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月影奇譚  作者: iliilii
第三章 因んで
21/27

21 月輪姫と卜占とフェイク

「お前、ちゃんと寝てるか?」

「寝てるよ」

「そうじゃなくて……」

 兄がわかりやすくため息をついた。


 この家で暮らすようになって以来、すっかり遠離っていた眠剤に再び頼るようになってしまった。そろそろなくなる。山を下りて病院に行かなければならない。この山に住む医者には頼れない。きっと私が思う以上に心配される。

 このあたたかく心地いい場所から出るのが怖い。私が深呼吸できるのはここだけだ。一歩外に出れば、また縮こまって隠れるように息をひそめなければならない。


「そんな毎日飲んでないから」

「そういうことじゃない。薬飲まないと眠れなくなってることが問題なんだろうが」


 眠りが浅い。夏なのにどれだけ温めても手足が冷えて寝付けない。嫌な夢ばかり見る。無意識に伸ばした腕が空を掻く。タロンがいないことを思い知る。


「お前、大丈夫か?」

 大丈夫じゃないことをわかっていて訊くのはずるい。心配そうな顔をするのはずるい。

「大丈夫だよ」

 そう答えるしかないじゃないか。


 タロンと過ごした日々をなぞるように春が過ぎていき、強すぎる日射しを肌に感じることもないまま、夏が過ぎ去ろうとしている。日に日に眠れなくなっていく。

 タロンのいなくなった生活にいつまで経っても慣れることはない。




「さすがに断り切れないところまできてしまって……ごめんなさいね」

 その日、お隣の奥さんと一緒に訪ねてきたのは年寄りのうちの一人、医者のおばあと呼ばれている女性だった。

「最終的に残った候補者は?」

「五人ね。何人かは珈琲の娘さんも顔を見たことがあると思うわ。晩餐会に招待されていたはずだから」

 お隣の奥さんに答える医者のおばあは、困ったものね、と眉をひそめた。


 一度だけ、王家の晩餐会に参加したことがある。どうしても断れなかったと、年寄りたちと兄、お隣の息子さんと表の息子さん、医者の息子さんたちに護られるように、二時間ほどを宮中で過ごした。

 行き帰りの警備の様子は、まるでテレビで見たことのある皇族ほどの仰々しさで、交通規制された高速道路と全ての信号が青に変えられている道をひたすら停まることなく進んでいった。

 着たこともないドレスを着せられ、おでこ以外を人相が変わるほど念入りに化粧されたわりには顔を隠すための分厚いベールみたいなものを被せられ、恐ろしほどきらびやかな宝石で飾られ、緊張と現実味のなさに味のよくわからない料理をいちいちベールの下から口に運び、なんとか飲み込んだ記憶しかない。

 その場には一人も陰の人たちがいなかった。全て陽の人たちで占められていた。差別はないと聞いていたのに、そこにはっきりと現れていた。今回選考されているのも陽の人たちばかりらしい。


「正直覚えてないかも……」

「でしょうね。珈琲の娘さん、がちがちに緊張していたもの」

 ふふっ、と上品に笑う医者のおばあに、そうだったの? とお隣の奥さんが相槌を打つ。


 神奈尾の人たちは、変わらず「珈琲の娘さん」と呼んでくれる。晩餐会では「月輪姫」という、笑いたくなるような恥ずかしい異名で呼ばれ、大王(おおきみ)自らが声をかけた──といっても、大王の言葉をお付きの人を通じて知らされた──ことから、王家すら傅く存在だとまことしやかに囁かれている。本当に馬鹿馬鹿しいほどの好待遇。


「私は、誰とも縁を結べません」

「そうね。あなたはそうよね。それでも……」

「結ばなければなりませんか?」

「あなたが選ばなければ、誰かが選ぶことになるわ」

 痛ましい目で見ないで欲しい。その視線から逃れるように俯いてしまう。医者のおばあとお隣の奥さんの視線が額にあることが俯いたままでもわかってしまう。

「だったら、ひとつだけ条件があります」

 閃いたそれはただ一人に繋がる条件。

「この印に触れることができる人と縁を結びます」

 顔を上げた私に、「あなたそれは……」と言ったまま、何かを考え込んだ医者のおばあは、急に悪戯を思い付いた子供のようににんまりと笑った。

「そうね。そうしましょう」

 上機嫌に手を胸の前で合わせた医者のおばあにお隣の奥さんが怪訝な表情になる。

「何を思い付いたんですか?」

「私の幼馴染みが侍医だったの。その関係でね、ちょっとした噂を小耳に挟んだのよ」

 含み笑いでそう答えた医者のおばあは、それ以上は教えてくれなかった。

「任せておいて。悪いようにはしないわ。私たちはね、あなたにも山神様にも幸せになってほしいと思っているの」

 一気に涙が溢れた。誰もが口を噤んでいたのに。

「きっとあなたも、知らず識らずのうちに縁を結んでしまったのね」

 医者のおばあが優しく笑った。お隣の奥さんの手が背中をさすってくれる。ずっと寒かった背中にあたたかさが染み込んできた。

 

 医者のおばあを送ったあと、お隣の奥さんが引き返してきた。

「医者のおばあはね、今でこそおばあって呼ばれているけれど、ずっと医者の娘さんのままだったの」

 それだけを伝えて帰っていった。


 医者のおばあは「あなたも」と言った。もしかしたら、彼女も知らず識らずのうちに縁を結んでいたのかもしれない。世界の繋がりが途切れたとき、縁を結んでいた人と隔たれてしまったのかもしれない。

 彼女は縁を結んだ人に再び巡り逢えただろうか。そうだったらいい。誰かのためだったらいい。ただふたつの世界が繋がっただけなら、私はその繋がりを恨んでしまう。




 そうこうしているうちに、私が提示した条件が波紋のように広がっていき、それが浸透した頃、王家からも正式に縁結びの話が持ちかけられた。

 そもそも私の処遇を巡っては、月向こうの世界と繋がった瞬間から色々揉めていたらしい。本来なら宮中で過ごすのが慣例だとの言い分を、兄や年寄りたちが一蹴し続けている。


 王家でも揉めに揉め、けれど、何度占っても同じ結果が出るらしく、滅多に表に出ることない第一王子がその相手と決まった。すでに結婚し男の子二人の父親でもある第二王子が王位を継ぐのではないかと噂されている、あまり評判のよくない独身の第一王子。どう考えても厄介者を押しつけられるようで、「占いかよ」と兄の顔が思いっきりしかめられた。

 ここでは「月を読む」という卜占(ぼくせん)によって物事を決めるらしい。


 王家からの話など断れるわけがない、かと思えばそうでもないらしく、あくまでも縁がなければそれまでで、縁があるかどうかが重要らしい。それこそ卜占でわからないのかと思ってしまう。

 どうも私の立場は王家にとっては彼らよりも上にあるようで、けれど国としては王家より上の存在を作るわけにはいかず、面倒くさい思惑が入り乱れているらしい。

 年寄りたちが心なしか楽しそうに遣いの者を言い負かしていると、以前兄が苦笑しながら零していた。


「誰も見たことないんだよ、その第一王子」

「でも、王家の人たちって元々顔を見せないでしょ」

 常に広いツバの先にベールのようなものが垂れ下がった帽子を被り、その顔はまさにベールに包まれている。私も被ったあれは、外からは見えないようになっているのに、中からはそれなりに見えるようになっていて、よくできていると感心したものだ。

「そうだけど。それでも非公式の場所や他の国の王族と会うときは顔を出すんだよ。だから実際に写真なんかで確認できるわけじゃないんだけど、こんな感じって雰囲気は伝わってくるもんなんだ」

「それもないってこと?」

「そもそも滅多に御所から出ないらしい」

「何かあるのかな。病気とか?」

「そうかもな、噂を聞く限り碌なもんじゃない」

 吐き捨てるような兄の言葉に苦笑いが浮かぶ。


 ほかにも代々首相を輩出している家の息子とか、代々学者の家の息子とか、財閥の後継者候補だとか、なんだかよくわからない一番位の高い華族の息子とか、国内選りすぐりらしい。当然のように国外からも申し込みがあったようだけれど、それは年寄りたちが突っぱねた。

 そこに、お隣の息子さん、表の息子さん、医者の息子さんが加わる。この三人は年寄りたちがねじ込んだ私のための逃げ道だ。今のままの暮らしを続けられるよう、フェイクになってくれるらしい。

 実際に親しいお隣の息子さんはすでに跡継ぎもいることから年寄りたちの中では最有力候補になっている。逆にそれが周りから突かれる要因にもなっているけれど。


 お隣の息子さんを選ぶしかない状況にため息しか出ない。お隣の息子さんからもその提案をされてはいるけれど、それはどう考えても初めから私を助けるためのものでしかなく、だからこそ、そこに付け込むことができない。きっとお隣の息子さんはこの状況になることを事前に兄に知らされていたのだろう。


「私たちって血が繋がってるよね、実は義理の兄妹ってことはないよね」

「ないな。お前、俺なら犠牲にしてもいいって思ってるだろう」

 残念だ。万が一義理の兄妹なら兄をフェイクにしたのに。

「老後の面倒は見るよ」

「死ぬ気で嫁探すわ」

 心底嫌そうな顔に思わず笑う。

「見付かりそう?」

「こっちの人は割りと顔が濃い」

 そうなのだ。これまでの日本人顔の固定概念を覆すほど、こっちの日本人は全体的に顔が濃い、わりとはっきりした顔立ちをしている。兄ほど濃くはないけれど、兄の濃さがそれなりに薄れる程度には全体的に濃い。

「見付かるといいね」

 見てろよ、と悔しそうに唸る兄を見て、久しぶりに声を上げて笑った。


「月子」

 珍しく名前を呼ばれた。私は満月の晩に産まれたらしい。何も知らない両親がつけてくれた名前が、皮肉なことにここでの私の存在を押し上げる。

「なに?」

「俺は、お前の幸せをいつだって願っている」

 急にこれまでのことを一気に思い出して泣きそうになった。子供の頃から私を守ってくれたのはいつだって兄だった。両親や祖父母も守ってくれた。けれど、兄だけが私から顔を背けず真っ直ぐ見てくれた。心も守ってくれた。

 久しぶりに頭を撫でられた。子供の頃はよく頭を撫でられていた。そのたびに生きる勇気をもらってきた。






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