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messenger

 俺はどうしても納得のいかないことがある。

 何故、俺が昼で朔が夜なのか。



 五年も続くこの主従関係、平等に見えてもそこには恐ろしい程に隔たりがある。学校という存在が、そうさせる。授業の名の下に、日中俺が朔と接する機会は少ない。クラスが違えば尚更のことだ。

 つまり、俺が朔に対し優位に立てる時間は、朝の一時間程度とこの放課後の数時間しかないのだ。


 そして朔は日の入りから自分が寝るまで、俺を好きなように弄ぶ。翌日が休みだと、酷い時には夜明けまで俺を弄り回すのだ。そうなれば俺は日中起きていることが出来ず、せっかくの自由な時間までも奪われてしまう。

 とても悲しい。



「ねぇ、離れて歩いてくれない? 鬱陶しいんだけど」

「帰る場所が同じだから仕方ないだろ?」

「じゃあ、私どっか寄ってくわ。」

「そう。なら俺も買い物してこうかな」

 朔が街中の方へ足を向けるので、俺もそちらへ歩く。この僅かな仕返しのチャンスを逃すわけにはいかない。日が沈む直前まで、俺は朔を狙い続ける。

 ……いや、むしろこれは威嚇だ。朔が俺に屈辱を与えようというのなら、俺にも報復の覚悟があるということを示しているのだ。

 もっとも、今までそれが効果を表した試しはないが。


「あー、そうだ。下着でも買いに行こうかな。……それでもついてくる気?」

「それはまたの機会にするといいよ」

「ぐっ……」

 そんな脅し、この時間の俺には通用しない。朔は用があるわけでもなく、ひたすらに街中を歩き回り、俺はその隣をついていく。

 西の空に浮かぶ太陽が眩しい。こんな生活をしていると、日照時間を知る感覚が鋭くなってくる。今日はあと一時間半で日が沈むだろう。



「北欧っていいよな。白夜っていって、夏は一日中太陽が出てるんだぜ」

「そう。でも、冬になると太陽は一日中出てこないわよ。極夜っていうの知らない?」

「……知ってるよ。冬に行かなきゃいいのさ」

「私は夏に行かなきゃいいだけね」

「そうだね……」

 人生って難しいな。

 

 




「……なぁ、朔。ベンガルってそう何匹も見ると思うか?」

「さぁね。見ないんじゃない?」

「だよな……」

 ショウウィンドウの洋服に釘付けな朔は、俺の質問に投げやりに答える。

 だが、俺の心臓はそんな朔とは裏腹に驚く程高鳴っている。もう、どうにかなってしまいそうだ。俺の五年前の記憶と、あの後で図鑑で見た知識が、心臓を激しく揺さぶる。

「じゃあ、あの豹柄の猫は俺たちの知ってる猫でいいのかな?」

「え?」


 ようやく朔もショウウィンドウから目を離し、俺の指さす方を向く。

 それはもう、あと数メートルというところまで来ていた。商店が連なる広めの歩道を、向こうからトコトコと軽快な足取りでやって来る。

 すれ違う人たちが思わず振り返るような存在感。

 なにやら封筒のようなものを咥えているのが微笑ましい。


「間違いないよな……」

「うん……」

 この豹柄の猫は図鑑で調べたところ、ベンガルという種らしく、品種改良によって生まれた猫で世界的にも貴重だという。……つまり、こんな街にそう何匹もいるはずがなく、その飼い主は赤い髪、赤い瞳の女性という可能性が非常に高い。

 そして、豹柄の猫がついに俺たちの側までやって来た。

 チラリと俺たちを見ると、その猫は足を止め、吸い込まれそうになる程神秘的な瞳を向けてくる。それは昔見た瞳と同じものだと確信させるには十分すぎる迫力だ。



 突然、俺は何かのスイッチが入ったような感じがした。

 なんというか、周囲が急に非日常の世界に変わったような、オレンジ色の光りに包まれていた景色が鮮血のような紅色に染まったような感覚。

 朔も似たようなことを感じたのか、生唾を飲み込んだような仕草が見えた。

「あっ……」

 どれだけの時間だったかはわからないが、その猫は俺たちから目を離すと何事もなかったように歩き始める。

 追いかけないと……。

 きっと、これが最初で最後のチャンスだ。この機会を逃したら、俺たちは一生この呪いのような魔法と付き合っていかなければならない。


「追いかけよう、朔!」

「うんっ」

 俺たちは堂々と歩道の真ん中を歩く豹柄の猫の数メートル後を追う。後をつけられていることなど気づいているだろうが、まったく気にした様子を見せない。

 あの猫は俺たちを覚えているのだろうか。もしも赤いお姉さんに出会えたとして、俺たちはこの主従関係を断ち切ることが出来るのだろうか……。

 

 

「こっちに来たと思うんだが……」

「見失った……?」

 ちょうど太陽が沈んだあたりで、俺たちは猫を見失ってしまった。この辺は花柳市でもビジネスビルが立ち並ぶ、込み入った場所だ。

 こんな所に赤いお姉さんがいるのだろうか。

「晃っ、いたっ!」

「よっしゃ。でかした、朔っ」


 朔に呼ばれてビルの角から路地を覗くと、あの猫と一人の女の人が見える。遠目に見ても赤いお姉さんとは違う、栗色の髪の優しそうな女の人。

 ここが目的地だったのか、豹柄の猫はちょこんと座り、女の人に頭を撫でられていた。

「ねぇ、どうする? 誰だろう、あの人」

「……そういえば、あの時友人に会いに来たって言ってなかった?」

「言ってた。じゃあ、あの人が……」


 となれば、あの人に直接聞いてみるのが一番だろう。もしかしたら、赤いお姉さんの行方を知っているかもしれない。

「行ってみよう」

「うん」

 俺たちは意を決してビルの角から飛び出す。車が一台通れるかくらいの路地に入ってすぐにいる、豹柄の猫と戯れる女の人の前に立つ。

 そしてすぐに目があった。

 とても綺麗な人だった。二十代前半くらいの落ち着いた雰囲気のあるお姉さん。透き通ったその瞳で見つめられたら、きっと多くの人が一目惚れしてしまう。そんな魅力的な人だった。


「あ、あのっ……」

 一瞬の動揺を振り払うように声を出す。

 それでも少し声が裏返ってしまい、とても恥ずかしい。

「あ、いらっしゃいませー」

「はい?」

 返ってきた予想外の言葉。

 慌てて周りを見回すと、すぐ側のビルは喫茶店だった。三階建ての小さめのビルで、一階が喫茶店、二階が探偵事務所、三階はよくわからない。

 よく見るとお姉さんはエプロンをしているので、喫茶店の従業員に間違いないようだ。


「晃ぁ、なに動揺してんのよ。そんなに動揺してんなら、いっそのことこれ以上ないってくらいに恥かかせてあげようか?」

 朔がジトッとした目をしながらそんなことを囁いてくる。

 その瞬間、背筋が寒くなり冷や汗が吹き出してきた。さっき、猫を見た時よりも心臓の鼓動が大きい。

 ……本気だ。本気でやるつもりだ。長年の経験がそう告げている。

「ごっ、ごめんなさい」

「ったく、これだから男ってやつは……」

 さっさと本題に入った方がよさそうだ。このままじゃ、赤いお姉さんに会う前に俺が社会的に抹殺されてしまう。



「あの、その猫……」

「え? あぁ、あなたたちがこの子の飼い主さん?」

「……あれ?」

「どういうこと?」

「ん? どうかしました?」

 もしかして、この人は赤いお姉さんと関係ない? だとしたら、なんでこの猫はここに居座っているんだ? まさか、この人が美人だからとか、そんなアホな理由じゃないよな?

 皆でクエスチョンマークを浮かべている中、当の本人……というか本猫? だけが何食わぬ顔で封筒を咥えている。

 何がしたいんだこいつは……。


「あのっ……私たち、この猫の飼い主を探してるんですけど」

「そうなの? ごめんなんさい、私も初めて会ったので……」

「……そう、ですか」

 振り出しに戻ってしまったか。いや、この猫がいる限り、まだチャンスは残っている。

 こいつを追っていけば、あの赤いお姉さんに会えるはずだ。

「小夜ちゃん、どうかしたのかい?」

「あ、マスター」

「ん? ……げっ、クシャトリヤっ!? なんでここに?」



 暗礁に乗り上げたと思った矢先、喫茶店から一つの光明が現れた。

 マスターと呼ばれたおっさん。三十代半ばくらいだから、おっさんでいいだろう。このおっさんはどうやら猫のことを知っているらしい。ということは、赤いお姉さんについても……。

「マスターはこの猫を知ってるんですか?」

「……あぁ、知り合いの猫でね」

「あのっ、俺たちその飼い主を探してるんですけど、今どこにいるか知りませんか?」

「ん? 君たちは彼女を知ってるのかい? ……でも、悪いことは言わないから、アレに関わらない方がいいよ」

 本当に関わりにならなければよかったのに……。

 だが、後悔はもう十分してきた。それに、今は目の前にある可能性だけを見ていたい。


「あの人に会いたいんです。……そうしないと、俺たち……」

「なるほど、もう手遅れなんだね」

「はい……」

 やはりこの人は赤いお姉さんが何者か知っている。赤いお姉さんの友人というのは、このおっさんなんだろう。

 そしておっさんは俺と朔を交互に見ると、若いのに大変だねぇなどと嘆いていた。俺たちが可哀相な人たちに分類されることもわかっているようだ。何者なんだ、このおっさん。

「……で、おまえはなにしに来たんだ、クシャ。それは手紙か?」


 そう言いながらおっさんはクシャトリヤと呼ばれた猫から封筒を受け取る。

 唾液でちょっとふやけた封筒から一枚の紙を取り出すと、おっさんは目を走らせ、すぐに呆れたような顔つきになった。

「なにが書いてあるんですか? マスター」

「ん? ただの脅迫状だよ。見る?」

「はい?」

 おっさんから紙を渡されたお姉さんは、それに目を通すと同じように呆れ顔になる。

 一体、何が書いてあるのだろう。知りたいが、これ以上変なことに関わりたくないという気持ちがそれを押し潰す。この判断はきっと間違っていない。


「なんですか、これ」

「いつものことさ。彼女は私を奴隷にしたがってるんだ」

「はい?」

 奴隷……。なんて嫌な言葉だ。俺たちも五年間、互いを奴隷としてきた。だからこそ、赤いお姉さんの使う奴隷という言葉の恐怖、その支配感を理解出来る。

 飼い猫に奴隷になれという手紙を持たせて郵便代わりにする神経は理解出来ないが。

 というか頭よすぎだろ、この猫。お使い猫か。



「まぁ、こちらのことは置いとこう。すまないが私も彼女の行方は知らない。だが、きっとこの街のホテルにでも泊まってるはずだ。クシャトリヤが彼女の元に帰るのを追っていけば会えるかもしれないね」

「クシャトリヤって名前なんですか? このベンガル」

「ああ。でもこの猫はベンガル種じゃないよ。品種改良される前のベンガルヤマネコそのものだ。ちなみに、ワシントン条約にも引っ掛かってるから、こんな所を歩いてられる立場じゃないんだけどね」

「密輸ですか?」

「いやー、ワシントン条約が制定される前にアレのものになってるからなぁ。……あ、この話はいいや。ほら、追いかけないと見失っちゃうよ」

「あっ……」


 一仕事終えたクシャトリヤはもう来た道を帰ろうとしていた。

 心なしか先程よりも足取りが軽い。

「行こう、朔」

「うんっ」



 俺たちはクシャトリヤの後を追いかける。その先にある支配からの解放を夢見て。

 なによりも忌まわしき変態の称号を捨て去るために……。

 


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