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月影奇譚  作者: iliilii
第三章 因んで
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23 ワープシステムと月の石と旧暦

 いっそ勢いよく話が進んでいけばいいのに、最終選考となる宮中でのお見合いはひと月後と決まっている。それも卜占の結果だというのだから、ここは平安時代かとつっこみたくもなる。


「月ちゃん、これなあに?」

 お日様のような声が家の中で弾んで、開け放たれた窓から元気よく外に飛び出していく。タッセルが外れ風を孕むカーテンをひとつにまとめながら振り返ると、お隣の男の子が風に飛んだ一枚の紙を拾ってくれていた。

「ああ、これ? これはコプト文字っていう古い文字」

「もじ? こぷとの字?」

「ひらがなとかカタカナとかと同じ、別の国の字。ほら、アルファベットに似てるでしょ」

 お隣の男の子の目が輝く。私もきっと同じように目を輝かせてヒエログリフを毎日眺めていたのだろう。


 そうだと思い付き、子供の頃に使っていたヒエログリフカードをクローゼットの奥から探し出す。トランプサイズの薄い木の板にヒエログリフが彫り込まれている。

 それを目にしたお隣の男の子の表情がぱあっと輝き、好奇心の塊のような視線がカードに釘付けられる。

「これはヒエログリフっていって、昔のエジプトの文字」

「もらっていいの?」

 頷けば、ソファーに座りまったり味わうように珈琲を飲んでいたお隣の息子さんが、いいのか? と視線を投げてきた。それにも頷く。ゆっくりひと口ずつ味わうように珈琲を飲む様は、初めの頃から変わらない。

「私が子供の頃に使ってたから、ずいぶん古いものなんだけど」

 反ったり欠けたりしたものが混じるカードは、子供の興味を惹こうとしたのかカラフルにデフォルメされている。

「これ、手作り?」

「そう。祖父が作ってくれたの。たぶん実際に作ったのは当時の学生さんたちだろうけど。子供たちにヒエログリフの存在を知ってもらいたくて試行錯誤していたみたい。その試作品」

 しげしげと感心したように眺めている父の手から、幼い息子がカードを奪い取る。

「ぼくがもらったんだからね!」

 精一杯の主張に、お隣の息子さんが声を上げて笑っている。子供がいると和む。


 水曜日の荷物の配達が、日曜日の昼下がりに変更になった。タロンがいなくなり、狩りは別の人が行っているらしい。時々聞こえてくる銃声がタロンの遠吠えを思い起こさせる。

 一度くらい会いに来てくれてもいいのに。夢ですら逢えないことがタロンの存在を日に日に薄れさせていく。忘れたくないのに、細かな欠片が少しずつ記憶から零れ落ちていくのを為す術もなくただ眺めていることしかできない。


「ちゃんと寝てるのか?」

 お隣の息子さんも兄と同じことを言う。同じように「大丈夫」と笑って答えるしかない。


 お隣の息子さんから軽トラックを借りた兄は、年寄りたちとの打ち合わせに出掛けている。普段マウンテンバイクで山を走り回っている兄は、さすがに車を買うべきかと悩み始めた。必要なときはお隣さんや誰かしらが車を貸してくれるので、これまで買わずに済んできてしまった。都心にいた頃は交通網が密だったおかげで車は必要なく、むしろ駐車場代などの維持費がかかりすぎるきらいがあった。けれど、ここでは車がないとどこにも行けない。

 今や私は完全に警護対象なので簡単に出歩けない。ここから出るのが怖いどころか、ここから出られなくなってしまった。病院になんて、ましてや睡眠薬をもらいになんて行けない。医者のおばあか息子さんに相談するのは気が引ける。

 現状完全に私の受付業務を本業としている兄になんとかしてもらうしかないのかもしれない。


「月ちゃん寝れないの? ぼく、一緒に寝てあげようか?」 

 心配そうな子供の思いやりを笑って誤魔化すしかない自分が嫌になる。持て余した感謝を頭を撫でて誤魔化せば、それでも嬉しそうに笑ってくれる。それにつられて自然と笑みがこぼれる。彼の父も肩の力を抜いたように柔らかに笑った。

 この穏やかさが続けばいいと思っているのに──。




 タロンのことをネットで探すもどこにもその情報はない。そもそもタロンのように犬の姿にもなれる陰の人は現実にはいない。かつて月の女神の呪いを一身に受けて生まれたという、神話の中の忌み子だけだ。日のあるうちは獣の姿、月の光に陰の生きものに戻る呪われし忌み子の糧は血だったと云う記述は、まさにタロンのことのようだ。


 タロンの存在が一層現実味をなくしていく。タロンは神話から抜け出た存在だったのか、そんな馬鹿馬鹿しい考えに囚われる。


 何度兄に聞いても「知らない」の一点張りだ。初めはそんなわけないだろうと疑っていたものの、しつこく何度も聞くうちに、「知ってたら首輪つけて連れてくるわ!」とキレられた。

 兄もずっと探しているものの、裏門を出たところにある警備の詰め所で別々の車に乗ったあと、行方がわからなくなったらしい。何度詰め所に問い合わせても、詰め所の人間も知らないと繰り返すばかりで埒が明かない。

 そもそも兄は、タロンの存在を以前私が召還された際に卜占の結果でつけられた護衛だと聞かされている。陽の人から生まれた陰の人だから、月の力が強く、同じ月の力を持つ者と共鳴しやすいと説明されていたらしい。実際に誘拐された私をタロンは即座に探し出した。


「最初に召還されたのってどこだったの?」

「宮中」

「そうなの?」

「たぶん」

 大王(おおきみ)を遡ると日の神に行き着く。その大王が住まう宮中には様々な儀式の間があり、そのうちのひとつだったのではないかと兄は考えている。

「そもそも、どうやって私を召還したんだろうね。それこそ月の力が必要なんでしょ? タロンが使者だか特使だかだとして、そんな力もあるの? だったら私にもあるってことだよね。大王は日の力を使えたりするの?」

 矢継ぎ早の質問に兄が難しい顔で考え込んだ。

「あの祠って、つまりワープシステムみたいなもんだろう? その動力源が月の力だから、そのワープシステム自体を自分の中に持ってるか、構築できるってことになるんだよな、特使って」

「どうやってやるんだろう。私にもできると思う?」

 ふと兄の視線が左手首に注がれる。それに気付いて思わず兄の手首にもあるブレスレットに目がいく。


 デザインは違うけれど石の大きさが同じブレスレットは、子供の頃に兄からお守りだと渡されたものだ。兄が私の代わりに特使になる際に、おそらく宮中の人から渡されたバングル型のそれは、見たことがあるようでない、文字のようなものが一見装飾のように彫り込まれている。

 最初の召還の時に兄が会ったのは誰だったのか。中心にいたのは父と同じ年くらいの男の人だったらしい。兄は大王その人ではないかと睨んでいるものの、大王の顔を誰も知らないせいでわからないままになっている。私は欠片も憶えていない。


「その月の石使って俺は行き来してたからなぁ。月の石自体にそのシステムみたいなもんが組み込まれているのか、この輪っかがそれなのか、単純に月の力に何かが反応するのか」

 悩ましい顔で自分の手首にあるブレスレットを眺めていた兄が、何かを思い付いた顔に変わる。くるくると表情が変わる兄はわかりやすい。

「そういえば、どこからでも行けたんだけど、こっちに現れるのはいつも宮中なんだよ。やっぱあそこにそういう装置があるのかも」

「召還されたときと同じ部屋?」

「違う部屋。もしかしたら召還とは別の方法で行き来してたのかも」

「いつでも行けたの?」

「いや、満月の夜だけ」

「そういえば、祠が繋がったのも満月の夜だったよね。あ、縁日もだ」

「一番月の力が強くなるからだろう」

 そっか。


 月向こうの世界は太陰太陽暦だ。いわゆる旧暦で、ニュースなどでもそれまでより頻繁に二十四節気が聞こえてくる。さらに細かく分けられた七十二候というものはここに来て初めて知った。月の満ち欠けの様子も天気予報と一緒に必ず知らされる。


「私を召還するときの月の力ってどうしたんだろう。私の月の力を使ったわけじゃないよね」

「言われてみるとそうだな……そこにあいつが関わってるんだろうな」

「誘拐するほど欲しい力なんでしょ? だったら……」

「あいつの力もどこかで搾取されてる可能性があるな」

 顔を見合わせ、最悪の事態を想像する。命には関わらないだろうけれど、軟禁状態にあるかもしれないことは容易に想像できてしまう。




 兄には医者のおばあが「山神様」を口にしたことはその日のうちに話してある。あの時のおばあの含み笑いを思い出せば、きっと彼女は何か知っているに違いないのに、何度兄が尋ねたところで、なんだかんだと話をすり変えて誤魔化されるらしい。ほかの年寄りにそれとなく訊いてみても、医者のおばあが言っていた「噂」については誰も知らなかった。


 今日もまた渋い顔で帰ってきた兄を見れば、聞かずともわかってしまう。

「医者のおばあは口が堅い」

「侍医って宮中の医者のことでしょ、何か知ってるって思ったんだけどなぁ」

 確か幼馴染みが侍医だったと言っていた。兄が勢いよくソファーに腰をおろす。ぼふんと聞こえた音に、そのうちソファーが壊れるんじゃないかと心配になる。

「間違いなく何か知ってるんだよ。知ってるからこそ言えない感じ。悪いようにはならないってそればっか」

 兄が、はーっ、と大きく息をついた。

「年寄りたちも色々戸惑ってるみたいだよ。自分たちが知る頃とは色々違ってるみたいで、そのギャップに慣れないみたいだな。取り残された気分だって言ってたよ」

 そうかもしれない。半世紀もあればあらゆることが多かれ少なかれ変わってしまうだろう。

「山神様は無事だってそればっか。だからそこの根拠を教えてくれって言ってもなんだかんだって誤魔化される」

 さすが年寄り、と変なところで感心している。

 医者のおばあの上品な笑顔は、有耶無耶なまま丸め込まれても、仕方がないと納得できてしまえる妙な魅力がある。笑って誤魔化すとはまさにあれだ。


 結局何もわからないまま、いたずらに日々だけが過ぎ去っていく。






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