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月影奇譚  作者: iliilii
第一章 結んで
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09 面倒と痛みと疼き

 朝、いつも通りタロンを迎えに来たのはお隣の息子さん。けれど、お昼過ぎにタロンを送ってきたのはお隣の奥さんだった。朝と昼で人が入れ違うことは今までなく、息子さんに何かあったのかと心配になった。

 玄関に迎え出ると、タロンが荷台から飛び降りて駆け寄ってくる。しゃがみ込んでその首に抱きつき、「おかえり」を告げると、応えるように肩の上にとんと顎がのる。


「息子さん、何かありました?」

「ああ、違うの。ちょっと頼みがあって私が来たのよ。あのね、ちょっとした集まりがあって、そこに珈琲持っていきたいんだけど……頼める?」

「もちろんです。いつですか?」

「急なんだけど、今日の夕方なのよ。十人分なんだけど、お願いできる?」

 どこか遠慮がちな笑みを浮かべながら持ち上げて見せたのは保温ポットだ。それに用意しておけばいいのだろう。

 今は特に急ぎの仕事も入っていない。快諾すれば、ふっと力が抜けたような笑みを見せた。

「この容量だと一人一杯ずつになりますけど……おかわりはいいんですか?」

 大きめの保温ポットだけれど二リットルはなさそうだ。

「いいのいいの。半分飲んだところで牛乳足してカフェオレにするって言ってるから」

「それなら濃いめに淹れた方がいいでしょうか」

「いいのいいの、いつも通りで」

 荷物を運び入れながらそんな会話を交わす。遠慮からか、しきりに「いいの」を繰り返される。


 今回もどっさりお裾分けをいただいた。今年はトウモロコシがよくできたらしい。生のままでも食べられると聞いて驚いた。

 ここで暮らすようになって、食費がほとんどかかっていない。コーヒー豆とお菓子くらいだ。秋には新米も分けてくれるそうで、素直にいただいていいのかかなり悩ましい。出荷するには難があるものが含まれていると言われても、素人の私には見分けが付かないくらい立派なものばかりだ。珈琲やお菓子程度ではどう考えても釣り合わない。


「夕方取りに来るから、それまでにお願いしていい?」

 笑顔で頷けば、歌うように「ありがとう」と言いながら肩をぽんぽんとリズミカルに叩かれた。会話の間にタロンが足を洗っているのを感心したように眺めていた奥さんは、タロンにも声をかけて戻っていった。




 お盆を過ぎた途端、まるで季節のスイッチを切り替えたかのように、夏から秋にはっきりと移り変わった。ナイフを突き付けるようだった陽射しは、針を突き刺す程度にまでその威力を弱め、日が暮れた途端にしばらく忘れていた肌寒さを感じるようになった。日中は半袖で過ごせても、日が暮れると一枚羽織りたくなる。


 眠るときにはタロンの暖かさをありがたく感じるようにもなってきた。

 何度か襲われた台風や豪雨のたびにタロンに一緒に寝てくれるよう頼んでいたら、いつの間にか眠る頃になるとタロンが当然のようにベッドに潜り込んでいるようになってしまった。一人で悠々と眠る至福を思って、この家に引っ越してくるときに奮発して買い替えたダブルベッドの半分がタロンに占領されるようになって久しい。




 その翌日の昼下がり、再び奥さんがやってきた。水曜日でもないのに珍しい。昨日の珈琲に不手際があったのかと不安になった。

 私の耳に届くよりずっと先にタロンが気付き、その様子から誰かが来たのだろうと、急いで額にテープを貼って出迎えた。


「昨日はありがとね。まさか普通の珈琲とカフェオレ用の珈琲を用意してくれるとは思わなかったから、みんな大喜びで。もちろん私も。あと、持たせてくれたお菓子もみんな喜んでたわ。わざわざお取り寄せしてるのよって、私が自慢しちゃった」


 奥さんが持ってきた保温用ポットにはいつもの珈琲を、私が持っていた一リットルの保温ポットにはカフェオレ用にと濃いめに入れた珈琲を用意した。ついでにと、お隣さん用に用意していたお菓子を「みなさんで」と渡したら、遠慮しながらも受け取ってくれた。


「よかった。縁日の帰り際にたくさんお料理分けていただいたので、お礼したいと思ってましたし」

 きれいに洗われた保温ポットを受け取れば、みんなから珈琲のお礼だと、これまたたくさんの野菜や漬け物などのお総菜がダイニングテーブルに広げられる。まるであの満月の縁日のようで、嬉しくて自然と笑みが零れる。

「それもね、みんなに伝えたら喜んでたわよ」

 そう言ったあと、奥さんの顔が曇った。

「それでね、ちょっと面倒なことになっちゃって……」

 言葉を濁しながらの説明に、本当に面倒なことになったとため息をつきたくなった。


 表門の息子さんが連れてきた彼女とはよほど縁がなかったのか、なんと数日後には別れてしまったらしい。

「でも、お嫁さんになる方だって……」

「そうなのよ、もう二年もお付き合いしていたらしくて、結婚の話が出たから連れてきたらしいんだけど……だからこそダメになっちゃったみたいで……ほらここって、門の内側の家ってちょっと特殊だから、それがね、今の若い人は受け入れられないみたい」

 ダイニングテーブルに向かい合って座り、珈琲を飲みながら奥さんが重いため息をついた。

「特殊、ですか?」

 事実か否かはさておき、山神様との縁がなければこの地に住めないとは、確かに特殊な地域といえるだろう。各家がそれぞれに祠を守っているのも、特殊といえば特殊なのかもしれない。

「みんなほとんど山から下りないから……若い人にはつまらないのかもしれないしねぇ」

 奥さんが再び重いため息をついた。


「それで、あなたがもしうちの息子と縁がなければ、ほかの家のことも考えてもらえないかって。すでに山神様との縁があるから、後は本人たち次第だろうって」

 それに、足元に伏せていたタロンが身体を起こし唸った。

「わかってるの。彼女が特別だってことはわかっているんだけど、なかなかね、人の世も上手くいかないのよ」

 そうタロンに肩をすくめながら言い訳している奥さんの言葉を訝しむ。「人の世」とは、少し大袈裟だ。

「私が特別なんですか? ここに住めていることが?」

「私もね、外から嫁に来たからここの風習にはそんなに詳しくはないの。ただ、元々ここに縁もゆかりもない単身者が住み続けられるのは珍しいらしくて」

 言い繕うように少し早口になった奥さんがちらっとタロンに視線を向けた。

「ポチが懐いているのも珍しいって」

「何か関係があるんですか?」

 訝しむ私に、奥さんは大袈裟なほど肩をすくめて少し呆れたように笑った。

「さあ。年寄りたちがそう言っているらしくて。今回は私みたいに外から嫁に来た者の集まりだったから、みんなそんなに詳しくないのよ。そうらしいとは思っていても、盲目的に信じているわけでもないしね。うちはもうお義父さんもお義母さんも亡くなっているから、その辺はよくわからなくて」

 帰ってから旦那さんに訊いたところ、ここの山神様は山犬に化身すると云われているらしく、この山に棲み着いているタロンをそれに見立てているのだろうと笑っていたらしい。

「ポチは賢いから。そう思われても不思議はないんだけどねぇ」

 呆れ混じりに笑う奥さんは、私にその気がないこともはっきり伝えてくれたらしい。ちなみにお隣の息子さんとお付き合いしていないことは、今回集まった奥さんたちにはバレていたそうで、「みんなよく見てるわよね、私はそういうことに疎くて」とお隣の奥さんが気まずそうに笑った。

「あなたは私の姪だってことにしてあるの。何かあるならうちを通すよう言ってあるから直接面倒を持ちかけられることもないと思うけど……何かあったら遠慮なく言って。嫌なことは嫌だってちゃんと断っていいから。断り辛かったら私が断っておくから」

 それも本当のことではないとみんなわかっているらしい。わかっていて、あえてそれを通してくれたお隣さんの配慮に頭が下がる。




 その日からずっと考えている。

 きっと私とタロンを隔てるものはそれだ。根拠はないけれど確信めいた強い何か。昔話のように確かめてはいけない。確かめさえしなければ、タロンはずっと一緒にいてくれる。


 タロンは不思議な犬だ。


 夢の中でさえずっと考えているのか、毎夜私を抱きしめる腕の持ち主もその通りだと笑っているような気がする。夢の中で首を甘噛みされ、おでこを舐められる。それは、朝の光の中に甘く痺れるようなかすかな痛みと何かが目覚めそうな好奇心にも似た疼きを残し始めた。






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