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「そろそろ時刻だな。では少佐、結界の外へ」
エリスが、厳かにそのときを告げた。
「わかりました」
エミリは短く答えた。
しかし、エミリは、地面を見つめたまま動かない。
「……エミリ少佐。すまない、時間が無いのだ、結界の外へ」
エリスがエミリを促すと、エミリは思いつめたような表情で、エリスを見た。
「その……中将、約束してください。……必ず還ってくると」
うって変わったエミリのすがるような目に、エリスは微笑みを浮かべる。
「少佐、我々の種族は、確実に出来る保証のない約束はしない。……だが、約束しよう、生還に向け最大限の努力をすると」
「……そのお言葉だけで十分です」
エミリは一瞬複雑な表情を見せたが、すぐに笑みを取り戻し、重々しく敬礼すると、木々の方へと歩いていった。
「拓磨」
エリスの言葉に、拓磨の鼓動が跳ね上がる。
振り返ると、エリスが手を差し出していた。
拓磨はエリスの手を取り、そのまま抱き寄せる。
エリスは、拓磨のされるがままに身体を預けた。
鼓動の高鳴りが、自分のものだけでないことを拓磨は感じた。
「拓磨、1度だけ私は力を解放する。かつて、……使ったことのない種類のものだ。そのとき、私は自分を保つ事が出来なくなるだろう。だから、拓磨が私を逃がさないように、捕まえて欲しい。……チャンスは1回きりだ。それを逃すと、本当にこの世は終わってしまう」
エリスが耳元で囁く。
「わかった。絶対に逃がさない」
言葉とは裏腹に、拓磨の身体を震えが襲う。
――本当に、大丈夫なのか?
拓磨は、昨晩エリスが思いついた作戦に、諸手を挙げて賛同した。
あの時は、エリスを失わずに済むのなら、何でも良いと思っていた。
だが、いざ実行の場になって、その作戦に重要な前提条件があることを再認識する。
それは、他ならぬ拓磨自身、〈鍵〉の力。
〈鍵〉の持つ第3の意味とは、力の『封印』。
冷静に考えれば、ごく当たり前、ありがちな機能であった。
しかし、その発動には2つの条件を満たさなくてはいけない。
1つ目は、〈力〉を持つ者と〈鍵〉を持つ者が、お互いを求め合う関係になっていること。
2つ目は、その力が『邪悪な力』であること。
この条件も、この世に〈鍵〉が発現した本当の意味を考えれば、当たり前のことなのだ。
その昔、陽界と陰界で交流があった時代、人間が人間以外の力を持つものと惹かれ合う事は良くあったのだ。
ただし、陰界の生き物が、陽界の気に長期間曝されると、気が狂うと言われている。
気が狂った者は、我を失い、邪悪な力を解放してしまう。
邪悪な力に呑み込まれた者は、処分するしかない。
そして、確実に処分するためには、完全に〈力〉に呑み込まれる前に、まだ、僅かでも心が残っているうちに、愛する者によって、その命を絶ってもらうしかない。
だが、そうだからと言って、最愛の相手を手にかけられるだろうか。
実際、ほとんどの場合、手にかけることを躊躇し、完全に〈力〉に呑み込まれた者によって、逆に殺されてしまったと言われている。
数々の悲劇の歴史の中、生物の進化によって、ある画期的な機能を人間は獲得した。
それが、〈鍵〉。
惹かれている相手の〈力〉を察知した瞬間、〈鍵〉が体内に生成される。来るべき時に備えて。
そして、愛する者が邪悪な力に呑み込まれようとしたとき、〈鍵〉が自動的に発動し、その〈力〉を封印してしまうと言うものだ。
愛する者を失いたくないという先人達の強い想いから、時を経て、進化という名の下に、想いが実現したのだ。
……もう、千年以上昔の話だが。
エリスは、その作用を利用すると言い出した。
確かに、言い出しっぺは拓磨だ。だが、そこまで深く考えなかった。
エリスは、〈鍵〉を発動させるためとはいえ、一旦は邪悪な〈力〉を解放するのだ。
その〈力〉は、瞬く間にエリスの心を蝕むであろう。
そして、エリスの〈力〉が、歴史上類を見ないほど強大だと言うことは、何となく判っている。
その〈力〉を封印する〈鍵〉が、拓磨で大丈夫なのか?
そこなのである。




