(3)-3
「しょ、少尉は、……解っているのか? 人間と我々の種族とが、お互いの真名を呼び合う意味を」
「小説で読んだことがある。人間と人間以外……僕の知っているのは幻獣のことだけど、それが相手を求めるときに、お互いの真名を呼び合い、魂を取り込むんだよね。何故なら、幻獣は、一旦心を相手に支配されると一生尽くすのに対し、人間は愚かで浮気な生き物だから。浮気したときに、幻獣が寂しさのあまり狂ってしまわないよう、魂を担保に取るって」
「少尉、寂しさのあまり狂ってしまうのは、人間とて同じ事だ。ただし、世の中に実害が及ぶかどうかは別だが。……それから、浮気以外にも、もう1つ問題があるぞ」
「問題?」
「どちらかが先に命を失うことだ」
エリスは目を閉じ、少し沈黙すると、再び口を開く。
「だから、……少尉の名を呼ぶことは出来ない」
「『だから』? 何で?」
「私は、明日、〈狭間〉を消滅させる」
拓磨は思わずエリスを引き離し、顔を凝視した。
「ど、どうやって?」
拓磨の身体を嫌なものが満たしていく。
「そもそも、少尉が、よりによって少尉が〈鍵〉の持ち主だと判った時点から、私の作戦は決まっていたのだ」
「〈鍵〉を使うと、どうなるの?」
「恐らく、実体は消滅する。あれだけのエネルギーを相殺するのだ、人間の肉体では器が足りない。仮に残ったとしても、魂のない抜け殻だけになるであろう」
拓磨は指先から冷たくなっていく感じを受けていた。
だから、エリスは、拓磨を利用しようとしなかったのだ。利用できなかったのだ。
「私は、こちらの敵を殲滅し、その後、我が身を持って〈狭間〉を消滅させるつもりだった。本来は正常化すればよいのだが、私の力を解放してしまえば、〈狭間〉1つは楽に消滅させられるからな。……そもそも、〈狭間〉など無ければ、何も問題はなかったのだ」
最後は呟くような声で言い、エリスは目を伏せた。
その表情から『問題』の意味するところが、エリスと拓磨のことだと、拓磨は感じた。
――そんな……、あんまりだ!
――じゃあ、エリスの10年間は、一体何だったんだ?
「少しの間だったが……」
混乱する拓磨が顔を上げると、エリスが穏やかな表情で拓磨を見つめていた。
「楽しかった。それに、得難いものも得られたのだ。もう、これ以上求めるものは何もない。もっとも、私が10年前に狭間をくぐり抜けなければ、少尉に出会わなければ、こんなに苦しむこともなかったのであろうがな。人間人間言うが、私も十分愚かな生き物だ」
そのとき、拓磨の脳髄に衝撃が走った。
――まてよ! 10年前?
――タケトがいつか言っていた、エリスの国で泥沼の戦いが始まったのは10年前だと
――母さんのメールにあった。僕の身体に〈鍵〉が宿ったのはあの日だと。今まで千年以上現れた事実はなかったのに、と
――冷静に考えれば、今までで〈狭間〉そのものが異常だなんて、誰も言っていない
――〈狭間〉をくぐって陽界と陰界を行き来すること自体は、影響のない範囲で日常的に起こっているって。それが、エネルギーのバランスだって
――そして、最後のメールに書いてあった、エリス達も知らない〈鍵〉の第3の意味
――僕は、……いや、エリス達は、大きな勘違いをしていたのかも知れない
――エリス達は、10年前から、一体何と戦っていたのか。何のために戦っていたのか
拓磨の頭が、テストの時以上にフル回転した。
エリスを、目の前の愛しい存在を絶対に失わないために、必死に考えた。
今まで16年間で見聞きした、タケトやエミリが話してくれた、〈狭間〉に関わることを、由依や拓磨の祖父が話してくれた『伝承』を、全ての情報を引き出し、組み立て直した。
そして、拓磨は、ある結論を導き出す。
「なあ、エリス。ちょっとだけ、僕の話を聞いてくれるかな」
「あ、ああ」
拓磨は、にこっと笑うと、続ける。
「……それから、僕が説明することを、エリスは、その論理思考で検証して欲しいんだ。いい? 感情は入れちゃだめ。僕がどうなる、エリスがどうなるは、その結果次第。そして……、検証の結果、僕の言うことが合理性を持っているのなら、……僕の名前を呼んで欲しい。約束できる?」
「いや……、それは」
エリスは目をそらし、下を向く。
拓磨は意地の悪い笑みを浮かべると、エリスの顔を自分の方に向け、のぞき込んだ。
「エリス? さっき、僕に感謝と謝罪をしてくれたよね。人間はね、相手に済まないと思ったら、償いをしなくてはいけないんだよ? だから、これが償い、いいよね?」
「ず、ずるいぞ!」
エリスの顔が紅潮する。
拓磨は勝利を確信し、エリスに返事を促す。
「いいよね?」
「……あ、ああ。分かった、や、約束……する。しかし……」
「『しかし』は無し。エリスの種族は、約束を絶対に守るんだよね。言い訳しないんだよね」
拓磨は満足げに微笑むと、ポケットから携帯電話を取り出した。




