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coffee break

「……見失いました」

「いらっしゃい……」



 あれから十分と経たないうちに俺たちは喫茶店に戻って来ていた。

 相手は獣だということをまざまざと見せつけられた。あれは人間が追いかけられるものではない。この店を俺たちに教えることまでがクシャトリヤの優しさだったのか、帰りは容赦ない速さで走っていってしまった。

 俺たちは赤いお姉さんに会えるのだろうか。


「まぁ、座りな。コーヒーでも飲んでいくといい」

「どうも……」

 勧められるままにカウンター席に座る。そう大きくはない店内で、他に客はいない。大丈夫なんだろうか。

 店先の看板には喫茶アデプトと書いてあった。

 どういう意味かはわからないが、この店の雰囲気はどこか異質だ。落ち着いた基調の店内の所々に奇妙なオブジェのようなものが置いてある。他にも茶道で使うような茶碗や、前衛的なイメージの版画、不安感を煽るような写真が飾ってあり、まるで統一感がない。


「美術品なのかな?」

「わからん、美術は苦手だ」

「これ、おじさんの趣味なんですか?」

「お、おじっ……。小夜ちゃん、これでもおじさんって歳に見えるのかな?」

「そうですね。高校生にはとってはおじさんでしょうね」

「ふむ……。もう少し若くしてみようかな」

 何を言っているのだろうか、この人は。まぁ、あの赤いお姉さんの知り合いなのだから変人に違いないのだろう。あまり関わらない方が吉だ。


「私のことはマスターって呼んでくれ。そっちの方がかっこいい」

「はぁ……」

 おっさん、もといマスターはグッと親指を立ててそんなことを言う。

 やはり変な人だ。間違いない。

「そして彼女はアデプト自慢のウェイトレス、香月小夜(かづきさよ)ちゃん」

「よろしく」

 小夜さんは柔和な笑みを浮かべてお冷やとおしぼりを出してくれる。その一つ一つに動作を見ても、なんでこんな変なマスターの店でウェイトレスをしているのかと、疑問に思う程に美しい。俺がこんな状態でなければ、毎日通い詰めたくなっていただろう。



「君たちの名前を聞いてもいいかな?」

「東雲晃です」

「私は東雲朔」

「あれ、兄妹かい?」

「あ、いや、従兄妹です」

「なるほど。晃くんと朔ちゃんね。……それで、君たちはアレになにかされたのか? よかったら話してくれないかな?」

 朔と目配せをするとそれに併せて頷いてくる。

 今まで誰にも話してこなかったものを初対面の人に話すのは気が引けるが、そうもいっていられる状況じゃない。この人が赤いお姉さんを知っているなら、解決の方法も知っているかもしれない。

「俺たちは……」

 




 

 五年前のあの日から今日までの話を聞いたマスターは、長いこと目を瞑って何か考えていたが、おもむろに口を開く。

「いやぁ、それは楽しそ……大変な目に遭ったね」

 この人今楽しそうって言おうとした。というか、言った。

 とても酷い。



「……あの、それって本当のことなんですか?」

「小夜ちゃんは五年前にアレが来た時に会ってなかったか。まぁ、こんな状況は初めて聞くけど可能だろうね」

「そんな、まさか……」

 きっとこれが普通の反応だろう。

 間違っても第一声が楽しそう、などではない。


「なんなら、実際に見せましょうか?」

「え?」

「朔っ、待っ……」

「じゃあ、晃は今からポチね。返事は全部ワンで」

「んなっ!」

「わかった?」

「……ワン」

 屈辱だ。こんな綺麗な人の前でご主人様プレイ……いや、それよりも酷い忠犬プレイをさせられるなんて……。

 小夜さんの驚いた瞳も素敵だが、俺はもう涙で霞んでよく見えない。


「お座り」

「ワン」

「お手」

「ワン」

「おかわり」

「ワン」

「よしよしよし。いい子ねぇ」

「……ワン」


 人権ってなんだろう。



 マスターは必死に笑いを堪え、小夜さんは驚きのあまりに声を失っている。朔に至っては恍惚な笑みを浮かべて俺を見下していた。

 この世界に救いはあるのだろうか……。

「もういいわよ」

「……っひっく……っいっく……」


 カウンター席に戻っても嗚咽が止まらない。俺、朔に嫌われているのかな?

 どうして朔は俺にこんな酷いことをするのだろう。これでも俺は朔に紳士的に接してきたつもりだし、朔の人格を否定するようなことはなかったはずだ。

 だが、朔はこうしていつも俺を犬のように扱う。

 ……なら、もう我慢しなくていいかな?

 限界だよ……朔。



「いやぁ、君たちが比較的健全に育ったことはわかった。彼女の毒牙にかかったと聞いて心配したが、これで安心したよ」

「健全……これが?」

「ああ。君たちが本当に支配欲の虜になっていたら、今頃その程度のことでくよくよしてたりはしないからね」

 マスターはそう言いながらおかわりのコーヒーを注いでくれる。まるで全てを見透かしたような瞳が怖い。

 これが健全だとするなら、その支配欲に虜にされた状態というのはどれ程のものだろう。俺たちはこれでもうまくやってきたのだろうか。


「……ふむ、君たちになら彼女のことを話してもいいかな。私もアレには関わりたくないから放っておこうかと思ったけど、僅かながらに協力してあげよう」

「ほんとっ? やったね、晃っ」

「あ、あぁ……」

「といっても、私は彼女について教えてあげるだけだ。正直なところ、これを知って大人しく引き下がることを期待してる」

「どういうことですか?」

「もし君たちがアレに会えたとしても、望み通りになるとは思えないからだ。最悪、さらに酷い状態になる可能性もある」

「そんなっ……」

 確かにその可能性はずっと考えていた。赤いお姉さんに会えたとしても、元に戻れないのではないか。マスターの真剣な目つきが、その予感を確たるものにする。



「……それでも俺は会いたいです。俺は、もう……」

「晃……?」

「そうか。なら私は止めはしない。……ふむ、なにから話そうかな」

 マスターは手にしていたコーヒカップを揺らしながら思索を巡らせている。

 それだけで赤いお姉さんが只者ではないという雰囲気が伝わってきた。

「あのっ、あの人の名前はなんていうんですか?」

「え? ……あぁ、そうか、名前も知らずに探してたのか。そうだね、まずはそこからか」

 マスターは話の取っ掛かりを見つけたのか、コーヒーを一息で飲み干すとゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「……さて」

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