レイモンド様はクスクスと本当に愉しげに笑われます。
唇に手をあて笑うその姿、馬鹿にされているように感じました。
「私、何かしましたか?」
「どうして?」
「馬鹿にされているような……」
「ああ、鈍感ではないんだね君は」
「え?」
「やはりあのベアトリーチェ・カーティスとギルバート・カーティスの一人娘だ」
私の両親の名前を言って、またクスクスと笑うレイモンド様。
母は10年に死亡し、父はそれから抜け殻のようになってしまいました。
公爵としての仕事はこなしておりますが、いつも屋敷の一室にこもり母を忍ぶ日々です。
私は子供のころから、いつも寂しい想いをしてきました。
「両親がどうかしましたの?」
「いや麗しの乙女ベアトリーチェとその夫のギルバート公爵の麗しい姿はいつも皆の羨望……」
「はっきり仰ってくださいまし、陛下との婚約を一方的に破棄した伯爵令嬢の母を持ち、政敵をことごとく抹殺した冷酷なる公爵と言われた父を持つ公爵令嬢など不吉だと」
「いや僕はギルバート殿のことは好きだよ?」
「え?」
「自分に素直で見ていて楽しい」
「そうですか」
レイモンド様は本当に愉しそうにお笑いになる。いつもそうこの方は笑っている。
父とその点はよく似ておりましたわ。
麗しの貴公子と言われた父、いつも幼少時は笑っていました。
優しげに見える容貌、優しい笑顔、しかしその中身は誰よりも冷酷。
金髪碧眼の麗しい姿は、麗しの乙女と言われた母と並ぶと絵画のような一対と言われていました。
母は銀髪で緑の目、私と同じ色彩でした。
私は母と似ているとは言われましたが、母ほど美しくない。
いえ母ほど美しい人を私は見たことがありませんでした。
長い銀の髪はつややかで、その緑の目はエメラルドのよう、白い肌にはシミ一つなく、唇は真紅。
国一番の美貌の乙女と言われた母ですが、どうもそれを嫌っていたようです。
スタイルもよく、教養もあり、魔力も強い。
そんな母は伯爵令嬢でさえなければとよく言われていたようです。
公爵令嬢であれば王太子殿下の婚約者となったことを誰も反対などしなかったのにと。
母は私が生まれた時とても嬉しそうだったそうです。
私は母ほど美しくありませんでした。
しかしがっかりするのではなく、母は周囲に言われてそれはそれは喜んだそうです。
色彩も同じ、顔立ちも似ていましたが、私は母のような華が全くありませんでした。
引っ込み思案で大人しく、成績も悪くはないが、母のように語り上手でもない。
しかし両親はそんな私を愛してくれました。
母は自分の美貌を嫌っていると語ってくれたことがありました。
所詮面の皮一枚、老いれば衰えると……。
目を潰そうか? 顔を焼こうか? ああそうすれば皆は顔を歪めて自分を見るだろうと思った事もあったそうです。
どれほどの苦悩があったとは知らず、幼い頃はなんとなく聞いておりました。
私はそれほどの美貌もなく、しかし美しいと形容されるだけの器量はあり、公爵令嬢という地位もあり、王太子妃候補としては確実なはずでしたが……。
母が陛下との婚約を破棄したことがあったので、候補から外れておりました。
しかし、10年と少し前、私が王太子殿下の王太子妃候補、婚約者に決まりました。
両親と国王陛下の密談があったとか噂されましたが、しかし身分的にも不釣り合いではないと決まりました。
その後、母はすぐ病気で亡くなり、葬式の後、父はぬけがらのようになってしまいました。
愛する妻が27歳の若さで死亡した。それは父にとっては衝撃だったのでしょう。
それから私はずっと一人ぼっちでした。
父は私に構わず、在りし日の母のみを目に映し愛し、私はずっとずっと一人ぼっち。
そんな時、ずっと私に会いに来てくれたのがディーン様だったのです。
いつも恥ずかしそうに花やお菓子を持ち、遊びに来たよと私に笑いかけてくれたディーン様。
ディーン様だけが私の光、私の希望だったのです。
冷たい使用人に囲まれ、母の悪口なども言われていても注意する人さえおらず……。
冷たい屋敷で一人ぼっち。
しかしディーン様がいたからこそ耐えられた。生きてこられたのです。
なのに、こんな裏切りがあるでしょうか?
寂しい日々を送る私がある日見た光景……。
それは中庭で仲良く噴水に座るアリスさんとディーン様が口づけを交わす所でした。
そこからはよく覚えておりません。
多分、早退して寮に帰った時の記憶はありません。
気が付いたら寮のベッドでうつ伏せになり、ただ泣いていました。
絶望、悲しみ、苦悩、諦観? いえ……私の中の負の感情が全て現れたような感じでした。
私は人を恨んだり、疑ったり、そういう感情が希薄だとよく言われていました。
感情を表に出さない人だとも言われていました。
愛する母が幼くして死亡し、父に愛されず、誰からも愛されず、いえディーン様のみを希望として生きてきた私だったからこそ、彼の前でしか本当の笑顔になれなかったからかもしれません。
ああ、私の光は失われてしまったのです。
これからどうやって生きて行けばいいのでしょう?
死んでしまえば楽になれるでしょうか?
泣いて泣いて、そして泣き疲れた後、私の中にある考えが浮かんだのです。
それは絶望の未来を描くものでしたが、もうそれしかすがるものが私にはありませんでした。
私は……ある考えにそってそれから生きることにしたのです。
それだけを生きる希望として。
多分この時から私は狂ってしまったのでしょうね。