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月影奇譚  作者: iliilii
第一章 結んで
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02 雑草とウッドチップと珈琲

 今日もまた、誰かの腕に抱かれ、心地よく微睡んでいる夢を見た。


 引き締まった身体に幼子のように思い切り抱きつき、抱きしめ返される腕の力に頼り切り、柔らかな微睡みを堪能する。どこか懐かしさを感じるのは、子供の頃、兄に抱きついて寝ていたことを思い出すからだろうか。

 想像力が乏しいのか、その顔がなぜかタロンなのが不思議で仕方がない。できればイケメンでお願いしたい。イケメンが出てくる映画やドラマをもう少し観るべきか。


 夢の中でその顔に手を伸ばすと、指先をぺろんと舐められる。夢の中でその身体に思いっきり甘える。現実では必要ないと思っている人肌が夢の中では心地いい。

 額に鼻先が押しつけられ執拗に舐められる。夢の中ではおでこ全開でも気にならない。


 夜明けを喜ぶ鳥たちの声が目覚めを促す。

 ゆっくり目を開けていくとタロンが傍らに伏せていた。覚醒しきれない頭で、「おはよ」と声をかける私をじっと見つめている。実際に寝ぼけながらタロンに手を伸ばしているのかもしれない。おでこを舐められる感覚だけはいつも生々しい。

「タロンってば、またベッドに潜り込んで」

 怒ったところで布団の中にまで潜り込んでいるタロンは素知らぬ顔だ。人の言葉を理解しているくせに、自分に都合が悪い言葉は聞こえないふりだ。




 ここで生活するようになって、色々なことに気付いた。

 緑の濃さや草や土の匂い。大きな空の青さや零れ落ちそうなほどの星の瞬き。四季の移ろいまでもがそれまで以上の濃密さで生き生きと迫ってくる。

 時に苦しくなるほどに何もかもが生きている。

 夜は暗く恐ろしいということが本能に刻まれていることを知ったのもここに来てからだ。外灯ひとつないここでは、夜の闇がずっとずっと濃い。静寂と夜の深さが怖くて、最初のうちはタロンのそばを離れられなかった。


 自然の中にいると、自分の存在があまりにも弱くちっぽけに思えて、笑いさえ出る。

 ただ暗いだけで、ただ静かなだけで、それまでとの違いに恐怖を覚える。


 そして今は、雑草のたくましさに打ちひしがれている。一週間かけてきれいにしたばかりなのに、たった一週間であっという間に元の木阿弥だ。

「もう、キリがない。除草剤使おうかな。ねえタロン、除草剤使ってもいい?」

 ウッドデッキというよりは大きな縁側といいたくなるようなそこで寝そべるタロンに訊けば、ぐるっと呻り声を上げられた。ダメらしい。


 もう一人でどうこうできる話じゃない。根っこから引っこ抜こうとするからキツイのか、力の入れすぎで指先の感覚がなくなりそうだ。これはもう、草刈り機を買わないと無理かも。ずっとしゃがみ込んでいたせいか膝が痛い。腰も痛い。何より虫が無理。今まで見たこともないほどアリが巨大で怖い。


 玄関から道路までのアプローチには砂利のような細かな砕石が敷き詰められている。軒下の犬走りも同様。もっと砕石の幅を広げたり、いっそのこと庭全体に敷きつめてしまえばいいのだろうけれど、肝心の砕石を大量に手に入れる手段がない。そんなお金もない。


 木立の中、ぽっかりと拓けている庭とも言い難いスペースにぽつぽつ生えている花木。サルなどの野生動物を寄せ付けないためなのか果樹は一本もない。庭と雑木林の境目が曖昧だ。どこまでがうちの敷地なのかがわからない。

 祖父母は草花には興味がなかったのか、園芸店で見るような花はひとつも咲いていない。タンポポはかわいいけれどその根が深く、早めに駆除するよう言われている。花も綿毛もかわいいのに。シロツメクサも同様。はびこる前に引き抜くに限る。


「タロン、もう私一人じゃ無理だよ」

 どれだけ抜いても抜ききれないスギナに嫌気が差して、痛む腰を伸ばし、額の汗を拭いながらそう愚痴を零せば、ふいと顔を逸らされた。むっとしながらその視線の先から聞こえてきたエンジンとタイヤの音に振り返ると、お隣さんの軽トラックが敷地内に入ってくるところだった。慌てて前髪を整える。


「草むしりが大変だと言っていたから」

 運転席から降り、こんにちは、のすぐあとに続いたお隣の息子さんの言葉に首を傾げる。確かに言ったけれど、まさか手伝ってくれるのだろうか。それにしては草刈り機を持ってきたふうでもない。まさか人力だろうか。


「ウッドチップもらってきた」

 そう言いながら軽トラックの荷台を指さしている。

「えっ、ウッドチップってもらえるんですか?」

「間伐などで使い物にならない木はウッドチップに加工される」

 見れば、荷台の四方がベニヤのようなもので運転席の屋根よりも高く囲われ、その隙間から木片が顔を覗かせている。これを敷き詰めることで雑草対策になるらしい。すばらしい。


 軽トラックの荷台に山盛りのウッドチップ。一万円で足りるか……足りるわけがない。

「おいくらですか?」

 恐る恐る訊けば、驚いたかのように目を見開かれた。

「いや、誰でも勝手に持っていっていい」

 なにその雑なシステム。驚きから思わず「なにそれすごい」と声を上げると、お隣の息子さんは日に焼けた目元をほんのり和らげた。ホームセンターでは袋に入ってそれなりの価格で売られていたような気がしたけれど、ここでは無料で分けてもらえるらしい。すばらしい。


「じゃあ、ガソリン代だけでも」

「ついでだから」

 申し出は即座に否定される。お隣とは㎞単位で離れている。この家の先には何もない。ついでなんてない。ここまで運んでくれた手間を思うと、さすがにタダというわけにはいかない。


 ふと閃いたそれはいいアイディアだと思った。ただし、私にとってはすごく勇気のいることでもある。

「あの、じゃあ、珈琲、飲んでいきます?」

 意気込みすぎてぶつ切りになったセリフに、目を細め嬉しそうに頷いてくれた。この辺りでは豆を挽いた珈琲を飲む人はいないのか、それまで気軽に飲めていた珈琲が飲めなくなったと、先日嘆いていたのを思い出したからこその提案。


 それにタロンが気にくわないとでもいうように短い唸りを上げる。が、無視だ無視。ウッドデッキに寝そべっているだけのタロンより、働き者のお隣の息子さんを優先するのは当たり前。ましてや私が淹れた珈琲を飲んでくれるなんてすばらしいことだ。


 軽トラックの荷台からウッドデッキの前にどっさり落とされたウッドチップ。もうもうと舞い上がる細かな木屑にくしゃみが出る。あわてて首に巻いていたタオルで口と鼻を覆う。

 ウッドデッキの上からも、ぶしゅん、ぶしゅん、と続けざまにタロンのくしゃみが聞こえてきた。思わず笑えば、ぐるっと不機嫌そうに唸られる。


 大きな熊手のようなものでざくざく木片を均していく。お隣さんの手慣れた動きについ感心して見入ってしまう。働く人の慣れた動きは悠々と伸びやかに見えて確実だ。

 見る間にウッドデッキの前がウッドチップに埋め尽くされる。大量にあるように見えて、敷き詰めてみればほんの一部にしかならない。全体を埋め尽くすにはまだまだ足りない。


「また暇があったら運んでおく」

 聞きようによっては、ぼそっとした朴訥な声。言葉を交わし合うようになるまでにそれなりの時間を要した。ぽつぽつと何度か話すうちに、そこに滲む誠実さを感じ取れるようになるまで、さらに同じだけの時間を要した。


 お隣の旦那さんは言い方は悪いけれど鬼のような人だ。つまり強面で身体も大きい。その奥さんは小柄でかわいらしい人。その二人の息子さんは、旦那さんに似て身体が大きく強面だけれど、奥さんに似て目元がかわいらしい。


 この土地の持ち主はお隣さん。大家さんのようなものだ。そこに二十年の借地契約していると祖父母から聞いている。その賃貸料が二十年分一括で二十万と聞いて、そんな馬鹿なと驚いたものだ。お隣さんとしては人が住むことによって野生動物が田畑に下りてこないことの方が重要らしい。最初は無料でいいと頑なに言われていたそうだ。

 それもあってか、挨拶に行ったその日から女の一人暮らしを心配して何くれと世話を焼いてくれる。人の温かさをしみじみ感じた。


「珈琲は中で飲みま…す、か?」

 お隣さん親子には引っ越しを手伝ってもらっている。それなのに改めて家の中に招くことに自分でも驚くほど抵抗があり、言葉尻が戸惑いに揺れてしまう。なぜかタロンもぐるる、ぐるると抗議の唸りを上げ、お隣の息子さんも遠慮したのか農作業用のツナギが汚れているからと、結局ウッドデッキで振る舞うことになった。

 タロンがいるせいで男女二人きりという認識が薄れていた。自分の軽率さを申し訳なく思う。あまりに普通に接してくれるからか、嬉しさが勝って頭のネジが緩んでしまう。


 ガーデンテーブルの上で豆を挽くところから始める。珈琲の入れ方の興味があるのか、最初から見たいと言われ、お湯だけを家の中で沸かした。

 興味があってバリスタ講座を受けていたのが幸いした。

 専用の道具を使うことでそれっぽく見えるのか、お隣の息子さんの妙に感じ入った視線が恥ずかしい。手順通り淹れ、カップを彼の前にどきどきしながら差し出した。あまりに緊張したせいか、かたかたとソーサーを持つ手が震える。

 ブラックのままひと口含んだお隣の息子さんが目元を緩めたのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。


「本格的だな。店を開けばいいのに」

 ぼそっと感想をもらい、慌てて否定する。

「無理ですよ。見よう見まねですから」

「そうか? 旨い」

「それは豆がおいしいんです。このお店のブレンドが絶妙で、昔から好きなんです」

 それに再び、「本格的だ」と返してきたお隣の息子さんは、大切に味わうように、時間をかけてゆっくり残りを飲み干した。嬉しくて嬉しくて、涙が出そうだった。


 タロンも香りが気になるのかしきりに私のカップの匂いを嗅いでいる。今までも飲んでいたのに、今日に限って気になるらしい。

「さすがに珈琲はダメでしょ」

 それに心なしかぴんと立った長く大きな耳が項垂れたように見えた。その様子があまりにもかわいらしくて頭を撫でると、嫌そうに背けられる。拗ねたらしい。


「明日、ポチを借りたい」

「いい?」

 タロンに訊けば、「うぉふ」と答える。


 タロンは、お隣では「ポチ」と呼ばれている。うちの祖父母は「タロー」と呼んでいた。そのどちらも気に入らないようだったので、私はタロンと呼ぶ。それには特になんの反応もなかったので、彼にとってはポチやタローよりはまだタロンの方がマシなのだろう。ただなんとなく「タロー」に「ン」を足しただけなのだけれど、後で調べたらタロンはかぎ爪という意味らしく、適当に付けたにしてはなかなか……と自画自賛していたら、それは猛禽類のかぎ爪のことだった。


 彼の本当の名前はなんというのか。いつか訊いてみたい。






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